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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第66章 聖生復活(2017年10月23日月曜)
445/496

431手目 館内放送

※ここからは、香子きょうこちゃん視点です。決勝開始直前に戻ります。

《きみたちが聖生のえると呼んでいる者だ》

 2度目の沈黙が起こった。

 それをふたたび破ったのも、ばんくんだった。

太宰だざいなんだろ?」

《もう一度言う。きみたちが聖生のえると呼んでいる者だ》

「悪ふざけはやめろよ。そんなボイスチェンジャーで……」

 軽い笑い声。

 空気が凍りつき始めた。

 サスペンスドラマのような、ひとコマでの変化じゃなかった。

 ゆっくりと──心が理解を拒絶している。

《残念ながら、本物だ》

「……太宰は?」

《となりでおとなしくしてもらっている》

「はあ?」

 磐くんと聖生のえるとのやりとりを横目に、火村ほむらさんは、

香子きょうこ、警備員を呼んで。あたしは警察に電話する」

 と耳打ちした。

 私は、

「どう話せばいい?」

 とたずね返した。

 聖生のえるに大学生が襲われている。これじゃ意味不明だ。

 私の戸惑いを見抜いたのか、大谷おおたにさんは、

「拙僧が行きます。裏見うらみさんは、この会話をよく聞いておいてください」

 と小声で話した。

 どうしようか迷ったけど、火村さんもそれでいい、みたいな感じだった。

 大谷さんと火村さんは、その場を離れた。

 そのあいだも、磐くんと聖生のえる(?)のやりとりは続いた。

「太宰は無事なのか?」

《危害を加えるつもりはない》

「だったら堂々と出て来いよ」

 先ほどの笑いとはうらはらに、聖生のえるの声は落ち着きはらっていた。

《ひとまず、きみたちに感謝を伝えたい》

 磐くんは、眉間にしわをよせた。

「感謝ぁ?」

《私たちのゲームに参加してくれた礼だ》

「意味わかんねーぞ。だいたいな、こんな電話で聖生のえるを名乗られても、証拠が……」

《簡潔に済ませよう。きみが時間稼ぎをしているのは、わかっている》

 磐くんは、チッと舌打ちをした。

《これは私たち……そう、きみたちも気づいていると思うが、私と仲間の3人で始めたゲームだ。オープンなゲームだよ。だれでも参加できる。報酬は、プレイヤー次第。うまくいけば、巨万の富を手に入れることも、権力を手に入れることもできる。すでに大勢の参加者がいた。聖生のえるを装った者もいるし、聖生のえると誤解された者もいる。ほとんどはリタイアした。死んだ者もいるが……参加者を故意に処分するつもりはない。私はむしろ、真相にたどりついて欲しいと思っている》

 私は、大谷さんが去った方向を見た。

 どこにもいない。

 磐くんは、

「太宰の居場所を教えろ」

 と、話をさえぎった。

《きみたちは、私から電話を受け取るための、最初の条件を満たした。よく貸金庫に気づいたよ。もしきみたちが先へ進みたいなら、臆することはない。合言葉を教えよう。『シェルビウスは手綱を失った』。もう一度言う。『シェルビウスは手綱を失った』。以上だ》

「おいッ!」

 その瞬間、通話は途切れた。

 磐くんは、ローラーブレードのかかとで、床を蹴った。

「クソ!」

 氷室くんは、スマホを持ったまま、

「とりあえず、太宰を捜そう。そんなに遠くないはずだ」

 と言った。

 磐くんは、

「なんでわかる?」

 と訊き返した。

「今の聖生のえるの反応、ここにいるメンツを知ってたっぽい。僕たちがそろったのはさっきだから、直前まで監視していたはずだ」

 な、なるほど……穴があるような気もするけど、一理ある。

 松平まつだいらは、

「トイレじゃないか?」

 と口走った。

 私は、えッ、とふりむいた。

 一方、磐くんは、

「たしかに、この施設で男を監禁できる場所は、限られてる」

 と乗った。

 氷室くんは、これに反対だった。

「ここまで大きな施設だと、トイレも出入りが激しい。それに、あんな会話を個室でしてたら、あやしまれる」

 意見が対立した。

 4人目の私は、全然違う立場だった。

「ごめん、推理するよりも、捜したほうが早くない?」

 そうだね、と氷室くんは答えた。

 松平は、

「バラバラになるのはマズい。俺と裏見、氷室と磐で分かれよう。氷室と磐はトイレ、俺と裏見は別を当たる」

 と言ってから、私へ視線を向けた。

「大谷と火村のSNSに、メッセージを送っといてくれ」

 了解。

 私たちは二手に分かれた。

 松平と移動しながら、私は大谷さんと火村さんに連絡を入れた。

 1分と経たないうちに、火村さんから電話があった。

《もしもし、香子?》

「どう、なにかあった?」

《警察はダメだわ。とりあってくれない。ひよこが警備員と掛け合ってるけど、説明がむずかしくて難航してる》

 やっぱりそうか。

《ひとまず、あたしはひよこといっしょにいるから、なにかあったら連絡して》

「わかった。ひとりきりで行動しないでね」

 施設をどんどん回る。

 コンビニ、コーヒーショップ、ドラッグストア──いない。

 松平は念のため、それぞれの店舗のトイレも調べた。

 結論として、大学生を軟禁できる場所なんてない、ということに。

 松平は、

「やっぱり男子トイレか?」

 とつぶやいた。

「トイレは何ヶ所もないでしょ? もう調べ終わってる頃じゃない?」

「いや、各階にあるはずだ」

 あ、そっか。

 ってことは、けっこうな数になる。レクリエーションルームや会議室になってる階もあれば、企業の事務所っぽい階もあった。いくつかは、区の公共施設も入っていた。

「氷室くんたちと、連絡取れない?」

「そうだな……一回合流しよう」

 松平は、スマホを取り出した。

 タッチしかけたとき、ふいにうしろから声をかけられた。

「あなたたち、なにかお困りですか?」

 若い男の声だった。

 ふりむくと──全然知らない、スーツ姿の男性が立っていた。

 20代後半だろうか、メガネをかけていて、すらっとしたひとだった。

 目は細くないけど、眼光がやや鋭かった。

 背筋はまっすぐに伸びていて、髪は七三分け。

 なんというか、ザ・ビジネスパーソン──いや、ちがう。

 ビジネスパーソンにしては、かっちりし過ぎている。

 男性は、

「なにかお困りですか?」

 とたずねた。

 松平は、

「あ、いえ……どなたですか?」

 と返した。

「巡回中の警官です」

 !?

 松平は一瞬、えッ、という表情に変わった。

 でも、すぐに怪訝そうな顔をした。

 男性は、

「失礼」

 と言って、警察手帳を取り出した……けど、こんなの本物かどうか見分けがつかない。

 一応目を通す──田嶋たじま敏夫としお、警部補、と書かれていた。

 こちらがなにも言い出さないからか、田嶋さんは手帳を仕舞って、

「おふたりとも、お店を出たり入ったりしていますが、なにかお捜しですか?」

 と訊いてきた。

 もしかして、万引きと勘違いされた?

 ありうる。

 松平もその可能性を察して、

「友だちが迷子になっちゃって……消え方が唐突だったんで、事故にでも遭ってるんじゃないかと、心配で……」

 と答えた。

 田嶋さんは、

「それは心配ですね。館内放送をかけてみましょうか?」

 と言った。

 ぐッ、その手があったか。

 なんだか冷静なひとだし、本物っぽい。

 と同時に、ある疑念をぬぐえなかった──このひと、電話の主なのでは?

 若すぎる気はした。バブル時代には生まれていないか、生まれていても子供だろう。

 でも、仲間だとしたら?

 疑心暗鬼になってくる。けど、黙っていると変だから、私は松平に、

「そうしてもらう?」

 と振った。

「ああ、そうだな……すみません、俺たちのほうで頼みますから、やり方だけ教えていただければ……」

「呼び出しに応じないこともありえます。付き添います」

 なんとなく、強めに言われた感じがした。

 もう反論もできないから、私たちはこのひとに任せることにした。

 田嶋さんは、受付のところへ移動した。

「すみません、こちらのかたのお連れが、迷子のようです。呼び出しをお願いします」

 受付のおばさんは、

「はい、お名前をどうぞ」

 と返した。

 田嶋さんは、私たちに視線を向けた。

 松平は、

太宰だざい治虫おさむです」

 と答えた。

 受付スタッフは、すぐに放送を入れてくれた。

《館内にお越しの、ダザイ・オサムさま、館内にお越しの、ダザイ・オサムさま、お連れ様が、1階の受付カウンターで、お待ちです》

 しばらくして駆け付けたのは、太宰くんじゃなくて、氷室くんと磐くんだった。

 磐くんは、

「おーい、そっちもダメだったか?」

 と大声でたずねたあと、急ブレーキをかけた。

「ん? ……このひとは?」

 松平は、

「巡回中の警察のひとだ」

 と答えた。

 磐くんは、ギョッとした。

 氷室くんは、

「松平くんたちが声かけしたの?」

 とたずねた。

 松平は、

「いや、このひとから声をかけてくれて……」

 と言いよどんだあと、田嶋さんに、

「引き留めてしまって、すみません。放送もかかりましたし、他のメンバーも集まったので、あとは自分たちでなんとか……」

 と、暗に帰ってもらうようにうながした。

 ところが、田嶋さんは、

「しかし、肝心の太宰さんは、まだ来ていませんね」

 と言って、腕時計を見た。

 銀色のフレームが、小さな金属音を立てた。

「……もうすこし待ってみましょう。ちょうど別件もあります」

 田嶋さんの物言いに、私は引っかかった。

 別件があるのなら、迷子にかまってる場合じゃないのでは?

 というか、今の状況で待機するのは、気が気でない。

 本当は、ただの迷子じゃないわけで。

 松平も、

「あの……用事がおありなら、俺たちだけでやりますから……」

 と、離脱を催促した。

 田嶋さんは、時計から顔をあげた。

「このなかに、銀行へ電話をかけたかたがいませんか?」

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