433手目 パラメーター
※ここからは、児玉くん視点です。
むずかしくなった。
会場の雰囲気も、混沌としている。
僕は、となりの公人に、
「難解だね」
と告げた。
公人は扇子で口もとを隠して、
「うむ、2四角は、さすがじゃった。まだ後手も指せる」
と返した。
先手がまちがった?
そもそも微差だったのかもしれない。
僕たちの向かいがわでは、大河内と日高が、なにやら議論している。
どういう評価をくだしているのか、興味がある。
パシリ
風切は1分残して、3三歩と叩いた。
焦点の歩。
公人は、
「行きがかり、同香としたいところじゃが、おそらく危ない」
と評した。
「3一銀で、いきなり詰めろになるからね」
「うむ、かといって同角ともしにくい。となれば、同桂の一手か」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同桂。
風切、ここで最後の長考。
後手は2五桂が見えている。この桂馬が攻めに参加すると、厚くなる。
ピッ
先手も1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
直接手。
朽木は右手のくすりゆびを、かるく、だが複雑に動かした。
なにかを読んでいるっぽい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
2五桂──個人的に疑問。
公人も、
「2一から殺せんかったか?」
と言った。
2一金、6一飛成、5一歩があった……と思う。
なにかイヤだったのかもしれない。
60秒のあいだに、反省タイムはない。
ここからは叩き合いになった。
3三歩、3六銀、3八玉、3七桂成、3九玉。
押し込んだ……けど、足りないんじゃないか?
後手は詰めろに見える。
2七銀成は、2二銀成から詰みそうだ。
公人も、扇子をパタパタし始めた。
「きわどい。後手詰むやもしれん」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
朽木はギリギリで3三角と引いた。
風切は5六金。
当事者間では、詰みで同意が取れていたみたいだ。
2一金、3八歩、3一金、3七歩。
唐突な受け合いに。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同銀成。
先手は詰めろ。
公人は、
「まだ互角じゃろう。先手は左が広い」
と言った。
僕は、
「駒も足りないしね。とはいえ、後手も堅い」
と返した。
風切は、スッと4八金。
これを同成銀は、さすがに攻めが切れる。
朽木、正念場。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
勝負手だ。
この角は目標になる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2五金。
攻め駒を攻める展開になった。
朽木は、かるく息を吸った。
僕は公人に、
「どっちか応援してる?」
と訊いた。
「するような関係でもなかろう……なんじゃ、晩稲田がW優勝では、慶長として面白くないか?」
「棋力という名の暴力に、どうすれば対抗できるのか、ちょっと見てみたくはある」
公人は、ふんと鼻を鳴らした。
「将棋はパラメーターゲームではないぞ」
だね。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
朽木は3六歩と突いた。
飛車当たり。
もちろん3五歩で止まる。
2五金はダメだ。3八銀から詰む。
いずれにせよ、3七の成銀を支えるには、これしかなかった。
3五歩、2六歩、2八歩、4六歩で、いよいよ押し比べに。
形勢判断がむずかしい。
僕にはつかない。
あえていえば互角。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
風切は4六金と取った。
公人は、
「いったん角を逃げるか?」
とささやいた。
「2七歩成を決めてから3三角もアリ」
「……じゃな」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
決めずに3三角。
風切は息をついた。
6一飛成と成り込む。
待望だけど、4~5筋は簡単に止められてしまう。
案の定、4一歩と遮断された。
公人は、扇子を動かす手をとめた。
「……後手良しではないか?」
同意する。
この段階にきて、ようやく霧が晴れた。
後手良しにみえる。
思ったより先手に手がなかった。
風切は表情を変えていない。けど、わずかに口もとが固い。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2六金。いったん受けた。
朽木は、もういちど深呼吸した。
後手良しと言っても、簡単じゃない。
寄せ切れなければ逆転する。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
決めに出た。
ギャラリーのなかにも、
「先手悪くないか?」
「ああ……そう見えるな」
という会話が、ちらほら出始めた。
公人は、
「5二歩成のタイミングがなかったことと、7九の飛車を動くタイミングがなかったことが誤算か。どちらかでもできれば、先手有利じゃった」
と分析した。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5七桂。
朽木は59秒ギリギリまで考えて、4八成銀。
同玉、3七銀、4七玉、2六銀成、5六玉、8八角成。
先手は入玉に切り替えた。
入れるか?
6三龍には5五歩、同金、6六金の側面封鎖がある。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5二歩成──5二歩成?
公人は、
「このタイミングでか?」
と首をひねった。
下駄を預けたっぽい……かな。
朽木も意外だったらしく、やや表情が変わった。
5五歩と打ちかけて──手をとめた。
どうした? なにかあった?
僕も読みを入れる。
……………………
……………………
…………………
………………5三のルートが空いたのかッ!
5二歩成は攻めじゃない。
右からの曲線入玉の布石だ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
朽木は6四金と打った。
5五銀、同金、同金。
公人は、
「6四金、6六金、5五金、同金、6四金で千日手コースじゃが……」
とつぶやいた。
連続王手じゃないから、後手負けにはならない。
だけど、やりにくい……か?
後手有利だと思っていた局面から、いきなりあやしくなった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
朽木は6四金と打った。
風切はノータイムで6六金。
そこからは、朽木が59秒考えて、風切がノータイムで返す、という流れに。
僕は、
「風切が千日手オッケーなら、現時点では後手がいいんじゃないかな」
と言った。
「わしはそう思わん。人間レベルで後手が指しやすいように見えん」
なるほど、そうかもしれない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
最後の一手が指された。
千日手が成立。
日高は他の役員を集めるため、部屋を出て行った。
一方、となりに目をやると、テーブルにひじを置き、右手をひたいにあて、目を閉じている橘がいた。
その対面には、なんともいえない無表情の志邨がいた。
橘負け……か。
男子のほうは、簡単な感想戦が始まった。
朽木は、
「打開の順は、あっただろうか?」
と、自問自答のような調子でたずねた。
風切は、
「おたがい千日手が最善……だと思ったが」
と返した。
「互角だった、という意味で?」
「どうだろうな。相入玉で持将棋になる流れだから、どっちがいいとかは言えない。指し続けるなら7九馬だろうが、200手超えて引き分け路線じゃないか……ま、ちょっと休憩しようぜ。すぐに指し直しだ」
対局者は一礼して、席を立った。
ギャラリーの大半も移動する。
用事があって、もう帰らないといけないメンツもいた。
僕と公人も、廊下へ出た。
すると、日高に話しかけられた。
「土御門さん、児玉さん、ちょっといいですか?」
公人は、
「開始時刻か?」
と返した。
「はい、会場の貸出リミットがあるので、できればすぐ始めたいんですが……」
対局者の負担にならないでしょうか、か。
公人は、扇子をパチパチした。
「児玉は、どう思う?」
「僕は役員じゃないよ」
「ふむ、かといって、わしの領分でもない……やっちゃんの意見は?」
「傍目さんの案は、ここから15分休憩で、もう一度引き分けたら、後日別の場所で指し直し、です」
「よし、それじゃ」
丸投げ主義。
日高が去ったところで、僕は、
「独裁者不在の政治は迷走する」
とからかった。
「人聞きの悪いことを言うでない」
「副会長の後任は、早く決めたほうがいいと思うけど」
「それについては、もこっちからも頼まれておる」
なんだ、そうなのか。
ってことは、指名が難航してるってことだね。
「速水がじきじきに指名でも、よかったんじゃない?」
「わしもそう思うんじゃが……ん?」
エレベータから、裏見が降りてきた。
なんだか急いでいる。
公人は、
「おお、香子ちゃん、風切は千日手だったぞ」
と教えた。
けど、その発言は無視された。
裏見はそのまま、風切のほうへ駆け寄った。
なにやら小声で話しかけている。
風切の表情が変わった。
「太宰が救急車で運ばれた?」
場所:2017年度 秋季個人戦3日目 男子決勝
先手:風切 隼人
後手:朽木 爽太
戦型:先手三間飛車vs後手居飛車穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △8四歩 ▲7八飛 △8五歩
▲7七角 △6二銀 ▲6八銀 △4二玉 ▲1六歩 △1四歩
▲4八玉 △3二玉 ▲3八銀 △5二金右 ▲3九玉 △5四歩
▲6七銀 △5三銀 ▲2八玉 △3三角 ▲7五歩 △2二玉
▲5八金左 △3二銀 ▲5六歩 △4四歩 ▲5九角 △4三金
▲4六歩 △9四歩 ▲7四歩 △同 歩 ▲同 飛 △7三歩
▲7八飛 △2四歩 ▲4七金 △2三銀 ▲2六歩 △1二香
▲5八銀 △1一玉 ▲3六歩 △3二金 ▲3七桂 △4二角
▲7七角 △3三金寄 ▲9六歩 △2二金 ▲7九飛 △7四歩
▲6八角 △7二飛 ▲4五歩 △同 歩 ▲同 桂 △4四金
▲7三歩 △同 飛 ▲5三桂成 △同 角 ▲7七桂 △6四角
▲4六歩 △7二飛 ▲6五桂 △3一角 ▲5五歩 △7五歩
▲5四歩 △同 金 ▲5三歩 △5一歩 ▲9五歩 △同 歩
▲同 香 △同 香 ▲同 角 △4五歩 ▲同 歩 △3五歩
▲4六銀 △3六歩 ▲5七香 △3四桂 ▲5四香 △4六桂
▲同 金 △2五歩 ▲3五歩 △2六歩 ▲3六金 △3四歩
▲5一角成 △4二角 ▲6一馬 △2七銀 ▲同 銀 △同歩成
▲同 玉 △3五歩 ▲4六金 △4四歩 ▲7二馬 △4五歩
▲5六金 △5五歩 ▲同 金 △2四角 ▲6二飛 △3二香
▲3三歩 △同 桂 ▲3一銀 △2五桂 ▲3三歩 △3六銀
▲3八玉 △3七桂成 ▲3九玉 △3三角 ▲5六金 △2一金
▲3八歩 △3一金 ▲3七歩 △同銀成 ▲4八金 △2四角
▲2五金 △3六歩 ▲3五歩 △2六歩 ▲2八歩 △4六歩
▲同 金 △3三角 ▲6一飛成 △4一歩 ▲2六金 △6六角
▲5七桂 △4八成銀 ▲同 玉 △3七銀 ▲4七玉 △2六銀成
▲5六玉 △8八角成 ▲5二歩成 △6四金 ▲5五銀 △同 金
▲同 金 △6四金 ▲6六金 △5五金 ▲同 金 △6四金
▲6六金 △5五金 ▲同 金 △6四金 ▲6六金 △5五金
▲同 金
まで169手で千日手




