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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第65章 2017年度秋季個人戦2日目(2017年10月22日日曜)
430/496

416手目 とばっちり

 むはーッ! 大谷おおたにひよこ、この件に関しては許すまじ。

 巻きから結びまで、毎朝30分かけてるこのポニテ。

 それをあろうことか、剣道の帰りにパパっと結んだものと比較する。

 しかもそれより劣っている、と。

 いくら親しい間柄だって、言っていいことと悪いことがあるでしょ。

「というわけで、火村ほむらさん、あなたを将棋で倒すコロス

「ぼ、ボ○ボボみたいな流れになってるけど、なにかあったの?」

 かくかくしかじか。

 話を聞き終えた火村さんは、ふむ、とうなった。

「それはひよこが悪いわ」

「でしょ」

「いくら友人をよいしょしたいからって、髪をくさすのはねえ」

 くぅ、どうしてくれようか。

 とはいいつつ、腕力でも口でも勝てないしなあ。

 そもそもこの段階で喧嘩したら、部にメイワクがかかりそう。

 いや、周囲へのメイワクを気にして、自己の尊厳を捨ててはいけない。

 やはりこの個人主義の時代には──

「えー、準備はできてますでしょうか?」

 だーッ、振り駒、振り駒。

 歩が3枚で、私の先手。

「準備はよろしいですか? ……では、始めてください」

「よろしくお願いします」

 個人戦2日目、女子1日目、開幕。

 私は7六歩と、角道を開けた。

 3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5五歩、4八銀、5二飛。


【先手:裏見うらみ香子きょうこ都ノみやこの) 後手:火村カミーユ(聖ソ)】

挿絵(By みてみん)


 はい、対抗形。後手ゴキゲン。

 1回戦で火村さんと当たったのは、くじ運が悪かった。

 この怒りをぶつけて倒す。とばっちりとか知らん。

 6八玉、3三角、5八金右、6二玉、7八玉、7二玉。

 んー、先手に主導権があるのよね。

 超速でもいいんだけど、それはかなり準備してそう。

 ここは、試したい構想がある。

 私は6八銀と上がった。

 4二銀、3六歩、9四歩、9六歩と進める。

 火村さんは、

「超速じゃないくさいわね。なんか企んでるでしょ?」

 と言いながら、6二銀。

 ここで4六歩。


挿絵(By みてみん)


 火村さんは腕組みをして、この歩を睨んだ。

 それから席をサッと立って、窓際へ移動。

 うろうろし始める。

 またその癖が復活してる。

 と思いきや、わりとすぐに戻ってきた。

 5三銀左。

 今度は私が考える番になった。

 さっきの局面は、色々手があったと思う。

 3二金とか、8二玉とか、4四歩とか。

 正確には計ってないけど、1分くらいで決断したっぽい。

 もしかして、前例があった?

 火村さんが離席するときって、本格的に悩んでるタイミングなのよね。

 なぜ悩みが1分で解消したのか。

 前例があることに気付いたからじゃない?

 私は慎重になった。

 3七桂、5四銀。

 私はここで5六歩と反発した。


挿絵(By みてみん)


「単に……か」

 ですね。2四歩~5六歩も4五桂~5六歩もあった。

 今回は全部手抜き。

 研究手順なのは、バレたはず。

 同時に、火村さんが思い出したであろう前例からも、離れたっぽい。

 というのも、この手にまた考え始めたからだ。

 今度は席を立って、3分くらい戻ってこなかった。

 しかも、戻ってきた理由が、近くのノイマンさんから、

「お姉さま、お行儀が悪いのです」

 と、注意されたせいだった。

「はいはい」

「ハイは一回です、お姉さま」

 保護者か。

 着席した火村さんは、さらに30秒ほど考えて、5一飛と引いた。

 うーん、最善くさい。

 私は5五歩で押し込む。

 同銀、4七銀、5六銀、3三角成。


挿絵(By みてみん)


 どうですか、そろそろ構想が全貌を現してきた。

 中央で全部清算してからの、2四歩。

 これが止まらないという作戦。

 火村さんは、同桂、5六銀、同飛、2四歩まで進めたところで、

「ちょっち後手が悪いかなあ」

 と言いながら、1五角と打った。


挿絵(By みてみん)


 そこ? 3九角の予定だった。

 3九角、2九飛、5七銀のごり押しは、先手としても怖かったからだ。

 この1五角は、狙いがすぐには見えてこない。

 桂取りではあるけれど、そんなのは4八銀一発で止まる。

 もうちょっとなにかあるはず。

「……」

 いかん、よくわからない。

 私はチェスクロを確認した。

 残り時間は、先手が25分、後手が22分。

 時間差を埋める作戦?

 んー、そんなに単純では、ないと思う。

 とはいえ、アクロバットに即死する罠では、なさそうだった。

「……4八銀」

 火村さんは7六飛とスライドした。

 7七銀でガードすると、4六飛と寄られた。

 あー、そういうことか。

 歩損させたうえで、ぐずぐずしてたら角を切りますよ、と。

 次に3七角成~4九飛成がある。

 これを4七歩で止めると、3六飛で先手の3歩損。

 さすがに厳しくなってくる。

 私は前傾姿勢になって、上半身を軽く揺らした。

 真剣に読む。

 火村さんは、その鋭い犬歯を見せて、

「さあ、どう対処する?」

 と挑発してきた。

 お静かに。

「……」

 5五角かな。

 3九銀と引っかけてきたら、無視して4六角と取る。

 以下、2八銀不成、2一飛の打ち返し。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)


 金が浮いてるから、強力な反撃になっている。

 割打ちは問題なし。

 私は5五角と打った。

 火村さんは、ノータイムで返してきた。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 んー、読みがズレる。

 筋だけど、本命で読んでなかった。

 と、困惑したのも束の間。

 私は腰に手をあてて、姿勢を正した。

 チャンスのような気がしたからだ。

 だって、飛車取って金取られて、でしょ。

 単純に駒得では?

 シンプル過ぎて、逆に不安になってくる。

 私は盤面全体を確認した。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あ、そっか。

 総交換したあとに、5六金があるんだ。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 一見、7九角と逃げればいいように見える。

 でもそれは、4六銀と置かれて、微妙。

 2七飛、5七歩と進んだとき、これを取れないのだ。

 見落とし──ってほどでもないか。

 この順でも、先手悪くなさそう。

 ただなあ、受け一辺倒になるのよね。

 切らせたら勝ちっていう順は、あんまり選びたくない。

 アマだとそれで勝つのは難しい。

 私はしばらく迷ったあと、この順は捨てることにした。

 もうひとつ、有力なのがあったからだ。

 とりあえず4六角と取って、5八歩成、同金、5六金を許容。

 私は黙って1六歩と伸ばした。


挿絵(By みてみん)


 そのまま交換しましょう。

 盤上をお掃除して、いったん整理する。

 火村さんは、この手にイヤそうな顔をした。

 局面が単調になると、先手がいい。このことをわかっているからだ。

 とはいえ、回避できない。火村さんは、応じざるをえなかった。

 4六金、1五歩。

「6四角ッ!」

 打ちなおしてきた、

 私は2一飛で応戦。

「攻め合い攻め合ぃ! 5七歩ッ!」


挿絵(By みてみん)


 さすが。

 3七金、4一飛成、5二銀、1一龍、2八金は良くない。

 これは後手駒得じゃないし、金がそっぽ。

 私は6八金と逃げた。

 3一金、1一飛成、3七金、同銀、2二銀。

 閉じ込めコースか。

 1二龍、3七角成、1八飛、2一銀。


挿絵(By みてみん)


 龍が死んだ。正念場になった。

 龍の処置には、複数ある。

 2一龍と切るか、2二龍と切るか、切らずに放置するか、あるいは2三龍、同銀、同歩成で、と金を製造するか、それとも2三歩成、1二銀、同ととするか。

 正直なところ、細かい差は計算しにくい。王様から遠いところで、ごちゃごちゃやることになるからだ。残り時間も、15分を切っていた。

 私はそのうち1分使って、一番単純な順を選択。

 2一龍。

 同金に8六香と打った。


挿絵(By みてみん)


 火村さんは表情を変えずに、この手をしばらく見つめた。

 そして3二金。

 3二金?

 これまた冷静な……っていうか、この局面だと、冷静すぎる。

 なにもしなかったら4二金と寄せますよ、ってことよね。

 さすがにそれは許さない。

「9五歩」

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