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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第54章 デゼニーランド(2017年6月16日金曜)
347/496

337手目 虚弱体質

 懇親会の会場は、ビル地下のイタリアンだった。

 テーブルが団体用に組み替えられていた。

 ひとつの大テーブルに、全員が座る感じ。

 とりあえず、東と西がお見合いになるかっこうで座った。

 ドリンクを注文して、そろったところで乾杯。

 一ノ瀬いちのせさんはグラスを手に、

「本日はご多用のところ、ご参加いただき、ありがとうございました。2局とも、たいへんよい内容だったと思います。これから記事を書くのが楽しみです。では、乾杯いたしましょう。乾杯ッ!」

 と音頭をとった。

 かんぱーい。

 私はオレンジジュースを飲んだ。

 ふぅ、生き返る。観戦もけっこう体力を使うのよね。

 右どなりに座っている火村ほむらさんは、いつものトマトジュース。

 左すみっこの来栖くるすさんは、ポンペルモを飲んだあと、テーブルにつっぷした。

「はぁ~、もうしわけない」

 まあまあ、好局でしたよ。

 私がそんなことを思っていると、正面の温田おんださんが話しかけてきた。

裏見うらみ先輩、おひさしぶりなの~」

「おひさしぶり。元気してた?」

「元気ぃ~だけどダーリンと離れ離れで、さみしいの~」

 石鉄いしづちくんのことか。

 私は、

「そういえば、温田さんの世代のひとって、進路はどうなったの? 囃子原はやしばらくんは?」

 とたずねた。

礼音れおんくんはアメリカの大学ぅ~」

 さすが御曹司。

 ま、囃子原くんが現役で指してるなら、このメンツに入ってそうよね。

 温田さんは、ほかのメンバーの進路も教えてくれた。

 海外へ行ってるひとがもうふたりいて、萩尾はぎおさんと長尾ながおくん。

 長尾くんはフランスで、パティシエの修行。

 萩尾さんは韓国にいるとのこと。

萩焼はぎやきはもともと高麗茶碗が原型で、作ったひとも朝鮮半島のひとなの~」

 ふーん、そうなんだ。

もえちゃんはそのあと、中国とかベトナムとか、アジアを回るって言ってたの~」

 グローバルですね──おっと、料理が運ばれてきた。

 私のまえには海鮮パスタ。

 火村さんのまえにはマルゲリータピザ。

 あ、火村さん、ついに食べる気になったのね、と思いきや、

「これ、みんなで分けちゃっていいわよ」

 と言って、テーブルの中央へ押し出した。

 志邨しむらさんは、

「先輩、べつに気をつかわなくてもいいですよ」

 と言った。

「あたし、こういうときは食べないから。ね、香子きょうこ?」

「え……まあ……いつも食べてない……かも……」

 ほかの1年生は怪訝そうだったけど、事実なのでしょうがない。

 っていうか、火村さん、ほんとにだいじょうぶなの?

 トマトジュースだけで生活してるわけじゃないんだろうけど──

 ここで、ピザに手が伸びた。

 宗像むなかたくんだった。

「じゃ、もらうぜ」

 宗像くんはピザを1枚つまんで、取った。

 チーズが伸びる。

 ほかのメンバーも続いて分けた。

 私はちょっと遠慮しておく。

 とりあえずパスタを……うん、おいしい。

 そのあとは、しばらく歓談が続いた。

 温田さんは、

「東京で、朝か夕方に観光できるところ、教えて欲しいの~」

 と言った。

 朝か夕方、ね。そう言われると、逆にむずかしい。

 スカイツリーは見るだけならタダだけど、上がるとお金を取られる。

 しかもけっこう高い。

 渋谷で散策──うーん、そういうメンバーじゃないかなあ。

 浅草とか?

 でも温田さん、K都でしょ。古い建物は、見飽きてるかも。

 私が迷っていると、志邨さんは、

「昨日と今日はどこ行ったの?」

 とたずねた。

「昨日は夜の東京ドームを見て、今朝は九段下をうろうろしてたの~」

 温田さんの話によると、ホテルは九段下にとっているらしい。

 この会場の近くだ。

 志邨さんは、

「皇居はぐるっと回った?」

 と確認を入れた。

「武道館までは行ったの~」

「一周するといいよ。日比谷公園もあるし」

「ありがとなの~行ってみるの~」

 このへんは、東京出身のひとに任せたほうがよさそう。

 それからは、大学生活の話になった。

 これがてんでばらばらで、遊びまくってるっぽいのが橋爪はしづめくんと三木みきくん。橋爪くんは雀荘めぐりをしていて、風切かざぎり先輩とも打ったらしい。三木くんは食べ歩きが趣味で、H庫以外もあちこち行っているとのこと。あと難波なんばさんもちょっとあやしい。なんだかんだで遊んでいるような雰囲気が、会話の端々から感じられた。

 単位が危なそうなのは、宗像くんと歩美あゆみ先輩。ここは恒例。

 マジメに勉強しているのが牧野まきのくん、温田さん、来栖くるすさん。牧野くんは法学部で、将来は弁護士を目指している、とのこと。うちの青葉あおばくんといっしょ。温田さんは薬学部。だけど私がイメージする薬学部とはちょっと違っていて、薬科学科という、4年制だった。薬剤師になるコースじゃないようだ。薬剤師になるには、6年間通わないといけないものね。

 ちょっと毛並みが違うのは、来栖さん。帝大は入学時に一応グループ分けされていて、来栖さんは理科一類。だけど本格的に専攻が決まるのは、3年次の進学振り分け、通称、進振りのとき。1年次、2年次は、全員が教養学部前期課程という、共通のコースに所属するみたい。

 沖田おきたくんと吉良きらくんは、ほんとにふつーの大学生っぽい生活。吉良くんは、将棋をけっこうがんばってる、という印象。志邨さんと生河いがわくんは、あんまりじぶんのことを話したがらなかった。

 こうやってみると、高校のときよりも多様性があるのよね、やっぱり。

 そして意外なことに、歩美先輩は温田さんと来栖さんの話にくいついた。

「ふたりは、将来なりたいものとかある?」

 温田さんは、

「製薬会社で働きたいの~」

 と答えた。

「なんで?」

「世界にはまだ治らない病気が、いっぱいあるの~」

 なかなか高尚ですね。

 来栖さんは、

「私は院進する予定です」

 と、大学院進学希望だった。

 さらに、

「でも先輩、どうして私たちふたりに質問を?」

 とたずねかえした。

 歩美先輩は、

「私は化学ばけがく科なんだけど、そろそろ就職を考えないといけないのよね」

 と言った。

 そのまえに、卒業できるかどうかを考えたほうがいいのでは。

 内心つっこむ私をよそに、来栖さんは、

「入ったときの将来像は、どうだったんですか?」

 と、深堀りした。

「んー……なんとなく?」

 完全に行き当たりばったりですね、はい。

 温田さんは、

「なにか作ってみたいものとか、ないの~?」

 とたずねた。

「作ってみたいもの……将棋が強くなる薬?」

 ドーピングじゃないですか。

 だけど、来栖さんはおもしろがって、

「あ、いいですね。原理的に、頭がよくなる薬になるかも」

 と笑った。

 そういう薬はもう開発されていて、アメリカでは常用しているひともいる、と来栖さんは教えてくれた。

「スマートドラッグっていうんです。ただですね、効き目が弱いものは、エナジードリンクなんかとあんまり変わらないんですよ。ビタミンとかカフェインが入ってるだけです。問題なのは、発達障害や不眠症に処方される薬を、健常者が飲む場合です。これは非常に効き目が強くて、すごい集中力をもたらします。もちろん、病気でもないのにこういう薬を多用すると、副作用があります」

 歩美先輩は、

「そういえば、昔の棋士って、ヒロポン打ってたって話よね」

 と言った。

 私は、

「ヒロポンって、覚せい剤のことですか?」

 とたずねた。

「あら、香子ちゃん、よく知ってるわね」

「H島県民ですから。あの漫画で知ってます」

「あ、そういう……戦前は合法だったから、不正行為でもなかったんでしょうね」

 宗像くんは、

「大学生が雁首そろえてヒロポンの話って、どういう場なんだよ」

 とあきれて、ジュースをがぶ飲みした。

 これには三木くんが笑った。

「たしかに、アブナイ話はよくないですよ、先輩方」

 そう言って、三木くんはこっちにウインクしてきた。

 あんたが危ないがな。

 歩美先輩は話の腰を折られたせいか、宗像くんに向かって、

「じゃあ、なんの話をすればいいのよ。強壮剤?」

 とたずねた。ややご立腹のごようす。

「なんで強壮剤の話になるんだよ」

「あんたの体力のなさをカバーするのよ。このまえ、吉良にダンスを誘われて踊ったら、ヘロヘロになってたじゃない」

 宗像くんはチッと舌打ちして、

「俺が疲れやすいのは体質なんだよ、体質」

 と返した。

 宗像くんのダンス、ちょっと見てみたいかも。

 一方、火村さんは、

「あんた、虚弱体質なの? とてもそうは見えないけど?」

 と、いぶかしんだ。

 たしかに、言われてみると意外かも。

 去年のフレッシュ大学将棋では、橋の上で宙返りを見せてくれたし*、どっちかっていうとスポーツ万能タイプかと思っていた。運動神経と体力は比例しない、ってこと?

 宗像くんは、

「悪かったね」

 と言って、機嫌を損ねてしまった。

 まあまあまあ、ここは楽しく話をしましょう。

 そのあとは、最近観た映画とかドラマとか、そういう話題が続いた。

 時計が7時を回ったところで、一ノ瀬さんがまとめをした。

「そろそろおひらきにしましょう。明日の10時、同じ会場へお集まりください」

 お会計は、デイナビが全部もってくれた。ありがたや。

 地上へ出たときには、さすがに暗くなっていた。

 ビルの最寄駅から、とりあえず九段下へ出た。

 関西勢は、そこで全員下車。

 関東勢は、新宿へ。

 ここから都ノみやこのの最寄り駅まで帰るの、けっこうめんどうなのよね。

 しかも同じ方向へ帰るひとが、いない。

 新宿まではいっしょだけど、あとはバラバラだった。

 火村さんは市ヶ谷で降りちゃったし。

 席がなくて揺られていると、となりの志邨さんは、

「連敗スタートでしたね」

 とつぶやいた。

 来栖さんと沖田くんには、聞こえない音量だった。

「え……まあ、お祭りイベントだし、プレッシャーは感じなくていいわよ」

 志邨さんは吊り革につかまり、前を向いたままだった。

 あがり症? なわけないか。

 なにかもうひとことかけようとしたところで、電車は新宿駅へすべりこんだ。

 ひとの流れに乗って、志邨さんは私に背を向けた。

 そして右手を上げ、親指を立てた。

「お祭りでも、花火はあったほうがいいです……ま、見ててください」

*86手目 キョウジ

https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/87/

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