426手目 不在者
個人戦3日目──恒例の公民館15階に、大学生たちが集まっていた。
ソファーと観葉植物が置かれた、広めの待合スペース。
対局者、観戦者、そして役職者たちの、顔、顔、顔。
ファッションも目的もさまざまな彼らに、私は視線を走らせた。
右端から左端へと見終えたところで、松平に声をかけられた。
「どうだ? いるか?」
知らない人物はいるか、という意味の質問だった。
私は首を振った。
名前を知らないひとはいるけど、見かけたことのないひとはいなかった。
3日目ともなれば、来るメンバーはだいたい常連だ。
強豪と、観戦好きと、運営。
私は松平に、
「例のアレ、ほんとに聖生からなの?」
とたずねた。
「もう一回見るか?」
「……あとでいい」
私は内容をおぼえていた。
ダ い 丸 の 件 に ツ き
貴 殿 と 話 し た イ こ と ア り
ウ ら ミ ・ 大 谷 ● マ ツ 平 様
新聞の切り抜きを、ありきたりなコピー用紙に貼ったものだった。
松平のマンションのポストへ、こっそり投函されていたらしい。
あからさまに不穏……なだけじゃない。
意図が読めないし、そもそも聖生からなのか、確信が持てなかった。
将棋部じゃなくて、個人を指名しているのは、なぜ?
どうしてこんなに目立つ場所を選んだの?
話があるっていうけど、いったいどういう話?
これらの謎の奥に、もうひとつ、くすぶっていた謎があった。
聖生は、なぜ姿を消していたのか。
あれだけ奇妙な行動をとったあと、ふっつりいなくなった。
これが不可解だった。
もちろん、いくつもの仮説はあった。
ひとつ、聖生はただの愉快犯で、イタズラに飽きた。
ひとつ、これまで疑ったひとのなかに聖生がいて、発覚を恐れた。
ひとつ、聖生は他の犯罪にも手を染めていて、警察に捕まった。
どれもただの憶測だ。でも、現状を簡単に説明できる。
だけど、どこか違和感が──
「えー、それでは、抽選を始めます。選手は前へどうぞ」
幹事の段取りで、準決勝の組合せが決まった。
大谷vs志邨 橘vs火村
風切vs氷室 朽木vs大河内
ぐッ……大谷さんと風切先輩のあいては、優勝候補。
ギャラリーもざわざわした。
一方、対局者はいたって平静だった。
朽木先輩は、いつものネクタイを締め直しながら、
「会場はどうする? 僕は和洋どちらでもいいが、大河内くんは?」
とたずねた。
大河内くんもメガネを直しつつ、
「どちらでもかまいません」
と答えた。
朽木先輩は、
「風切くんと氷室くんは?」
とあいてを変えた。
風切先輩は、
「俺もこだわりはない……が、氷室は和室で一回、体調不良になってるからな。朽木と大河内、それに氷室がよければ、俺たちは洋室のほうがいいと思う」
と返した。
だれも異論がなかったので、その通りに。
女子は火村さんが和室NGだから、橘vs火村が洋室になった。
ギャラリーの大半は、洋室へ移動した。
というのも、和室は構造上、観戦がむずかしいのだ。
洋室はただの会議室だから、選手を囲みやすい。
私と松平は現場を分担して、私が洋室、松平が和室を見張ることに。
私は同校特権で、風切先輩のうしろに陣取った。
振り駒がおこなわれて、先輩の先手に。
対局開始の合図は、日高くんが担当した。
腕時計を見ながら、ゆっくりと口をひらいた。
「それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
氷室くんはチェスクロを押して、風切先輩は角道を開けた。
7六歩、3四歩、6六歩、8四歩、7八飛。
【先手:風切隼人(都ノ) 後手:氷室京介(帝大)】
2日目に続き、三間飛車の連投。
これは予定の作戦に見える。
部の練習でも、最近は三間を選ぶことが多かった。
おそらくは、研究時間の節約。3年生になって、ちょっと忙しいっぽい。
あと会長職もあるし。
1四歩、1六歩、8五歩、7七角、4二玉、4八玉、3二玉、3八銀。
後手の対応次第かな。
急戦にするか持久戦にするかは、氷室くんに選択権がある。
6二銀、3九玉、5四歩、6八銀、5二金右。
無難な立ち上がりになってきた。
私は室内を見回す──正直なところ、だれもあやしくない。
日高くんや新田くんは、全然陰謀家って感じじゃないし、ほかのメンバーも、なんていうかこう、構えてる雰囲気がしなかった。
そもそも、こんな手を込んだことをしそうなのって、有縁坂の佐田さんと、あとは太宰くんと……ん? 太宰くん、そういえばさっきいたかしら?
私が思い出そうとするなか、手は進んだ。
5八金左、5三銀、2八玉、3三角、5六歩、2二玉、6七銀。
ここで松平が入室。私を手招きした。
野次馬のあいだを抜けて、待合スペースへ。
「なにかあった?」
「ちょっと出よう」
緊張が走る。
エレベータを呼んで、乗りこんだ。
松平は1階のボタンを押した。
ドアが閉まったところで、すぐに話を切り出した。
「太宰を見かけなかったか?」
「そっちにいなかった?」
「いや、いない。っていうか、朝いたかどうか記憶がない」
むむむ、これはあやしくなってきた。
晩稲田は、朽木先輩と橘先輩が出場している。
同じ大学の主将なのに、来ないのは妙だった。
私は、
「聖生じゃなくて、太宰くんが差出人じゃない?」
と指摘した。
松平は、しまったという顔で、
「ありうるな。早合点だったか」
と、ひたいに手をあてた。
階数がどんどん減って、1階へ到着。
ドアがひらいて、私たちはとりあえず降りた。
行くアテがあるわけでもないので、公民館内のコーヒーチェーン店に寄った。
席を取って、スマホで注文。待つあいだも、話し合いをする。
松平は、
「太宰が犯人なら、目的はだいたい分かる。このまえの件だろう」
と小声で言った。
「再共闘ってこと?」
「ああ、行き詰まったんだと思う。メガバンのセキュリティなんて、破れっこない」
私はあのときの会話*を、よくよく思い出してみた。
まず、氷室くんが暗号の解読に失敗。
たしか、風切先輩=聖生のこどもっていう前提から、暗号キーをHAYATOで試してみたけど、ダメだったはず。これは磐くんも実験してくれた。
こうなったら、大円銀行にダイレクトアタックするしかない、という流れに。聖生は大円銀行の貸金庫になにかを預けた、という未確認情報があったからだ。
もちろんそんなのは犯罪だから、私たちは離脱した。そのまま聖生探偵団は解散。太宰くんたちの調査がどうなったのか、くわしいことは知らなかった。
私は、
「今さら私たちに頼むことなんて、なくない? 金庫破りはできないんだし」
と返した。
「そこなんだよな。違法行為には手を貸さないって、前回で伝わったはずだが……」
そのとき、スマホのアプリに呼び出しがかかった。
私たちはコーヒーを受け取って、飲みながら対応を考えた。
太宰くんがどうアプローチしてきても断る、という結論に。
会場へもどると、待合スペースには、ちらほらと雑談組がいた。
私は松平と別れて、洋室へもどった。
またあいだを縫って、観戦ポジションへ。
だいぶ進んでいる。
30分くらい話し込んだから、当たり前と言えば当たり前か。
仕掛け合いになって、どちらも傷ができた状態だ。
とはいえ、大捌きはむずかしいようにも見えた。
風切先輩は6九飛。
氷室くんは5三角。
じりじりとした展開に。
風切先輩はここで20秒ほど考えて、2八玉と引いた。
ん? これは?
氷室くんは、すぐに2六歩と打った。
そう、この拠点があるのでは?
銀を渡しづらくなったような……と思いきや、風切先輩は6五銀とぶつけた。
周囲のギャラリーにも、これは意外だったようだ。
だいじょうぶか、という空気になった。
同銀、同飛、2四金、6一飛成。
なるほど、後手のほうが先に消さないといけなかった、と。
その隙を突いて、飛車を成りこめた。
ただ、この瞬間に2七銀がありそう。
氷室くん、ここで長考。
私も考えていると、となりにひとが現れた。
帝大の来栖さんだった。
遅れて来たみたい。でも、同校特権で前に出られる、というわけだ。
来栖さんは、今日もなぜかスーツを着ていた。
朽木先輩リスペクトですか?
いや、朽木先輩はあの服しか持ってない可能性があるけど。
来栖さんは、
「氷室先輩、勝ってますか?」
と私に訊いてきた。
あいての大学のひとに訊きますかね、普通。
私は、
「ちょっとむずかしい局面だと思う」
と返した。
来栖さんは、盤面をしばらく見つめたあと、
「なーるほど、むずかしいですね。2七銀と打てそうですが、打たない手もありそうです」
と言った。
来栖さんは一例として、2七銀、同銀、同歩成、同玉に2六歩と叩きなおして、3八玉、7五飛と走る順と、単に7五飛の順を挙げた。そのあと合流する可能性もあって、なやましい。
氷室くんは、固まったように動かない。
冷たい目で、盤を見つめている。
来栖さんは、
「先輩が悩むってことは、僅差ですね。評価値的には、差が100もないかも」
とつぶやいた。
「それは次の手の話? 今の局面?」
「どっちもです……あッ、指す」
パシリ
*358手目 解散
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