352手目 粘り強い指し手
三間だ。
先手ゴキゲンかな、と予想してたから、すこし意表を突かれた。
私は30秒ほど考えて、方針を決める。
急戦で行きましょう。
1四歩、1六歩、8五歩、7七角、4二玉。
いったん決まれば、対抗形の序盤。指し手は速かった。
4八玉、5二金右、3八銀、7四歩、3九玉、3二玉。
先手は美濃囲いを明示した。
2八玉、6二銀、5八金左、6四歩、6八銀、9四歩。
んー、7三桂~6五歩ってイケるかしら。
ちょっと難しいかな。5四銀の援軍は必要そう。
ここからは、間合いの計り合いが始まった。
5六歩、7三桂、8八飛。
振りなおしてきたか……まあ、これはよくある牽制だ。
5六歩を早く突いたから、5七銀型ということもわかった。
5七銀型なら、6五歩は効きそう。
6三銀、5七銀、4二金直、3六歩、5四銀。
岩井さんは6五歩からの開戦を恐れていないのか、受けてこなかった。
2六歩。
ここで6五歩ポンでも、いいのでは?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同歩、7七角成、同桂、2二角と打ち直して……3七角と打たれるか。
成り合って取り合って、は後手が悪い。陣形の差が出るからだ。
となると、7三角成の瞬間、飛車に当たらないようにする必要がある。
いったん8一飛と引く?
そのとき、先手も一手追加できるから、その一手の価値との天秤になる。
8一飛を手待ちと誤解してくれたら、3七桂と跳ねてくれるかもしれない。
でも、B級で活躍してる振り飛車党が、そんなうっかりをしてくれるかしら。
期待するのは危険。おそらく気づいて、6七金と補強すると思う。
この補強で6五歩が頓挫するなら、ダメ……いや、その時点で作戦失敗か。
わざわざ5四銀って出ちゃってるものね。
「……8一飛」
岩井さんは、この手にすこし反応した。
ペットボトルのキャップを開けて、ひと口。
私も飲みたい。今から離席して──あ、対局中は出られないんだった。
カンニング防止。
困っていると、部屋のドアがひらいた。
ララさんが顔をのぞかせる。
あ、タイミングが合ったらあとで来る、って言ってたわね。
私は手を振って、こっちこっちと合図した。
ララさんは踊るようにテーブルへ接近した。
「なに、ララのアドバイスが欲しいの?」
そういうこと言っちゃダメでしょ。勘違いされるから。
岩井さんも、ちょっとびっくりしている。
「お茶買って来てくれない?」
「いいよ。なんのお茶?」
「彩鷲。なかったら、ほかの緑茶でもいいわ。お金はあとでお願い」
「任せてちょんまげ」
親父ギャグは言わなくていいから。
ララさんはスキップして、部屋から出て行った。
ふぅ、とひと息つくと、なにやら視線を感じる。
岩井さんが、じっとこちらを見ていた。
「あ、すみません」
私がそう言うと、岩井さんは6七金と上がった。
会話に遠慮して、指すのを控えてた?
悪いことしちゃったかも。
とりあえず気をとりなおして、私は6五歩と仕掛けた。
岩井さんはすぐに同歩。
私はここで、さっきとは違う変化へ飛び込んだ。
7七角成じゃなくて、6五桂。
6七金の守備があるから、単に角成りは面白くないと踏んだ。
岩井さんは小考。
読んでなかった? あるいは、読んでたけど、2番手だったか。
私も続きを考える──
「ひッ!?」
首筋に冷たいものが。
ふりかえると、ララさんがペットボトルを持って立っていた。
「任務完了」
変な声が出ちゃったじゃないですか。
こんどは周りもちらほら見てくる。
もぉ、恥ずかしい。
ひとまず、
「ありがと」
とお礼を言って、受け取った。
さっそく飲む。冷たくておいしい。
こんどは岩井さんも、読みを継続した。なかなか指さない。
2二角成の一手だとは思うから、悩んでるのはその次でしょうね。
その悩んでいる手も、なんとなく察しがつく。6八銀で桂馬を殺す手だ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
こうなると、私はちょっと忙しい。
7三角、3七角、同角成と、こびんを攻めるのも限界がある。
私がこの手の対応に苦慮していると、2二角成が指された。
同玉……6八銀。
やっぱりそっちか。
6六銀とすなおに上がるなら、もうちょっと早く指してるわよね。
「……7三角」
ノータイムで3七角。
私もノータイム返しで同角成。
岩井さんは5秒だけ考えて、同玉と取った。
同桂じゃなかったか。難しくしちゃったかも。
次の6六歩を、うまくかわせない。
岩井さんも指せると見たのか、やや前傾姿勢で揺れていた。
私はお茶をもうひと口飲んで、長考。
残り時間は、両者18分で並んでいたけど、ここから私のほうが溶けた。
6六歩は、もうしょうがない。
これを打たれるまえに、一手余裕がある。そこで攻め込みたい。
ただなあ、攻める手がほとんどないというか、はっきりないのよね。
アマの対局だし、桂損でもちょい悪、っていうノリもありなんだけど──
「……4四歩」
岩井さんは、首を軽くひねった。
これは読んでなかったみたいだ。
とはいえ、攻めの手じゃないのは明らかだから、30秒ほどで6六歩とした。
私は8六歩と伸ばす。
これでお願いします。
4四歩は、右でごちゃごちゃやってるとき、角打ちの流れ弾を回避する手だ。
6六歩も打ってくれたから、王様のこびんは、二重にガードされている。
岩井さんは同歩の一手。
8七歩、同飛、7八角、8八飛、6七角成、同銀。
「7七金」
さあ、どうですか。これが狙いよ。
岩井さんも途中から気づいたらしく、態度がそわそわしてきた。
銀桂と角の交換になるから、悪くない。
岩井さんはこぶしでこめかみを叩いて、うーんとうなってから、同桂。
同桂成、8九飛、6七成桂。
ここからすこし反撃されて、7二角、7一飛、8三角成。
私は桂馬を打った。
これは繋がったでしょ。
岩井さんは頭をかいて、2八玉と引いた。
5七桂成、4六角、4五銀、8二角成、4一飛。
んー、さすがに飛車は活かせないか。
隠居しそう。
7三馬寄、3六銀、3七金打。
切らせる方針? ……疑問じゃない?
先手は飛車をどうするの? 9一馬なら、同飛と切るわよ、さすがに。
私は先手にミスがあったと判断した。
同銀成で、とがめにいく。
同馬、5八銀、3九金に6六成桂。
岩井さん、ちょっと表情が崩れる。
いやあ、という感じで、頭をかいた。
劣勢を意識しているようだ。
それもそうで、先手は攻めようがない。
やっぱり方針ミスだったわね。
8七飛、5六成桂、4八銀、6七銀成。
先手は、飛車を守備に使い始めた。
とにかく切れないように気をつける。
5七銀、同成銀、4九桂、5八成銀、8八飛、6八歩、5九歩。
うッ……思ったより切れそう。
攻め間違えた? いや、そんなはずは……とにかく、金銀4枚あるんだから、冷静に。
5七成銀……は切れる? 一応続くかな。
ただ、4九成銀と切っちゃって、同金に6九歩成~6七歩~6八歩成という、と金製造作戦のほうが、いいような。
私は1分ほど比較して、後者を選択した。
4九成銀、同金、6九歩成。
この瞬間が、ちょっとヌルイんだけど、先手はなにもできないはず。
「……」
「……」
岩井さん、かなり苦しそう。
口もとに手をあてたり、腕組みをしたり、上を向いたり、動きがせわしない。
残り5分になりかけたところで、ようやく着手した。
パシリ
んー、なるほど……気持ちは分かる。
馬は動かせないし、攻める手もない。かといって、なにもしないと負け。
とりあえず飛車先を突けば、大きなマイナスにならない。
けど、これを間に合わせるわけにはいかない。
私は予定通り6七歩。
8四歩、6八歩成、8五飛、5九と寄。
と金は遅いようで速い。
3九金、5八と寄、1五歩、同歩、1四歩、4五桂。
気の早いひとなら、もう投げそうな局面。
だけど、岩井さんは投げる気配がなかった。
それもそのはずで、愛智戦は、敗勢から粘りに粘っての逆転。
こういうタイプは、詰みまでもっていかないと、投了してくれない。
2七馬、4八銀、1五香、3九銀不成、同玉、1二歩。
岩井さんは8三歩成と、駒をひっくり返した。
そろそろ急いだほうがいいか。
私は持ち時間を確認。残り3分。
寄せの構想としては、4九とが普通。
ただし、2八玉と逃げられたあと、馬2枚がうるさい。
3筋の歩が切れてないのよね、このかたち。
私は別の手を模索した。
……………………
……………………
…………………
………………ん? これはどう?
残り1分を切りかけたところで、妙手が浮かんだ。
ああして、こうして──成り立ってそう。
「4八と」
岩井さんはこの手を見て、動きをとめた。
私の持ち駒を確認してくる。
金が2枚あるけど、同玉でも寄らない。
もちろん、同玉を誘っているように見える手だ。
このことが、岩井さんの不安を招いたらしい。考え込んでしまった。
一番最初に警戒するのは、同玉に6一飛でしょうね。
私も読み筋を確認する。
「……」
「……」
岩井さんが動いた。
同玉としかける。
「……あッ」
手が止まった。駒をもどす。
ピッ
1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ




