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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第72章 レディースデー(2018年1月13日土曜)
480/496

463手目 本業

 意見交換ってなんだろう、と思ったら、けっこうおとなな話だった。

 女性のあいだで将棋が普及するためには、なにが大切か。宗像むなかたさんはゲストとスタッフに、このお題を出した。しかも、南原なんばらさんを最初に指名した。

 南原さんは、そうね、と言って、右手を口もとへ持っていきかけた。

 けど、煙草がないことに気づいて、そのまま髪をさわった。

「いろいろあると思うけど、メイワク系おじさんをなんとかしなきゃ、難しいでしょうね」

 これには、この場にいる全員が、なんとなくお察し。

 宗像さんは、

「そうですね、私は道場を経営していますが、女性客の迷惑になるようなかたも、たまにいらっしゃいます」

 と返した。

 南原さんは、

「問題は、メイワク系おじさんをお店から追い出すのが、女性だけだと難しい、っていう点ね。逆恨みされても困るし。力関係的に、男性が男性を追い出してくれると助かるんだけど、日本はメイワク系おじさんを放置する傾向が強い。鉄道会社なんかでもそうで、痴漢を出禁にしないでしょ」

 と、そこまで言って、お茶を飲んだ。

「ま、痴漢はおじさんとは限らないけど」

 なかなかな出だしで、室内はちょっとした空気になった。

 司会の宗像さん、どう進めるか、困ってるのでは。

 そう思って宗像さんを見たとき、私は背筋がぞくりとした。

 宗像さんは、笑みを浮かべていた──けど、目が笑っていなかった。

 なにかを値踏みするようなまなざしで、南原さんを直視していた。

 それも一瞬のことで、宗像さんは目を細めた。

「ご意見、ありがとうございました。では、大久保おおくぼさんは、いかがですか」

 そのあとのメンバーは、なんというか、あたりさわりのない意見だった。

 もうちょっと勝負ごとでないほうがいいとか、今回のような女性だけのセミナーがあるとありがたいとか、そんな感じ。火村ほむらさんも、なぜかいつものような気炎を吐かなかった。

 閉会式があるわけでもなく、簡単な手土産を渡して、お客さんが先に解散。残ったスタッフで、あとかたづけ。火村さんとノイマンさんは、椅子とテーブルをなおしたあと、時間分の時給だけもらって、帰ってしまった。

 最終的に、私とたちばなさんと宗像さんで、掃除、洗い物、ゴミ捨て。

 橘さんがコップを洗って、私が拭いていると、橘さんのほうから突然話しかけてきた。

「あの大久保というかた、気になりましたか?」

 そのひとことに、私は、

「え……あ、すみません」

 と、あまり意味のない返答をした。

 橘さんは、洗いものを続けながら、

「わたくしも気になりました。なにか調査をしている印象を受けました」

 とつぶやいた。

 私はおどろいた。

 それって、南原さんが言ってたのといっしょ……だけど、南原さんの一件は、置いておくことにした。橘さんと南原さんは、ビジコン*のときに、面識ができた。でも、南原さんがどういう意図でアレを言ったのか、私は知らなかった。

 だから、別の質問で返した。

「調査って、なんですか?」

「そこまでは、わかりませんでした……が、税務署員かもしれません」

 えぇ、なんでそうなるの?

 私が二重におどろいていると、橘さんは手をとめた。

「なにか、お心当たりでも?」

「いえ……特徴がありました?」

 橘さんは、ふたたび洗いものを始めた。

 そして、こう語った。

「室内の設備や、コップなどの備品をチェックしていました。おそらくですが、駒の音の収支と釣り合うものなのかどうか、確認していたのだと思います」

「つまり……納めてる税金にウソがあるんじゃないか、ってことですか?」

 橘さんは、首を縦に振らなかった。

 けれど、否定もしなかった。

「駒の音のほうにも来たら、要注意、ということです」

「……よく気づきましたね」

朽木くちき証券のときにも、いろいろとありましたので」

 なる……ほど。

 そのあと、私たちは作業を終えた。

 宗像さんは鍵閉めがあるらしく、私たちは先に帰ることに。

 ビルを出ると、冬の夕暮れ。

 遠くに、黒と赤の入り混じった西の空がみえた。

 寒い風が吹きつけて、私は二の腕をさすった。

 息が白い。

「さすがに冷えますね」

 そう言った瞬間、うしろから声が聞こえた。

 火村さん……じゃなくて、ノイマンさんだった。

「こんばんは、なのです」

 こんば……いや、さっきまでいっしょだったじゃないですか。

 私は、

「火村さんは? お手洗い?」

 と尋ねた。

「お姉さまは、南原さんと麻雀を打ちに行ったのです」

 なんじゃそりゃ。

 私は心配になって、だいじょうぶなの、と訊いてしまった。

「お姉さまは、麻雀も強いのです」

 いや、そういう問題じゃなくてですね。

 見ず知らずのひとと、麻雀をするのは危ないわけでして。たぶん。

 一方、橘さんは、

「火村さんはそれでよいとして、ノイマンさんがここにいるのは、なぜですか?」

 と訊き返した。

 言われてみれば、妙だった。

 ノイマンさんは、火村さんにくっついていることが多いからだ。

 ノイマンさんは、ひとさしゆびを立てて、ぐいっと顔を近づけてきた。

「ちょっとお茶でもしながら、お話をしたいのです」

 30分後──私たち3人は、聖ソフィアの近くのお店に寄った。

 喫茶店かコーヒーショップかと思いきや、バーのようなところだった。

 地下にあって、全体的に木目の多い空間。

 天井や壁のランプが、オレンジ色の光で陰影を作っていた。

 棚には、お酒の瓶がずらり。

 店内には、だれもいなかった。

 カウンターの、中年女性をのぞいて。

 ドラマの一場面から抜け出してきたかのような、いかにもなマダムだった。胸元まである長い髪に、大胆なウェーブをかけていた。

 右手には、煙草を持っていた。火はついていなかった。

 黒いドレスを着ていて、大きな宝石のある指輪をはめていた。

 マダムは、にっこりして、

「あら、ノイマンちゃん、こんばんは」

 とあいさつした。

「こんばんは、なのです」

「かわいいお連れさんがいるのね。いつもの?」

「今日は控えめなのです。ウイスキーのボトルを出してください」

 ちょっとちょっと。

 私はノイマンさんに、

「お酒を飲むなんて、聞いてないわよ」

 と言った。

 ノイマンさんは、

「お姉さまたちは、好きなものを飲んでください」

 と返した。

 そんなこと言われても──私が戸惑っていると、マダムは、

「コーヒー? 紅茶?」

 と言って、こちらを見た。

 その眼には、娘でも見るような、不思議な奥行きがあった。

 私は、橘さんのほうへ視線を向けた。

 橘さんは、少し考えたあと、

「入り口のドアに、Closedの札があったように見えましたが」

 と言った。

 え? ほんと?

 マダムは、

「今日は、ノイマンちゃんの貸切り」

 と答えた。

 よく見たら、開店してる雰囲気じゃなかった。

 椅子が上げられているテーブルもあったし、ついていないランプもあった。

 なんだか怖くなる。

 そんな私の横で、橘さんはコートを脱いだ。

「どうやら、重要なお話のようですね。30分だけ付き合います。コーヒーを」

 私も、しぶしぶコートを脱いで、木製のコートかけにかけた。

 橘さんは、ノイマンさんの右に座った。私はさらにその右へ。

 ランプの光が、テーブルのニスを際立たせた。

 マダムは、私と橘さんにコーヒーを、ノイマンさんにお酒の瓶と、氷入りのグラスを出した。

 マダムはそれにウイスキーを注いで、すぐに奥へ消えた。

 ノイマンさんはグラスをあげて、乾杯、と言った。

 けど、橘さんは付き合わなかった。

「この芝居じみた演出には、なにか意図があるのですか?」

「私が知ってるお店とタイミングで、こうなっただけなのです。休業日だったのですが、ちょっとなら開けてくれる、という話になりました。狙った演出じゃないのです」

 ほんとぉ?

 とりあえず、話を聞く。

 ノイマンさんは、お酒には口をつけずに、声をひそめた。

「あのムナカタという女性、あやしいのです」

 うーん……そこかぁ。

 どういう方向で疑っているのか、わからない。

 私は黙秘。橘さんに任せた。

「なぜ、そのようにお思いですか?」

「あのひと、すっごいお金持ちっぽいのです」

 ん、合ってる……かな。

 宗像さんがすっごいお金持ちなことは、確定はしてないんだけど、たぶんそう。

 橘さんは、少し間を置いた。

「……根拠は?」

「着ているものは、ありきたりなのです。でも、コスメがデパコスでした。2000円で300ml入ってそうな化粧水とは、わけが違うのです」

裏見うらみさん、そろそろ帰りましょうか」

「はい」

「ちょっと待ってください。お姉さまたちの化粧水の話はしてないのです。問題なのは、化粧水もファンデもアイシャドウもリップも全部デパコスのひとが、なんで一番目立つ服を庶民派にしてるのか、なのです。靴もバックも、そんなに高そうではありませんでした。指輪はつけてなかったです」

 私はこの話を聞いて、大久保さんの記憶がよぎった。

 話が繋がってきている──いや、繋がり過ぎている。

 私の不安を見透かしたように、ノイマンさんはウイスキーを一気に飲み干した。

 そして、じぶんでボトルから注いだ。

 だ、だいじょうぶ? ウイスキーって、そうやって飲むものなの?

 ノイマンさんは、ボトルを置くと、右ひじをテーブルに乗せて、意味深なポーズをとった。

「これは、じぶんがお金持ちだと気づかれたくない、というフェイクなのです。でも、お肌に塗るものはどうしても気になるので、ブランドを選んでしまうのです」

 橘さんは、なんとも気の乗らない表情で、コーヒーをひとくち飲んだ。

 そして、こう尋ねた。

「なにがおっしゃりたいのですか?」

 ノイマンさんは、ウイスキーをグラスの半分ほど飲んだ。

 氷がカランと鳴った。

 こどもっぽい表情は消えて、急におとなの顔になった。

 あごに左手を華麗に添えて、流し目をこちらへ向け、口の端をほころばせた。

 火村さんと同じように鋭い犬歯が、初めて私のまえにのぞいた。

「あのひとには、なにか本業があると思うのです」

*264手目 支店長

https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/272

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