471手目 分子マシン
「そこのおふたりさん」
うわぁああああああああああッ!?
ボクは悲鳴をあげかけた。
いのっちといっしょにふりむく。
すると、おばあさんがひとり、夕焼けを背にスッと立っていた。
ロマンスグレーの、メガネをかけたイケおばあちゃん。
「あなたたち、そこは立入禁止よ」
えっと……はい、としか言いようがない。
ボクは、
「あ、すみません、見てるだけです」
と答えた。
おばあさんの顔は、逆光でよくわからなかった。
いきなり注意してきたから、もしかして病院の関係者かな、と思った。
ボクは、
「あの……そろそろ帰ります」
と伝えた。
おばあさんは、3秒ほど間をおいて、
「小説を読んで来たの?」
と尋ねた。
ボクといのっちは、顔を見合わせた。
もしかして、このおばあさんも聖地巡礼?
ところが、いのっちは、
「いえ、なんか古い建物だなあ、と思っただけです。じゃ」
と嘘をついて、ボクの手を引いた。
さよーならぁ。
ボクたちは駅にもどって、新宿へ移動した。
電車に揺られながら、ボクは、
「さっきのひと、なんだったんだろうね?」
と、ひとりで疑問と格闘していた。
「かかわらないほうがいいぜ」
「もしかして、ビルのオーナーがびびらせにきたのかな、と思って」
いのっちは、あ~、と間延びした声を出して、
「メイワク客も多いだろうからな。ヤバいひとを演出して、追っ払うわけか」
と乗ってきた。
まあ、ただの憶測なんだけどね。
新宿で降りると、あたりはすっかり暗くなっていた。
寒い。
ボクは手を息で温めながら、ひとの流れを見た。
雑踏というか、カオスというか。
新宿駅って、マジでなにしてるのかわかんないひといるよね。
会社でも学校でも遊びでもなさそうなひとたち。
ここが渋谷とか池袋とはちがうんだよなあ。
いのっちは、ひたいのゴーグルの位置を調整しながら、
「東京出身でも、この夜景はなんか新鮮だなあ」
と言った。
わかる。
高校生くらいまでで見える風景と、大学生で見える風景、なんか違うんだよね。どこが違うのかは、うまく説明できない。行動範囲が広がったとか、時間が自由になったとか、そういうのはある。だけど、それだけじゃないんだよ。
ボクらは本日最後の聖地、新宿プラテアホテル前に到着した。
真っ白でシンプルな、高層ビル。
駅近だから、出入りする人の数も多かった。
ボクは、
「このホテル、今まで意識したことなかった」
と言った。
いのっちは、
「んー……ただのホテルだな」
と冷め気味だった。
テンション上げていこう。
「で、ここはなんの施設なの?」
「テロの目標だって噂なんだよ」
……………………
……………………
…………………
………………ん? どうしたの?
いのっちは視線を逸らして、口笛を吹き始めた。
気付けば、インバウンド旅行客ふたりが、こちらを見ていた。
「Did she just say "terror"?」
「Yeah, that’s what I heard too.」
……………………
……………………
…………………
………………
「アイ・アム・ノット・テロリスト!」
インバウンド旅行客、退散。
英語は迫力でなとかなる。
ボクは話を続けた。
「『UBASUTE』の実行犯は、このホテルを視察してるんだ。ここがテロ目標っていう説が有力」
「ミスリーディングじゃねーの?」
その説も有力。
いのっちは、
「そもそも、なんで新宿のホテルなの? 普通は国会議事堂とかじゃね?」
と質問を飛ばした。
「政治テロとは限らないでしょ」
「あ、そうなの? だけど、政治テロじゃなかったら、なんでホテルになるの?」
わからん。わからんことだらけだ。
というわけで、その場で写真と動画を撮って、ボクたちも退散。
近場のファミレスに移動する。
するとぉ、そこは首都工のダベリ場だぁ。
にぎやかな店内で、ボックス席をいくつも占拠していた。
何人か、知っているひとがいる。
首都工は、こうやってたまに飲み食いしてるらしい。
今回は新宿で、しかも飛び入り参加OKということで、参加。
どこに座ればいいのかな、と迷っていると、うしろからローラースケートの音がした。
「お、都ノの1年生じゃーん」
磐先輩だった。
「磐先輩、今日もかぶいてますね」
「? ところで、折口先生のナノマシン講義聴いたって、マジ?」
「マジです」
「ちょっと聞かせてよ」
やはりメカ愛は人類を繋ぐ。
ボクといのっちは、磐先輩のテーブルにお邪魔した。
もうひとり、無精ひげのお兄さんがいた。眠そう。
ボクたちはいろいろと説明した。
話を聞き終えた磐先輩は、ストローでジュースを飲んだあと、
「なるほどなあ、たんぱく質の変性を利用するわけね。さすが折口先生。だけど、実用化は難しそうだな」
と懐疑的だった。
工学部生がそんな態度ではダメだ。
ボクは、
「できらぁ!の精神、だいじです」
と返した。
磐先輩は腕組みをして、うんうんとうなずいた
「たしかに、なんでもやってみるもんだ。よくよく考えたら、筋肉も似た仕組みだしな」
そう、たんぱく質をうまく運動させるのは、ザ・人体だもんね。
いのっちは、
「仕組みはわかるんですけど、細かいところになると、ほんとかな、っていうのは、オレも感じました。ただ、他の先輩に訊いてみたら、似たような研究はもうあるよ、って言っていました」
と告げた。
磐先輩は、
「ああ、光駆動分子モーターとかプロトニックナノマシンね」
と返した。
さすがは磐先輩。
磐先輩はスゴイんだよ。
変人だから評価されてないだけで。
いのっちは、
「あ、じゃあ、もう試作機とか動いてる感じなんですかね?」
と重ねて質問した。
そしたら、磐先輩は両手を後頭部にあてて、ソファーにもたれかかった。
「あんまうまくいってる分野じゃないなあ。でもさ、おととしのノーベル化学賞って、分子マシンだったじゃん。研究は盛んだよ」
あ、そういえば、そうだった。
ボクは、
「なんで実用化できないんです?」
と訊いた。
磐先輩は、
「理由はいくつかあるが、俺みたいな機械屋からすると、やっぱスケーリング。分子1個がこう動きます、はい、そこまではわかります、だけど、それじゃバルク出ませんよね、って話」
と答えてくれた。
なるほどね、分子が1個回転する、イコール、ナノミリ単位で同じ回転ができる、じゃない。分子が金属と同じように、がっちり組み合わさって仕事をしてくれるイメージが湧かなかった。
磐先輩は、
「折口研が動くなら、こいつはなにかあるかもな。楽しみだぜ」
とご満悦だった。
ボクたちはそのあと、バクバク食事。
コーヒーを飲むあたりになって、今日の出来事に話が移った。
無精ひげ先輩の、今日バイトしてたんだよね、という発言から、みんな今日なにしてたの、という話題に。
ボクたちは、『UBASUTE』の聖地巡礼をした、と言った。
磐先輩は、
「ウバステ? ……なんだ、それ?」
と訊き返した。
ボクは、
「ネット小説です」
と答えた。
「ネット小説の聖地巡礼してんの? なんで?」
なんでって言われてもなあ。
そこに聖地があるから。
どういう内容なの、と磐先輩は尋ねた。
ボクたちの回答に、先輩はあんまり関心がないみたい。
小説とか読んでなさそうだしね、このひと。
磐先輩は、
「で、どこに行ったの?」
と訊いた。
ボクは、
「まず、大円銀行銀座支店に行ってぇ」
と答えたら、磐先輩の顔色が変わった。
「大円銀行? ……なんでそこに?」
いやだから、聖地巡礼なんですってば。
まったく聞いてなかったってオチか、これ。
「そこから濃縮ウランが持ち出されたってストーリーなんです」
「濃縮ウランが……? 大円銀行の銀座支店から……?」
磐先輩はスマホをいじりだした。
え、小説を検索してるの?
今のエピソード、そんなに食いつく要素あった?
なんだろ。
よくわかんないから、声掛けできない。
と思いきや、いきなり顔をあげた。
「金は置いてく。先に帰……痛ぇ!」
あ、ずっこけた。




