417手目 飛車厨
火村さんは腕組みをして、うーんとうなった。
前傾姿勢になる。視線を盤の端からさらに落として、首をがっくしと曲げた。
もちろん、がっかりしているわけじゃない。
むずかしいと読んでいる証拠だ。
同歩なら9二歩、同香、9三歩、同香、9二銀で先手持ち。
8六の香車が直接活きるから、これはしたくないはず。
となれば、手抜いてなにを指すか。
ここで4二金なら、大した度胸だ。でも、ありえなくはない。
火村さんは2分考えて、4七馬。
チェスクロが押される。
私は姿勢を変えた──そっちか。
5五馬、9四歩が本線だった。
もっともそれは、後手の次の手が、むずかしかった気はする。
直線的な展開を好んだっぽい。
私は黙って9四歩と取り込んだ。
「7一金」
消極策? ……やって来い、という手だ。
火村さんにしては、珍しい。
なにか罠があるのでは、と勘繰ってしまった。
でも、なさそう。
お言葉に甘えて、攻めまくります。
5三歩と、まずは挟撃する。
4二金、4四歩、5三金、4三歩成。
火村さんは、
「あ~、めんどくさいわね」
と言いながら、同金。
私は7六角とすえた。
さあさあ、直撃ですよ。
火村さんは4二歩で、愚直な防御。
4二金のほうが軽そうだったけど、4三歩の追撃を嫌ったかな。
ここで反対側に手をもどす。
「9三歩成」
同桂、9四歩。
このままだとジリ貧になると思ったのか、火村さんは6四桂とすえた。
長考タイム。チャンス到来の感触。
……………………
……………………
…………………
………………後手の端は崩壊する。
8三香成から入って、同馬と引きつけてから、9三歩成。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
おそらく、これが最善。
先に9三歩成は王手じゃないから、7六桂とされてしまう。
8三香成、同馬、9三歩成なら、7六桂に8三と。これが成立する。
問題は、崩壊させたあとに手が続くかどうか、だ。
一例として、9三歩成以下、同香、同香成、同馬、9四歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは7六桂からの、攻め合いになる。
9三歩成と踏み込んで、9八飛。
この飛車打ちをいなせれば、先手が優勢に。
8八香と打って……9三飛成、7六銀、8二香。
この局面は、先手にもいろいろ手がありそう。
懸念は、8八香に6八桂成の場合。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
この攻め合い。
同飛に5八金はできない、というのがポイント。
8三角で詰むから。
だから一回9三飛成として、詰めろを解除。
その瞬間、私がなにをするか。
7五桂くらいかなあ。
これで先手が取れれば、まあよし、と。
チェスクロを確認する。
残り時間は、先手が9分、後手が8分。
私は香車を成り込んだ。
同馬、9三歩成、同香、同香成、同馬。
「9四歩」
どんどん進める。
火村さんは、予想通りの7六桂。
私は9三歩成で馬を取って、9八飛の反撃に8八香と受ける。
6八桂成、同飛、9三飛成。
私は追加で1分使って、7五桂。
火村さんは、席を立ちかけた。
けど、我慢。スカートだけととのえて、座りなおした。
後手の選択肢は曖昧だ。
8筋に香車を打つか、8三歩と蓋をするか、今度こそ5八金か。
火村さんの棋風からして、5八金じゃないかなあ、と予想。
「……」
えらく考えるわね。
なんだか苦吟しているようにも思える。
後手が相当悪い?
好手があるのかもしれない。私は念入りに局面を観察した。
そのあいだに水分補給も済ませる。お茶。
「……」
「……」
火村さんは大きく息を吸って、顔をあげた。
「慣れないことしても、しょうがないか。5八金」
予想通り。
だけど、台詞の意味はわからなかった。
なにかと比較してたっぽいけど──深く考えても、意味はない。
私は8三角で、思いっ切り押し込む。
同龍、同桂成、同玉、7五桂、7二玉。
「5二銀ッ!」
挟撃。
「甘いッ! 4七角ッ!」
攻防か。
だけど、5二銀はそんなに甘くないわよ。
5三金はしばらくできない。
私は残り5分の持ち時間を投入。
継続手を考える。
……………………
……………………
…………………
………………ん? 意外とない?
私は背筋が伸びた。
……………………
……………………
…………………
………………いや、飛車を切ればいいのか。
残り3分を割ったところで、5八飛と切った。
火村さん、最後の長考。
ピッ
1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同歩成。
これは当然の一手。
私のほうは、9七桂と8三金の二択に。
9七桂は、いったん王様の逃げ場を作る手。
8三金は攻めながら角を消す手。
前者は受け、後者は攻め。
攻めは続かないと思う。
というのも、8三金、同角成、同桂成、同玉のあと、手がないからだ。
4七角の王手と金取りは、7四香の攻防が激痛。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これが詰めろ。6八金の一手詰め。
だから5八角と取るしかなくて、5六桂が再度詰めろ。
ジリ貧になる。却下。
だから9七桂──あれ?
……………………
……………………
…………………
………………9七桂でも寄るのでは?
5九飛の詰めろが、思ったよりしつこい。
いや、でも、なにか──
ピッ
1分将棋になった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8三金ッ!」
う、打ってしまった。
火村さんは30秒考えて、同角成。
以下、同桂成、同玉、4七角、7四香、8六飛、8四歩。
く、苦しい。だけど、まだ詰まない。
8六飛の効果で、5六桂は防げている。
私は5八角と取った。
火村さんは、5七角と置く。
「6八金」
必死の抵抗。
先手、詰む可能性も。
火村さんも、詰ませに来そうな雰囲気だった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
???
めちゃくちゃヒヨってくれた。
火村さん自身納得していないのか、あ~ッという感じでチェスクロを押した。
私は姿勢を正して、それから両手を椅子にそえた。
まだ大劣勢。でも、わずかに助かる余地ができた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7五歩。
香車の圧を緩和する。
同香、7六歩で殺しきった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
火村さんは滑り込ませるように、5九飛と打った。
4七角が王手……あッ、7四桂が飛車取りになっちゃう。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6九角ッ!」
火村さんはウンとうなずいて、5六桂と打った。
……………………
……………………
…………………
………………ダメだったか。
私は7五歩で、首を差し出した。
6八桂成、同銀、同馬、同玉、5七金、7七玉、6八銀。
あとは引いて行って終わり。
私はお茶を飲んだ。
持ち駒をそろえる。
「負けました」
「ありがとうございました」
う~ん、なんというか、終盤力。
私は感想戦を、
「全然足りてなかった?」
という質問で始めた。
「雰囲気、ダメよね」
「どこかで6六角と打つ筋もあるかな、と思ったんだけど」
【検討図】
火村さんは、んー、とつぶやいたあと、
「これも足りてなさそう」
と答えた。
やっぱりそうか。
具体例として、8四歩、9一飛、5三金。
ここで5八飛と切っても、同歩成が詰めろだから、かえって忙しくなる。
というか、先手の詰めろは、もうほとんどほどけない。
7六銀と上がっても詰むし、9七桂と跳ねても詰むからだ。
本譜のほうがいい、という結論になった。
そのあと中盤を調べていると、火村さんは、
「今日、全体的に攻めじゃなかった?」
とたずねてきた。
「え……まあ、5八金は攻めだな、と感じたけど」
「香子のほうよ」
私? ……攻めてたかしら?
「……たしかに、攻め将棋だったかな」
私は、でも、と言いかけた。
火村さんはそれを先回りした。
「香子はもとから攻め将棋だけど、今日のはなんか前のめりじゃなかった? 序盤から中央で激しかったし、終盤も寄せ一辺倒だったわよね?」
あ、うーん。
いつもの私なら、勘違いじゃない?、と返しそうな問いだった。
けど、今回は心当たりがあった。
「ちょっと積極的にいこうかな、と思って」
「もしかして王座戦を意識してる?」
図星だった。
「よくわかったわね」
「あたしも、いろいろ考えてるから。格上相手にどうするか、っていう」
ようやく合点がいった。
私が積極策を取ったのは、王座戦対策の影響だと思う。
本局では自覚してやったわけじゃないけど、無意識に出ていたのだろう。
私の対策の方針は、迷ったら攻め、だ。
格上から守り切るよりも、攻め倒すほうがすこしだけ簡単。
火村さんは、飛車をパシパシしながら、
「あたしも、ちょっとはムリ攻め控えたほうがいいのかなあ、って感じてる。速水との決勝は、攻めが完全に切らされちゃったし*。だけど、1ヶ月そこらで棋風改造なんて、できないでしょ。だから、そのままのほうがいいのかも。本譜の7一金とか2四角成は、なんからしくなかった」
と、自分語りをした。
「ひょっとして、5八金のところでも受けを考えてた?」
「そそ、8一香のほうが安全っぽくない?」
【検討図】
たしかに、こっちのほうが安全に見える。
火村さんは飛車を置いて、大きくのけぞった。
「ただ、飛車を詰ませられるのに詰まさないのは、ねえ……あ、これってただの飛車厨か」
*43手目 女王の貫禄
https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/44
場所:2017年度 秋季個人戦2日目 女子1回戦
先手:裏見 香子
後手:火村 カミーユ
戦型:後手ゴキゲン中飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5五歩
▲4八銀 △5二飛 ▲6八玉 △3三角 ▲5八金右 △6二玉
▲7八玉 △7二玉 ▲6八銀 △4二銀 ▲3六歩 △9四歩
▲9六歩 △6二銀 ▲4六歩 △5三銀左 ▲3七桂 △5四銀
▲5六歩 △5一飛 ▲5五歩 △同 銀 ▲4七銀 △5六銀
▲3三角成 △同 桂 ▲5六銀 △同 飛 ▲2四歩 △1五角
▲4八銀 △7六飛 ▲7七銀 △4六飛 ▲5五角 △5七歩
▲4六角 △5八歩成 ▲同 金 △5六金 ▲1六歩 △4六金
▲1五歩 △6四角 ▲2一飛 △5七歩 ▲6八金 △3一金
▲1一飛成 △3七金 ▲同 銀 △2二銀 ▲1二龍 △3七角成
▲1八飛 △2一銀 ▲同 龍 △同 金 ▲8六香 △3二金
▲9五歩 △4七馬 ▲9四歩 △7一金 ▲5三歩 △4二金
▲4四歩 △5三金 ▲4三歩成 △同 金 ▲7六角 △4二歩
▲9三歩成 △同 桂 ▲9四歩 △6四桂 ▲8三香成 △同 馬
▲9三歩成 △同 香 ▲同香成 △同 馬 ▲9四歩 △7六桂
▲9三歩成 △9八飛 ▲8八香 △6八桂成 ▲同 飛 △9三飛成
▲7五桂 △5八金 ▲8三角 △同 龍 ▲同桂成 △同 玉
▲7五桂 △7二玉 ▲5二銀 △4七角 ▲5八飛 △同歩成
▲8三金 △同角成 ▲同桂成 △同 玉 ▲4七角 △7四香
▲8六飛 △8四歩 ▲5八角 △5七角 ▲6八金 △2四角成
▲7五歩 △同 香 ▲7六歩 △5九飛 ▲6九角 △5六桂
▲7五歩 △6八桂成 ▲同 銀 △同 馬 ▲同 玉 △5七金
▲7七玉 △6八銀
まで134手で火村の勝ち




