425手目 見えない本音
部室のドアがノックされたとき、私は将棋雑誌を読んでいた。
返事をすると、松平が顔をのぞかせた。
松平は右手の親指を立てて、
「風切先輩の生存、確認完了」
と報告した。
もうちょっと言い方があると思うんだけど。
松平はそのまま敷居をまたいで、部屋に入ってきた。
「裏見しかいないのか?」
私は、
「みたいね。みんなバイトか講義じゃない」
と答えた。
松平は、
「大谷だけちがうな。風切先輩の見守りだ」
そう、じつは昨日居合わせたメンバーで、風切先輩のマンションをパトロールしているのだ。悪くいえば、監視。パトロールの理由はお察しください、と。
松平は、私の正面にある椅子を引いた。
腰をおろすなり、足を組んだ。
「何年も前の話だし、そんなに心配しなくていいと思うぞ」
んー、どうかしら。
あのあとの風切先輩、魂が抜けてたように見えたんだけど。
まあ、こっちが右往左往してもしょうがないし、これ以上できることもない。
ただ、あの電撃シーンで、気になることが残っていた。
なんだかもやもやする。
私はなるべく小声で、
「昨日の件、どう思う?」
と松平にたずねた。
「どう、っていうのは?」
私は、ろうかのほうをちらりと見た。
ひとの気配がしたわけじゃない。
ここからの会話は、完全にオフレコでいきたかった。
「あれ、わざと待機してたっぽくない?」
「たいき?」
「宗像さんがこっちに来たタイミング、遅くなかった?」
松平は、ん、と言って、腕組みをした。
テーブルに視線を落として、考え込む。
「……どうだろうな。最後尾に乗ってたら、あんなもんじゃないか?」
んー、そこは確証がない。
歩行速度から計算できるわけでもないし。
でもあのときは、乗車人数がすごかったから、電車が出るまでに、けっこう時間がかかった。それに、宗像さんがホームへ降りたのは、時系列的に最初のほうのはずだ。降りるひとが優先。
このことを伝えると、松平は、
「たしかに……元カレの顔が見えたから、わざとタイミングをぶつけるように移動した、ってことか?」
と推理した。
私の見解と一致している。
松平は、半信半疑の表情で、
「つまり、あの最後のイヤミを言いたかった?」
と首をかしげた。
「それはどうかしら。あのセリフは、風切先輩の返答次第だったし、事前に準備するのはむずかしくない?」
「じゃあ、声をかけたのは意図的だが、会話はたまたま?」
私はすこしだけ間をおいた。
ここからは、なんの証拠もない、ただの憶測になる。
「別れ話のほうが、本命だったんじゃない?」
松平は眉をひそめた。
「ほんとうはじぶんから振ってた、っていうアレか?」
「そう」
松平は口もとに手をあてて、目を細めた。
「……だとすると、風切先輩にショックを与えるのが目的だったわけか。恐ろしいな」
「さっきから否定ばっかりで悪いけど、そうじゃないと思う」
どういう意味だ、と松平はたずねた。
「宗像さんから別れ話をする予定だった……これ、ウソっぽいのよね。仮にそうだとしたら、別れるときに言ってるはずよ。『私も別れようと思ってた』とかなんとか。風切先輩の態度からして、当時そういうことは言われてないんじゃない?」
この仮説に、松平は賛成も反対もしなかった。
いずれにせよ、これ以上の証拠はないし、私は議論を打ち切った。
すると、松平は腕を組みなおして、目を閉じた。
「それにしても、綺麗なひとだなあ。風切先輩が未練たらたらなのも、うなずける」
おい、こら。
○
。
.
はぁ、まったく。
とはいえ、ここから気が重いのは、私のほうだった。
今日は駒の音のバイトなのだッ!
欠勤したい……けど、ここで欠勤したら、昨日の件はドン引きでしたよ、と暗に伝えているようなものだ。気まずい。
講義が終わったあと、大学から駒の音へ移動。
自転車をとめて、階段を上がる──おはようございますぅ(小声)
道場にいたのは、橘さんだけだった。
助かった。
宗像さんだけだったら、どうしようかと思った。
きちんとあいさつしなおす。
「おはようございまーす」
橘さんは窓を拭きながら、
「おはようございます」
と返した。
私は靴を脱いで、下駄箱へ。
雑巾をもう一枚出して、机を拭いた。
距離が近くなったところで、
「3日目進出、おめでとうございます」
と言っておいた。
「ありがとうございます」
なんとも簡素なトークだ。
アイスブレイクにもならない。
機嫌が悪い? なんかあった?
とかなんとか邪推しているうちに、道場は開店した。
宗像さんもそのうち来て、若干緊張が走る。
でも、昨日のことなんか、なかったような雰囲気だ。
私の勘違いだったかなあ。ほんとに宗像さんは、じぶんから別れ話をする予定でいて、だから別れたことになんの感情も抱いていなかった? この解釈が、どうしても納得できなかった。だって、そんなに淡泊なら、最後にあんなセリフ言わなくない?
「お姉ちゃん、王手かかってるよ」
「え……あ、ごめん」
「王手放置、反則ね」
小学生の男の子は、からかうように笑った。
いかんいかん。
「なに考えてんの? かれぴ?」
「外れ」
「ほかのこと考えてたのは合ってんの?」
あー、小学生特有のめんどくさい会話きた。
私はごまかすために、
「王手放置しなかったら、私が勝ってたわね」
と、わざと形勢判断にふれた。
この切り替えはうまくいった。
「え~、そんなわけないじゃん」
ああだこうだ議論していると、その子の両親が迎えにきた。
気をつけて帰ってね~。
小さい子からだんだんいなくなって、最後におじさんが腰をあげた。
おじさんはジャンパーを羽織ったあと、玄関で靴を履きながら、
「ふぶきちゃん、結婚しないの? 若いの紹介しようか?」
と言った。
宗像さんは帳簿をつけつつ、
「出禁にしますよ~」
と返した。
「女の子だけだと危ないよ。いつでも言ってね」
あなたみたいなのがいるから、危なくなるんでしょ。
帰った帰った。
おじさんがいなくなったあと、橘さんは、
「塩をまいておきましょう」
と言って、玄関を清めていた。
あとかたづけをして、帰宅。
マンションへ到着したときには、9時を過ぎていた。
なんだか疲れたなあ。気遣いもあったし。
とりあえずお夕飯、というか、夜食。
最近パスタばっかり食べてるから、ご飯にした。
もっとも、レトルトカレーなんだけど。
スプーンで口に運びながら、スマホでエンタメ番組を見る。独身の男女がひとつの家に泊まって、恋愛相手をみつける企画。いわゆるリアリティショーよね。こういうのって、半分くらい台本がありそう。
そろそろタブレットが欲しいなあ。入学のお祝いに、タブレットを買うチャンスはあった。でも、大学生ならタイピングくらいできないといけないかな、と思って、ノートパソコンにした。これが正解だったのかどうかは、未だにわからない。タイピングはうまくなった。
食べ終わった私は、洗い物をして、ベッドを背に座った。
天井を見上げる。LED照明の淡い光。
遠くで、通行人の声がした。
……………………
……………………
…………………
………………大学生にありがちな、無為の時間になってきた。
もう遅いし、お風呂にでも入って、ゆっくりしようかな。
床に手をついて、腰を上げかけた瞬間、スマホが振動した。
みると、松平からの電話だった。
しょうがないなあ。にやにや。
「もしもし……え、うん、なにもないけど……え? 聖生が復活したッ!?」




