358手目 解散
翌日、私たちは例のお蕎麦屋さんに集合した。
聖生探偵団を最初に結成した場所だ。
氷室くんは私に耳打ちしたあと、風切先輩と合流して、どこかへ行ってしまった。私は松平と大谷さんに相談した。結局、太宰くんへこの件を伝えることになった。太宰くんは氷室くんに一回声掛けをしたから、リーダーが太宰くんなことはバレていると思う、という大谷さんの意見が決め手になった。
私たちがお店に到着したとき、太宰くんはすでに来ていた。
2階のお座席で、ひとり待っていた。
太宰くんはスマホをポチポチしながら、
「おつかれ」
とあいさつした。
私たちもあいさつをして、入室。
太宰くんは、テーブルの奥に座っていた。私たちは、入り口の近くに固まった。
これを見た太宰くんは、
「奥から詰めないの?」
と訊いてきた。
松平は、
「太宰のまえに氷室が座る……っていうのが、話しやすいんじゃないか」
と答えた。
太宰くんは、そうかもね、とだけ答えた。
時間ぎりぎりに火村さんが、3分ほど遅刻して磐くんが到着。
火村さんは太宰くんのとなりに、磐くんは松平のとなりに座った。
氷室くんとの待ち合わせ時刻は、わざと30分ずらしてある。
私たちはさっそく、打ち合わせを始めようとした。
ところが──
「お待たせ」
いきなり障子を開けて、氷室くんが部屋に入ってきた。
唖然とする私たちをよそに、氷室くんは太宰くんのまえに座った。
そして、あっけらかんとした口調で、
「全員そろったみたいだね。みんな、注文は終わってる?」
とたずねた。
太宰くんは、
「いや……まだだよ」
と返した。
とりあえず注文をすることに。
私はざる蕎麦を注文した。
店員さんが出て行ったあと、氷室くんは話を切り出した。
「その顔だと、もう腹は決まってる、ってわけじゃなさそうだね」
太宰くんは、まあね、と言ったあと、
「牽制し合ってもしょうがないし、率直に訊こうか……氷室は、暗号が解けたの?」
と、いきなり核心部分から入った。
氷室くんは、肩をすくめた。
「いや、解けてない」
これは意外だった。少なくとも、私にとっては。
てっきり暗号が解けたから、声をかけてきたと思ったのに。
太宰くんもこれを聞いて、態度を変えた。
「だったら共闘する意味は、ないんじゃないかな」
氷室くんは、なぜ、とたずねた。
太宰くんは、
「僕らが困ってるのは、暗号の解読だけだからだよ」
と答えた。
これは。ややおおげさな言い方だった。
ほかにもいろいろ困ってると思うんだけど。
聖生の仲間の正体とか。
ひとりは宗像くんのお父さんで、ほぼ確定。
だけど、もうひとりはてんでわからなかった。
氷室くんは、かるく嘆息した。
「僕はね、あの暗号のキーを見つけた、と思ってたんだよ」
私たちはおたがいに視線を合わせた。
太宰くんだけは、氷室くんのほうを向いたままだった。
「と思った、っていうのは?」
「じっさいにはハズレだった」
「わざわざハズレだったことを教えに来たの?」
太宰くん、ずいぶんと強気。
ただその背後には、氷室くんに対する警戒もある気がした。
氷室くんはそこに頓着しないで、話を進めた。
「速水先輩が聖生の遺産を狙ってること、太宰も知ってるよね?」
「まあ、多少は」
「僕は速水先輩からも、声をかけられた」
太宰くんは、へえ、とつぶやいた。
警戒心が上がったようにみえる。
それも当然で──これ、氷室くんが速水先輩のスパイなんじゃないの?
その可能性がないとは、言い切れないような。
疑いの目を向けられるなか、氷室くんは、
「きちんと断った」
とつけ加えた。
太宰くんは、
「証拠は? と言いたいところだけど、あるわけないか。で、なにが言いたいの?」
とたずねた。
「そのとき、速水先輩はちょっとだけヒントをくれた」
「ヒント?」
氷室くんは、そのときの会話を正確におぼえている、と言った。
そして、内容を教えてくれた。
速水先輩は、氷室くんの数学スキルを買って、声をかけてきたらしい。
聖生の暗号というものがあるはずだから、それを解いて欲しい、と。
氷室くんは、興味がないという理由で断った。
ところが速水先輩は、氷室くんにも間接的に関係がある、と言ったらしい。
「僕はそのセリフの意味が、よくわからなかった。詳しく訊いても、教えてくれなかったし。ただ、あとでちょっと思い当たることがあって、もしかしたら暗号が解けたかな、という気になった」
これを聞いた太宰くんは、
「で、解けなかった、と。なにを考えたのか、一応教えてくれない?」
とたずねた。
氷室くんはかるくほほえんで、
「風切先輩だよ」
と答えた。
私はエッ?という顔になった。でも、太宰くんは冷静だった。
「風切先輩が聖生のこども、あるいはその仲間のこども……と」
「へぇ、太宰もその可能性について、考えたことがあるんだね」
「もちろん。風切先輩は宗像ふぶきさんの元カレで、いきなり将棋界に復帰した。その途端、聖生も復活した。なにかあると思うよね、ふつうは」
そっか……風切先輩、そこまであやしまれてたんだ。
私は都ノのメンバーだったから、そこまで疑わなかった。
部の再建は、私たちから持ち掛けただけで、風切先輩から誘ってきたわけじゃない。
このあたりは、視点のズレだと思う。
太宰くんは、
「ってことは、暗号のキーがHAYATOだと思ったってこと?」
と確認を入れた。
氷室くんはうなずいた。
「そう、だけど意味のある文書にならなかった」
太宰くんは、磐くんに目配せした。
磐くんは、了解、という感じでスマホのアプリを立ち上げた。
「……たしかに、意味のある文字列にならないな」
ふぅ、ちょっと緊張した。
総当たりはもう終わってて、解読できないことはわかっている。
とはいえ、ね。
ここで、料理が運ばれてきた。
私たちは黙って、店員さんの作業を見守った。
急に静かになったから、ちょっと不審に思われたかも。
ごゆっくり、と言って、店員さんは障子を閉めた。
影が遠ざかる。
氷室くんはお茶を飲み、それから先を続けた。
「というわけで、このヒントに関しては、先に進めてない。だいじなのは、もうひとつのほう。僕は速水先輩に、聖生が遺産を隠せる場所なんてあるのか、と訊いた。すると速水先輩は、一時的にどこかへ預けることはできたはずだ、と答えた」
この言い回しに、その場のだれもが違和感をおぼえた。
太宰くんは、
「一時的に? ……ほんとにそう言ったの?」
と、けげんそうだった。
「うん、はっきりおぼえてるよ。一時的に、ってね。最初は変だと思わなかった。例えば銀行に一時的に預けて、そのあと引き出す、とかね。でもよくよく考えたら、つじつまが合わなくなる」
そうだ。宗像姉弟の生活と整合的じゃない。だって、銀行から引き出したら、合法的に使うのがむずかしくなってしまうから。金融機関を介さずに大金を動かしていると、税務署に目をつけられるはずだ。
太宰くんは、
「つまり……速水先輩は、かんちがいをしていた?」
と小声でたずねた。
「太宰はそう解釈するの?」
「いや……速水先輩がそんなミスをするとは、思えない」
氷室くんも、首を縦に振った。
「僕もそう考えた。だから、いろいろと可能性をさぐって、ひとつの結論にいたった」
氷室くんは、そこで言葉をくぎった。
太宰くんは、しばらくじぶんでも考えて──ハッとなった。
「そうか……聖生と資金調達役は別……」
氷室くんはゆびを鳴らした。
「そう、『聖生の遺産』と聞いたとき、僕はお金のことだと思った。太宰もそうなんじゃないかな。でも、速水先輩はちがったんだ」
「速水先輩はお金じゃなく、聖生が日本へ持ち込んだものを追っていた……ってことか。だけど、それがずっと預けられてるとしたら? 例えば銀行の貸金庫とか」
氷室くんはその可能性を認めつつ、異なる見解を示した。
「僕は、持ち出されたと思っている」
「根拠は?」
「勘」
太宰くんは、小さく嘆息した。
「ロジックじゃなくて勘、か……氷室らしくないね」
「数学でも直観は大事さ」
「これは数学じゃない。物理的な二択だ。預けられたままか、そうでないか」
氷室くんは、いつもの冷たい視線にもどった。
ポケットからスマホを取り出し、テーブルのうえに置いた。
「それを今から確かめよう」
太宰くんは、眉間にしわを寄せた。
「確かめる? ……だれかに電話するつもり?」
「大円銀行に」
「!」
私たちは顔を見合わせた。
太宰くんは、
「教えてもらえるわけがない。できるなら、僕がとっくに電話してる」
と指摘した。
「もちろん、正面突破はムリだよ。裏手から入る」
「どうやって?」
「聖生の仲間のフリをする」
沈黙──この大胆な提案には、さすがの太宰くんもあっけに取られていた。
「それは……もう犯罪だと思う」
「聖生の遺産を調べるなら、どこかで法に触れなきゃいけない。大円銀行の内部にアクセスするしか、ないんだから……ちがう?」
太宰くんは逡巡した。
いや、さすがにマズいのでは。
私はかなりイヤな流れを感じた。
この場にいるメンバーも、バラバラな反応を示している。
そんな中、太宰くんが出した結論は──
「……わかった、電話しよう」
大谷さんが異議申立てをしかけた。
けど、太宰くんは先回りした。
「ただし、条件がある。探偵団は、ここで白紙だ。イヤなひとは去って欲しい」
これを聞いた松平は、私のほうを見た。
私は顔をしかめて、首を左右に振った。
松平もうなずいた。
「悪いが、俺と裏見は降りるぜ」
「拙僧も降りさせていただきます」
火村さんも同調した。
残ったのは、太宰くん、氷室くん、磐くんの3人。
太宰くんは、どこか納得したような表情だった。
「そうだね。このメンツで分かれよう。むしろ違和感がない……それじゃ、今までありがとう。最後に、食事だけは済ませようか」




