355手目 スマホチェック
「ありがとうございました」
いやぁ、勝っちゃった。
30分60秒で火村さんに勝ったの、初めてなんじゃないかしら。
私が喜ぶ一方で、火村さんはまったく納得がいかない模様。
盤面をゆびさして、
「詰んでないの、これ?」
と訊いてきた。
「私が読んだ限りでは、詰まないかな」
火村さんは、ホントに?、と念を押してきた。
局面をもどして検討する。
【検討図】
火村さんは、
「金と銀を打ち間違えたと思うのよね。8六金からだと?」
と言った。
私はちょっと考える──難解。
「たしかに、さっきの端玉はできないわね」
「でしょ。9九飛成で詰むから」
途中をはしょらずに並べると、この局面から、8六金、同玉、7五金、同玉、6五馬、8六玉、7六馬、9五玉、9九飛成、9六合、8六銀まで。
だけど、こうは指さない。
「7六馬に同玉と、取っちゃえばいいんじゃない?」
私は単純な解決策を示した。
火村さんは7八飛成とひっくり返した。
【検討図】
「……」
「……」
詰みそう? それとも詰まない?
短手数では詰まなさそうなんだけど……うーん、よくわからない。
私たちが悩んでいると、ノイマンさんが現れた。
「お姉さまがた、眉間にしわを寄せるのは、よくないのです」
火村さんは顔を上げて、
「これ、詰むと思う?」
とたずねた。
ノイマンさんは、ひとさしゆびをこめかみにそえた。
「カミーユお姉さま、頭を使うのです」
と言った。
そ、それは失礼でしょ。
火村さんも、
「なに、あたしが考えてないって言うの?」
とにらんだ。
ノイマンさんは全然動じずに、ポケットからスマホを取り出した。
「これでチェックすればいいのです」
ふたりともずっこける。
火村さんは、
「それじゃ練習にならないでしょッ!」
と怒った。
「お姉さま、怒ると血圧に悪いのです。ポチポチ」
ノイマンさんが入力しているあいだ、私たちは人力で検討した。
合駒は7七桂なんだろうけど、その次が判然としなかった。
6五に角を打つかな、という印象。6六玉、7四桂、5五玉……あ、これは詰むか。
だとすると、7五玉と上がって──
「詰むのですッ!」
ノイマンさんの大声に、私たちは二重の意味でびっくりした。
火村さんは、
「ほんと?」
と、いぶかしげ。
「ここから26手で詰むのです」
26手ッ! ……あれ? じゃあ全部で何手?
ここまでけっこう進めてるわよ。
私は、
「7七銀からだと、何手?」
とたずねた。
「どの局面ですか?」
あ、そっか、全部は見てないのか。
私は局面をもどした。
「……それは詰まないのです」
「え、じゃあどこが悪かったの?」
進めてみると、7四香に7六銀と打ったのが悪手だった。
【検討図】
ええ……ここから詰むのか……39手詰め。
正解は7六金らしい。
でも、金を手放したら後手は詰まないから、評価値は当然に先手敗勢だった。
本譜の後手は、7六同香、同桂、8五桂、同歩まで正解で、8六銀がミス。
ここが8六金なら詰んでいて、同玉、7五金、同玉、6五馬、8六玉、7六馬、同玉、7八飛成、7七桂、6五角、6六玉、7四桂、7五玉、7七龍、6四玉。
【検討図】
あ~、そっか、これは6三歩に5五玉と下がれない。
5四銀一発で詰んでしまう。4六の歩が邪魔なのだ。
だから同龍と取るしかなくて、以下、同銀、同玉、5二銀、6二玉、6一飛、7二玉、5四角と、ここで角が参加。6三銀、同角、7三玉、8一桂、6四玉、6七龍、6五金、5三金、5五玉、4四銀まで。
歩しか余らないのかあ。
火村さんはテーブルにつっぷして、
「やっぱり詰んでたじゃな~い。惜しい」
と言った。
いやいや、どこが惜しいんですか。8六銀の時点で間違ってたでしょ。
そもそも39手詰めとか、現実だと詰んでいないも同然。
6一飛成と突っ込んだのは、人間的には英断だった。
私が悦にひたっていると、脇くんの声が聞こえた。
「それでは最終戦に入りましょう。組み合わせを作りますので、勝敗結果の報告をお願いします」
5分後、組み合わせが発表された。
私のあいては──脇くん。
なんとなく予想はついていた。
3連勝同士だものね。よほどのあいてしか、残っていない。
脇くんはクリーム色のオックスフォードシャツに、ダークグレーの長ズボン。
無地でそっけないけど、完璧な着こなし。
前髪には、例の赤く染めたラインが入っていた。
私たちは黙って駒を並べ、チェスクロをセットしなおす。
振り駒は、私の後手。
んー、なにをしよう。
後手角換わりで、もうひとつ試したいものがある。
それをぶつけるか、あるいは意表をついて振り飛車を試すか。
このクラスにはそんなに当たらないから、貴重な機会だ。ちょっと悩ましい。
脇くんはとくに周囲を見ないで、
「みなさん、準備はよろしいですか?」
とたずねた。
返事はなかった。
「それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
私はチェスクロを押した。
パシリ
【先手:脇聖司(赤学) 後手:裏見香子(都ノ)】
相掛かりのお誘いかあ。
これは困った。相掛かりは、まだ見せたくない。
私は10秒ほど迷って、3四歩と突いた。
「今の間は、意味深だね」
あんまり考えないでください。
2五歩、3三角、7六歩、2二銀、6六歩。
力戦形に。
さすがに3三角成の舐めプはしてこなかった。
それだと後手が一手得になる。
ここからは慎重な駒組みが始まった。
8四歩、6八銀、6二銀、7八金、8五歩、7七銀。
先手は矢倉に固定された。
5二金右、4八銀、6四歩、3六歩、6三銀、5八金。
私はここで4二玉と上がった。
これを見た脇くんは、
「右玉じゃないわけだね」
とつぶやいた。
まだある範囲かな、とは思うけど、個人的にするつもりはない。
私が考えているのは、ここからの速攻だ。
例えば先手が6九玉なら、5四銀、6七金右に6五歩とすぐ仕掛ける。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
いいかどうかは分からない。ただ、漫然と組むつもりはなかった。
今日は第1局から第3局まで、積極策に出た。
それが功を奏している。
脇くんクラスに私の速攻がどこまで通用するか、見てみたい。
脇くんは30秒ほど考えて、7九角。
これも同様、5四銀、3七桂、6五歩。
脇くんはポケットから、リップクリームを取り出した。
唐突に塗り始める。
それはおしゃれというよりも、どこか思考を集中させる儀式に思えた。
現に視線は、盤上に固定されたままだ。
脇くんはくちびるを結んでクリームを延ばし、ポケットにスティックをしまった。
だんだん圧が高くなっていく。
先手も攻め合いを選択したと、私は察した。
「同歩」
同銀、5六歩、3二金、2四歩。
やっぱり攻めてきた。
私は同角と取って、同角、同歩、同飛、2三銀、2九飛、2四歩と収める。
後手は銀冠へ移行。
でも、入城できるかというと──
「2五歩」
ぐッ、先手も手が続きそう。
同歩、6九玉、6二飛、7九玉。
脇くんの王様は、スレスレのところで飛車筋を回避した。
私のほうは、6六歩で位を確保するのが、第一感。
ただ、5七銀と受けられたあとが、むずかしい。
私は1分ほど考慮して、2筋を支える方針に変更した。
「3三桂」
脇くんはスッと3五歩。急所。
同歩、6三歩。
んー、同飛はないとして、同金のあと、先手の方針は?
2五桂と跳ねて桂交換、8八玉で入城、あるいは5七銀のガード。
このあたりかしら。
脇くんも積極策だと思うのよね。さっきの継ぎ歩とか。
だったら2五桂一択で読んでも、いいかも。
残り時間は15分を切っている。
私は現局面から、6三同金、2五桂、同桂、同飛に対する反撃を考えた。
候補手は、すぐに浮かぶ。
例えば、入手した桂馬で6六桂。
あるいは4九角で金を狙うか、8六歩と一本入れる。
8六歩はちょっと遅いかな、という印象。
4九角の場合、6八金右なら7六銀がある。もちろん、そうはしてくれない。おそらく5九銀と固めるか、あるいは1五桂で攻め合うはず。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
この1五桂は、けっこうキツイ。一見、2四歩で受かってそうなんだけど、2三桂成、2五歩、3二成桂、同玉に、5一角という強烈な返しがある。3二成桂に同玉としないなら、純粋に2枚換えだから、これも先手が成功。
つまり、このままだと、先手は一手余裕のあるかたちになっている。
だとすれば……攻防手を指さないといけない。
先手の攻めを遅らせつつ、こちらからの攻めにもなっている手。
……………………
……………………
…………………
………………これしかないか。
私は6三同金、2五桂、同桂、同飛まで進めて、さらに10秒確認した。
「4四角」




