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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第65章 2017年度秋季個人戦2日目(2017年10月22日日曜)
433/496

419手目 風切対策

 風切かざぎり先輩が残した台詞──それについて、私と松平まつだいらのあいだでは解釈が分かれた。松平は、個人戦でも情報収集はできる、という意味で受け取ったみたい。私は、個人戦で勝敗をつけておくことは、のちのち団体戦でも効いてくる、っていう意味じゃないかな、と思った。

 いずれにせよ、王座戦予選とは、どこかでつながっているはずだ。私たちは各人各様、手を動かしてみることにした。松平は穂積ほづみさんたちといっしょに、王座戦予備軍(つまりC級1位、B級1位、2位、A級の2位から8位まで)を偵察して回ることに。

 これは思ったよりも、大変な作業だった。男子はベスト32、女子はベスト16まで来ている。でも、残っているメンバーは、上位大学のレギュラー陣ばかりだから、ほとんどのひとが王座戦予備軍という状態だった。例外は、王座戦出場が確定している晩稲田おくてだくらい。志邨しむらさんやたちばな先輩、それと朽木くちき先輩を除外できる程度。

 だから、私が風切先輩の観戦にまわったときには、すでに中盤になっていた。


【先手:風切かざぎり隼人はやと都ノみやこの) 後手:西海にしうみなぎさ治明おさまるめい)】

挿絵(By みてみん)


 テーブルのまわりには、そこそこの人だかりができていた。

 風切先輩と、治明の新人エース。好カード。西海くんは、新人戦でベスト16まで行ったひとだ。けっこうふっくらとしている、身長があまり高くない男子だった。髪型はワイルドパーマで、秋物のカジュアルシャツを着ていた。迫力がすごくあって、読んでいるときのようすは、こちらが気圧けおされそうなオーラがあった。

 私はしばらくのあいだ、局面の把握に努めた。それから、周囲の野次馬をチェック。だれがどこを観戦しているのかも、重要な情報だ。私のちょうど右どなりは、聖ソの明石あかしくんだった。観戦だからか、いつものとっつきにくい分析家のような雰囲気じゃなかった。ちょっと距離をおいているところはあったけど、周囲に溶け込んでいた。

 明石くんはこちらに気づいて、

「序盤は三間でしたよ」

 と教えてくれた。

 その言葉の欄外には、最初からは観戦しなかったんですね、というニュアンスが込められていた。

 私は、

「明石くんは、最初から観てるの?」

 とたずねた。

「ええ」

「……」

「偵察しないのか、ですか? 聖ソはもともと、そう熱心にやっていません」

 これは事実だった。

 というより、ここまで熱心に情報収集しているのは、都ノくらいだった。大学将棋界から一度追放されて、コネクションのない状態でやってきた、というのが大きいのだろう。とはいえ、聖ソもそうなのだから、やはりそこは温度差というか、個性の差とも思えた。

 私は、

「互角……かな」

 と、盤面のほうに集中した。

 明石くんは、

「そうですね、互角だと思います」

 と返した。

 私は残り時間を確認した。

 先手が16分、後手が14分。

 これだけ使ってこの局面だと、途中の折衝が長かったようだ。

 おそらく、開戦のタイミングを見計らって、駒組みが長期化したのだろう。

 私たちギャラリーは、両者がどう打開するのか、それを見守っていた。

 風切先輩は1分使って、まだ考慮中。

 時間的に並びそうだ。

 明石くんは、

「どう動くと思いますか?」

 とたずねてきた。

 私はちょっと答えに迷ったあと、

「……先手から攻める展開かも」

 と予想した。

 明石くんは、

「ええ、ふたりの棋風からして、そうなりますね。そもそも西海くんの狙いは、先手からの無理攻めでしょう。後手からは動きません。彼は序中盤型ですから」

 とつけくわえた。

 あれ? それ言っちゃうんだ。

 私は、情報戦の一種かな、と思った。

 西海くんは、序中盤に定評がある。これは調べてあった。主に1年生ルート。今年の1年生は東京組が多くて、そのネットワークはやはり侮れないものがあった。

 西海くんの情報については、明石くんも把握してるっぽい。

 けど、ライバルチームに流すのは、解せなかった。

 こっちも知ってると思ったから?

 それとも、じぶんが入手した情報を、検証したいから?

 私は警戒して、とくにコメントはしなかった。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 やっぱり先手から開戦した。

 西海くんは、うんとうなずいて、同歩とした。

 狙った路線に入っている。

 このタイミングで攻められるのが、分かっていた手つきだった。

 同桂、7七角成、同桂、7八角。


挿絵(By みてみん)


 うーん、銀桂交換で、収める感じ?

 5三桂成、同飛、7九飛が第一感だった。

 でも、風切先輩は、そう指さなかった。

 6八飛と単に浮いた。

 西海くんは、この手に驚かず、8七角成とノータイムで成った。

 すごい研究家だ。この手は、あんまり検討に入れないと思う。

 っていうか、ここまで研究範囲というのが、どうにも信じられなかった。

 風切先輩も、ちょっと気になったのか、すこし考えた。

 ここで持ち時間が逆転して、先手が13分、後手が14分に。

 さすがにそれ以上は消費しないで、先輩は5三桂成とした。

 同飛、7八歩、5五歩。


挿絵(By みてみん)


 このかたちか──私が予想していたのとは、ちがう。

 明石くんは、興味深いですね、とつぶやいてから、

「今の応酬は、風切さんが先に仕掛けましたね。6八飛は、AIで検討しても第一候補ではないと思います。西海くんの狙いを察して、乗ったフリをしながら先攻。じっさいにはその先で手を変化させ、後手に長考を強いろうとしました……が、不発だったようです。西海くんは、6八飛の意図に頓着せず、必然の一手を指して、持ち時間を温存してます」

 と解説した。

 私は、明石くんがいつもより饒舌過ぎて、なんだか不気味に感じてしまった。

 うーん、そうね、と、あたりさわりのないことを言っておく。

 一方、私たちの会話とはうらはらに、周囲のギャラリーは対局に魅入っていた。

 いや、魅入っていたというのは、語弊があるかもしれない。

 ギャラリーが注目しているのは、西海くんの作戦の成否だ。

 穴熊で振り飛車のムリ攻めを誘う、というアイデアは、風切先輩対策として、いろんなひとが考えたはず。現に、私も試したことがあった。でも、全然歯がたたない。

 他の大学は、風切先輩と指す機会が少ないから、そもそも試すチャンスすらないひとが多いだろう。それを今、序中盤巧者の西海くんが試している。周囲の注目が集まるのも、当然のことだった。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 7一角。

 風切先輩のほうが、時間を使っている。

 西海くんは、すぐに5四飛と浮いて、5五歩、同飛、5七歩と収めさせた。

 5筋に歩が打てなくなった。

 とはいえ、後手も手がなくなったのでは?

 8六桂と打って、露骨に攻めるくらいしか、ないような?

 ところが、この予想は外れた。

 西海くんは5四飛で、4四角成を先に消した。

 この手は、さすがだ。

 風切先輩は、それでも6四歩と攻めた。

 西海くんは、5六歩の反撃。

 同銀、4六桂で、先着した。


挿絵(By みてみん)


 これは……もしかして、5六飛と切るつもり?

 この予感は当たった。

 3九金の引きに、西海くんは5六飛と突っ込んだ。

 同歩、5九銀。


挿絵(By みてみん)


 割り打ち。

 私は思わず、

「方針ががらりと変わったわね」

 と口走った。

 明石くんは、これを否定した。

「いえ、予定通りだと思います。西海くんの作戦は、あくまでも先手にムリ攻めさせることですからね。それが成立したあと、消極策に出る意味はありません。盛り返されるリスクが生じるだけなので」

 な、なるほど、冷静な分析。

 今のところ、西海くんの理想的な展開になっている。

 本人からも、自信を感じられた。

 だけど──風切先輩は、ここからが強いわよ。

 先輩は先輩で、まったく動じていない。

 いつも通り、比較的綺麗な姿勢で、盤を凝視している。

 奨励会時代につちかわれた対局態度が、体に染みついているのだろう。

 その視線は、敵陣を見ていた。

 これは──来る。強烈な攻めが。

 1分後、風切先輩は敵陣深く、飛車を下ろした。


挿絵(By みてみん)

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