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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第59章 香子ちゃん、北の大地へ(2017年8月22日月曜)
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385手目 引退劇

 週末の宴会場。

 羽田からアクセスがいいエリアの、居酒屋さん。

 その2階のお座敷を貸し切って、女子大生将棋指しが勢ぞろいしていた。

 30人くらいいる。ある意味、異様な光景だ。

 私は上座から離れた、出入り口に近い席にいた。

 私の左どなりには、大谷おおたにさん、右どなりには、火村ほむらさん。

 正面には、八千代やちよ先輩とたちばなさんと、志邨しむらさん。

 ざわざわと雑談が続くなかで、私は恐縮していた。

「これ、私が来ても、よかったのかしら?」

 私は大谷さんに、小声で尋ねた。

「招待されたのですから、よろしいのでは?」

 うーん、そもそも招待されてよかったのか、という意味なんだけど。

 だってまわりは、有名そうなひとばかりじゃない?

 特に、地方は代表者を選んできたらしく、役員クラスか、全国大会に複数回出場している人オンリーっぽい。もちろん、私は、そのへんに詳しくない。大谷さんと八千代先輩の会話から、そう察してるだけ。でも、その証拠に、近畿からは姫野ひめのさん、於保おぼさん、東海からは設楽したらさんと藤枝ふじえさん、H海道からは乙部おとべさんともうひとり、中四国からは、副会長らしき女性と、桐野きりのさんが来ていた。桐野さん、久しぶりに見たわね。あいかわらず元気そうで、なにより。九州、北陸、東海ブロックからも、お偉いさんが来ている模様。

 速水はやみさん、顔が広過ぎる。その肝心の速水さんは、上座のほう、3人用のお座敷テーブルの真ん中に座って、三和みわさんたちと談笑していた。

 定刻になっても、すぐには始まらなかった。まずは注文。私と大谷さんは、ウーロン茶にしておいた。八千代先輩も、今日は飲みません、とことわって、コーラを注文。橘さんは一杯だけ、と言って、カシスサワー。火村さんは、散々悩んだ挙句、ビール。志邨さんは、オレンジジュース。

 他のテーブルもバラバラに頼んだから、来るのが遅い遅い。結局、開始は20分過ぎになった。ようやくそろったところで、三和さんが立ち上がった。

「えー、それでは、速水はやみ萠子もえこさんの壮行会をおこないます。盛大に勝ち逃げする速水さんに、乾杯!」

「カンパーイ!」

 すごく失礼な開幕。

 火村さんは一気に半分くらい飲むと、グラスをドンと置いた。

「マジで勝ち逃げじゃない。あたしに倒されてからにしなさいよ」

 こらこら、出だしからボルテージを上げない。

「火村さん、人をラスボスみたいに扱うのは、ダメよ」

 私のこのひとことに、志邨さんが反応した。

「ラスボスっていうのは、合ってるかもしれないですね。周辺世代では最強でしたし……私も結局、大会では入らなかったな」

 志邨さんはそう言って、オレンジジュースをマドラーで混ぜた。年齢不相応な、感慨の混じったセリフで、なんとも反応に困ってしまう。

 八千代先輩は、

「司法試験を受けるために、一時引退する、というだけのことです。社会人は社会人で団体戦もありますし、そのうち指す機会があるでしょう」

 と慰めた。

 八千代先輩によると、同じ職業の強豪で集まって、チームを作ることもできるらしい。弁護士で集まってるところもある、とのことだった。ただ、速水さんって、弁護士志望なのかしら? お父さんが検事だから、そっちじゃないのかな。

 とりあえず、この話題はいなす。

「ところで、八千代先輩、就活ってもう始めてます?」

「う、裏見うらみさん、急にシビアな話題を持ち出しましたね」

 だーッ、ミスった。

「すみません、じゃあ、最近のドラマで……」

 火村さんが急に割り込む。

「そうだッ! ここで順番に指せばいいのよッ!」

 なにを言ってるんですか。

 壮行会で主役に将棋バトルを挑むとか、聞いたことないわよ。

 私は、

「お酒が入ってるときに勝っても、しょうがないでしょ」

 と指摘した。

 これには、志邨さんがツッコミを入れてきた。

「速水さんは、いくら飲んでも100パー酔わないらしいですよ」

 肝臓が人外の女性だった?

 いや、いずれにせよ、ここで将棋はない。

 私は、

「もっと女子大生らしいことをしましょう」

 と提案した。

 火村さんは、なにか言い返そうとした。

 ところが、それよりも早く、となりのグループからツッコミが入った。

 なんと、東海の設楽さんだった。

 設楽さんは、畳に寄りかかるように、後ろ手で体を支えていた。

「イケメンのひとりもいないのに、女子大生らしいもなにもないでしょ」

 そ、そういう問題では、ないと思う。

 っていうか、設楽さん、もう出来上がってない?

 顔が赤いし、呂律がちょっと回ってないように感じた。

 同じ東海グループの藤枝さんは、冷めた目で、

「関東のイケメンに会えるかも、とか言ってたの、本気だったんですか?」

 と尋ねた。

「本気よ、本気。せめて朽木くちきレベルくらい持って来なさいよ。酌させてやるわ」

 橘さんは、グラスを置いた。

「設楽さん、表に出ましょう」

 いかーんッ! 流血沙汰になるぅ!

 慌てる私をよそに、設楽さんはにやけ始めた。

「あ、そうだ、裏見さん、都ノに松平くんっているじゃない。このまえ、連絡先聞き忘れたんだけど、教えてくれない?」

 はあ?

「裏見さん、3人で出ますか」

「そうですね」


 パン!


 大きな柏手かしわでが聞こえた。

 ふりむくと、大谷さんが真顔で、手を合わせていた。

「このあたりに致しましょう」

 はい。

 一方、設楽さんはそれでも収まらなかった。

 今度は大谷さんに絡み始めた。

「大谷さんって、自称忍者の友だちいなかった? 今日来てないの? 忍者ショーやりましょ。手裏剣シュシュシュって」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………チーン

「三和っちぃ、さっきからトイレが一個、ずーっと使用中なんだけど」

「だれか吐いてるんじゃない」

 南無南無。

 火村さんは、大きくため息をついた。

「あほくさ」

 藤枝さんは、代わりに謝った。

「副会長がご迷惑をおかけしました」

 火村さんは、まあいいけど、と受け流した。

「あのシタラって子、最初から酔ってなかった?」

「はい、新幹線で飲んでいましたので」

 なんじゃそりゃ。

 私たちが呆れていると、藤枝さんは、

「ショックだったんじゃないでしょうか、同世代の最強がいきなりの引退で」

 と、かばうようなことを言った。

 火村さんは、

「そんなもんかしら」

 と返した。

「設楽さんは、速水さんと同世代です。中高も、ずっと顔を会わせていたわけですよね。私は2コ下なので、速水さんと当たる可能性があるのは、3年に1回だけでした」

 火村さんは、どういうこと?、と尋ねた。

 そっか、火村さんは、3年間隔で区切られるシステムでは、将棋を指してないのか。だから、実感が湧かないのだろう。

 藤枝さんは、

「例えば、藤井聡太さんの同年代と、それより10歳ほど上の世代とでは、いろいろと話が違ってきますよね。まあ、藤井さんと他の棋士の差が、速水さんと他のアマチュアとの差と比べて、どれくらいなのかはわかりませんが……いずれにせよ、設楽さんはそういう感覚の世代だった、ってことです」

 と、たとえ話をした。

 火村さんは、

「いろいろ事情があるってことか……あ、香子、唐揚げ残ってるわよ」

 と言って、余っている食べ物を勧めてきた。

 火村さんが食べないから、このテーブルだけ余りが多い。

 それに、油ものばっかり出てきて、お腹いっぱい。

 私は遠慮した。

 火村さんは、

「じゃあ、つばめちゃん、どうぞ」

 と言った。

 いやあ、志邨さんのほうが、体格的に無理そうな。

 痩せの大食いタイプもいるけど、志邨さんはさっきから箸が進んでいなかった。

 空になったオレンジジュースの氷を、マドラーでかき混ぜている。

 ぐるぐるぐるぐる──ん? なんか様子がおかしくない?

 クセにしては、動きがぎこちないような?

 しかも、火村さんのさっきの呼びかけに、一切反応していなかった。

 火村さんは、

「つばめちゃ~ん」

 と、声を少し大きめにして呼んだ。

「……はい?」

「唐揚げ一個残ってるんだけど、食べない?」

「唐揚げ……なんの唐揚げです?」

「鳥よ」

「鳥……スズメ刺し……アナグマのほうがいいかも」

 なにを言ってるんですか?

 火村さんは眉をひそめたあと、志邨さんのグラスを取り上げた。

 マドラーをぺろりと舐める。

「これは……アルコール!」

 えぇええええええええッ!

 注文ミス?

 よく考えたら、ジュースにマドラーがついてるのは変だった。

 私が2杯目に頼んだアップルジュースには、ついていなかった。

 み、未成年者に飲酒させてしまった。どうしよう。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 30分後、平賀ひらがさんと、首都工の伊能いのうさんが、お店の前に到着した。

 ふたりとも東京出身組で、志邨さんとは昔馴染みだから、呼び出されたのだ。

 平賀さんは、

「しょうがないなあ、もう」

 と言って、志邨さんに声をかけた。

「つばめちゃん、だいじょうぶ?」

「だいじょうぶ、もう囲ってある」

 全然だいじょうぶじゃない。

 とはいえ、気分が悪いとか、そういうことはないみたい。

 吐いたりもしていなかった。

 伊能さんは、

真理まりの家なら、何回か泊まってるし、連絡入れとけばオッケーだろ」

 と言った。

 私は、

「ごめんなさいね、忙しいのに」

 と、代わりに謝っておいた。

「もーまんたいですッ! じゃ、お先に」

 ふたりは志邨さんをお持ち帰りした。

 残った私と大谷さんは、ひと安心。

 ホッとしていると、うしろから声をかけられた。

 速水さんの声だった。

「ふたりとも、とんだ災難だったわね」

「あ、いえ……せっかくの壮行会だったのに、すみません、ちゃんと見てなくて」

「ノープロブレム。ただ、あなたたちとは、ほとんど話せなかったかしら」

「そうですね……また機会があれば、よろしくお願いします」

「そうだ、このあと、時間ある?」

 私は時計を確認した。

 午後8時。大学生としては、遅い時間帯じゃない。

 けど、二次会の参加は、パスしたかった。

 お酒が飲めないから、同席してもやりとりが難しいのだ。

 ところが、速水さんはそれを察したように、話を繋げた。

「飲みの誘いじゃないわ……ちょっと話したいことがあるの」

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