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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第59章 香子ちゃん、北の大地へ(2017年8月22日月曜)
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386手目 二次会

 10分後、私たちはファミレスにいた。

 私と大谷おおたにさんと速水はやみ先輩の3人だけ。

 コーヒーを注文して、奥の4人席に腰を下ろしていた。

「あの……よかったんですか? 他の人たちは、二次会みたいですけど……」

 主役がいないと、困るんじゃないかしら。

 私の心配をよそに、速水先輩は、

「30分ほど知り合いと会う、って伝えてあるから、平気。どうせ三次会もあるし」

 と答えた。

 なるほど……ん? 全然なるほどじゃない。

 大谷さんは、

「その言いかたですと、なにか特別なご用件があるかのようですが」

 と言った。

 そうよね、そんなウソをついてまで、私たちに声をかけるなんて。

 速水先輩は、コーヒーを片手にうなずいた。

聖生のえるについて、ちょっと言っておきたいことがあったの」

 ストレートな物言い。

 私は身構えた。

 速水先輩は、くすりと笑った。

「大したことじゃないわ……これまでのあなたたちの努力を、ひっくり返しちゃうことにはなるけど……聖生のえるはもう死んでるのよ」

 私は言葉が出なかった。

 失望したわけじゃない。むしろホッとしたくらいだ。

 私が無言になったのは、なぜ速水先輩がそのことを知っているのか、そして、なぜ私たちに伝える気になったのか、この2点だった。

 こちらから訊くまでもなく、速水先輩は先を続けた。

「あなたたちが聖生のえるを追っかけてることは、知ってる。なぜ、と訊かれたら、困るんだけど、そこは部外秘ということで。あなたたち、けっこうなところまで、行き着いたみたいね……あ、答えなくてもいいから。情報を抜く気はないし」

 大谷さんは、やや警戒しつつ、

「拙僧たちよりもずっと深くご存じだから、ですか?」

 とたずねた。

 速水先輩は、悪びれたそぶりもなく、そうだと答えた。

「私は中学生のときから、聖生のえるについて調べてるの」

「それはまた、意外なご発言ですが……」

「正確に言うと、興味があった、かしら。父のことは知ってるでしょう」

 大谷さんは、首を縦に振った。

 S台高検の検事長で、旧日円にちまる銀行の不祥事を調べていた人だ。

「こどもの頃、父は一度だけ、あの事件のことを語ったわ。酔ってたんでしょうね。私と違って、アルコールに強くなかったから……当時の父は、他殺だと読んでたのよ。だったら、未解決事件ね。こどもの頃の私は、ミステリ好きだったから、自分で解いてやろうと思ったの」

 速水先輩は、どういう手順で調べたのか、それも教えてくれた。まず、新聞なんかの記事を集めて、情報収集。これには限界があったけど、私たちより、ずっと詳しく知っているっぽかった。古い事件だと、こういうことはよくある。紙媒体の情報が、ネットに全部転載されたわけじゃないからだ。

 高校生になると、お父さんのツテで、何人かのヤメ検と知り合った。ヤメ検というのは、検事を退職したあと、弁護士や企業の顧問になる人。そのうちのひとりが、日円銀行の事件に関係していて、内部情報をちらほら教えてくれたらしい。

「でね、けっきょく自殺だったみたいなの」

 大谷さんは、ややおどろいたようすで、

「確かなことですか?」

 とたずねた。

「まるで他殺を期待してたみたいね」

「いえ……速水さんもご存知かと思いますが、不審死という報道があったはずです」

「週刊誌の、ね」

「デマという確信がおありですか?」

「現場のマンションは密室で、関係者が出入りした形跡はナシ。利益供与に関するデータも、寝室に残っていたの。さがせばすぐ見つかる場所にね」

 大谷さんは、それ以上追及しなかった。

 代わりに、私は尋ねたいことがあった。

「失礼な言いかたかもしれませんが……それを伝えるために、声をかけたんですか?」

聖生のえるは自殺した。この結論じゃ不満?」

「いえ、そういうわけじゃ……え? 聖生のえるが自殺?」

 聖生のえる=日円銀行の秋庭あきにわ専務ってこと?

 速水先輩は、どうやらそう考えているらしかった。

「私の推理は、こうよ。聖生のえるは日円銀行に就職して、違法な資金のロンダリングをしていた。自分が支店長から専務になるまで、コトはうまくいった。ところが、思わぬ方向から穴が開いた。総会屋事件が起きて、資金のやりとりを調べられることになってしまった。聖生のえるは他のメンバーをかばうため、自殺した」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 私たちの情報と、なにも一致してなくない?

 聖生のえるはH海道出身で、海外にいたのでは?

「その顔だと、納得していないみたいね」

「いえ、そういうわけでは……」

 ここで、大谷さんが割り込んだ。

「その場合、都ノみやこのに現れた聖生のえるは、何者なのですか?」

「模倣犯でしょ。私はそれも追いかけてたけど、タイムアップね。司法試験の勉強で、忙しくなるし……あなたたちが代わりに解決するなら、邪魔しないわ」

 速水先輩はそう言って、にこやかに笑った。

 その笑みに、なぜか私は冷たいものを感じた。

 どう答えるか迷う。そんな中、速水先輩のスマホが振動した。

「っと、そろそろ行かなきゃ。みんながお待ちかねみたい」

 速水先輩は、伝票を拾い上げた。

 アッとなって、私は腰を浮かせた。

「面談料」

「……ごちそうさまです」

 速水先輩は、お会計を済ませると、すぐにファミレスを出て行った。

 夜の闇に消えていく。窓ガラス越しに、私たちは見送った。

 私はしばらく呆然としたあと、胸をなでおろした。

「いきなり聖生のえるの話で、びっくりしちゃった」

「……」

 大谷さんは、コーヒーカップを見つめたまま、沈黙していた。

「……裏見うらみさんは、さきほどのお話について、どのように思われましたか?」

 唐突な感想タイム。

 私は考え込んだ。

「んー……なんだかあっけなかったな、って感じ」

「拙僧は、雑に感じました」

「雑?」

「推理の内容が、まるでその場の思いつきでした」

 そう言われてみると、冴えがなかったような。

 ロジックが飛躍してたし、根拠もあやふやだった。

「まあ……一番情報源に近そうだし……」

「速水さんは、敢えてウソの推理を述べられたのでは?」

 ウソの推理? 意味がわからない。

 私は率直にそう伝えた。

 大谷さんは、なにか言いかけた。

 けど、それよりも早く、別の女性の声が聞こえた。

「あんたたち、なにしてたの?」

 うわぁ!

 ふりかえると、火村ほむらさんが立っていた。

 いったいいつ接近してきたのか、全然わからなかった。

 悲鳴をあげかけたくらいだ。

 私は、

「どうしたの?」

 とたずねた。

「質問を質問で~、って状況でもないか。あんたたちが速水といなくなったから、ちょっと尾行したのよ」

 そういうストーカーみたいなことをしない。

 私はあきれてしまった。

「で、香子きょうこたちは、なにしてたの?」

 私と大谷さんは、顔を見合わせた。

 火村さんも聖生のえる探偵団みたいなものだし、洗いざら話した。

 火村さんは、向かいの席に座って、トマトジュースを飲みながら、ひとこと、

「またくだらない演技ね」

 と言った。

 私は、どういう意味かとたずねた。

「ひよこの意見が正しいわ。意図的なデマね」

「どこからどこまでが?」

「んー……それはわかんない」

 ずっこける。

 火村さんは、グラスを置いた。

「とりあえず、今はそんなことしてる場合じゃないでしょ」

「え? なにか優先事項があるの?」

「団体戦よ、団・体・戦」

 あ、そっか。

 忘れてたわけじゃない。

 今の文脈から離れすぎてて、思い当たらなかったのだ。

 火村さんは腕組みをして、

「昇級枠は1コしかないんだから、がんばんなさいよ」

 と、発破をかけてきた。

「2コでしょ?」

「チッチッチッ、ひとつはうちで決まってるから」

 はいはい、言うだけなら、だれでもできる。

 とはいえ、火村さんのひとことで、もとの道にもどれた。

 私たちの目標は、聖生のえるを捜すことじゃない。

 王座戦に出場すること。

 そのためには、Aに上がるのが近道だ。

 私たちは決意を新たにして、ファミレスを出た。

 それでは、秋の団体戦に向けて、Let's go!

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