385手目 引退劇
週末の宴会場。
羽田からアクセスがいいエリアの、居酒屋さん。
その2階のお座敷を貸し切って、女子大生将棋指しが勢ぞろいしていた。
30人くらいいる。ある意味、異様な光景だ。
私は上座から離れた、出入り口に近い席にいた。
私の左どなりには、大谷さん、右どなりには、火村さん。
正面には、八千代先輩と橘さんと、志邨さん。
ざわざわと雑談が続くなかで、私は恐縮していた。
「これ、私が来ても、よかったのかしら?」
私は大谷さんに、小声で尋ねた。
「招待されたのですから、よろしいのでは?」
うーん、そもそも招待されてよかったのか、という意味なんだけど。
だってまわりは、有名そうなひとばかりじゃない?
特に、地方は代表者を選んできたらしく、役員クラスか、全国大会に複数回出場している人オンリーっぽい。もちろん、私は、そのへんに詳しくない。大谷さんと八千代先輩の会話から、そう察してるだけ。でも、その証拠に、近畿からは姫野さん、於保さん、東海からは設楽さんと藤枝さん、H海道からは乙部さんともうひとり、中四国からは、副会長らしき女性と、桐野さんが来ていた。桐野さん、久しぶりに見たわね。あいかわらず元気そうで、なにより。九州、北陸、東海ブロックからも、お偉いさんが来ている模様。
速水さん、顔が広過ぎる。その肝心の速水さんは、上座のほう、3人用のお座敷テーブルの真ん中に座って、三和さんたちと談笑していた。
定刻になっても、すぐには始まらなかった。まずは注文。私と大谷さんは、ウーロン茶にしておいた。八千代先輩も、今日は飲みません、とことわって、コーラを注文。橘さんは一杯だけ、と言って、カシスサワー。火村さんは、散々悩んだ挙句、ビール。志邨さんは、オレンジジュース。
他のテーブルもバラバラに頼んだから、来るのが遅い遅い。結局、開始は20分過ぎになった。ようやくそろったところで、三和さんが立ち上がった。
「えー、それでは、速水萠子さんの壮行会をおこないます。盛大に勝ち逃げする速水さんに、乾杯!」
「カンパーイ!」
すごく失礼な開幕。
火村さんは一気に半分くらい飲むと、グラスをドンと置いた。
「マジで勝ち逃げじゃない。あたしに倒されてからにしなさいよ」
こらこら、出だしからボルテージを上げない。
「火村さん、人をラスボスみたいに扱うのは、ダメよ」
私のこのひとことに、志邨さんが反応した。
「ラスボスっていうのは、合ってるかもしれないですね。周辺世代では最強でしたし……私も結局、大会では入らなかったな」
志邨さんはそう言って、オレンジジュースをマドラーで混ぜた。年齢不相応な、感慨の混じったセリフで、なんとも反応に困ってしまう。
八千代先輩は、
「司法試験を受けるために、一時引退する、というだけのことです。社会人は社会人で団体戦もありますし、そのうち指す機会があるでしょう」
と慰めた。
八千代先輩によると、同じ職業の強豪で集まって、チームを作ることもできるらしい。弁護士で集まってるところもある、とのことだった。ただ、速水さんって、弁護士志望なのかしら? お父さんが検事だから、そっちじゃないのかな。
とりあえず、この話題はいなす。
「ところで、八千代先輩、就活ってもう始めてます?」
「う、裏見さん、急にシビアな話題を持ち出しましたね」
だーッ、ミスった。
「すみません、じゃあ、最近のドラマで……」
火村さんが急に割り込む。
「そうだッ! ここで順番に指せばいいのよッ!」
なにを言ってるんですか。
壮行会で主役に将棋バトルを挑むとか、聞いたことないわよ。
私は、
「お酒が入ってるときに勝っても、しょうがないでしょ」
と指摘した。
これには、志邨さんがツッコミを入れてきた。
「速水さんは、いくら飲んでも100パー酔わないらしいですよ」
肝臓が人外の女性だった?
いや、いずれにせよ、ここで将棋はない。
私は、
「もっと女子大生らしいことをしましょう」
と提案した。
火村さんは、なにか言い返そうとした。
ところが、それよりも早く、となりのグループからツッコミが入った。
なんと、東海の設楽さんだった。
設楽さんは、畳に寄りかかるように、後ろ手で体を支えていた。
「イケメンのひとりもいないのに、女子大生らしいもなにもないでしょ」
そ、そういう問題では、ないと思う。
っていうか、設楽さん、もう出来上がってない?
顔が赤いし、呂律がちょっと回ってないように感じた。
同じ東海グループの藤枝さんは、冷めた目で、
「関東のイケメンに会えるかも、とか言ってたの、本気だったんですか?」
と尋ねた。
「本気よ、本気。せめて朽木レベルくらい持って来なさいよ。酌させてやるわ」
橘さんは、グラスを置いた。
「設楽さん、表に出ましょう」
いかーんッ! 流血沙汰になるぅ!
慌てる私をよそに、設楽さんはにやけ始めた。
「あ、そうだ、裏見さん、都ノに松平くんっているじゃない。このまえ、連絡先聞き忘れたんだけど、教えてくれない?」
はあ?
「裏見さん、3人で出ますか」
「そうですね」
パン!
大きな柏手が聞こえた。
ふりむくと、大谷さんが真顔で、手を合わせていた。
「このあたりに致しましょう」
はい。
一方、設楽さんはそれでも収まらなかった。
今度は大谷さんに絡み始めた。
「大谷さんって、自称忍者の友だちいなかった? 今日来てないの? 忍者ショーやりましょ。手裏剣シュシュシュって」
……………………
……………………
…………………
………………チーン
「三和っちぃ、さっきからトイレが一個、ずーっと使用中なんだけど」
「だれか吐いてるんじゃない」
南無南無。
火村さんは、大きくため息をついた。
「あほくさ」
藤枝さんは、代わりに謝った。
「副会長がご迷惑をおかけしました」
火村さんは、まあいいけど、と受け流した。
「あのシタラって子、最初から酔ってなかった?」
「はい、新幹線で飲んでいましたので」
なんじゃそりゃ。
私たちが呆れていると、藤枝さんは、
「ショックだったんじゃないでしょうか、同世代の最強がいきなりの引退で」
と、かばうようなことを言った。
火村さんは、
「そんなもんかしら」
と返した。
「設楽さんは、速水さんと同世代です。中高も、ずっと顔を会わせていたわけですよね。私は2コ下なので、速水さんと当たる可能性があるのは、3年に1回だけでした」
火村さんは、どういうこと?、と尋ねた。
そっか、火村さんは、3年間隔で区切られるシステムでは、将棋を指してないのか。だから、実感が湧かないのだろう。
藤枝さんは、
「例えば、藤井聡太さんの同年代と、それより10歳ほど上の世代とでは、いろいろと話が違ってきますよね。まあ、藤井さんと他の棋士の差が、速水さんと他のアマチュアとの差と比べて、どれくらいなのかはわかりませんが……いずれにせよ、設楽さんはそういう感覚の世代だった、ってことです」
と、たとえ話をした。
火村さんは、
「いろいろ事情があるってことか……あ、香子、唐揚げ残ってるわよ」
と言って、余っている食べ物を勧めてきた。
火村さんが食べないから、このテーブルだけ余りが多い。
それに、油ものばっかり出てきて、お腹いっぱい。
私は遠慮した。
火村さんは、
「じゃあ、つばめちゃん、どうぞ」
と言った。
いやあ、志邨さんのほうが、体格的に無理そうな。
痩せの大食いタイプもいるけど、志邨さんはさっきから箸が進んでいなかった。
空になったオレンジジュースの氷を、マドラーでかき混ぜている。
ぐるぐるぐるぐる──ん? なんか様子がおかしくない?
クセにしては、動きがぎこちないような?
しかも、火村さんのさっきの呼びかけに、一切反応していなかった。
火村さんは、
「つばめちゃ~ん」
と、声を少し大きめにして呼んだ。
「……はい?」
「唐揚げ一個残ってるんだけど、食べない?」
「唐揚げ……なんの唐揚げです?」
「鳥よ」
「鳥……スズメ刺し……アナグマのほうがいいかも」
なにを言ってるんですか?
火村さんは眉をひそめたあと、志邨さんのグラスを取り上げた。
マドラーをぺろりと舐める。
「これは……アルコール!」
えぇええええええええッ!
注文ミス?
よく考えたら、ジュースにマドラーがついてるのは変だった。
私が2杯目に頼んだアップルジュースには、ついていなかった。
み、未成年者に飲酒させてしまった。どうしよう。
……………………
……………………
…………………
………………
30分後、平賀さんと、首都工の伊能さんが、お店の前に到着した。
ふたりとも東京出身組で、志邨さんとは昔馴染みだから、呼び出されたのだ。
平賀さんは、
「しょうがないなあ、もう」
と言って、志邨さんに声をかけた。
「つばめちゃん、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ、もう囲ってある」
全然だいじょうぶじゃない。
とはいえ、気分が悪いとか、そういうことはないみたい。
吐いたりもしていなかった。
伊能さんは、
「真理の家なら、何回か泊まってるし、連絡入れとけばオッケーだろ」
と言った。
私は、
「ごめんなさいね、忙しいのに」
と、代わりに謝っておいた。
「もーまんたいですッ! じゃ、お先に」
ふたりは志邨さんをお持ち帰りした。
残った私と大谷さんは、ひと安心。
ホッとしていると、うしろから声をかけられた。
速水さんの声だった。
「ふたりとも、とんだ災難だったわね」
「あ、いえ……せっかくの壮行会だったのに、すみません、ちゃんと見てなくて」
「ノープロブレム。ただ、あなたたちとは、ほとんど話せなかったかしら」
「そうですね……また機会があれば、よろしくお願いします」
「そうだ、このあと、時間ある?」
私は時計を確認した。
午後8時。大学生としては、遅い時間帯じゃない。
けど、二次会の参加は、パスしたかった。
お酒が飲めないから、同席してもやりとりが難しいのだ。
ところが、速水さんはそれを察したように、話を繋げた。
「飲みの誘いじゃないわ……ちょっと話したいことがあるの」




