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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第57章 チーム東海(2017年8月8日日曜)
378/496

365手目 ワルラスの法則

※ここからは、香子きょうこちゃん視点です。

 *** ミクロ経済2 ***


 【問1】

 (1)ワルラスの法則を説明せよ。

 (2)2人2財の交換経済において、競争均衡はどのように求められるか。

 (3)完全競争市場の一般均衡モデルを考える利点を挙げよ。


 ははあ、一般均衡の問題ですか。

 ひとつずつ解決。

 まず、ワルラスの法則というのは、


 完全競争市場では、すべての市場の超過需要額の和がゼロになる


 というものだ。

 もちろん、これはただの定義だから、詳しく説明しないといけない。

 完全競争市場というのは、


 ①需要者と供給者が、十分多数存在している。

 ②各需要者と供給者は、市場へ自由に参入したり、そこから退出したりできる。

 ③市場で売買される財は同質である。

 ④すべての需要者と供給者とのあいだで、財に関する情報がすべてそろっている。


 という4条件を満たした市場のこと。

 現実的にはまずありえない、という点はおいておく。

 ここで、需要と供給の均衡について考える。

 需要と供給が均衡するのは、需要xが生産量yおよび在庫wの量と一致した場合。

 つまり、市場にあるn番目の財について、価格がpのとき、


 xn(p) = yn(p) + wn


 となるなら、nについて需要と供給が均衡する。

 このとき、式を変形すると、


 xn(p) - yn(p) - wn = 0


 となるから、均衡しているというのが直感的にも分かる。

 じゃあ、右辺が0ではない場合も考えると?、というのが超過需要関数。


 xn(p) - yn(p) - wn = zn(p)


 zn(p)>0なら超過需要、zn(p)<なら超過供給になる。

 超過供給はマイナスの超過需要ともいえるから、超過需要だけ考える。

 さて、以上の定義から、ワルラスの法則を説明。

 まず、各消費者の予算制約式、


挿絵(By みてみん)


 から出発。

 各消費者の需要が、初期保有からの収入と、企業からの利潤配分との総和になる。例えば、株の配当とお給料があったら、それが消費できる額だよね、という感じ。これをどんどん変形すると、


挿絵(By みてみん)


 になる。

 これはけっきょくのところ、総消費計画、総初期保有、総生産計画だから、


 px(p) = pw + py(p)

 p(x(p) - y(p) - w) = 0


 と書き換えられる。さっきの超過需要に関する式を使えば、


 p1z1(p) + ... + pnzn(p) = 0


 これが、ワルラスの法則。

 超過需要の金額をすべて合計すると、ゼロ。

 次に、(2)の簡潔な答えは、2人のオファー曲線の交点、だ。

 オファー曲線を考えるときは、エッジワース・ボックスを使う。

 まず、エッジワース・ボックスに、Aさんの適当な予算制約線と無差別曲線を描く。


挿絵(By みてみん)


 この予算制約線と無差別曲線との接点が、Aさんの最適消費点。

 ここで、X財とY財の価格比を変更して、予算制約線と無差別曲線を動かす。


挿絵(By みてみん)


 このときの接点も、最適消費点。

 これを繰り返すと、あらゆる価格比について、最適消費点を発見できる。

 その最適消費点を結んだものが、オファー曲線。

 Bさんについても同様のことができて、Bさんのオファー曲線も存在する。

 そして、このAさんのオファー曲線とBさんのオファー曲線との交点が、競争均衡。理由は単純で、競争均衡はパレート効率的な点、オファー曲線の交点は、2人の消費者効用最大化点だからだ。

 最後に(3)だけど、これが一番簡単かな。

 完全競争市場の一般均衡モデルでは、特定の消費者の効用関数や、生産者の生産関数を考えなくてもよくなる。この性質は便利なのだ。例えば、均衡がそもそも存在するのか、という問題について、不動点定理でその存在を証明することができる。

 問2以下も解いて──よし。

 このテストが最後。

 いざ、夏合宿へ。


  ○

   。

    .


 ここは、N野の高原。

 私たちは高速バスを降りて、涼やかな風を浴びた。

 ララさんは麦わら帽子を押さえながら、

「いいねえ、これがヒショってやつかあ」

 と、周囲を見回した。

 白馬はくば山麓が遠くに見えて、そのうえに青空が広がっていた。

 三宅みやけ先輩は先頭を切って、右手を高く挙げた。

「よーし、移動するぞ」

 ホテルへと向かう。

 真っ白な建物の、コミュニティ施設。

 大学のゼミ合宿で検索すると、よくヒットするところだった。

 私たちは正面玄関から入って、管理人さんにあいさつをした。

 ひとのよさそうなおじいさんだった。

 男女の大部屋へそれぞれ案内された。2階へ上がる。

 入ってすぐに、リビング。フローリングの床に、6人がけのテーブルがあった。

 左手のほうが洗面所とシャワールーム、それにトイレ。

 キッチンは1階にあるらしく、室内には棚に電気ポットがあるだけだった。

 そこから奥へ進むと、寝室。

 ベッドが2列×3個置かれただけの、こざっぱりとした空間。

 ララさんは寝室の窓に駆け寄って、外を見た。

「うわー、めちゃ景色いい」

 私も横からのぞきこむ。

 湖を見渡せるかたちで、遠くに山並みを一望できた。

 穂積ほづみさんは、鞄をベッドのうえに置きながら、

「ああ~、疲れた」

 と言って、腰をおろした。

 そこがちょうど入り口の近くだったから、ララさんは、

「あれ、八花やつか、そこでいいの?」

 とたずねた。

「べつにどこでもいいわよ」

「そっかあ、じゃあ、窓際がいいひと~」

 ララさんは、じぶんで手を挙げた。

 ほかに挙手はなし。

 ララさんは、窓際のベッドのひとつに、ダイブした。

「じゃあここ~」

 残りは4つ。私と大谷おおたにさんと平賀ひらがさんで分割。

 大谷さんと平賀さんは、真ん中のベッド。

 なんだかんだで、私は窓際になった。

 いろいろ準備を済ませて、1階のレクリエーションルームへ。

 男子は先に集まっていた。

 テーブルはもうセットされていて、将棋ができるように組み替えてあった。

 松平まつだいらはホワイトボードのまえで、

「こちらに書いてある組み合わせと場所で、着席してください」

 と指示した。

 私は大谷さんといっしょに、ホワイトボードの手前に座った。

 全員の着席を確認したところで、松平はペンを持った。

「えー、東京からの移動、お疲れ様でした。本日のスケジュールを説明します。すでに1時を回っているので、これから2局指し、そのあと夕食にします」

 松平は、ひと呼吸おいた。

「それでは、主将の大谷さんから、あいさつをお願いします」

 大谷さんは席を立った。

 みんなのまえで、両手を合わせて一礼した。

「お忙しいところ、合宿にご参加いただきまして、ありがとうございます。A級昇級に向けて、9月から厳しい戦いが始まります。個々人の伸びも大切ですが、チームとして仕上がっていることが重要かと思いますので、どうかお力添えをいただきたいと存じます」

 みんな真剣な表情に。

 松平が交代した。

「それでは、対局準備を始めてください」

 駒を並べて、チェスクロをセット。

 振り駒はゆずりあって、私が振った。

 歩が3枚。私の先手。

 あとは対局開始を待つ。

 作業の音も静かになっていく。

 最後に咳払いが聞こえた。

 松平は、

「対局準備は、よろしいですか?」

 と、確認を入れた。

 特に返事はなし。

「では、始めてください」

「よろしくお願いします」

 私たちは一礼して、大谷さんがチェスクロを押した。

 私は力強く7六歩。

 以下、8四歩、2六歩、8五歩、7七角、3四歩、8八銀。

 角換わりへ。

 3二金、7八金、7七角成、同銀、2二銀、3八銀、3三銀。


挿絵(By みてみん)


 主導権をにぎりたい。

 とはいえ、めちゃくちゃ有力な研究があるわけでもない。

 ここはオーソドックスに組んで、ようすを見る。

 3六歩、1四歩、9六歩、6二銀、1六歩、7四歩。

 私は4六歩と突いて、腰掛け銀へ移行できるようにした。

 6四歩、4七銀、9四歩、4八金、7三桂、3七桂、8一飛。


挿絵(By みてみん)


 んー、後手は、右玉も視野に入れてるっぽい。

 最初から千日手狙いだと、めんどう。

 私は5六銀で、すなおに組むことにした。

 6三銀、2九飛、6二金、6八玉、4二玉、6六歩。

 大谷さんは小考して、5四銀と出た。

 4四歩と突かないのか──ここを押さえてみましょ。

 私は4五歩と突いた。


挿絵(By みてみん)


 チェスクロを押す合間、大谷さんは居住まいを正した。

 後手の対応が、ちょっと難しいんじゃないかな、と思う。

 王様を動かすのが第一感。でも、動かす先は複数ある。

 3一、4一、5一、5二、どれもある。

 だけど、この予想は外れた。

 大谷さんは6三銀と引いた。

 そっちか。

 今度は私が迷う番になった。

 王様を動かしてくれるなら、2五歩の予定だった。

 とはいえ、このかたちでも2五歩はアリ。するかどうかの問題。

「……7九玉」

 5二玉、8八玉、5四歩、2五歩。

 けっきょく突けた。

 大谷さんは10秒ほど考えて、もういちど王様を動かした。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 そっちかあ。

 右玉に方針を切り替えたっぽい。

 私も対応する。

 6七銀、4二金、2八飛、7二玉、2九飛、6一玉。

 露骨な動き。

 千日手にするかどうか、その判断もしないといけなくなった。

 5六歩、7二玉、2八飛、4一金、5八金、3二金。

 後手は金のグルグル戦法を開始。

 2六飛、4二金、4六角、3二金。


挿絵(By みてみん)


 いかん、打開できない。

 固めたのは、ミスだったかも。

 もう消費時間がもったいないから、私は2八飛と引いた。

 まあ千日手でしょ──と思いきや、大谷さんはここで長考した。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 不穏な空気が流れる。

 後手から打開してくれるってこと?

 この状況で? ……どこから?

 私はちょっと考えて、飛車のスライドを思いついた。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 この場合……9八香で、穴熊にする?

 角換わりでは、たまにある作戦だ。

 以下、8一飛、9九玉、4二金、8八銀なら、打開する筋が生まれるかも。

 ただなあ、固めてポン、が効くかどうか。

 ちょっと疑わしいような──あ、動く。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ……なぬ?

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