416手目 とばっちり
むはーッ! 大谷雛、この件に関しては許すまじ。
巻きから結びまで、毎朝30分かけてるこのポニテ。
それをあろうことか、剣道の帰りにパパっと結んだものと比較する。
しかもそれより劣っている、と。
いくら親しい間柄だって、言っていいことと悪いことがあるでしょ。
「というわけで、火村さん、あなたを将棋で倒す」
「ぼ、ボ○ボボみたいな流れになってるけど、なにかあったの?」
かくかくしかじか。
話を聞き終えた火村さんは、ふむ、とうなった。
「それはひよこが悪いわ」
「でしょ」
「いくら友人をよいしょしたいからって、髪をくさすのはねえ」
くぅ、どうしてくれようか。
とはいいつつ、腕力でも口でも勝てないしなあ。
そもそもこの段階で喧嘩したら、部にメイワクがかかりそう。
いや、周囲へのメイワクを気にして、自己の尊厳を捨ててはいけない。
やはりこの個人主義の時代には──
「えー、準備はできてますでしょうか?」
だーッ、振り駒、振り駒。
歩が3枚で、私の先手。
「準備はよろしいですか? ……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
個人戦2日目、女子1日目、開幕。
私は7六歩と、角道を開けた。
3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5五歩、4八銀、5二飛。
【先手:裏見香子(都ノ) 後手:火村カミーユ(聖ソ)】
はい、対抗形。後手ゴキゲン。
1回戦で火村さんと当たったのは、くじ運が悪かった。
この怒りをぶつけて倒す。とばっちりとか知らん。
6八玉、3三角、5八金右、6二玉、7八玉、7二玉。
んー、先手に主導権があるのよね。
超速でもいいんだけど、それはかなり準備してそう。
ここは、試したい構想がある。
私は6八銀と上がった。
4二銀、3六歩、9四歩、9六歩と進める。
火村さんは、
「超速じゃないくさいわね。なんか企んでるでしょ?」
と言いながら、6二銀。
ここで4六歩。
火村さんは腕組みをして、この歩を睨んだ。
それから席をサッと立って、窓際へ移動。
うろうろし始める。
またその癖が復活してる。
と思いきや、わりとすぐに戻ってきた。
5三銀左。
今度は私が考える番になった。
さっきの局面は、色々手があったと思う。
3二金とか、8二玉とか、4四歩とか。
正確には計ってないけど、1分くらいで決断したっぽい。
もしかして、前例があった?
火村さんが離席するときって、本格的に悩んでるタイミングなのよね。
なぜ悩みが1分で解消したのか。
前例があることに気付いたからじゃない?
私は慎重になった。
3七桂、5四銀。
私はここで5六歩と反発した。
「単に……か」
ですね。2四歩~5六歩も4五桂~5六歩もあった。
今回は全部手抜き。
研究手順なのは、バレたはず。
同時に、火村さんが思い出したであろう前例からも、離れたっぽい。
というのも、この手にまた考え始めたからだ。
今度は席を立って、3分くらい戻ってこなかった。
しかも、戻ってきた理由が、近くのノイマンさんから、
「お姉さま、お行儀が悪いのです」
と、注意されたせいだった。
「はいはい」
「ハイは一回です、お姉さま」
保護者か。
着席した火村さんは、さらに30秒ほど考えて、5一飛と引いた。
うーん、最善くさい。
私は5五歩で押し込む。
同銀、4七銀、5六銀、3三角成。
どうですか、そろそろ構想が全貌を現してきた。
中央で全部清算してからの、2四歩。
これが止まらないという作戦。
火村さんは、同桂、5六銀、同飛、2四歩まで進めたところで、
「ちょっち後手が悪いかなあ」
と言いながら、1五角と打った。
そこ? 3九角の予定だった。
3九角、2九飛、5七銀のごり押しは、先手としても怖かったからだ。
この1五角は、狙いがすぐには見えてこない。
桂取りではあるけれど、そんなのは4八銀一発で止まる。
もうちょっとなにかあるはず。
「……」
いかん、よくわからない。
私はチェスクロを確認した。
残り時間は、先手が25分、後手が22分。
時間差を埋める作戦?
んー、そんなに単純では、ないと思う。
とはいえ、アクロバットに即死する罠では、なさそうだった。
「……4八銀」
火村さんは7六飛とスライドした。
7七銀でガードすると、4六飛と寄られた。
あー、そういうことか。
歩損させたうえで、ぐずぐずしてたら角を切りますよ、と。
次に3七角成~4九飛成がある。
これを4七歩で止めると、3六飛で先手の3歩損。
さすがに厳しくなってくる。
私は前傾姿勢になって、上半身を軽く揺らした。
真剣に読む。
火村さんは、その鋭い犬歯を見せて、
「さあ、どう対処する?」
と挑発してきた。
お静かに。
「……」
5五角かな。
3九銀と引っかけてきたら、無視して4六角と取る。
以下、2八銀不成、2一飛の打ち返し。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
金が浮いてるから、強力な反撃になっている。
割打ちは問題なし。
私は5五角と打った。
火村さんは、ノータイムで返してきた。
パシリ
んー、読みがズレる。
筋だけど、本命で読んでなかった。
と、困惑したのも束の間。
私は腰に手をあてて、姿勢を正した。
チャンスのような気がしたからだ。
だって、飛車取って金取られて、でしょ。
単純に駒得では?
シンプル過ぎて、逆に不安になってくる。
私は盤面全体を確認した。
……………………
……………………
…………………
………………あ、そっか。
総交換したあとに、5六金があるんだ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
一見、7九角と逃げればいいように見える。
でもそれは、4六銀と置かれて、微妙。
2七飛、5七歩と進んだとき、これを取れないのだ。
見落とし──ってほどでもないか。
この順でも、先手悪くなさそう。
ただなあ、受け一辺倒になるのよね。
切らせたら勝ちっていう順は、あんまり選びたくない。
アマだとそれで勝つのは難しい。
私はしばらく迷ったあと、この順は捨てることにした。
もうひとつ、有力なのがあったからだ。
とりあえず4六角と取って、5八歩成、同金、5六金を許容。
私は黙って1六歩と伸ばした。
そのまま交換しましょう。
盤上をお掃除して、いったん整理する。
火村さんは、この手にイヤそうな顔をした。
局面が単調になると、先手がいい。このことをわかっているからだ。
とはいえ、回避できない。火村さんは、応じざるをえなかった。
4六金、1五歩。
「6四角ッ!」
打ちなおしてきた、
私は2一飛で応戦。
「攻め合い攻め合ぃ! 5七歩ッ!」
さすが。
3七金、4一飛成、5二銀、1一龍、2八金は良くない。
これは後手駒得じゃないし、金がそっぽ。
私は6八金と逃げた。
3一金、1一飛成、3七金、同銀、2二銀。
閉じ込めコースか。
1二龍、3七角成、1八飛、2一銀。
龍が死んだ。正念場になった。
龍の処置には、複数ある。
2一龍と切るか、2二龍と切るか、切らずに放置するか、あるいは2三龍、同銀、同歩成で、と金を製造するか、それとも2三歩成、1二銀、同ととするか。
正直なところ、細かい差は計算しにくい。王様から遠いところで、ごちゃごちゃやることになるからだ。残り時間も、15分を切っていた。
私はそのうち1分使って、一番単純な順を選択。
2一龍。
同金に8六香と打った。
火村さんは表情を変えずに、この手をしばらく見つめた。
そして3二金。
3二金?
これまた冷静な……っていうか、この局面だと、冷静すぎる。
なにもしなかったら4二金と寄せますよ、ってことよね。
さすがにそれは許さない。
「9五歩」




