393手目 執念の終局図
同歩、同角、3九玉、2三銀。
中原さんは、すぐには4三金と置かなかった。
さっきの5五角以下の筋を、避けたみたい。
3九玉とされたから、もう3六桂の王手は狙えない──ん? となりから声が。
「千日手ですよね?」
「はい」
1番席の三浦vs青葉は、千日手の模様。
駒を並べなおす音が聞こえた。
中原さんもそちらをチラ見したあと、動いた。
「4三金」
ここで入れてきたか。
私は6二角と撤退。
中原さんは5四歩と伸ばした。
4二歩か、4五香。
受けか、攻めか。
4五香は、一見するとうまくいかないように見える。というのも、5六銀、4九香成、同飛で、飛車が復活してしまうからだ。
でもでも、4九香成の前に8八歩成なら、どう? 同飛、4九香成、同玉は、金香交換で駒得。そのあとで4二歩と押さえる。
4五香と打たずに4二歩はできない。それは5三歩成、同銀、同金、同角、4六角、4五香、9一角成、8八歩成に、5九飛と寄る手が生じてしまう。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
じゃあ、4五香、5六銀、8八歩成の順でもいっしょじゃないか、という疑問。そうはならない。この場合は、8八歩成、5九飛、4二歩で、先手が困る。金を逃げられないからだ。以下、4五銀、4三歩で、金が消滅する。これは後手有利。
私は検討した結果、4五香と打った。
5六銀、8八歩成。
中原さんの手が止まった。
うーんとうなって、目を閉じ、後頭部をかく。
端攻めをしたものの、決め手がなかなかなくて、焦れてきたのかしら。
「……4五銀」
飛車を放置ッ!
私は一瞬、混乱した。
けど、中原さんがチェスクロを押す音と同時に、狙いに気づいた。
先手陣は飛車に強い。だから飛車を渡して、そのあいだに攻め倒そう、だ。
多分間違いない。
今度は私の手が止まった。先手のこの対応は、読んでいなかった。
「……」
んー、そんなにいい方針じゃ、なくない?
確かに先手は飛車打ちに強い。
けど、このまま攻め切るのは、無理っぽいような?
例えば、8九と、4四銀に3二金と一回受ければ、清算できる。
後手は飛車を下ろせない。でも、そのぶん他の手に回せる。このことを、中原さんは見落としている気がした。私は飛車を打てないだけで、一手パスしないといけないわけじゃない。
残り時間は、先手が5分、後手が4分。
私は切り上げどきと見て、8九とと取った。
4四銀に3二金と返す。
5三歩成、同銀、同銀成、同角、同金。
どや、切らせましたよ。
私は攻めに転じる。7七歩成。
中原さんは、端攻めに続く第二波を通せなかった。
いったんは受けに回った。
同歩、4八歩、5九金寄、5六桂、4六角、7七飛成。
よし、飛車成りまでこぎつけた。こっちも長かった。
先手は5五角で、覗いてくる。3三銀で遮断。
4二銀、2一桂。
中原さんは、それまでの控えめな指し手から一転、大きく腕を動かした。
「3三角成」
切った。
え? 寄るってこと?
ちょっと不安になる。
同桂……4三銀あたり?
寄らないんじゃないかしら。
そりゃ、4三銀に受けなかったら寄るけど、5五角くらいで……ん?
5五角はダメっぽい? 3二銀成、同玉、3三銀成、同角、4三金打。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これはさすがにマズい。
もしかして、また見落とし?
私は口もとに手を当てて、猫背になった。
今のは受け方が悪かったと思う。っていうか、そう信じたい。
「……」
ピッ
ぐッ、ここで1分将棋。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は同桂と取った。
4三銀に3五歩と伸ばす。
これが広いはず。
中原さんは、目を細めた。
この手を読んでいなかったようだ。
ピッ
中原さんも1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3二銀成。
第三波も止めますッ! 同銀ッ!
3四角、2三角、1五香、1四歩、同香、1三歩、2三角成、同玉。
こ、これでもきわどい。
中原さんは6五角。
放置は3二角成から寄ってしまう。私はいったん1四歩で、端を緩和する。
4七香、4九歩成、同金、4五歩。
中原さんは、かまわず同香と走った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同桂ッ!」
これが詰めろ。
3二角成、同玉、3三金、2一玉、3二銀、1一玉、2三銀成の瞬間、1七角、同桂、1九飛、2九角(合駒がこれしかない)、2八銀、同玉、1七桂成で詰み。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3二角成、同玉、3三金、2一玉、3二銀、1一玉。
中原さんは、まっすぐに腕を伸ばして、歩を打った。
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………歩が利くじゃん。
……………………
……………………
…………………
………………錯覚してた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「ま、負けました」
「ありがとうございました」
私はショックで目を閉じた。
しばらく沈黙する。
負けの内容が、あまりにも酷すぎた。
「……終盤、どっちが勝ってました?」
中原さんは、うーんと言って、頬をかいた。
「正直、よくわかんなかった。もうちょっと早く寄せられた気もする」
中原さんは、先手が途中で攻め損ねた、という評価だった。
具体的な手順として、1三歩と止められたとき、2三角成じゃなくて、そのまま香車を切ればよかった、と。
【検討図】
「同玉、1四歩で、同玉だと詰むことに、あとで気づいたんだよね。2二玉に1五香と控えて打てば、後手は受けなしなんじゃないかな。これも後で気づいたけど」
そっか、そう言われてみると、あの時点で負けだったかもしれない。
とはいえ、本譜は中原さんがミスっている。
後手がうまく対応し続ければ、逆転できただろう。
悔いの残る一局になってしまった。
そのあと私たちは、詰みの周辺も調べた。
4五同桂が致命傷で、跳ねなければ詰みは発生しなかったみたい。
「打って打って止めて、ですか?」
【検討図】
「それは成ってオッケーじゃないかな?」
「そこで4五香と反撃します」
中原さんは、黙って4七歩と置いた。
私は1八に飛車を打つ。
「……ダメっぽいですね」
「僕のほうは寄りがないからね」
んー、そうか、だったらもっと前で修正しないと──
私が反省する中、だんだんと周囲にひとが集まってきた。
同じ長テーブルの左、1番席のほうに偏っている。
この気配はマズい。私は近くに都ノの部員をさがした。
平賀さんを見つけた。座ったまま、腕を伸ばしてそでを引く。
「なんですか?」
「どうなってるの?」
「今3-3です。暖のところで決まります」
ぐはッ、またそんな流れか。
私は席を立って、1番席を覗き込んだ。
【先手:三浦義樹(川越) 後手:青葉暖(都ノ) ※千日手指し直し局】
これは……敗勢くさくない?
今日は形勢判断に自信がない。
けど、他のメンバーも、あんまり表情が明るくなかった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
青葉くんは6九銀不成と入った。
三浦さんは、この銀をしばらく見つめる。
茶髪で、ふっくらした顔のひとだった。
詰めろだけど……後手が詰みそう。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
4一と。
青葉くんは59秒まで考えて、5二桂。
この瞬間、となりにいた風切先輩は、
「青葉は詰みに気づいてない」
とつぶやいた。
「やっぱり詰んでます?」
「3一角から詰む……ただ、相手も気づいてない可能性がある」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3一角。
ダメくさい。
2三玉、3五桂、3三玉、4二角成、4四玉、4三金、4五玉。
ん? ん? ……逃れた?
周囲の空気が変わった。
風切先輩は、怪訝そうな表情。
たぶん、詰んでいたのは間違いない。
詰まさなかったから、第三者視点で困惑しているのだろう。
一方、あからさまに喜んでるのが、平賀さんと穂積さん。
穂積お兄さんは、よくわかってない感じだった。
川越チームの何人かも、寄せ損ねに気づいたらしく、険しいムード。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3七金。
先手は入玉阻止に動く。
3六銀成、4七歩、3五玉、5三馬、4四桂打、3六金。
風切先輩は、
「先手はなにをしてるんだ? 入玉されるぞ?」
と混乱していた。
自分のチームを応援してください。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同玉、5四馬、4七玉、4五歩。
この瞬間、先手がなにを考えているのかわかった。
7八馬~8七金の詰めろを気にしすぎたんだ。
馬筋の遮断を優先してしまって、寄せに集中できなかったっぽい。
だとしたら、青葉くんの6九銀不成は好手だった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
8八金、同玉、8六飛。
あ、ちょ、ま。
平賀さんは、
「アクセル踏みすぎ~」
と悶絶した。
ご、5六金くらいでよかったのでは。
外野の雰囲気が、また変わった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
8七金、7八金、9七玉、8四飛。
残念だけど、さすがに決めきれない。
先手に手番が回った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
先手は金を入手されるのを嫌った。
自陣を気にし続けている。
もっとも、現段階ではしょうがない。後手玉は捕まらないからだ。
青葉くんは、真剣な表情で読んでいる。少し苦しそう。
遠回りに包囲すればいいんだけど、直接的な寄せを見ている感じがした。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
9五歩。
平賀さんは、
「暖、焦っちゃダメ。5八銀成くらいでいいんだよ」
と、ハラハラ。
同歩、同香、9六歩、8六歩、同金、7七金。
き、決めに出た。
第一感、足りない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同銀、8五桂打、8八玉、7七桂成、同玉、6五歩。
風切先輩は、
「マズいな。5九桂、4八玉、4七金だと、入玉も怪しくなる」
と、後手劣勢の評価をくだした。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
違う手が指された。
風切先輩レベルの形勢判断は、通用しなくなっている。
これはもうわからない。
8八銀、8七玉、7九銀成、8八金、8五歩、同金、同飛。
青葉くん、しゃにむに攻める。
8六歩、8四飛、7七銀、7八金、5五馬、8八金、同玉。
け、けっこうきわどくなってきた?
7八銀不成、8七桂、8九成銀、9七玉、9九成銀、8八金、9八金。
……イケそうじゃない?
他のテーブルは、すべて終局。この会場最後のカードになった。
聖ソと赤学、立志と京浜の学生も、観戦に参加していた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同金、9六香、8八玉、6七銀成、同歩、9八香成、7八玉。
先手は右への脱出に、望みを賭けた。
3五馬、4六銀、同馬、同馬、同玉、5八金、8九銀、6九玉。
後手勝ちだ。
周りの空気も、その結論で一致していた。
4七歩、5七角、3七玉、4八銀、同歩成、同金、2八玉。
お願い、ここまできて頓死はナシ。
4六角、3九玉、5九玉、2六角。
風切先輩は、大きく息をついた。
「今のは5八歩で詰みだったが、さすがになんでもいい。青葉、よくやったよ」
3七歩、3六桂、4九金、2九玉。
先手は完全に手がなくなった。
けど、投げきれないようだ。
三浦さんは、何度も首をかしげた。
6八銀という、将棋としては無意味な手が出る。
7八金、5八玉、5六金。
凄い。絶対に負けないという、執念の終局図だ。
青葉くんはチェスクロを押したとき、顔が紅潮していた。
三浦さんは肩を落とし、深く深く嘆息した。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
場所:2017年度 秋季団体戦1日目 3回戦
先手:中原 能
後手:裏見 香子
戦型:先手四間飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △8四歩 ▲6八飛 △8五歩
▲7七角 △1四歩 ▲1六歩 △4二玉 ▲3八銀 △6二銀
▲7八銀 △7四歩 ▲4八玉 △5四歩 ▲3九玉 △3二玉
▲2八玉 △3三角 ▲6七銀 △5二金右 ▲5八金左 △4四歩
▲5六歩 △2二玉 ▲6五歩 △5三銀 ▲7八飛 △6四歩
▲7五歩 △同 歩 ▲6八角 △7二飛 ▲5七角 △3二銀
▲7五角 △7四歩 ▲5七角 △8六歩 ▲同 歩 △6五歩
▲7七桂 △6四銀 ▲6五桂 △4五歩 ▲6六歩 △7五歩
▲4六歩 △8七歩 ▲7三歩 △同 桂 ▲同桂成 △同 飛
▲4五歩 △8八歩成 ▲同 飛 △7六歩 ▲7八歩 △4二金寄
▲8九飛 △5五歩 ▲6八角 △7四飛 ▲8五歩 △8七歩
▲1五歩 △同 歩 ▲2六桂 △4三金 ▲1四歩 △2四歩
▲1三歩成 △同 桂 ▲1四歩 △2五桂 ▲1三歩成 △同 香
▲5五歩 △2三銀 ▲1四歩 △同 香 ▲同 桂 △同 銀
▲4四香 △同 金 ▲同 歩 △同 角 ▲3九玉 △2三銀
▲4三金 △6二角 ▲5四歩 △4五香 ▲5六銀 △8八歩成
▲4五銀 △8九と ▲4四銀 △3二金 ▲5三歩成 △同 銀
▲同銀成 △同 角 ▲同 金 △7七歩成 ▲同 歩 △4八歩
▲5九金寄 △5六桂 ▲4六角 △7七飛成 ▲5五角 △3三銀
▲4二銀 △2一桂 ▲3三角成 △同 桂 ▲4三銀 △3五歩
▲3二銀成 △同 銀 ▲3四角 △2三角 ▲1五香 △1四歩
▲同 香 △1三歩 ▲2三角成 △同 玉 ▲6五角 △1四歩
▲4七香 △4九歩成 ▲同 金 △4五歩 ▲同 香 △同 桂
▲3二角成 △同 玉 ▲3三金 △2一玉 ▲3二銀 △1一玉
▲1二歩
まで145手で中原の勝ち




