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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第66章 聖生復活(2017年10月23日月曜)
440/496

426手目 不在者

 個人戦3日目──恒例の公民館15階に、大学生たちが集まっていた。

 ソファーと観葉植物が置かれた、広めの待合スペース。

 対局者、観戦者、そして役職者たちの、顔、顔、顔。

 ファッションも目的もさまざまな彼らに、私は視線を走らせた。

 右端から左端へと見終えたところで、松平まつだいらに声をかけられた。

「どうだ? いるか?」

 知らない人物はいるか、という意味の質問だった。

 私は首を振った。

 名前を知らないひとはいるけど、見かけたことのないひとはいなかった。

 3日目ともなれば、来るメンバーはだいたい常連だ。

 強豪と、観戦好きと、運営。

 私は松平に、

「例のアレ、ほんとに聖生のえるからなの?」

 とたずねた。

「もう一回見るか?」

「……あとでいい」

 私は内容をおぼえていた。


 ダ い 丸 の 件 に ツ き

 貴 殿 と 話 し た イ こ と ア り

 ウ ら ミ ・ 大 谷 ● マ ツ 平 様


 新聞の切り抜きを、ありきたりなコピー用紙に貼ったものだった。

 松平のマンションのポストへ、こっそり投函されていたらしい。

 あからさまに不穏……なだけじゃない。

 意図が読めないし、そもそも聖生のえるからなのか、確信が持てなかった。

 将棋部じゃなくて、個人を指名しているのは、なぜ?

 どうしてこんなに目立つ場所を選んだの?

 話があるっていうけど、いったいどういう話?

 これらの謎の奥に、もうひとつ、くすぶっていた謎があった。

 聖生のえるは、なぜ姿を消していたのか。

 あれだけ奇妙な行動をとったあと、ふっつりいなくなった。

 これが不可解だった。

 もちろん、いくつもの仮説はあった。

 ひとつ、聖生のえるはただの愉快犯で、イタズラに飽きた。

 ひとつ、これまで疑ったひとのなかに聖生のえるがいて、発覚を恐れた。

 ひとつ、聖生のえるは他の犯罪にも手を染めていて、警察に捕まった。

 どれもただの憶測だ。でも、現状を簡単に説明できる。

 だけど、どこか違和感が──

「えー、それでは、抽選を始めます。選手は前へどうぞ」

 幹事の段取りで、準決勝の組合せが決まった。


 大谷おおたにvs志邨しむら たちばなvs火村ほむら

 風切かざぎりvs氷室ひむろ 朽木くちきvs大河内おおこうち


 ぐッ……大谷さんと風切先輩のあいては、優勝候補。

 ギャラリーもざわざわした。

 一方、対局者はいたって平静だった。

 朽木先輩は、いつものネクタイを締め直しながら、

「会場はどうする? 僕は和洋どちらでもいいが、大河内くんは?」

 とたずねた。

 大河内くんもメガネを直しつつ、

「どちらでもかまいません」

 と答えた。

 朽木先輩は、

「風切くんと氷室くんは?」

 とあいてを変えた。

 風切先輩は、

「俺もこだわりはない……が、氷室は和室で一回、体調不良になってるからな。朽木と大河内、それに氷室がよければ、俺たちは洋室のほうがいいと思う」

 と返した。

 だれも異論がなかったので、その通りに。

 女子は火村さんが和室NGだから、橘vs火村が洋室になった。

 ギャラリーの大半は、洋室へ移動した。

 というのも、和室は構造上、観戦がむずかしいのだ。

 洋室はただの会議室だから、選手を囲みやすい。

 私と松平は現場を分担して、私が洋室、松平が和室を見張ることに。

 私は同校特権で、風切先輩のうしろに陣取った。

 振り駒がおこなわれて、先輩の先手に。

 対局開始の合図は、日高ひだかくんが担当した。

 腕時計を見ながら、ゆっくりと口をひらいた。

「それでは、始めてください」

「よろしくお願いします」

 氷室くんはチェスクロを押して、風切先輩は角道を開けた。

 7六歩、3四歩、6六歩、8四歩、7八飛。


【先手:風切かざぎり隼人はやと都ノみやこの) 後手:氷室ひむろ京介きょうすけ帝大ていだい)】

挿絵(By みてみん)


 2日目に続き、三間飛車の連投。

 これは予定の作戦に見える。

 部の練習でも、最近は三間を選ぶことが多かった。

 おそらくは、研究時間の節約。3年生になって、ちょっと忙しいっぽい。

 あと会長職もあるし。

 1四歩、1六歩、8五歩、7七角、4二玉、4八玉、3二玉、3八銀。


挿絵(By みてみん)


 後手の対応次第かな。

 急戦にするか持久戦にするかは、氷室くんに選択権がある。

 6二銀、3九玉、5四歩、6八銀、5二金右。

 無難な立ち上がりになってきた。

 私は室内を見回す──正直なところ、だれもあやしくない。

 日高くんや新田にったくんは、全然陰謀家って感じじゃないし、ほかのメンバーも、なんていうかこう、構えてる雰囲気がしなかった。

 そもそも、こんな手を込んだことをしそうなのって、有縁坂うえんざか佐田さださんと、あとは太宰だざいくんと……ん? 太宰くん、そういえばさっきいたかしら?

 私が思い出そうとするなか、手は進んだ。

 5八金左、5三銀、2八玉、3三角、5六歩、2二玉、6七銀。


挿絵(By みてみん)


 ここで松平が入室。私を手招きした。

 野次馬のあいだを抜けて、待合スペースへ。

「なにかあった?」

「ちょっと出よう」

 緊張が走る。

 エレベータを呼んで、乗りこんだ。

 松平は1階のボタンを押した。

 ドアが閉まったところで、すぐに話を切り出した。

「太宰を見かけなかったか?」

「そっちにいなかった?」

「いや、いない。っていうか、朝いたかどうか記憶がない」

 むむむ、これはあやしくなってきた。

 晩稲田おくてだは、朽木先輩と橘先輩が出場している。

 同じ大学の主将なのに、来ないのは妙だった。

 私は、

聖生のえるじゃなくて、太宰くんが差出人じゃない?」

 と指摘した。

 松平は、しまったという顔で、

「ありうるな。早合点だったか」

 と、ひたいに手をあてた。

 階数がどんどん減って、1階へ到着。

 ドアがひらいて、私たちはとりあえず降りた。

 行くアテがあるわけでもないので、公民館内のコーヒーチェーン店に寄った。

 席を取って、スマホで注文。待つあいだも、話し合いをする。

 松平は、

「太宰が犯人なら、目的はだいたい分かる。このまえの件だろう」

 と小声で言った。

「再共闘ってこと?」

「ああ、行き詰まったんだと思う。メガバンのセキュリティなんて、破れっこない」

 私はあのときの会話*を、よくよく思い出してみた。

 まず、氷室くんが暗号の解読に失敗。

 たしか、風切先輩=聖生のえるのこどもっていう前提から、暗号キーをHAYATOで試してみたけど、ダメだったはず。これはばんくんも実験してくれた。

 こうなったら、大円だいまる銀行にダイレクトアタックするしかない、という流れに。聖生のえるは大円銀行の貸金庫になにかを預けた、という未確認情報があったからだ。

 もちろんそんなのは犯罪だから、私たちは離脱した。そのまま聖生のえる探偵団は解散。太宰くんたちの調査がどうなったのか、くわしいことは知らなかった。

 私は、

「今さら私たちに頼むことなんて、なくない? 金庫破りはできないんだし」

 と返した。

「そこなんだよな。違法行為には手を貸さないって、前回で伝わったはずだが……」

 そのとき、スマホのアプリに呼び出しがかかった。

 私たちはコーヒーを受け取って、飲みながら対応を考えた。

 太宰くんがどうアプローチしてきても断る、という結論に。

 会場へもどると、待合スペースには、ちらほらと雑談組がいた。

 私は松平と別れて、洋室へもどった。

 またあいだを縫って、観戦ポジションへ。


挿絵(By みてみん)


 だいぶ進んでいる。

 30分くらい話し込んだから、当たり前と言えば当たり前か。

 仕掛け合いになって、どちらも傷ができた状態だ。

 とはいえ、大捌きはむずかしいようにも見えた。

 風切先輩は6九飛。

 氷室くんは5三角。

 じりじりとした展開に。

 風切先輩はここで20秒ほど考えて、2八玉と引いた。


挿絵(By みてみん)


 ん? これは?

 氷室くんは、すぐに2六歩と打った。

 そう、この拠点があるのでは?

 銀を渡しづらくなったような……と思いきや、風切先輩は6五銀とぶつけた。

 周囲のギャラリーにも、これは意外だったようだ。

 だいじょうぶか、という空気になった。

 同銀、同飛、2四金、6一飛成。


挿絵(By みてみん)


 なるほど、後手のほうが先に消さないといけなかった、と。

 その隙を突いて、飛車を成りこめた。

 ただ、この瞬間に2七銀がありそう。

 氷室くん、ここで長考。

 私も考えていると、となりにひとが現れた。

 帝大の来栖くるすさんだった。

 遅れて来たみたい。でも、同校特権で前に出られる、というわけだ。

 来栖さんは、今日もなぜかスーツを着ていた。

 朽木先輩リスペクトですか?

 いや、朽木先輩はあの服しか持ってない可能性があるけど。

 来栖さんは、

「氷室先輩、勝ってますか?」

 と私に訊いてきた。

 あいての大学のひとに訊きますかね、普通。

 私は、

「ちょっとむずかしい局面だと思う」

 と返した。

 来栖さんは、盤面をしばらく見つめたあと、

「なーるほど、むずかしいですね。2七銀と打てそうですが、打たない手もありそうです」

 と言った。

 来栖さんは一例として、2七銀、同銀、同歩成、同玉に2六歩と叩きなおして、3八玉、7五飛と走る順と、単に7五飛の順を挙げた。そのあと合流する可能性もあって、なやましい。

 氷室くんは、固まったように動かない。

 冷たい目で、盤を見つめている。

 来栖さんは、

「先輩が悩むってことは、僅差ですね。評価値的には、差が100もないかも」

 とつぶやいた。

「それは次の手の話? 今の局面?」

「どっちもです……あッ、指す」


 パシリ

*358手目 解散

https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/369/

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