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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第61章 2017年度秋季団体戦2日目(2017年10月1日日曜)
413/496

400手目 一難去って

 電電理科大学で解散した私たちは、三々五々になった。

 飲みにいくひと、帰宅するひと、遊びにいくひと。

 私と大谷おおたにさん、それに松平まつだいらの3人は、九段下に残った。

 近くのファミレスで、緊急会議。

 大谷さんは、

「本日はお疲れ様でした。自力昇級にむけて、大きな一歩だったと思います」

 と、私たちをねぎらった。

 でも、すぐに話題を変えた。

「しかしながら、課題が残る一日でもありました」

 松平は、もうしわけなさそうに、

「すまん、このタイミングで不調になると思ってなかった」

 と謝った。

「調子が優れないという評価で、よろしいのですか?」

「ああ、競って負け、じゃなくて、見落としが出る」

 私の不調のパターンと、いっしょか。

 というか、プロの不調も、だいだいこのパターンだと思う。

 普段なら見える手が見えなくなって、いきなり負けになる、と。

 大谷さんは、

「松平さんの調子が来週どうなるか、見極めてからに致しましょう。もうひとつの問題のほうが、急を要します」

 と続けた。

 もうひとつの問題──愛智あいちくんの位置づけだ。

 大谷さんは、

京浜けいひん戦に鑑みて、愛智さん対策が露骨にとられていることは、ほぼ間違いないように思います」

 と前置きした。

 私と松平も、うなずいた。

 観戦に回っていた松平は、

「序盤から研究局面に誘導されて、中盤では愛智がすでに悪かった」

 と伝えた。

 私も、

「さっき、1回戦から5回戦までの棋譜を、もう一回見てみてみたの。全校、そういう対策をとってるみたい」

 とつけくわえた。

 都ノみやこのには、大会の棋譜を集めたファイルがある。

 重要な対局を偵察して、こつこつ収集したものだ。

 こういうファイルは、他の大学にもあるはずだった。

 愛智くんの棋風はそこから漏れて、あれこれ研究されてるっぽい。

 じゃあ、大谷さんと風切かざぎり先輩は、なんでマークされていないのか、という点だけど、ふたりの棋力が高すぎて、対策の効率が悪いと判断されているのだろう。

 大谷さんは、

「3人の意見が一致したので、あとで愛智さんにお伝えしておきます。愛智さんがそれをどうお考えになられるのかは、未知数なところもありますが、数日あれば、対策の取りようもあるかと」

 と提案した。

 私たちはそれに賛成した。

 一難去って、また一難。

 私のスランプ脱出は、ギリギリ間に合った、という感じ。

 あれだけベストなオーダーで4-3だと、残りもキツい。

 大谷さんは、紙ナプキンに、対赤学あかがくのオーダーを書き出した。


 青葉 裏見 車田 大谷 風切 愛智 松平


「当初の予定はこれでしたが、いかがなさいますか?」

 このシフトは、vsわきを避ける並びだ。

 脇くんは、1番席か2番席が中心。

 下へ思いっ切りズラして、4番席から7番席までで4勝を目指す。

 松平は、

「脇は、読んでくると思う。4番席に来るんじゃないか?」

 と指摘した。

 私は、

「それはそれで、問題なくない? 上に当て馬が来るし」

 と返した。

 松平も納得した。

「赤学は、まだ層が薄い。やっぱり立志りっし戦がキモだな」

 大谷さんは、立志戦で予定していたオーダーを書き出した。


 裏見 大谷 風切 愛智 平賀 松平 南


 大谷さんは、

「松平さんの調子が戻らない場合、星野ほしのさんと交代していただきます」

 と言って、書き変えた。


 裏見 大谷 風切 愛智 平賀 星野 南


 私たちは、しばらくのあいだ、オーダー表とにらめっこした。

 現状を整理する。

 立志は、ベストオーダーを強さ順で並べると、


 4 3 5 1 6 2 7


 たぶん、こう。

 そのままこっちのベストメンバーを当てたら、立志のエースvs風切先輩が実現する。もちろん、立志はこれを避けたいはず。都ノは下にずらしにくくて、上にずらしやすい。立志にもこれは簡単に分かるから、エースを6番席にずらして、上のほうを薄くするんじゃないか、と。一例として、


 9 4 8 3 5 1 2


 これ。風切先輩が6番席まで追っかけるには、青葉あおばくん、車田くるまだくん、三宅みやけ先輩を同時に出さないといけないから、むずかしい。だから立志としては、安心してずらせる。

 ところが今は、こうしてこないんじゃないか、という予想にシフトしてきた。

 理由は、今日の結果だった。

 松平は、

「京浜戦は、ベストオーダーで4勝しかできなかった。立志も気づいたと思う。だとすれば、普通に圧殺路線で来る可能性も出てきた。さっきの並びだと、立志が上4枚で全敗する可能性があるし、俺たちの狙いもそれだった」

 と、まとめた。

 大谷さんは、

「仮にこの予想通りでくるとしても、3番手の波光はこうさんに愛智さんが勝てるかどうか、ややおぼつかないように思います。イチから練り直すのが妥当かと」

 私たちは無言になった。

 自力優勝の芽は出てきた。

 でも、気持ちは楽にならない。

 松平は、前髪をくしゃくしゃにしながら、

「俺も調子を戻すように努力するし、みんなでがんばるしかないな」

 と言って、注文のボタンを押した。


  ○

   。

    .


 翌日、私は部室から経済学部棟まで、走っていた。

 ゆっくりしていたら、時間を読み間違えた。

 小規模の講堂だから、遅れると目立つのだ。

 息を切らせて到着したときには、開始1分前になっていた。

 いつもの席に座る。

 前から6列目の、窓に近いほう。

 粟田あわたさんも、先に来ていた。

 私はとなりに座りながら、

「セーフ」

 と言った。

 ちょうどチャイムが鳴った。

 先生は、まだ来ていなかった。

香子きょうこちゃん、どうしたの? 寝坊?」

「部活」

「そんなに忙しいの?」

 まあ、実感が湧かないとは思う。

「大会中だから、はいご自由に、とはいかないの」

「あ~、麻雀でも大会はめんどうだからね」

 伝わったのか、伝わらなかったのか、よくわからない。

 ま、いっか。

 小物を取り出していると、粟田さんは、パッと思い出したように、

「そうだ、ゼミの説明会って、どことどこ見る?」

 と訊いてきた。

 私は手が止まった──完全に失念していた。

 都ノ大学では、3年生からゼミナールに所属する。

 強制じゃないけど、ほとんどの学生は応募する。好きなことが勉強できるから、というひともいれば、他の科目で単位を埋めるのが面倒、というひともいる。

 どういうゼミがあるのかは、すでに教務課から発表されていた。

「んー、気になってるのは、ちらほらあるんだけど……粟田さんは?」

「私は河合かわいゼミが第一希望」

 カワイ──行動経済学のひとか。

 あれって、再現性がどうのこうので、最近揉めてる分野よね。

 個人的には、計量系のほうが好み。

 そのことを伝えると、粟田さんは、

「数理モデルを作っても、現実とマッチしてる感じがしなくない?」

 と首をかしげた。

「現実とマッチしてるかどうか、そういうのが議論できてる時点で、ちゃんとした科学だと思わない? オカルトは、そもそも検証のしようがないから」

 もっともらしい説明とか、もっともらしい理屈とか、そういうのは感覚の問題。

 まちがってると言えるのは、ある意味では重要なのだ。

 でも、粟田さんは、

「そうかなあ。まちがってるとかまちがっていないとか、そういうのもあとでころころ変わるよね?」

 と、あんまり納得していなかった。

 こういうのは神学論争になるから、やめておく。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あれ? 先生が来ない。

 開始のチャイムから、5分以上経っていた。

 どうしたのかしら──あ、だれか来た。

 教務課の窓口で、よくみかける男性だった。

荒川あらかわ先生の国際金融論は、休講になりました」

 だーッ! 走ってきた意味ッ!

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