373手目 怪談
私はお茶を飲んで、ひと息ついた。
感想戦をしないといけない。
反省ポイントは、いくつもある。
とりあえず、仕掛けのあたりから。
【検討図】
「これ、角を殺しに行ったのはミス?」
藤枝さんは、3秒ほど考えて、
「んー……それで悪いってわけじゃ、ないと思います」
と返した。
「藤枝さんの読みも、3八金だった?」
「いえ、6八金です」
金を締まっとく手か。
指摘されてみれば、なるほど、という感じだった。
そこで3五歩なら、同歩、4四銀、4五歩、3五銀に、1一角成と成り込める。先手優勢、ってわけじゃないけど、3六歩、2一馬、3七歩成、同金、3四飛の展開は、先手がイケそう。
ただ、これはこれで別の将棋になる。
私は中盤以降も調べていって、また気になる局面に。
【検討図】
これなあ……本譜は4四角の飛び出し。
でも、よくよく見たら、けっこう手に迷う。
30秒将棋じゃなかったら、長考したかも。
私は馬を2一に入って、
「桂取り……はダメ?」
とたずねた。
藤枝さんは、そうですね、と言って、黙ってしまった。
考えてるっぽいから、邪魔しないでおく。
1分ほどして、5四香が打たれた。
【検討図】
うーん、厳しい。
4八銀は3六歩で、追加攻撃されてしまう。
かと言って、5四同馬は、間違えましたと認めているようなものだ。
これはムリ、と思いきや、藤枝さんは、
「ただ、切られてどうかな……」
と、5四同馬を推奨した。
「切ったら、続かなくない?」
藤枝さんは、9筋をゆびさして、
「ここ突かれるの、イヤでした」
と答えた。
9五歩? ……端攻めか。
対局中は、まったく考えなかった筋だ。
「そんなに厳しい?」
「はい」
理由を言ってくださいな。
藤枝さんは、感想戦でも無口なタイプみたい。
私は、
「同歩、9三歩、同香で?」
と、すこし進めてみた。
藤枝さんは、4四角を示した。
【参考図】
ここで本譜の手になるのか。
「4八歩、4五桂、4九歩成、5三桂成なら、間に合うってこと?」
私の質問に答えたのは、藤枝さんじゃなかった。
背後から、風切先輩の声が聞こえた。
「4九歩成なら、8五桂と打ちたいな」
ふりかえると、風切先輩が腕組みをして立っていた。
「桂打ち……ですか?」
「ああ、打ってみれば、感触がいいと思うぜ」
私は打ってみた──たしかに。
9三歩、同香と吊り上げたのが、大きく効いている。
藤枝さんはなにも言わなかったけど、暗に同意している気がした。
そっかあ……もしかして、他の局面でも成立してた?
4四角、4八歩に9五歩だって、あったかもしれない。
私は、そこを確認しようとした。
けど、風切先輩のほうが、先に口をひらいた。
「俺から藤枝に、質問してもいいか? 4一香は、どういう意図だったんだ?」
【検討図】
あ、ここは私も疑問だった。
あとで利いてきたから、それかな、と思ったんだけど……でも、よくよく考えてみれば、先が見えすぎているように感じた。
藤枝さんは、小首をかしげて、
「なんとなく……」
と答えた。
風切先輩は、
「7一銀が怖いのかと思ったが」
とつけくわえた。
藤枝さんは、ちょっと黙ったあと、
「6六桂~7四桂打で、すぐに寄っちゃうと思いました」
と、自分の意見を伝えた。
風切先輩は、そのセリフの成否を、しばらく吟味した。
「……なるほどな。そのとき7一に馬が利いてると、即詰みに近い。ただ、桂馬の重ね打ちをしなくても、6八金打、8八玉、6七金寄、9七玉、7八金寄、同銀、同金なら、その瞬間に7一銀で詰むぜ」
【検討図】
なぬ? ……これで詰み?
風切先輩は、詰み手順を示した。
「同金、同馬、同玉、6二金、同玉で引っ張り出して、5四桂だ。あとは並べ詰みだ」
ん……そっか、手順は長いけど、美濃崩しの筋だ。
藤枝さんも気づいたらしく、
「そうですね……ちがうところを心配してました」
とつぶやいた。
なんという綾──ん? ちょっと待って。
「風切先輩、途中からずっと観てたんですか?」
「ああ、中盤あたりからな。裏見がスランプだと聞いて」
そういうことを、他大学の前で言わないでください。
数式を解くのは得意でも、人間心理がわかってない。
そのあとは、終盤を調べた。
私の勝ち筋は、なかったみたい。
ひと段落したところで、パンと手を打つ音が聞こえた。
設楽さんが、会場のみんなに号令。
「はーい、それじゃあ、三々五々、解散しましょ。おつかれさま~」
残って対局するひとと、移動するひとに分かれる。
小牧さんは、
「おーい、酒飲むやつ、カラオケスペースに集合」
と言って、宴会の準備。
風切先輩と三宅先輩は、そっちに合流。
お風呂に向かうひと、夜食を作りに行くひと、寝るひと。
みんなバラバラになる。
私は盤駒を仕舞って、松平に声をかけた。
「どうする?」
「花火しないか、って、関たちに誘われてる」
花火かあ。いいかも。
私もそれに乗った。
防虫スプレーを塗ってから、外に出る。
夜空に星が出ていて、私は思わず感嘆した。
東京とは違って、小さな星までよく見える。
駒桜よりも、はっきりしていた。
山奥で、大気が澄んでるからでしょうね。
花火の準備は、もうできていた。
ろうそく、水の入ったバケツ、それに花火セット。
まずは手持ち花火から。
火薬の匂いといっしょに、火花が飛び出す。
私が持ってるのは、オレンジ色の火花が広がるタイプで、けっこう豪華。
松平のは白っぽくて、炎がまっすぐ走るタイプ。
設楽さんは、
「花火文字やろ~」
と言って、スマホをとりだした。
関くんはすこし離れたところに立って、
「なにがいいです?」
とたずねた。
「ひらがなが限界かな。ハートとか、どう?」
「ぼ、僕がハートマーク出すんですか?」
「とりあえずテストしよ。なんでもいいから」
設楽さんは、スマホをかまえた。
関くんは、1、2、3と言ってから、花火をくるくる回した。
「……オケ」
設楽さんは、スマホを確認した。
できてるできてる、と言って、私たちにも見せてくれた。
火花がうずまき状に取れている。
松平は、
「これ、どうやって撮ってるんです?」
とたずねた。
設楽さんは、
「専用のアプリがあるんだよ~」
と教えてくれた。
どうやら、シャッタースピードを変更できるアプリがあるらしい。
私たちは設楽さんに、いろんな写真を撮ってもらった。
松平とふたりきりなら、ハートマークやっちゃうんだけどなあ、ムフフ。
そのあとは置き型の花火で、派手に楽しむ。
2メートルくらい上がるやつで、みんなキャーキャー言っていた。
最後はゴミをかたづけて、ホテルにもどった。
大部屋へ入ると、完全にできあがった酔っ払いの集団が。
カラオケコーナーでは、ソファーに座った小牧さんと風切先輩が、肩を組んでビールの缶を開けていた。
小牧さんは、缶を持ち上げて、
「会長なんかやってられるか。もう辞めるぞ」
と叫んでいた。
「風切隼人も辞めまーす」
ダメなひとたちの集まり。
私たちは、キッチンから飲み物を持ってきて、休憩。
お茶を淹れましょう。
戸棚に手を伸ばすと、いきなり待ったがかかった。
藤枝さんが、私の腕をつかんでいる。
「そのお茶は飲まないでください」
な、なんですか? 毒が入ってるとか?
そんなわけない。
賞味期限? ……全然だいじょうぶ。
「どうしたの? お茶嫌い?」
私がたずねると、藤枝さんはバックから、緑色の袋をとりだした。
S岡産、高級茶葉。
「このホテルのお茶は、飲むに堪えません。お茶はS岡」
えぇ……ポリ茶カル・コレクトネス?
藤枝さんはてぎわよく、お茶を入れてくれた。
いい香り。
お昼に飲んだ茶色っぽい緑茶よりも、おいしかった。
そのあとは雑談をして、9時半にはお風呂へ。
さっぱりしてから、部屋へもどった。
ベッドのうえに腰掛けると、ララさんが、
「ねえねえ、カイダンしようよ。カイダン」
と言い出した。
穂積さんは、
「怖い話ってこと?」
とたずねた。
「そうそう、日本だとみんなやるんでしょ?」
いや、べつにそういうわけでは。
しかも、怖い話とか、そんなに知らないし。
ララさんは、ベッドにうつ伏せになって、足をパタパタさせながら、
「香子、カイダンして」
と言った。
「んー……高校のとき、自称宇宙人がいたこととか?」
「え、めっちゃおもしろそうじゃん」
おもしろいかなあ。ほんとうにただそれだけなんだけど。
私は身バレしない程度に、かいつまんで話した。
寝っ転がって聞いていた穂積さんは、
「UFOじゃなくて、イケメンの音楽家を連れている宇宙人……?」
と混乱していた。
いや、だからまあ、怖い話でもなんでもなくてですね、はい。
SFな話ということで。
ララさんは、うらやま、と言ってから、大谷さんに話をふった。
「ひよこは、いっぱい知ってるでしょ。お寺に幽霊が出る話とか」
大谷さんは、ベッドのうえに正座をしていた。
手を合わせて、静かにくちびるを動かす。
「みなさんにはお伝えしていませんでしたが、この部屋に入ってからというもの、ずっと霊気を感じております」
怖すぎィ!




