366手目 勘違い
んー、打開してくれたわけですが……意外だった。
千日手に誘導してたのは、大谷さんのほうだと思ったんだけど。
私はお茶のペットボトルを開けて、ひとくち飲んだ。
とりあえず、後手がめちゃくちゃよくなる順がある、ってわけじゃないみたい。
つまり、私のポカを突いてきた打開じゃない。
そこは安心材料……うーん。
同歩、同銀のあと、先手に攻め手がないってこと?
そうは思えない。
2四歩、同歩、同角……2三歩で止まるのかな。
私は大谷さんの意図が、ちょっと読めなかった。
ひとまず、明確に読める範囲まで進めていく。
4四同歩、同銀、2四歩、同歩、同角、2三歩、6八角。
パシリ
これも挑発気味。
端が薄くなったから、1五歩が効きそう。
っていうか、多分効く。
それにもかかわらず、桂跳ね自体は早かった。
さっきの長考は、1五歩以下を読んでたってこと?
だとすると……私が暴発する順へ誘導中?
だけどなあ、この端攻めは、ふつうにアリだと思う。
1五歩、同歩、1四歩でしょ。
こうなったら、もう千日手にはならない。
「……1五歩」
同歩、1四歩と垂らして、大谷さんの出方を窺う。
大谷さんの選択は、3五歩の攻め合いだった。
取る意味はないから、すぐに1三歩成と攻め合った。
3六歩、2三と、3七歩成、2四飛、3五角。
ぐッ……これまた攻防だ。
3二とと強く入って、2四角、同角、2九飛が、第一感。
問題は、そこで角を逃げられるかどうか──ん? 逃げられるのでは?
6八角と引いちゃって、特に困らない気がした。
3三とまで進めれば、金得になる。
でも、大谷さんがそんなの見落とす?
またまた疑心暗鬼になる局面。
後手になにか強烈な手があるのではないかと、私は疑ってかかった。
あれこれ読んでみる。
どうもそういう手はなさそうだ。
チェスクロを確認すると、先手が14分、後手が15分。
手数のわりには使っていない。とちゅうで千日手うろうろしたし。
だけど、これ以上考える意味も、とくにないように思われた。
「3二と」
2四角、同角、2九飛。
私は6八角で、駒得を優先した。
1九飛成、2六角、3五歩、3三と、同銀、3七角。
どうですか。
と金も消して、好調。
しかも龍当たり。
大谷さん、打開したのはミスでは。
とりあえず逃げないといけないから、大谷さんは2九龍と寄った。
私は3五角と飛び出す。
3九龍の間接的な両取りは、2六角行で藪蛇になる。
大谷さんは4三歩と、控えて打った。
う、うまい。
2六角行を防いでいる。それに加えて、次に4四銀も狙っていた。
私は6八角を考えた。
方針としては、これが一番すなお。
7五歩と突っかけるのもあるけど、4四銀で角銀交換になる。駒得を維持するという、さっきのプランとちぐはぐ。それなら、さっきの時点で暴れておけ、となりそう。
「6八角」
大谷さんは、そちらですか、と言って、長考した。
このあいだに時間差は逆転して、私が12分、大谷さんが11分に。
「8二香です」
攻めの手──だけど、簡単には通らないはず。
いきなり8六歩は、そんなにうまくいかない、というのが私の読みだった。
4八角、4四銀、3九歩で、ガチガチに受ける。
後手の攻めを切らしたら、反撃。
大谷さんは3八歩で、こじ開けにきた。
3五桂、5二金、3四金。
駒得だから、露骨にいきますよ。
3一桂、4三桂成、同金、同金、同桂、3四金。
ごりごりと押していく。
こんどは銀桂両取りだから、3一桂なんかは無意味。
大谷さんも3九歩成で、突っ込んで来た。
4四金、3八と、5七角右。
「4七歩です」
ん……ちょっと厳しいか。
このままだと、駒得は解消させられてしまう。
スピード勝負になってきた。
「4三金ッ!」
とりあえず桂馬を回収。
4八と、5三金、8六桂。
その手があったか。寄せ合いに入りそう。
ここはいったん4八金で、と金を……いや、間に合わない。
3五角と飛び出して、仕留めに行くしかないか。
私は角を出た。
5八と。
ここでまた迷う。
攻め合うなら6二金……6三金?
金を捨てるかどうかでも迷う。
6二金のメリットは、金を渡さないで王手できること。
デメリットは、あとで6三金の一手が必要。
6三金のメリットは、同玉、5三銀以下が、一手速いこと。
デメリットは、後手が金3枚になること。
6二金、8三玉、6三金、6八と、7二銀、9三玉は、たぶん先手負け。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ここで8一銀成は、7八桂成、同銀、7九角、9八玉、9七金、同桂、8八金、同銀、同角成、同玉、7九龍、9八玉、8八金まで。金が3枚あるから、さすがに詰む。バラバラにするだけだから、見落としも期待できない。
だけど……6二金、8三玉に、5八銀と取ればいいんじゃない?
5八銀、4八歩成、6七銀、7八桂成、同銀、8六歩、6三金とか。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは先手もそこそこイケるような……あ、ちょっと待って。
7八桂成が、勝手読みかも。
9七金と捨てて、同玉、8九龍の滑り込みが、かなり厳しい。
以下、8八金、9九龍、9八金打、9五歩が詰めろ。
先手は全然間に合っていない。
ピッ
1分将棋に。時間が足りない。
読みたい筋は、いろいろあるんだけど──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
いったん取る。
大谷さんも、最後の長考。
そのまま1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7八桂成、同玉、4八歩成。
私はここまでの読みの蓄積で、6二金より6三金が勝っていると判断した。
6三金、同玉、5三銀。
先に詰めろがかかった。
大谷さんは59秒まで考えて、7二玉と撤退。
6七銀、6九金、8八玉。
先手、小康状態に。
と金を払ったのは、英断だったかも。
崩壊は免れた。後手もかなり危なくなっている。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
く~~~ッ! またダイナミックな手を。
私は6二銀成、8三玉、7二銀、9三玉まで決めて、8六銀と取った。
6八金、同角、8六歩。
「あ……れ……」
手がなくなった。
……………………
……………………
…………………
………………ほんとになくなった。
同歩、同香以下、どうしようもなくなる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「ど、同歩」
同香、同角。
大谷さんは、静かに7九銀と置いた。
8六金が必殺すぎた。
私は左手で髪に軽く触り、嘆息した。
持ち駒をそろえる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
「ありがとうございました」
んー……納得がいかない。
終盤に読み切れなかった分、明確に負けていたのかどうかが、わからなかった。
「先手の敗勢だった?」
「そこは、なんとも……」
私は、キーになった局面へもどした。
【検討図】
「これ、6二金から王様を追いかけると、負けよね?」
「6二金、8三玉、6三金、6八と、7二銀、9三玉ですか?」
私がうなずくと、大谷さんは、
「それは詰むと思います」
と答えた。
「私も詰みだと読んだから、本譜だったんだけど……」
「ただ、6二金、8三玉に7九角と逃げられた場合、難しいように思いました」
【検討図】
ああ、そういう手もあったか。
私はちょっと読みを入れた。
「……本譜より、いいかも」
「7八桂成、同銀に6九金の予定でしたが、攻め切るのはたいへんかと思います」
「6三金、7九金、7二銀、9三玉、7九角と手をもどせば、いけそう?」
大谷さんは、黙って8六歩と突いた。
【検討図】
私たちは、この局面とにらめっこした。
「……8一銀成だと、詰むわね」
「そのようです」
8七歩成、同銀、同香成、同玉に7八銀と打って、ムリヤリ引き戻して詰み。
かといって、8一銀成以外に、手があるわけでもない。
私は大きく息をついた。
「となると、6三金、7九金の時点で、同角しかないか」
これでも先手が相当悪いと思う。
敗勢。
私がそう判断したところで、松平の声が聞こえた。
「そろそろ次局に入りますので、感想戦を終えてください」
6二金に代えて6三金も検討したかったけど、時間がなさそう。
休憩時間か、夜にでもまたしましょ。
私は最後の一礼をしかけて、ふと動きをとめた。
「……4四歩で打開したのは、なんで?」
大谷さんは、一瞬きょとんとして、それからこう答えた。
「攻め口をさぐっていたところ、あのタイミングがベストだと思いました」
……………………
……………………
…………………
………………そこからして、勘違いだったか。
場所:N野のホテル
先手:裏見 香子
後手:大谷 雛
戦型:後手右玉
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲8八銀 △3二金 ▲7八金 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲3八銀 △3三銀 ▲3六歩 △1四歩 ▲9六歩 △6二銀
▲1六歩 △7四歩 ▲4六歩 △6四歩 ▲4七銀 △9四歩
▲4八金 △7三桂 ▲3七桂 △8一飛 ▲5六銀 △6三銀
▲2九飛 △6二金 ▲6八玉 △4二玉 ▲6六歩 △5四銀
▲4五歩 △6三銀 ▲7九玉 △5二玉 ▲8八玉 △5四歩
▲2五歩 △6一玉 ▲6七銀 △4二金 ▲2八飛 △7二玉
▲2九飛 △6一玉 ▲5六歩 △7二玉 ▲2八飛 △4一金
▲5八金 △3二金 ▲2六飛 △4二金 ▲4六角 △3二金
▲2八飛 △4四歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲2四歩 △同 歩
▲同 角 △2三歩 ▲6八角 △3三桂 ▲1五歩 △同 歩
▲1四歩 △3五歩 ▲1三歩成 △3六歩 ▲2三と △3七歩成
▲2四飛 △3五角 ▲3二と △2四角 ▲同 角 △2九飛
▲6八角 △1九飛成 ▲2六角 △3五歩 ▲3三と △同 銀
▲3七角 △2九龍 ▲3五角 △4三歩 ▲6八角 △8二香
▲4八角 △4四銀 ▲3九歩 △3八歩 ▲3五桂 △5二金
▲3四金 △3一桂 ▲4三桂成 △同 金 ▲同 金 △同 桂
▲3四金 △3九歩成 ▲4四金 △3八と ▲5七角右 △4七歩
▲4三金 △4八と ▲5三金 △8六桂 ▲3五角 △5八と
▲同 銀 △7八桂成 ▲同 玉 △4八歩成 ▲6三金 △同 玉
▲5三銀 △7二玉 ▲6七銀 △6九金 ▲8八玉 △8六金
▲6二銀成 △8三玉 ▲7二銀 △9三玉 ▲8六銀 △6八金
▲同 角 △8六歩 ▲同 歩 △同 香 ▲同 角 △7九銀
まで144手で大谷の勝ち




