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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第55章 解けなかった暗号(2017年6月21日火曜)
363/496

352手目 粘り強い指し手

挿絵(By みてみん)


 三間だ。

 先手ゴキゲンかな、と予想してたから、すこし意表を突かれた。

 私は30秒ほど考えて、方針を決める。

 急戦で行きましょう。

 1四歩、1六歩、8五歩、7七角、4二玉。

 いったん決まれば、対抗形の序盤。指し手は速かった。

 4八玉、5二金右、3八銀、7四歩、3九玉、3二玉。

 先手は美濃囲いを明示した。

 2八玉、6二銀、5八金左、6四歩、6八銀、9四歩。


挿絵(By みてみん)


 んー、7三桂~6五歩ってイケるかしら。

 ちょっと難しいかな。5四銀の援軍は必要そう。

 ここからは、間合いの計り合いが始まった。

 5六歩、7三桂、8八飛。

 振りなおしてきたか……まあ、これはよくある牽制だ。

 5六歩を早く突いたから、5七銀型ということもわかった。

 5七銀型なら、6五歩は効きそう。

 6三銀、5七銀、4二金直、3六歩、5四銀。

 岩井いわいさんは6五歩からの開戦を恐れていないのか、受けてこなかった。

 2六歩。

 ここで6五歩ポンでも、いいのでは?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)


 同歩、7七角成、同桂、2二角と打ち直して……3七角と打たれるか。

 成り合って取り合って、は後手が悪い。陣形の差が出るからだ。

 となると、7三角成の瞬間、飛車に当たらないようにする必要がある。

 いったん8一飛と引く?

 そのとき、先手も一手追加できるから、その一手の価値との天秤になる。

 8一飛を手待ちと誤解してくれたら、3七桂と跳ねてくれるかもしれない。

 でも、B級で活躍してる振り飛車党が、そんなうっかりをしてくれるかしら。

 期待するのは危険。おそらく気づいて、6七金と補強すると思う。

 この補強で6五歩が頓挫するなら、ダメ……いや、その時点で作戦失敗か。

 わざわざ5四銀って出ちゃってるものね。

「……8一飛」

 岩井さんは、この手にすこし反応した。

 ペットボトルのキャップを開けて、ひと口。

 私も飲みたい。今から離席して──あ、対局中は出られないんだった。

 カンニング防止。

 困っていると、部屋のドアがひらいた。

 ララさんが顔をのぞかせる。

 あ、タイミングが合ったらあとで来る、って言ってたわね。

 私は手を振って、こっちこっちと合図した。

 ララさんは踊るようにテーブルへ接近した。

「なに、ララのアドバイスが欲しいの?」

 そういうこと言っちゃダメでしょ。勘違いされるから。

 岩井さんも、ちょっとびっくりしている。

「お茶買って来てくれない?」

「いいよ。なんのお茶?」

彩鷲あやわし。なかったら、ほかの緑茶でもいいわ。お金はあとでお願い」

「任せてちょんまげ」

 親父ギャグは言わなくていいから。

 ララさんはスキップして、部屋から出て行った。

 ふぅ、とひと息つくと、なにやら視線を感じる。

 岩井さんが、じっとこちらを見ていた。

「あ、すみません」

 私がそう言うと、岩井さんは6七金と上がった。

 会話に遠慮して、指すのを控えてた?

 悪いことしちゃったかも。

 とりあえず気をとりなおして、私は6五歩と仕掛けた。


挿絵(By みてみん)


 岩井さんはすぐに同歩。

 私はここで、さっきとは違う変化へ飛び込んだ。

 7七角成じゃなくて、6五桂。

 6七金の守備があるから、単に角成りは面白くないと踏んだ。

 岩井さんは小考。

 読んでなかった? あるいは、読んでたけど、2番手だったか。

 私も続きを考える──

「ひッ!?」

 首筋に冷たいものが。

 ふりかえると、ララさんがペットボトルを持って立っていた。

「任務完了」

 変な声が出ちゃったじゃないですか。

 こんどは周りもちらほら見てくる。

 もぉ、恥ずかしい。

 ひとまず、

「ありがと」

 とお礼を言って、受け取った。

 さっそく飲む。冷たくておいしい。

 こんどは岩井さんも、読みを継続した。なかなか指さない。

 2二角成の一手だとは思うから、悩んでるのはその次でしょうね。

 その悩んでいる手も、なんとなく察しがつく。6八銀で桂馬を殺す手だ。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 こうなると、私はちょっと忙しい。

 7三角、3七角、同角成と、こびんを攻めるのも限界がある。

 私がこの手の対応に苦慮していると、2二角成が指された。

 同玉……6八銀。

 やっぱりそっちか。

 6六銀とすなおに上がるなら、もうちょっと早く指してるわよね。

「……7三角」

 ノータイムで3七角。

 私もノータイム返しで同角成。

 岩井さんは5秒だけ考えて、同玉と取った。


挿絵(By みてみん)


 同桂じゃなかったか。難しくしちゃったかも。

 次の6六歩を、うまくかわせない。

 岩井さんも指せると見たのか、やや前傾姿勢で揺れていた。

 私はお茶をもうひと口飲んで、長考。

 残り時間は、両者18分で並んでいたけど、ここから私のほうが溶けた。

 6六歩は、もうしょうがない。

 これを打たれるまえに、一手余裕がある。そこで攻め込みたい。

 ただなあ、攻める手がほとんどないというか、はっきりないのよね。

 アマの対局だし、桂損でもちょい悪、っていうノリもありなんだけど──

「……4四歩」

 岩井さんは、首を軽くひねった。

 これは読んでなかったみたいだ。

 とはいえ、攻めの手じゃないのは明らかだから、30秒ほどで6六歩とした。

 私は8六歩と伸ばす。


挿絵(By みてみん)


 これでお願いします。

 4四歩は、右でごちゃごちゃやってるとき、角打ちの流れ弾を回避する手だ。

 6六歩も打ってくれたから、王様のこびんは、二重にガードされている。

 岩井さんは同歩の一手。

 8七歩、同飛、7八角、8八飛、6七角成、同銀。

「7七金」

 さあ、どうですか。これが狙いよ。

 岩井さんも途中から気づいたらしく、態度がそわそわしてきた。

 銀桂と角の交換になるから、悪くない。

 岩井さんはこぶしでこめかみを叩いて、うーんとうなってから、同桂。

 同桂成、8九飛、6七成桂。

 ここからすこし反撃されて、7二角、7一飛、8三角成。

 私は桂馬を打った。


挿絵(By みてみん)


 これは繋がったでしょ。

 岩井さんは頭をかいて、2八玉と引いた。

 5七桂成、4六角、4五銀、8二角成、4一飛。

 んー、さすがに飛車は活かせないか。

 隠居しそう。

 7三馬寄、3六銀、3七金打。

 切らせる方針? ……疑問じゃない?

 先手は飛車をどうするの? 9一馬なら、同飛と切るわよ、さすがに。

 私は先手にミスがあったと判断した。

 同銀成で、とがめにいく。

 同馬、5八銀、3九金に6六成桂。


挿絵(By みてみん)


 岩井さん、ちょっと表情が崩れる。

 いやあ、という感じで、頭をかいた。

 劣勢を意識しているようだ。

 それもそうで、先手は攻めようがない。

 やっぱり方針ミスだったわね。

 8七飛、5六成桂、4八銀、6七銀成。

 先手は、飛車を守備に使い始めた。

 とにかく切れないように気をつける。

 5七銀、同成銀、4九桂、5八成銀、8八飛、6八歩、5九歩。


挿絵(By みてみん)


 うッ……思ったより切れそう。

 攻め間違えた? いや、そんなはずは……とにかく、金銀4枚あるんだから、冷静に。

 5七成銀……は切れる? 一応続くかな。

 ただ、4九成銀と切っちゃって、同金に6九歩成~6七歩~6八歩成という、と金製造作戦のほうが、いいような。

 私は1分ほど比較して、後者を選択した。

 4九成銀、同金、6九歩成。

 この瞬間が、ちょっとヌルイんだけど、先手はなにもできないはず。

「……」

「……」

 岩井さん、かなり苦しそう。

 口もとに手をあてたり、腕組みをしたり、上を向いたり、動きがせわしない。

 残り5分になりかけたところで、ようやく着手した。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 んー、なるほど……気持ちは分かる。

 馬は動かせないし、攻める手もない。かといって、なにもしないと負け。

 とりあえず飛車先を突けば、大きなマイナスにならない。

 けど、これを間に合わせるわけにはいかない。

 私は予定通り6七歩。

 8四歩、6八歩成、8五飛、5九と寄。

 と金は遅いようで速い。

 3九金、5八と寄、1五歩、同歩、1四歩、4五桂。

 気の早いひとなら、もう投げそうな局面。

 だけど、岩井さんは投げる気配がなかった。

 それもそのはずで、愛智あいち戦は、敗勢から粘りに粘っての逆転。

 こういうタイプは、詰みまでもっていかないと、投了してくれない。

 2七馬、4八銀、1五香、3九銀不成、同玉、1二歩。

 岩井さんは8三歩成と、駒をひっくり返した。


挿絵(By みてみん)


 そろそろ急いだほうがいいか。

 私は持ち時間を確認。残り3分。

 寄せの構想としては、4九とが普通。

 ただし、2八玉と逃げられたあと、馬2枚がうるさい。

 3筋の歩が切れてないのよね、このかたち。

 私は別の手を模索した。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ん? これはどう?

 残り1分を切りかけたところで、妙手が浮かんだ。

 ああして、こうして──成り立ってそう。

「4八と」


挿絵(By みてみん)


 岩井さんはこの手を見て、動きをとめた。

 私の持ち駒を確認してくる。

 金が2枚あるけど、同玉でも寄らない。

 もちろん、同玉を誘っているように見える手だ。

 このことが、岩井さんの不安を招いたらしい。考え込んでしまった。

 一番最初に警戒するのは、同玉に6一飛でしょうね。

 私も読み筋を確認する。

「……」

「……」

 岩井さんが動いた。

 同玉としかける。

「……あッ」

 手が止まった。駒をもどす。


 ピッ


 1分将棋に。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 パシリ


挿絵(By みてみん)

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