458手目 役員会(飲み)
※ここからは、乙部さん視点です。
夜の居酒屋風レストラン。
木のテーブル。メニューの貼り紙。
もうちょっと、おしゃれなところにして欲しいなあ。イタリアンとか。
それにしても、こういうときって、グループ分けが難しい。
全国から集まったメンバーだ。
あちこちの席が、身内で固まっていた。
遅れてきた私は、同じく遅れてきた組のテーブル。
それはないんじゃな~い、と言いたいところだけど、ま、いっか。
ふだん話さないメンツといっしょになった。
私、F岡のヨンフン、H島の月代、それからO縄の仲本。
ヨンフンは、いつもファッショナブルだよね。
M重の脇もそうだけど、方向性が違うというか、韓流アイドルっぽい。
月代は、あいかわらずポニテがデカいなあ。
仲本は、ちょっと小柄で、ひょうきんそうな青年。
話題は、今日の結果から始まった。
ヨンフンは、
「筑紫は2-3か。優勝争いは脱落だね」
と言って、お酒を飲んだ。
さっきから、だいぶ飲んでない?
そのわりに、けろっとしている。
私は、
「うちなんか1-4だよお」
と愚痴った。
ちなみに、H大も1-4。
これはあれだね、地方の格差ってやつ。
私は、
「そもそもね、道民500万人では、人材が不足しているのであります」
と言った。
月代は、
「中国地方は、5県合わせてそのくらいしかいないけど……あ、もうちょっといるのかな」
と返した。
私は、
「関東地方は、4000万人もいる。つまり、将棋のピラミッドが高い」
と指摘した。
すると、ヨンフンは、
「そうだねえ、人口が集まり過ぎると、問題が起きる」
とうなずいた。
「あ、実感ある?」
「あるよ。ソウルの人口は900万人。韓国人の5人にひとりは、ソウル市民。しかも、ふたりにひとりは、首都圏に住んでるからね」
そりゃすごい。
私は腕組みをして、
「なぜ地方は消滅してしまうのか、経済、文化、エトセトラ」
と嘆いた。
月代は、
「やっぱり日本経済の低迷じゃない?」
と予想した。
ふむふむ、と納得していると、ヨンフンは、
「それは、ひとつの原因かもしれないけど、全部じゃない」
と言った。そして、右手を斜め上から下へおろすように、左手を斜め下から上へあげるようにして、クロスさせながら、
「韓国のひとりあたりGDPは、もう何年かしたら、日本を追い抜くと予想されてる。2025年くらいには、追い抜いてるだろうね。だけど、首都への集中は、韓国のほうが高い。つまり、経済が下降していたら集中して、上昇していたら分散する、という関係にない」
と説明した。
ふーむ、なるほど。
私は、
「じゃあ、韓国で人口のかたよりが起きるのは、なんでなの?」
と訊いた。
「社会的圧力、かな。ソウルでないと、ステータスを上げるのは難しい」
「そこの理由が、よくわかんないんだよね。インターネット時代じゃん」
「大企業へ入るには、コネクションが必要なんだよ。財閥系以外で成功するのは、難しい。できなくはないけど、敢えてやるメリットがない」
ここで、仲本が割り込んだ。
「日本で昔言われてた、いい大学、いい企業ってやつ?」
「まさにそれ。ソウルのいい大学に入って、いい企業に入る。あるいは、医者か弁護士になる」
日本ではそのルートが壊れたから、集中がゆるやか?
だとすれば、日本では出世ルートを外れても、挽回のチャンスが大きい?
しかし、そうとは思えないところもありつつ。
私がいろいろ分析するあいだ、仲本はグラスを挙げて、
「じゃあ、なんでヨンフンは、日本に来たの?」
と尋ねた。
ヨンフンは、両手でじぶんのグラスをにぎった。
お酒を見つめる。
その表情には、さっきとは違う、細かなニュアンスがあった。
「どうしてだろう。簡単には言えない。国のレースにのめり込めなかった、っていうのはあるかもしれない」
「ずいぶん、控えめに言うね。俺は高校を卒業したあと、1年だけ、東京で働いたことがある。すぐ辞めた。やまとの空気が合わなかった。オヤジの稼業を手伝ってるのが、性に合ってる」
「なるほどねえ。韓国の中小企業で働くのは、けっこうきつくて……」
うんたらかんたら。
そうこうしているうちに、席替えになった。
それいる? 合コンじゃないんだからさ。
私はもう、ここでいいや。
ヨンフンは、
「僕は、風切の数学レクチャーでも受けてくるか」
と言って、席を立った。
みると、すっかりできあがった風切さんは、ビールを片手に熱弁していた。
「えー、みなさん、よろしいですか、ある空間がコンパクトであるとは、閉集合であり、かつ、有界であることと同値なわけであります。例えば、0から1までの実数の集合は、0と1が極限点ですから、閉じているわけです。さらに、外へ発散していません。ですから、コンパクトなわけであります。では、コンパクトであると、なにがうれしいのか。例えば、極値定理。コンパクト空間上の連続関数において、最大値と最小値が……」
うんたらかんたら。
月代は、
「あ、私はそろそろ、ホテルへ戻らないと」
と言って、会計を済ませた。
今は電子決済があるから、楽でいいよね。
仲本は、ちょっとカウンターのひとと話してくる、と言って、移動した。
自由人。
ひとりになってしまいましたが……おや。
関、登場。
「おつかれ、ここ、いい?」
「どうぞ」
関は腰をおろすなり、
「今日の将棋、惜しかったね」
と言った。
あれなあ、途中は勝ってたと思う。
「どこが悪かった?」
「僕のレベルでは、なんとも」
「脇と議論してたじゃん」
「太宰の賭けが通ったんじゃない?」
そうなのかなあ。
私は迷いつつ、質問を変えた。
「そういえば、なんで太宰は役員じゃないの?」
関は、わざとらしく肩をすくめた。
「さあ」
「副会長の日高くんって子、私はよく知らないんだよね」
「僕も知らないけど、全国大会経験者じゃなきゃ変、っていうのも変だと思うよ」
そこじゃないんだよなあ。
日高くん、なんというか、積極的に副会長をやりたかったタイプに、思えない。今日のあいさつでも、不承不承なりました、っていうオーラが出ていた。もちろん、知人じゃない
から、私の勘違いかもしれない。
でも、勘違いじゃなかったとしたら?
今回の人事は、関東でもハプニングだった可能性がある。
私がそう考えていると、関は、
「そもそも、なんでそこが気になるの?」
と訊いてきた。
「太宰、倒れたって聞いたんだよね」
「ああ、なんか僕も聞いたな。SNS経由で」
「その原因がさ、ノエル絡みらしいかも……って」
関は、きょとんとした。
「の……?」
「ノエル」
「……ああ、あの都市伝説? それ絡みって、どういうこと?」
「あいつ、埋蔵金を調査してるらしい」
ふーんと、関は関心がなさそうだった。
「お金に興味ない?」
「都市伝説に興味ない」
「そっか……じゃあ、ほんとうは都市伝説じゃない、って言ったら?」
「証拠は?」
「昔、蝦夷大で、ノエルを追っかけてたOBがいたんだよね」
もうだいぶまえのひとで、80年代の終わり頃。
ただし、追っかけの対象は、埋蔵金伝説じゃなかった。
ゲーマーノエル*のほう。
蝦夷大周辺にも現れたから、好奇心で調べたらしい。
そして──
「そのひとは、ノエル本人に会ったんだって」
「正体を突き止めた、と?」
「蝦夷大の大学生で、そのあと上京した……って噂」
「そのOBに、確認は入れた?」
「もう亡くなってるらしい」
関は、やれやれという表情で、
「典型的な都市伝説だね。伝聞、確認不能、経緯不明」
と笑った。
私は、すねなかった。
コーラをひとくち飲んだあと、
「で、私もちょっと調べてみたんだよね、蝦夷大の卒業生を」
と付け加えた。
「どうやって?」
「卒業論文を書いてる可能性があるじゃん」
「いや、それ自体が大量にあるでしょ」
「めずらしい名前だったら、特定できるかな、と思って」
「ノエルっていう名前の卒業生は、いた?」
「いなかった」
関は、また肩をすくめてみせた。
私はその肩越しに、店内を見た。
風切さんは、あいかわらずレクチャーをしていた。
「コンパクト性がないと、微分ができないか? はい、お客さん、いい質問です。コンパクト性がなくても、局所的な微分は可能です。これは、右に発散する連続グラフを考えてみれば、わかります。しかし、ロルの定理は成り立ちません。ロルの定理とは、実数値関数fについて、fが閉区間[a,b]で連続であり、かつ、開区間(a,b)で微分可能であり、かつ、端点でf(a)=f(b)となるとき、f'(c)=0となるような、c∈(a,b)が少なくともひとつ存在する、というものです」
そう、めずらしい名前なら、ね。
*382手目 伝説のゲーマー
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