351手目 作戦失敗
「……3三歩成とします」
おっと、そっちか。踏み込んできた。
私は2九と。
以下、3二と、同玉、6四歩、同銀、3三歩と連打してきた。
んー、同金でも同角でも、問題はなさそう。
もちろん、同金のほうがかたちだと思う。
ただ、同金、1四香と走られた瞬間、王様の位置が中途半端かな。
ノイマンさんの方針は、後手に入玉をさせない、あるいは、ムリヤリ入玉してきたら、そこを仕留める、だと予想。端を絡めた攻防は、すでに読んでいるはず。
「4一玉」
私は王様を下がった。
「そちらですか?」
ノイマンさんは、私が危ないほうに逃げたと判断したようだ。
急に長考した。
これは引く手を読んでいなかったのもありそうだけど、決め手があると考えているのもありそう。私の読みでは、先手に決め手はない。
例えば、5二金、同金、同歩成、同玉、あるいは5二金、同金、3二歩成、同玉、5二歩成は、パッと見える。でもこれには、後手に金を渡すという、致命的な問題がある。先手は5八に王様がいるから、飛車打ち~金打ちですぐに危なくなるのだ。一見、7七に逃げ込めそうだけど、8七歩一発で困る。一例として、1四香、3六歩、同銀、3九飛、4八金、8七歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは先手が終わっている。後手勝勢。
3六歩と打たずに、いきなり2八飛でも後手がいいと思う。
ノイマンさんの長考が2分を超えたあたりで、雰囲気が変わり始めた。
おふざけの入った感じが消えて、モデルさんみたいに真剣な表情。
このあたりは、火村さんに似てるわね。
でもでも、いきなりマジメになったって、ひっくり返りませんよ。
将棋はヤル気の問題じゃないから。
ノイマンさんは3分考えて、3四桂と打った。
私は5三角で拠点を消す。
1四香、8七歩、同金、3六歩、同銀、1七角成。
均衡が崩れた。
これも後手がいい。
ノイマンさんは2三歩成、同歩、2七歩で守勢に。
「3九飛」
待望の飛車打ち。
「ぐぬぬぬ、なのです」
この飛車打ちは、金を手に入れていないから、即座に寄るわけじゃない。
けど、8七歩が先に決まっちゃってるし、3七飛成が入れば、寄せは見えてくる。
ノイマンさんもそれはわかっているから、4二桂成と突っ込んできた。
同玉、3二歩成、5二玉。
3二同玉は5二金で、うっすらと挟撃になるのがイヤだった。
ノイマンさんはさらに時間を追加。残り時間が5分を切った。
「5七香ですッ!」
ん、これは? なんか意味あるの?
……………………
……………………
…………………
………………あ、5六桂を防いでるのか。
でも、それしか防げてなくない?
それとも、3七飛成に反撃する筋があるとか?
ないと思うけど……あんまり迷わないほうがいいかな。
私は3七飛成とした。
4八金、3六龍、5五銀、3九馬。
これが詰めろなのよね。
4八馬と取って、同玉は瞬殺。6八玉は、5八金、7九玉、3九龍、7八玉、6九銀、7九玉、5七馬、同金、7八香まで。
ノイマンさん、再度長考。
1分残して、4七金打とした。
私もここは時間を使う──これも4八馬で、いいんじゃないかしら。同金、5五銀右と出れば、駒が足りると思う。そのとき、香車の筋にだけ気をつけておけばいい。
「4八馬」
同金、5五銀右、同角、7八金。
左右挟撃へ。
ノイマンさんは1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5三歩なのですッ!」
私は6一玉と引いて逃げた。
7三角成で詰めろだけど、先手もすでに詰めろだ。6九銀以下で詰む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
簡単に勝たせては、くれませんか。
ノイマンさん、詰めろはちゃんと読み切って来るのよね。
意外とめんどくさいかも。
私は5五銀で、角を回収した。
5二歩成、7一玉、6二銀、8二玉。
どんどん駒を使ってもらう。切らせば勝ち。
この時点で、まともな王手がかからなくなった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ノイマンさんは7八金で、持ち駒を補充した。
私はのこり時間を全部投入して、寄せを練る。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6六桂」
これが痛打。
ノイマンさんは、逃げ方に迷った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
あわてて6七玉。
そこか……6八なら詰んだ気もしたんだけど、読み切れない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7八桂成。
変なことはしないで、そのまま寄せましょう。
同玉、6六桂、8八玉。
感触的に、詰みそう。
7九角、9八玉、9七銀、同桂、8八金、同金、同角成、同玉、7九銀。
やっぱり詰みね。
8七玉、8八金、7七玉に7八金と寄れる。
ノイマンさんも、ここで投了した。
「負けました」
「ありがとうございました」
チェスクロを止めて、感想戦。
ノイマンさんは、
「5七香は、あんまり意味がなかったかもしれないのです」
と言った。
私はちょっと考えて、
「あの時点では、もうまとめるのが難しいかな、っていう印象」
と答えた。
「たしかに、先手劣勢っぽいのです。どこが悪かったのですか?」
私は対局中の実感を、率直に伝えた。
ようするに、3三歩から叩いて釣り出そうとしたのがミス、と。
「4一玉と引いて、受かってるとは思いませんでした。単に1四香ですか?」
「3三歩成以下は、わりと必然だと思うのよね」
「飛車を逃げればよかったですか?」
【検討図】
んー、これもなあ。
「対局中に読んだけど……ちょっと微妙じゃない?」
「私もそう思うのです。1九とのあと、似たような攻めしかできません」
ってことは、だいぶ前から先手が悪い、ってことになりそう。
直感的には、5八玉の位置が悪いんじゃないかなあ。
私がそれを指摘すると、ノイマンさんは、
「代わりの手がよくわからなかったのです」
と白状した。
けっきょくそういう問題になる。
だったら、結論は──
「序盤で失敗してるんじゃない?」
ノイマンさんは、
「それを言ったらおしまいなのです」
と抗議した。
ちょうどそこへ、火村さんがやってきた。
「どうだった?」
「ウラミお姉さまに、負けてしまいました」
ノイマンさんが局面を説明すると、火村さんは、
「そりゃ先手の作戦負けでしょ。角使えてないし」
と、ばっさり。
「今日のお姉さまがたは厳しいのです……」
まあまあ、将棋ではよくあることだし。
そのあと私たちは、序盤の駒組みのところからやりなおした。
角を使うなら、2四歩、同歩に7九角を見せるしかないんじゃないか、という結論に。
【検討図】
私は8六歩と突きながら、
「後手も攻めるから、これで先手が指しやすい、とまでは言えないかな」
とコメントした。
一例として、8六同歩、8五歩、同歩、6五歩、4六角を示しておく。
「そうみたいなのです」
周りも感想戦が終わって、席を立つひとが増えてきた。
私たちのところも解散、ということに。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました、なのです」
次の対局は、すぐに発表があった。
私は赤学の岩井さんが相手。
春の団体戦で、愛智くんに勝った3年生だ。
ただ、あれは一手バッタリだったっぽいし、赤学の中ではおそらく中の上。
席につくと、艶っとしたストレートヘアで、じっとりとした目つきの男子だった。
ほっそりタイプで、青いチェック柄の半そでからのぞく腕は、細かった。
積極的にコミュニケーションを取ってくるタイプでもなく、黙って対局準備。
「裏見さん、振り駒をしますか?」
「いえ、岩井さんがどうぞ」
一応先輩なので、ゆずり返しておく。
岩井さんはそのまま振った。
「……表が4枚」
また後手か。
岩井さんが振り飛車党なのは、わかっている。
愛智くんとは相振りだった。純粋振り飛車党と見ていい。
岩井さんはお茶のペットボトルを置いた。
私も買っておけばよかったかも。
若干後悔しているところへ、脇くんの声が聞こえた。
「対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
私はチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、6六歩、3四歩。
岩井さんは5秒ほど間をおいて、飛車の位置を決めた。
【先手:岩井綾人(赤学) 後手:裏見香子(都ノ)】
場所:赤山学園キャンパス 赤学・聖ソ・都ノ合同研究会
先手:ノイマン ミラーカ
後手:裏見 香子
戦型:先手矢倉
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金
▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲6七金右 △5二金
▲7七銀 △7三桂 ▲2六歩 △6四歩 ▲9六歩 △8五歩
▲3六歩 △5三銀左 ▲2五歩 △9四歩 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △2三歩 ▲2八飛 △1四歩 ▲3七桂 △6三銀
▲1六歩 △4四角 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩
▲2九飛 △8一飛 ▲4六歩 △8六歩 ▲同 歩 △5五歩
▲同 歩 △同 角 ▲2四歩 △同 歩 ▲2五歩 △5四銀直
▲2四歩 △2二歩 ▲4七銀 △4四角 ▲5八玉 △1五歩
▲同 歩 △3三桂 ▲5六銀 △5五歩 ▲4七銀 △6五歩
▲1四歩 △6六歩 ▲同 銀 △1七歩 ▲5三歩 △4二金右
▲3五歩 △1四香 ▲3四歩 △1八歩成 ▲3三歩成 △2九と
▲3二と △同 玉 ▲6四歩 △同 銀 ▲3三歩 △4一玉
▲3四桂 △5三角 ▲1四香 △8七歩 ▲同 金 △3六歩
▲同 銀 △1七角成 ▲2三歩成 △同 歩 ▲2七歩 △3九飛
▲4二桂成 △同 玉 ▲3二歩成 △5二玉 ▲5七香 △3七飛成
▲4八金 △3六龍 ▲5五銀 △3九馬 ▲4七金打 △4八馬
▲同 金 △5五銀右 ▲同 角 △7八金 ▲5三歩 △6一玉
▲6八金 △5五銀 ▲5二歩成 △7一玉 ▲6二銀 △8二玉
▲7八金 △6六桂 ▲6七玉 △7八桂成 ▲同 玉 △6六桂
▲8八玉 △7九角 ▲9八玉 △9七銀 ▲同 桂 △8八金
▲同 金 △同角成 ▲同 玉 △7九銀
まで136手で裏見の勝ち




