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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第54章 デゼニーランド(2017年6月16日金曜)
348/496

338手目 インフォーマルな出だし

 翌日の朝10時、私たちはデイナビの応接室に集合した。

 ふむ……みなさん、おしゃれですね。

 あ、来栖くるすさんは同じスーツ……ネクタイがちがうっぽい?

 昨日はストライプだった記憶。今日は水玉模様だった。

 一ノ瀬いちのせさんも入室して、あいさつ。

「本日も、よろしくお願い致します。では、3番手のかた、どうぞ」

 関東からは橋爪はしづめくんが、関西からは三木みきくんが出た。

 橋爪くんは、ぶかぶかの白いロングパンツに、深紅のシャツ、胸に白抜きで英語の文章が書いてあった。首にはネックレス。ニット帽。

 三木くんは、黒のテーパードパンツに白の無地シャツ、紺の夏物カーディガン。茶色い革ベルトの腕時計をしていた。ヘッドの部分が面白くて、円形じゃなくてHのかたちをしていた。どれもブランドものっぽい。生地の質感がいいし、腕時計も高級感があった。

 なんだか、カジュアルvsフォーマルのファッション対決みたい。

 私は火村ほむらさんに、

「あの時計、高そうじゃない?」

 と話しかけた。

「ああ、ヘルメスでしょ」

「え、ほんと?」

 火村さんは気取ったかっこうで、

「間違いないわよ。あたしってブランドソムリエだから」

 と言いながら、足を組んだ。

「いくらぐらいするのかしら?」

「香子ってさ、こういうときに値段の話をするわよね」

 いいじゃないですか、庶民は値段が気になるのよ。

 火村さんは、

「ま、経済学部らしくて、いいけど」

 と、なんだかよくわからないフォローを入れた。

 そのあいだも準備は進んでいて、振り駒の結果は橋爪くんの先手。

 橋爪くんはニット帽を脱いで、テーブルのうえに置いた。

 三木くんは小物の位置が気になるらしく、ちょこちょこ直していた。

 一ノ瀬さんは、チェック漏れがないかどうか、書類を確認した。

「準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください」

「よろしくお願いします」

 ふたりは一礼して、三木くんがチェスクロを押した。

 7六歩、3四歩、2六歩、3二金、2五歩、8八角成。


【先手:橋爪はしづめ大悟だいご修身しゅうしん) 三木みきゆたか六甲ろっこう)】

挿絵(By みてみん)


 角換わりか。しかも一手損だ。

 同銀、2二銀、3八銀、3三銀、3六歩、9四歩。

 火村さんは、

「まさに準備してきました、って感じの出だしね」

 と言って、腕組みをした。

 たしかに、これは研究くさい──けどなあ、元奨に研究勝負を挑むのって、危ないと思うのよね。だって情報の最先端にいたわけだし、公開されてない筋もけっこう知っているのでは。

 7七銀、9五歩、5八金右、4二飛。


挿絵(By みてみん)


 角換わりじゃなーいッ!

 橋爪くんは、

「おまえ、舐めてんなあ」

 と言って、あきれ顔だった。

 三木くんは涼やかに笑った。

「いやいや、そんなわけないだろう。これはれっきとした作戦だよ」

「あとで後悔するぜ」

 橋爪くんは6八玉と上がった。

 4四歩、4六歩、6二玉、4七銀、7四歩。

 ここで志邨しむらさんは、

「後手にデメリットがないかたちなんですよね、これ」

 とつぶやいた。

 そう言われてみると……陽動振り飛車にありがちな、8四の傷もない。

 ふつうの角交換型四間飛車だ。

 3七桂、6四歩、7八金、5二金。


挿絵(By みてみん)


 ん? 5二金?

 これには橋爪くんもギャラリーも、反応した。

 まだ構想に奥行きがあるってこと?

 火村さんは、

「こういう囲い方があるの?」

 とたずねた。

 私は知らないと答えた。

 志邨さんは、

「ふつうはしないですけど、6三に金、7二に銀のかたちですね、たぶん」

 と予想した。

 火村さんは、ん?、となって、

「なんて名前?」

 と訊いた。

「名前はわかんないです。高美濃で6一金がないバージョンです」

 あー、なるほど、なんとなくわかった。

 金と銀がその位置に来ること自体は、あるわけか。

 橋爪くんは30秒ほど考えて、6六銀。

 とがめに行ったっぽい?

 6三金、2九飛、7二銀、7七桂。


挿絵(By みてみん)


 こんどは三木くんの手が止まった。

 先手の囲いも奇抜だ。しかも歩越し銀。

 格言では、よくないってされてるかたち。

 これはアレね、後手の研究外しだと思う。

 さすがにこんなかたちを研究しているはずがない。

 案の定、三木くんはここで2分考えた。

 持ち時間は、先手が22分、後手が23分。

 差は縮まった。

「……4一飛」

 マイナスになりにくい手。

 橋爪くんは、ニヤリと笑った。

「さすがに地下鉄飛車はないと思ってるだろ……あるんだな、これが」


挿絵(By みてみん)


 マ? こ、これは、どうなの?

 研究を外すのに、わざわざ地下鉄飛車にしなくても、よくない?

 困惑する私をよそに、火村さんは、

「いいんじゃな~い、こういうの」

 と、なんだか楽しそうだった。

 一方、これと対照的なのが志邨さんで、

「三木vs橋爪は、若干橋爪持ちだったんですけどね……わかんなくなりました」

 と、どたばたコメディを見ているような感じになってきた。

 三木くんも腹をくくったらしい。前髪をかきあげた。

「なるほどねぇ、それじゃあ手将棋でいこうか。5四角」

「9九飛だ」

 三木くんは3五歩。いきなり開戦した。

 同歩、7六角、4八金。

 あ~、橋爪くん、よく考えて~ノータイムはダメ~。

 5四角、5五銀。


挿絵(By みてみん)


 あ、歩越し銀が活きそう。

 これは引けないんじゃない? 引いたら一方的に9六歩とされる。

 火村さんは、

「7五歩としたいわね。攻め合いでしょ」

 と言った。

 志邨さんも同意した。

「7五歩、5四銀、同歩、8五桂と突っ込んでどうか、ですね。7六歩のプレッシャーが強いので、角銀交換でも互角です」

 しばらくして、三木くんは7五歩と伸ばした。

 橋爪くんは「ん~」とうなって、しぶい顔をした。

 ノリで指したあとの反省、みたいな雰囲気は、いかんでしょ。

 志邨さんは、

「交換したあとが問題です。角を打つ場所はないので」

 と指摘した。

 10秒後、橋爪くんは5四銀。

 同歩、8五桂で、読み通りの先逃げ。

 三木くんは7六歩。

 橋爪くんは端に手をかけた。

「まだ間に合うッ! 9六歩ッ!」


挿絵(By みてみん)


 ここで端攻めかあ。

 初志貫徹ではある。

 火村さんは、

「枚数的には百パー通るけど、6二玉の位置が活きるわね」

 と評価した。

 いずれにせよ、先手の攻めが破綻する虞はなくなった。

 一番怖かったのは、端攻めが通らなくて、飛車をうろうろするハメになるパターン。

 三木くんは長考。

 後手は手がむずかしいんじゃないかしら。すぐには反撃できない。

「……8四歩」

 桂馬を殺しにきた。

 9五歩、8五歩、9四歩、9二歩。

 おたがいに我が道を行って、最後に三木くんが収めた。

 私は、

「端を破る継続手は、なさそうね。7六の歩をなんとかしたほうが、よくない?」

 と提案した。

 火村さんは、

「あの位置は取りにくいわよ」

 と返した。

「8八金~7九飛は?」

 なるほど、と、火村さんはうなずいた。

 端は詰めたから、飛車を9九から移動させてもいいと思う。

 だけど、橋爪くんは6六歩と突いた。

 5一飛、8八金──ん? やっぱり私の順になりそう?

 と思いきや、三木くんは2四歩で攻めた。


挿絵(By みてみん)


 志邨さんは、

裏見うらみ先輩の7九飛も、まだアリですね。ただタイミング的に、2九飛と大きく回るほうが、いいんじゃないでしょうか」

 と、2筋に乗じる作戦を勧めた。

 火村さんはどっちにも否定的で、

「7八歩で受けるか、2四歩と単に取るほうが自然じゃない?」

 と、飛車回りを否定した。

 意見がバラけた。

 橋爪くんも迷っているようだ。いったんお茶を飲んで、また考えた。

 私たちも考える──火村さんと志邨さんの手も、たしかに有力か。

 それに、ちょっと気になる順も出始めた。7七歩成だ。同金に8八銀という筋がある。どのタイミングで入れるかは分からないけど、9九に飛車がいる限り、可能性は残る。火村さんの7八歩は、この筋を消すから、手堅く感じられた。

 一方、志邨さんの2九飛も、深く読むほどいい手な気がしてきた。例えば2九飛、2五歩なら、2三歩と打ち込める。うまく反撃できるのだ。後手は4一飛で一回様子を見て、先手が2五桂なら2四銀と前に出るかも。

 3分が経過して、橋爪くんはようやく動いた。

 指の行き先は……2筋。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 うーん、一番無難な手だった。

 三木くんも長考返しのあと、同銀。

「2九飛」

 あ、ここで回った。

 火村さんは、

「あたしが言ってた2四同歩は、この進行じゃないのよね。2四同歩のあとは、3六銀と上がるのを考えてたから」

 と言った。橋爪くんとは読みがちがったようだ。

 三木くんはまた30秒ほど考えた。

 それから嘆息し、前髪をなおした。

「むずかしいねえ……とりあえず、叩いとこうか。2八歩」

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