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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第66章 聖生復活(2017年10月23日月曜)
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425手目 見えない本音

 部室のドアがノックされたとき、私は将棋雑誌を読んでいた。

 返事をすると、松平まつだいらが顔をのぞかせた。

 松平は右手の親指を立てて、

風切かざぎり先輩の生存、確認完了」

 と報告した。

 もうちょっと言い方があると思うんだけど。

 松平はそのまま敷居をまたいで、部屋に入ってきた。

裏見うらみしかいないのか?」

 私は、

「みたいね。みんなバイトか講義じゃない」

 と答えた。

 松平は、

大谷おおたにだけちがうな。風切先輩の見守りだ」

 そう、じつは昨日居合わせたメンバーで、風切先輩のマンションをパトロールしているのだ。悪くいえば、監視。パトロールの理由はお察しください、と。

 松平は、私の正面にある椅子を引いた。

 腰をおろすなり、足を組んだ。

「何年も前の話だし、そんなに心配しなくていいと思うぞ」

 んー、どうかしら。

 あのあとの風切先輩、魂が抜けてたように見えたんだけど。

 まあ、こっちが右往左往してもしょうがないし、これ以上できることもない。

 ただ、あの電撃シーンで、気になることが残っていた。

 なんだかもやもやする。

 私はなるべく小声で、

「昨日の件、どう思う?」

 と松平にたずねた。

「どう、っていうのは?」

 私は、ろうかのほうをちらりと見た。

 ひとの気配がしたわけじゃない。

 ここからの会話は、完全にオフレコでいきたかった。

「あれ、わざと待機してたっぽくない?」

「たいき?」

宗像むなかたさんがこっちに来たタイミング、遅くなかった?」

 松平は、ん、と言って、腕組みをした。

 テーブルに視線を落として、考え込む。

「……どうだろうな。最後尾に乗ってたら、あんなもんじゃないか?」

 んー、そこは確証がない。

 歩行速度から計算できるわけでもないし。

 でもあのときは、乗車人数がすごかったから、電車が出るまでに、けっこう時間がかかった。それに、宗像さんがホームへ降りたのは、時系列的に最初のほうのはずだ。降りるひとが優先。

 このことを伝えると、松平は、

「たしかに……元カレの顔が見えたから、わざとタイミングをぶつけるように移動した、ってことか?」

 と推理した。

 私の見解と一致している。

 松平は、半信半疑の表情で、

「つまり、あの最後のイヤミを言いたかった?」

 と首をかしげた。

「それはどうかしら。あのセリフは、風切先輩の返答次第だったし、事前に準備するのはむずかしくない?」

「じゃあ、声をかけたのは意図的だが、会話はたまたま?」

 私はすこしだけ間をおいた。

 ここからは、なんの証拠もない、ただの憶測になる。

「別れ話のほうが、本命だったんじゃない?」

 松平は眉をひそめた。

「ほんとうはじぶんから振ってた、っていうアレか?」

「そう」

 松平は口もとに手をあてて、目を細めた。

「……だとすると、風切先輩にショックを与えるのが目的だったわけか。恐ろしいな」

「さっきから否定ばっかりで悪いけど、そうじゃないと思う」

 どういう意味だ、と松平はたずねた。

「宗像さんから別れ話をする予定だった……これ、ウソっぽいのよね。仮にそうだとしたら、別れるときに言ってるはずよ。『私も別れようと思ってた』とかなんとか。風切先輩の態度からして、当時そういうことは言われてないんじゃない?」

 この仮説に、松平は賛成も反対もしなかった。

 いずれにせよ、これ以上の証拠はないし、私は議論を打ち切った。

 すると、松平は腕を組みなおして、目を閉じた。

「それにしても、綺麗なひとだなあ。風切先輩が未練たらたらなのも、うなずける」

 おい、こら。


  ○

   。

    .


 はぁ、まったく。

 とはいえ、ここから気が重いのは、私のほうだった。

 今日はこまのバイトなのだッ!

 欠勤したい……けど、ここで欠勤したら、昨日の件はドン引きでしたよ、と暗に伝えているようなものだ。気まずい。

 講義が終わったあと、大学から駒の音へ移動。

 自転車をとめて、階段を上がる──おはようございますぅ(小声)

 道場にいたのは、たちばなさんだけだった。

 助かった。

 宗像さんだけだったら、どうしようかと思った。

 きちんとあいさつしなおす。

「おはようございまーす」

 橘さんは窓を拭きながら、

「おはようございます」

 と返した。

 私は靴を脱いで、下駄箱へ。

 雑巾をもう一枚出して、机を拭いた。

 距離が近くなったところで、

「3日目進出、おめでとうございます」

 と言っておいた。

「ありがとうございます」

 なんとも簡素なトークだ。

 アイスブレイクにもならない。

 機嫌が悪い? なんかあった?

 とかなんとか邪推しているうちに、道場は開店した。

 宗像さんもそのうち来て、若干緊張が走る。

 でも、昨日のことなんか、なかったような雰囲気だ。

 私の勘違いだったかなあ。ほんとに宗像さんは、じぶんから別れ話をする予定でいて、だから別れたことになんの感情も抱いていなかった? この解釈が、どうしても納得できなかった。だって、そんなに淡泊なら、最後にあんなセリフ言わなくない?

「お姉ちゃん、王手かかってるよ」

「え……あ、ごめん」

「王手放置、反則ね」

 小学生の男の子は、からかうように笑った。

 いかんいかん。

「なに考えてんの? かれぴ?」

「外れ」

「ほかのこと考えてたのは合ってんの?」

 あー、小学生特有のめんどくさい会話きた。

 私はごまかすために、

「王手放置しなかったら、私が勝ってたわね」

 と、わざと形勢判断にふれた。

 この切り替えはうまくいった。

「え~、そんなわけないじゃん」

 ああだこうだ議論していると、その子の両親が迎えにきた。

 気をつけて帰ってね~。

 小さい子からだんだんいなくなって、最後におじさんが腰をあげた。

 おじさんはジャンパーを羽織ったあと、玄関で靴を履きながら、

「ふぶきちゃん、結婚しないの? 若いの紹介しようか?」

 と言った。

 宗像さんは帳簿をつけつつ、

「出禁にしますよ~」

 と返した。

「女の子だけだと危ないよ。いつでも言ってね」

 あなたみたいなのがいるから、危なくなるんでしょ。

 帰った帰った。

 おじさんがいなくなったあと、橘さんは、

「塩をまいておきましょう」

 と言って、玄関を清めていた。

 あとかたづけをして、帰宅。

 マンションへ到着したときには、9時を過ぎていた。

 なんだか疲れたなあ。気遣いもあったし。

 とりあえずお夕飯、というか、夜食。

 最近パスタばっかり食べてるから、ご飯にした。

 もっとも、レトルトカレーなんだけど。

 スプーンで口に運びながら、スマホでエンタメ番組を見る。独身の男女がひとつの家に泊まって、恋愛相手をみつける企画。いわゆるリアリティショーよね。こういうのって、半分くらい台本がありそう。

 そろそろタブレットが欲しいなあ。入学のお祝いに、タブレットを買うチャンスはあった。でも、大学生ならタイピングくらいできないといけないかな、と思って、ノートパソコンにした。これが正解だったのかどうかは、未だにわからない。タイピングはうまくなった。

 食べ終わった私は、洗い物をして、ベッドを背に座った。

 天井を見上げる。LED照明の淡い光。

 遠くで、通行人の声がした。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………大学生にありがちな、無為の時間になってきた。

 もう遅いし、お風呂にでも入って、ゆっくりしようかな。

 床に手をついて、腰を上げかけた瞬間、スマホが振動した。

 みると、松平からの電話だった。

 しょうがないなあ。にやにや。

「もしもし……え、うん、なにもないけど……え? 聖生のえるが復活したッ!?」

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