363手目 合意された負担
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
【先手:裏見香子 後手:大谷雛】
……………………
……………………
…………………
………………どうにもならないわね。
私は駒をそろえて、頭をさげた。
「負けました」
「ありがとうございました」
チェスクロを止める。
うーん、3連敗。昨日から、ずっと勝ててない。
私がちょっとへこんでいると、大谷さんは、
「感想戦のまえに、休憩いたしますか?」
とたずねてきた。
「そうね、ちょっと休憩」
私はペットボトルのお茶を飲んで、ひと息ついた。
そのタメ息がだいぶ大きかったからか、大谷さんは、
「裏見さんのご負担が重くなってしまい、もうしわけございません」
と言った。
「まあ、話し合いの結果だし、私も了承したからいいんだけど……」
そう、あのあと話し合った結果、オーダーは次のように決まった。
【上位7人を出した場合】
4 2 7 1 6 3 5
【対京浜】
9 4 2 1 3 5 8
採用されたのは、バランスオーダー。
対京浜のほうで、工夫することになった。
ようするに、真ん中3つを全部拾って、端で最後のひとつを拾う、というパターン。
現時点の実力順だと──
青葉 裏見 大谷 風切 愛智 松平 ララ
これが対京浜のメンバー。
6番手の穂積さんと、7番手の星野くんがアウト。
8番手のララさんと、9番手の青葉くんがイン。
【京浜が当て馬なし】
都ノ 9 4 2 1 3 5 8
京浜 1 3 5 7 6 4 2
【京浜が当て馬あり】
都ノ 9 4 2 1 3 5 8
京浜 8 1 3 5 4 2 9
いやあ……うーん、どうでしょう、今さらながらに。
風切先輩を真ん中にしたから、どうしてもあいての強豪に当てられない。
もうひとつの問題は、京浜が両端に当て馬を出すと、都ノのセンター3勝が安定しなくなるという点だった。特に3番手の愛智くんと、京浜の4番手との対決が、ちょっとあやしい。
もちろん、そのあたりは議論で織り込み済み。それに、京浜はこのオーダーを読みにくい、という利点がある。おそらく、京浜が第一候補にするのは、以下の組み合わせ。
【京浜が誤解してくれそうな組み合わせ】
都ノ 4 2 7 1 6 3 5
京浜 1 3 5 7 6 4 2
だから、京浜は当て馬を出してこない、と思う。
だったら本命は、私と松平が、京浜の3番手と4番手にぶつかる。これ。
それを前提にした練習には、大谷さんと愛智くんが最適。
3番手なら、大谷さんよりちょっと弱くて、4番手なら、愛智くんくらい。
愛智くんには、ちょこちょこ入るんだけどなあ。大谷さんがなあ。
私はもういちどタメ息をついて、気合いを入れなおした。
感想戦に取り掛かろうとしたところで、部室のドアが開いた。
愛智くんだった。
いつもの黒マスクに、リュックサックを背負っていた。
「あ、おつかれさまです」
私たちもあいさつをした。
愛智くんはリュックをソファーにおき、盤をのぞきこんだ。
「……感想戦ですか?」
「ええ、そうよ」
「このあと1局指せます?」
「もちろん」
私と大谷さんは、10分くらいで感想戦を切り上げた。
愛智くんとチェンジ。
盤面をもどして、振り駒。
表が1枚で、私の後手。
「30分60秒で、いい?」
「はい、しばらくは公式戦どおりに指しましょう」
チェスクロを私の右側に置いて──準備完了。
私はボタンを押した。
「それじゃ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
7六歩、3四歩、6六歩、8四歩、6八飛。
【先手:愛智覚 後手:裏見香子】
ふむ、四間ですか。
私は1四歩で、端を打診した。
1六歩、5二金右、4八玉、5四歩、7七角、4二玉。
先手がどう出てくるか、様子見。
3八銀、3二玉、5八金左、6二銀、7八銀、8五歩。
愛智くんは、3九玉と下がった。
ちょっと穴熊を警戒してた感じかな。
いずれにせよ、オーソドックスなかたちになった。
私は7四歩で、急戦を見せる。
「そっちですか……」
愛智くんは10秒ほど考えて、6七銀。
3三角、2八玉、4四歩、5六歩、2二玉。
「さすがにその組み方は、許容できません。6五歩」
はい、一気に開戦の準備、きた。
後手が悠長に囲っているあいだに潰す、と。
もちろん、それを誘ったのは私のほうだから、適切に対処していく。
5三銀、7八飛、6四歩。
私は狙い通りに開戦。
愛智くんも、すぐに5五歩とぶつけてきた。
むむむ、単に6四同歩とは、してくれませんか。
5五歩には……同歩もアリかな。同歩、7五歩、6三金みたいな流れ?
取らない場合は……6五歩? 先手は、5六銀と支えてきそう。
5筋で反発するか、6筋で反発するかのちがい。
最初の分岐点で、私は長考。
「……」
6五歩のほうが、わずかに攻め幅が広いとみました。
5五同歩、7五歩は、8三飛と一回浮く必要がありそう。
私はひとりうなずいて、6五歩と取り込んだ。
愛智くんも長考返し。
5六銀と進出した。
3二銀、6五銀、6二飛。
愛智くんはマスクの下で、いやあ、とつぶやいた。
「角道を開けずに、右四間模様ですか……斬新」
特に狙ってやったわけじゃ、ないんだけどね。
銀を進出してきたのは、愛智くんなんだし。
6四歩は同銀で意味がないから、愛智くんは5四銀と前に出た。
ここなのよね、第2の分岐点。
6九飛成とそのまま突っ込むか、それとも5四銀で銀を回収するか。
銀を回収するのは、同歩のかたちが危ないかなあ。
私は30秒ほど迷って、6九飛成とした。
愛智くんは、6八飛で交換を迫ってくる。
これは無視。
8九龍、6一飛成、7八龍、5三銀成、同金。
愛智くんは、角をスッと上がった。
そっちかあ──予想が外れた。
手堅く6八金か、一本5四歩だと予想していた。
私は背筋を伸ばして、ポニテの位置をなおす。
この手を軽視してたのは、6七歩があるからなのよね。
そこで8四角と呼び出すなら、4五歩と突く。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これで一気に角が参戦するから、後手がいいでしょ、という判断。
愛智くんは、これを互角と見てるのかしら?
それとも、この進行以外を考えてる?
私はこぶしを口もとに当てて、黙考した。
後者っぽいのよね──あ、もしかして、6七歩に5七角?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
攻めずに粘ってくるのかも。
ここで7三桂と跳ねる?
でも、8四角と方針転換されたら、困る。跳ねた桂馬が目標になってしまう。
「……6七歩」
「今の長考具合だと、気づかれましたね。5七角」
私は6九龍と入った。
5四歩、同金、4三銀。
おっとっと、露骨にきた。
同銀だと崩壊……しないか。取っちゃってもよさそう。
4一龍に、4二銀としちゃえばいいわけで……あ、そこで7九金がある。
でもでも、4九龍、同銀、5一金で、殺し返せるのよね。
以下、同龍、同銀、8三飛……先手を取られちゃうか。
心情的には、ちょっと飛び込みたくないかも。
「5六歩」
3二銀成が大したことなさそうだから、攻めさせてもらう。
愛智くん、この踏み込みを受けて、マスクの位置調整。
手抜けないだけじゃなく、逃げる場所も限られている。
「4六角です」
「4三銀」
4一龍、4二銀。
愛智くんは持ち駒の金を手にして、迷った。
さっきの状況なら、さくっと7九金だったと思う。
だけど今の局面は、5六に拠点がある。龍の消し合いでも、後手がやれそう。
それともうひとつ、単に5九金引と、5九金打でも迷っているっぽい。
愛智くんは金を持ち駒へもどした。
だいぶ考え込んでいる。
私はお茶を飲んでから、読みを深めた。
7九金以下と、5九金引(or打)とでは、進行がまるでちがう。
7九金は、4九龍、同銀、5一金、同龍、同銀、9一角成と馬を作るか、あるいは8二飛と王手する感じ。5九金引は、9九龍と逃げる。先手も当然に8一龍と逃げて、おたがいに攻めを立て直すことになる。5九金打も9九龍、8一龍の展開だけど、先手は金を手放しているから、守勢になりそう。
私は5九金引をメインに読んだ。
これが一番ありそうで、かつ、その後の方針がむずかしい。
愛智くんは5分も長考したあと、5八の金を5九に引いた。
9九龍、8一龍。
ここで気持ちのいい手がある。
「4五歩」




