431手目 館内放送
※ここからは、香子ちゃん視点です。決勝開始直前に戻ります。
《きみたちが聖生と呼んでいる者だ》
2度目の沈黙が起こった。
それをふたたび破ったのも、磐くんだった。
「太宰なんだろ?」
《もう一度言う。きみたちが聖生と呼んでいる者だ》
「悪ふざけはやめろよ。そんなボイスチェンジャーで……」
軽い笑い声。
空気が凍りつき始めた。
サスペンスドラマのような、ひとコマでの変化じゃなかった。
ゆっくりと──心が理解を拒絶している。
《残念ながら、本物だ》
「……太宰は?」
《となりでおとなしくしてもらっている》
「はあ?」
磐くんと聖生とのやりとりを横目に、火村さんは、
「香子、警備員を呼んで。あたしは警察に電話する」
と耳打ちした。
私は、
「どう話せばいい?」
とたずね返した。
聖生に大学生が襲われている。これじゃ意味不明だ。
私の戸惑いを見抜いたのか、大谷さんは、
「拙僧が行きます。裏見さんは、この会話をよく聞いておいてください」
と小声で話した。
どうしようか迷ったけど、火村さんもそれでいい、みたいな感じだった。
大谷さんと火村さんは、その場を離れた。
そのあいだも、磐くんと聖生(?)のやりとりは続いた。
「太宰は無事なのか?」
《危害を加えるつもりはない》
「だったら堂々と出て来いよ」
先ほどの笑いとはうらはらに、聖生の声は落ち着きはらっていた。
《ひとまず、きみたちに感謝を伝えたい》
磐くんは、眉間にしわをよせた。
「感謝ぁ?」
《私たちのゲームに参加してくれた礼だ》
「意味わかんねーぞ。だいたいな、こんな電話で聖生を名乗られても、証拠が……」
《簡潔に済ませよう。きみが時間稼ぎをしているのは、わかっている》
磐くんは、チッと舌打ちをした。
《これは私たち……そう、きみたちも気づいていると思うが、私と仲間の3人で始めたゲームだ。オープンなゲームだよ。だれでも参加できる。報酬は、プレイヤー次第。うまくいけば、巨万の富を手に入れることも、権力を手に入れることもできる。すでに大勢の参加者がいた。聖生を装った者もいるし、聖生と誤解された者もいる。ほとんどはリタイアした。死んだ者もいるが……参加者を故意に処分するつもりはない。私はむしろ、真相にたどりついて欲しいと思っている》
私は、大谷さんが去った方向を見た。
どこにもいない。
磐くんは、
「太宰の居場所を教えろ」
と、話をさえぎった。
《きみたちは、私から電話を受け取るための、最初の条件を満たした。よく貸金庫に気づいたよ。もしきみたちが先へ進みたいなら、臆することはない。合言葉を教えよう。『シェルビウスは手綱を失った』。もう一度言う。『シェルビウスは手綱を失った』。以上だ》
「おいッ!」
その瞬間、通話は途切れた。
磐くんは、ローラーブレードのかかとで、床を蹴った。
「クソ!」
氷室くんは、スマホを持ったまま、
「とりあえず、太宰を捜そう。そんなに遠くないはずだ」
と言った。
磐くんは、
「なんでわかる?」
と訊き返した。
「今の聖生の反応、ここにいるメンツを知ってたっぽい。僕たちがそろったのはさっきだから、直前まで監視していたはずだ」
な、なるほど……穴があるような気もするけど、一理ある。
松平は、
「トイレじゃないか?」
と口走った。
私は、えッ、とふりむいた。
一方、磐くんは、
「たしかに、この施設で男を監禁できる場所は、限られてる」
と乗った。
氷室くんは、これに反対だった。
「ここまで大きな施設だと、トイレも出入りが激しい。それに、あんな会話を個室でしてたら、あやしまれる」
意見が対立した。
4人目の私は、全然違う立場だった。
「ごめん、推理するよりも、捜したほうが早くない?」
そうだね、と氷室くんは答えた。
松平は、
「バラバラになるのはマズい。俺と裏見、氷室と磐で分かれよう。氷室と磐はトイレ、俺と裏見は別を当たる」
と言ってから、私へ視線を向けた。
「大谷と火村のSNSに、メッセージを送っといてくれ」
了解。
私たちは二手に分かれた。
松平と移動しながら、私は大谷さんと火村さんに連絡を入れた。
1分と経たないうちに、火村さんから電話があった。
《もしもし、香子?》
「どう、なにかあった?」
《警察はダメだわ。とりあってくれない。ひよこが警備員と掛け合ってるけど、説明がむずかしくて難航してる》
やっぱりそうか。
《ひとまず、あたしはひよこといっしょにいるから、なにかあったら連絡して》
「わかった。ひとりきりで行動しないでね」
施設をどんどん回る。
コンビニ、コーヒーショップ、ドラッグストア──いない。
松平は念のため、それぞれの店舗のトイレも調べた。
結論として、大学生を軟禁できる場所なんてない、ということに。
松平は、
「やっぱり男子トイレか?」
とつぶやいた。
「トイレは何ヶ所もないでしょ? もう調べ終わってる頃じゃない?」
「いや、各階にあるはずだ」
あ、そっか。
ってことは、けっこうな数になる。レクリエーションルームや会議室になってる階もあれば、企業の事務所っぽい階もあった。いくつかは、区の公共施設も入っていた。
「氷室くんたちと、連絡取れない?」
「そうだな……一回合流しよう」
松平は、スマホを取り出した。
タッチしかけたとき、ふいにうしろから声をかけられた。
「あなたたち、なにかお困りですか?」
若い男の声だった。
ふりむくと──全然知らない、スーツ姿の男性が立っていた。
20代後半だろうか、メガネをかけていて、すらっとしたひとだった。
目は細くないけど、眼光がやや鋭かった。
背筋はまっすぐに伸びていて、髪は七三分け。
なんというか、ザ・ビジネスパーソン──いや、ちがう。
ビジネスパーソンにしては、かっちりし過ぎている。
男性は、
「なにかお困りですか?」
とたずねた。
松平は、
「あ、いえ……どなたですか?」
と返した。
「巡回中の警官です」
!?
松平は一瞬、えッ、という表情に変わった。
でも、すぐに怪訝そうな顔をした。
男性は、
「失礼」
と言って、警察手帳を取り出した……けど、こんなの本物かどうか見分けがつかない。
一応目を通す──田嶋敏夫、警部補、と書かれていた。
こちらがなにも言い出さないからか、田嶋さんは手帳を仕舞って、
「おふたりとも、お店を出たり入ったりしていますが、なにかお捜しですか?」
と訊いてきた。
もしかして、万引きと勘違いされた?
ありうる。
松平もその可能性を察して、
「友だちが迷子になっちゃって……消え方が唐突だったんで、事故にでも遭ってるんじゃないかと、心配で……」
と答えた。
田嶋さんは、
「それは心配ですね。館内放送をかけてみましょうか?」
と言った。
ぐッ、その手があったか。
なんだか冷静なひとだし、本物っぽい。
と同時に、ある疑念をぬぐえなかった──このひと、電話の主なのでは?
若すぎる気はした。バブル時代には生まれていないか、生まれていても子供だろう。
でも、仲間だとしたら?
疑心暗鬼になってくる。けど、黙っていると変だから、私は松平に、
「そうしてもらう?」
と振った。
「ああ、そうだな……すみません、俺たちのほうで頼みますから、やり方だけ教えていただければ……」
「呼び出しに応じないこともありえます。付き添います」
なんとなく、強めに言われた感じがした。
もう反論もできないから、私たちはこのひとに任せることにした。
田嶋さんは、受付のところへ移動した。
「すみません、こちらのかたのお連れが、迷子のようです。呼び出しをお願いします」
受付のおばさんは、
「はい、お名前をどうぞ」
と返した。
田嶋さんは、私たちに視線を向けた。
松平は、
「太宰治虫です」
と答えた。
受付スタッフは、すぐに放送を入れてくれた。
《館内にお越しの、ダザイ・オサムさま、館内にお越しの、ダザイ・オサムさま、お連れ様が、1階の受付カウンターで、お待ちです》
しばらくして駆け付けたのは、太宰くんじゃなくて、氷室くんと磐くんだった。
磐くんは、
「おーい、そっちもダメだったか?」
と大声でたずねたあと、急ブレーキをかけた。
「ん? ……このひとは?」
松平は、
「巡回中の警察のひとだ」
と答えた。
磐くんは、ギョッとした。
氷室くんは、
「松平くんたちが声かけしたの?」
とたずねた。
松平は、
「いや、このひとから声をかけてくれて……」
と言いよどんだあと、田嶋さんに、
「引き留めてしまって、すみません。放送もかかりましたし、他のメンバーも集まったので、あとは自分たちでなんとか……」
と、暗に帰ってもらうようにうながした。
ところが、田嶋さんは、
「しかし、肝心の太宰さんは、まだ来ていませんね」
と言って、腕時計を見た。
銀色のフレームが、小さな金属音を立てた。
「……もうすこし待ってみましょう。ちょうど別件もあります」
田嶋さんの物言いに、私は引っかかった。
別件があるのなら、迷子にかまってる場合じゃないのでは?
というか、今の状況で待機するのは、気が気でない。
本当は、ただの迷子じゃないわけで。
松平も、
「あの……用事がおありなら、俺たちだけでやりますから……」
と、離脱を催促した。
田嶋さんは、時計から顔をあげた。
「このなかに、銀行へ電話をかけたかたがいませんか?」




