354手目 9二玉
3三桂は第一感、ムリをしている。
もちろん、火村さんもそれは承知のはず。
でなきゃ、あそこまで考えなかっただろう。
一応、ここからいったん収まると思う。つまり、3三桂成、同角、2九飛、2三歩だ。問題は、そこで後手に2回目のムリをさせるのか、それともこちらも動くのか。
前者も、ありそう。例えば2八飛と一回浮いて、5四桂、5五銀左、4六桂、同銀だって、先手が悪いとは限らない。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
銀桂交換だけど、後手も動き回れないでしょ、たぶん。
後手がムリ攻めを再開すれば、こちらはいなすチャンスが出てくる。
で、後者、つまり先手から動いた場合と比べて、どうか。ここが悩ましい。
先手から動くなら、例えば2三歩の瞬間、3九飛と寄りたい。次に4二金のような手だと、3五歩で開戦できる。同歩、3四歩、2二角で、悪くない。
「……」
「……」
火村さんは、窓のほうをちらりと見た。
なんだかむずかしそうな顔をしている。
簡単じゃない順に飛び込んだのを、自覚しているようだ。
私も、おとなしく指すか激しく指すか、その選択に迫られていた。
「……3三桂成」
同角、2九飛、2三歩。
私は3九飛と寄った。
積極策。
火村さんは、
「そっちか」
と言って、1分ほど考えた。
「5六歩」
攻め合いかあ。
火村さんの性格からして、そうかな、とは予想していた。
同じ理由で、5六同歩、同飛、5七歩、5一飛じゃ、ないと思うのよね。
5六同歩の瞬間に、5四桂っぽい。
「同歩」
とりま取る。
案の定、火村さんは5四桂と打った。
私は、消極策のときに読んでいたのと同じ順で、5五銀左とした。
4六桂、同銀、5六飛。
ここで9五歩と反撃。
3筋と9筋を同時に受け続けるのは、ムリだと読んだ。
火村さんも手が止まった。
無難に5七歩を読んでたっぽい?
残り時間は、おたがいにちょうど13分ずつ。
その中から1分使って、火村さんは同歩とした。
んー、同歩自体に時間を使ったわけじゃないんでしょうけど、そんなに考える局面でもなかったような。その先の反撃を考えていたのかしら。
私は3五歩、同歩、9三歩と、二方面作戦を開始した。
同香、8五桂。
がっちり受けるなら8四銀、軽く受けるなら8四歩。
私はこのどちらかだと読んでいた。
ところが、火村さんはちょっと考えたあと、勢いよく7六飛と寄った。
んー……なるほど、その手もあったか。
桂馬の入手が確定してるから、8五桂の反撃が厳しい、と。
飛車筋に王様が入ると、角が逃げられない。
私は作戦を練り直した。
「9三桂成」
一回王手して、同桂に8八桂。
飛車を狙う。
これ、意外と逃げ場がないのでは?
7四飛は7六香で追撃出来て、そこで8五桂は飛車角交換でよし。8四飛と寄ったら、次の手がなくなるし、7五桂も同香、同飛、7六歩で押さえ込める。
ところが、これは読み違いだった。
「ちょっと、香子、あたしがひるむと思ってんの? 同飛成よ」
いきなり交換してきたか……まあ、火村さんらしいし、最善のようにも見える。
私は10秒ほどで同桂。
火村さんは8五桂打と継いだ。
うわぁ……なるほど、端を逆用する気か。
しかも、かなり変わった逆用の仕方だ。
香車じゃなくて桂馬、さらに7筋方面へ反撃してる。
私はさすがに手が止まってしまった。
……………………
……………………
…………………
………………手がめちゃくちゃ広い。
下手したら10通りくらいあるんじゃないの、これ。
攻めをせかすなら、8六歩か8六香。
7筋は受かると見るなら、3四歩か3四香。
それ以外に、8五同桂、同桂、7七歩とかもありそう。
9四歩と攻め合うのもありか……うーん。
第一感、8六歩なのよね。
全部は読んでいられないから、ここを本線に読んでいく。
8六歩には7七桂成しかない。あいての手を限定させる効果も期待できた。
問題は、同金の次だ。ここもまた手が広い。
私なら一本5七歩と入れそう。同金は4八銀がある。
「……8六歩」
とりあえず進めてみる。
火村さんはすぐに7七桂成、同金、5七歩と打った。
ここもなあ……手が広いように誘導されている感がある。
残り時間は10分を切っていて、終盤を考えると、そんなに使いたくない。
同銀は、6五桂で困るのよね。
以下、6六銀、7七桂成、同銀、5七歩で、なにをやってるのかわからない。
「6八金」
金をかわす。
火村さんは、かまわず6五桂と打ってきた。
8七金でさらにかわす。
火村さんは、パチリと指をはじいた。
「もう全軍突撃するわ。4五銀」
えッ……あッ! 5八歩成、同金、7七銀があるのかッ!
しまった、4五銀と取れない。
私は前傾姿勢になった。
「これがトマトジュースの呪いよ」
シャラーップ! お静かに。
銀は紐づいているから、タダ取りはされない。
問題は7筋からの攻めを、どうやって緩和するのか、だ。
7七歩は消極的過ぎる。後手に手がつかない。
だったら──
「6六香ッ!」
こう。桂取りを見せる。
火村さんは4六銀、同歩に4七角。
こちらが守勢に回ってしまった。ちょっとキツイ。
ここは5九歩で……あッ、3八銀で飛車が詰んじゃうのか。
今の駒割りは、銀香交換で、先手が駒損。
さらに飛車銀交換になると、もたないかも……けど、5八歩成ももたない。
飛車を逃げる余裕はない。私はそう判断した。
「5九歩ッ!」
3八銀、同飛、同角成。
ここで9四桂と打ちたい。でも、7一玉と逃げられたあと、7四飛の王手桂が残る。
私はいったん7六金と上がった。
どう? 意外と後手もむずかしいんじゃない?
3九飛とかなら、今度こそ9四桂。
9四銀と埋めるのは、意味がない。9五香、同香、9四桂になるから。
つまり、埋めて意味があるのは、9四飛のみ。だけどこれは相当やりにくい。
火村さんも悩んだ。
「……4二金」
なるほど、逆サイドからの封鎖を防いだか。
9四桂~5三銀がセットで、9四桂~5四銀は、すこし弱い。
私は3一飛と下ろした。
火村さんは盤面を凝視する。
私は攻めの手を予感した。
「6六角」
マジですかッ!?
私はノータイムで同歩……じゃない、9四桂が先だ。
手拍子になるところだった。
6六角は9四香と打つための、補充にちがいない。
こちらから先着しておかないと。
「9四桂」
火村さん、ここでも小考。
私は7一玉、6六歩、7四香のあとを考えた。
先手は歩切れだから、これがけっこう厳しい。
「……9二玉」
ん?
私は反射的に、6一飛成としかけた。
成りかけて、手をもどす。
「失礼」
……………………
……………………
…………………
………………7七銀から詰む?
詰まないなら、6一飛成で先手勝ちのはず。
ただ、7七銀、同金引、同桂成、同金、同角成、同玉の瞬間が気になる。
ここで7四香だと?
7六金と受けたら、6一銀の瞬間に後手は詰まない。
そもそも同香と突っ込まれて、先手が詰む可能性すらあった。
っていうか、さっきの長考は、詰みを読んでたっぽい。
その結論が9二玉なら、6一飛成との差し違えは、承知のはず。
私は火村さんを信頼するかどうかで、迷った。
安全策なら6六同歩……いや、安全とは限らないのか。
そこから7七香と突っ込まれて、けっきょく危なくなる。
6一飛成でも6六同歩でも危ないなら、踏み込んだほうがいい?
だけど、同歩はかなり自然な手だし──
ピッ
ぐッ、時間を使い過ぎた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6一飛成ッ!」
迷ったら踏み込む。
6一飛成で寄ってたのに~という後悔だけは避ける。
「そうこなくっちゃッ! 7七銀ッ!」
同金引、同角成、同金、同桂成、同玉。
問題の局面になった。
私の読みだと、詰まない。
7四香でも7九飛でも、即寄りはしないはず。
火村さんは、ここで長考した。
9二玉のときに、読み切っていなかったみたい。
残り3分のうち2分使って、7九飛と打った。
私は合駒を慎重に選択する。
7八角、7四香、7六銀、同香、同桂。
「ぐッ……」
ほらほら、手がなくなったわよ。
後手玉は一手詰みの状況。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
そう、こうするしかない。
私は同歩と取った。
火村さん、悶絶。
「突撃ィ! 7六銀ッ!」
自暴自棄になったわね。
同玉ぅ。
7五金、同玉、6五馬、8六玉、7六馬。
ん? 意外と危ない? ……い、意外とじゃなく、危ないッ!
同玉は7八飛成で詰みそう。
やけくそかと思ったら、そうでもなかった。
私は脳みそをフル回転させる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
あ、そうかッ!
私は王様を9筋に上がった。
歩が飛んだ。
私はチェスクロを押してから、歩を回収。
「今の切れてない?」
切れてません。セーフセーフ。
火村さんは腕組みをして、持ち駒を確認した。
「ん?」
盤を見て、持ち駒をもういちど確認した。
お気づきいただけましたか?
後手は斜め駒がない。9九飛成は詰まない。
「ぎ、銀を捨てちゃってるッ!」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
火村さんは7七馬と入った。
私は8六桂の合駒。
同馬、同玉、7五金に9五玉と、落ち着いて入りなおす。
火村さんは天を仰いだ。
「ハァ~……負けました」
場所:赤山学園キャンパス 赤学・聖ソ・都ノ合同研究会
先手:裏見 香子
後手:火村 カミーユ
戦型:後手ゴキゲン中飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲6八玉 △5五歩 ▲4八銀 △3三角 ▲3六歩 △4二銀
▲3七銀 △5三銀 ▲4六銀 △4四銀 ▲7八玉 △7二銀
▲6八銀 △6二玉 ▲7七銀 △7一玉 ▲6六銀 △6四歩
▲2四歩 △同 歩 ▲3七桂 △8二玉 ▲5八金右 △3二金
▲4五桂 △2二角 ▲2四飛 △2三歩 ▲2九飛 △9四歩
▲9六歩 △1四歩 ▲6八金上 △5一飛 ▲1六歩 △5二飛
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩 ▲2九飛 △5一飛
▲7七角 △1二香 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △3三桂
▲同桂成 △同 角 ▲2九飛 △2三歩 ▲3九飛 △5六歩
▲同 歩 △5四桂 ▲5五銀左 △4六桂 ▲同 銀 △5六飛
▲9五歩 △同 歩 ▲3五歩 △同 歩 ▲9三歩 △同 香
▲8五桂 △7六飛 ▲9三桂成 △同 桂 ▲8八桂 △7七飛成
▲同 桂 △8五桂打 ▲8六歩 △7七桂成 ▲同 金 △5七歩
▲6八金 △6五桂 ▲8七金 △4五銀 ▲6六香 △4六銀
▲同 歩 △4七角 ▲5九歩 △3八銀 ▲同 飛 △同角成
▲7六金 △4二金 ▲3一飛 △6六角 ▲9四桂 △9二玉
▲6一飛成 △7七銀 ▲同金引 △同角成 ▲同 金 △同桂成
▲同 玉 △7九飛 ▲7八角 △7四香 ▲7六銀 △同 香
▲同 桂 △8五桂 ▲同 歩 △8六銀 ▲同 玉 △7五金
▲同 玉 △6五馬 ▲8六玉 △7六馬 ▲9五玉 △7七馬
▲8六桂 △同 馬 ▲同 玉 △7五金 ▲9五玉
まで131手で裏見の勝ち




