337手目 虚弱体質
懇親会の会場は、ビル地下のイタリアンだった。
テーブルが団体用に組み替えられていた。
ひとつの大テーブルに、全員が座る感じ。
とりあえず、東と西がお見合いになるかっこうで座った。
ドリンクを注文して、そろったところで乾杯。
一ノ瀬さんはグラスを手に、
「本日はご多用のところ、ご参加いただき、ありがとうございました。2局とも、たいへんよい内容だったと思います。これから記事を書くのが楽しみです。では、乾杯いたしましょう。乾杯ッ!」
と音頭をとった。
かんぱーい。
私はオレンジジュースを飲んだ。
ふぅ、生き返る。観戦もけっこう体力を使うのよね。
右どなりに座っている火村さんは、いつものトマトジュース。
左すみっこの来栖さんは、ポンペルモを飲んだあと、テーブルにつっぷした。
「はぁ~、もうしわけない」
まあまあ、好局でしたよ。
私がそんなことを思っていると、正面の温田さんが話しかけてきた。
「裏見先輩、おひさしぶりなの~」
「おひさしぶり。元気してた?」
「元気ぃ~だけどダーリンと離れ離れで、さみしいの~」
石鉄くんのことか。
私は、
「そういえば、温田さんの世代のひとって、進路はどうなったの? 囃子原くんは?」
とたずねた。
「礼音くんはアメリカの大学ぅ~」
さすが御曹司。
ま、囃子原くんが現役で指してるなら、このメンツに入ってそうよね。
温田さんは、ほかのメンバーの進路も教えてくれた。
海外へ行ってるひとがもうふたりいて、萩尾さんと長尾くん。
長尾くんはフランスで、パティシエの修行。
萩尾さんは韓国にいるとのこと。
「萩焼はもともと高麗茶碗が原型で、作ったひとも朝鮮半島のひとなの~」
ふーん、そうなんだ。
「萌ちゃんはそのあと、中国とかベトナムとか、アジアを回るって言ってたの~」
グローバルですね──おっと、料理が運ばれてきた。
私のまえには海鮮パスタ。
火村さんのまえにはマルゲリータピザ。
あ、火村さん、ついに食べる気になったのね、と思いきや、
「これ、みんなで分けちゃっていいわよ」
と言って、テーブルの中央へ押し出した。
志邨さんは、
「先輩、べつに気をつかわなくてもいいですよ」
と言った。
「あたし、こういうときは食べないから。ね、香子?」
「え……まあ……いつも食べてない……かも……」
ほかの1年生は怪訝そうだったけど、事実なのでしょうがない。
っていうか、火村さん、ほんとにだいじょうぶなの?
トマトジュースだけで生活してるわけじゃないんだろうけど──
ここで、ピザに手が伸びた。
宗像くんだった。
「じゃ、もらうぜ」
宗像くんはピザを1枚つまんで、取った。
チーズが伸びる。
ほかのメンバーも続いて分けた。
私はちょっと遠慮しておく。
とりあえずパスタを……うん、おいしい。
そのあとは、しばらく歓談が続いた。
温田さんは、
「東京で、朝か夕方に観光できるところ、教えて欲しいの~」
と言った。
朝か夕方、ね。そう言われると、逆にむずかしい。
スカイツリーは見るだけならタダだけど、上がるとお金を取られる。
しかもけっこう高い。
渋谷で散策──うーん、そういうメンバーじゃないかなあ。
浅草とか?
でも温田さん、K都でしょ。古い建物は、見飽きてるかも。
私が迷っていると、志邨さんは、
「昨日と今日はどこ行ったの?」
とたずねた。
「昨日は夜の東京ドームを見て、今朝は九段下をうろうろしてたの~」
温田さんの話によると、ホテルは九段下にとっているらしい。
この会場の近くだ。
志邨さんは、
「皇居はぐるっと回った?」
と確認を入れた。
「武道館までは行ったの~」
「一周するといいよ。日比谷公園もあるし」
「ありがとなの~行ってみるの~」
このへんは、東京出身のひとに任せたほうがよさそう。
それからは、大学生活の話になった。
これがてんでばらばらで、遊びまくってるっぽいのが橋爪くんと三木くん。橋爪くんは雀荘めぐりをしていて、風切先輩とも打ったらしい。三木くんは食べ歩きが趣味で、H庫以外もあちこち行っているとのこと。あと難波さんもちょっとあやしい。なんだかんだで遊んでいるような雰囲気が、会話の端々から感じられた。
単位が危なそうなのは、宗像くんと歩美先輩。ここは恒例。
マジメに勉強しているのが牧野くん、温田さん、来栖さん。牧野くんは法学部で、将来は弁護士を目指している、とのこと。うちの青葉くんといっしょ。温田さんは薬学部。だけど私がイメージする薬学部とはちょっと違っていて、薬科学科という、4年制だった。薬剤師になるコースじゃないようだ。薬剤師になるには、6年間通わないといけないものね。
ちょっと毛並みが違うのは、来栖さん。帝大は入学時に一応グループ分けされていて、来栖さんは理科一類。だけど本格的に専攻が決まるのは、3年次の進学振り分け、通称、進振りのとき。1年次、2年次は、全員が教養学部前期課程という、共通のコースに所属するみたい。
沖田くんと吉良くんは、ほんとにふつーの大学生っぽい生活。吉良くんは、将棋をけっこうがんばってる、という印象。志邨さんと生河くんは、あんまりじぶんのことを話したがらなかった。
こうやってみると、高校のときよりも多様性があるのよね、やっぱり。
そして意外なことに、歩美先輩は温田さんと来栖さんの話にくいついた。
「ふたりは、将来なりたいものとかある?」
温田さんは、
「製薬会社で働きたいの~」
と答えた。
「なんで?」
「世界にはまだ治らない病気が、いっぱいあるの~」
なかなか高尚ですね。
来栖さんは、
「私は院進する予定です」
と、大学院進学希望だった。
さらに、
「でも先輩、どうして私たちふたりに質問を?」
とたずねかえした。
歩美先輩は、
「私は化学科なんだけど、そろそろ就職を考えないといけないのよね」
と言った。
そのまえに、卒業できるかどうかを考えたほうがいいのでは。
内心つっこむ私をよそに、来栖さんは、
「入ったときの将来像は、どうだったんですか?」
と、深堀りした。
「んー……なんとなく?」
完全に行き当たりばったりですね、はい。
温田さんは、
「なにか作ってみたいものとか、ないの~?」
とたずねた。
「作ってみたいもの……将棋が強くなる薬?」
ドーピングじゃないですか。
だけど、来栖さんはおもしろがって、
「あ、いいですね。原理的に、頭がよくなる薬になるかも」
と笑った。
そういう薬はもう開発されていて、アメリカでは常用しているひともいる、と来栖さんは教えてくれた。
「スマートドラッグっていうんです。ただですね、効き目が弱いものは、エナジードリンクなんかとあんまり変わらないんですよ。ビタミンとかカフェインが入ってるだけです。問題なのは、発達障害や不眠症に処方される薬を、健常者が飲む場合です。これは非常に効き目が強くて、すごい集中力をもたらします。もちろん、病気でもないのにこういう薬を多用すると、副作用があります」
歩美先輩は、
「そういえば、昔の棋士って、ヒロポン打ってたって話よね」
と言った。
私は、
「ヒロポンって、覚せい剤のことですか?」
とたずねた。
「あら、香子ちゃん、よく知ってるわね」
「H島県民ですから。あの漫画で知ってます」
「あ、そういう……戦前は合法だったから、不正行為でもなかったんでしょうね」
宗像くんは、
「大学生が雁首そろえてヒロポンの話って、どういう場なんだよ」
とあきれて、ジュースをがぶ飲みした。
これには三木くんが笑った。
「たしかに、アブナイ話はよくないですよ、先輩方」
そう言って、三木くんはこっちにウインクしてきた。
あんたが危ないがな。
歩美先輩は話の腰を折られたせいか、宗像くんに向かって、
「じゃあ、なんの話をすればいいのよ。強壮剤?」
とたずねた。ややご立腹のごようす。
「なんで強壮剤の話になるんだよ」
「あんたの体力のなさをカバーするのよ。このまえ、吉良にダンスを誘われて踊ったら、ヘロヘロになってたじゃない」
宗像くんはチッと舌打ちして、
「俺が疲れやすいのは体質なんだよ、体質」
と返した。
宗像くんのダンス、ちょっと見てみたいかも。
一方、火村さんは、
「あんた、虚弱体質なの? とてもそうは見えないけど?」
と、いぶかしんだ。
たしかに、言われてみると意外かも。
去年のフレッシュ大学将棋では、橋の上で宙返りを見せてくれたし*、どっちかっていうとスポーツ万能タイプかと思っていた。運動神経と体力は比例しない、ってこと?
宗像くんは、
「悪かったね」
と言って、機嫌を損ねてしまった。
まあまあまあ、ここは楽しく話をしましょう。
そのあとは、最近観た映画とかドラマとか、そういう話題が続いた。
時計が7時を回ったところで、一ノ瀬さんがまとめをした。
「そろそろおひらきにしましょう。明日の10時、同じ会場へお集まりください」
お会計は、デイナビが全部もってくれた。ありがたや。
地上へ出たときには、さすがに暗くなっていた。
ビルの最寄駅から、とりあえず九段下へ出た。
関西勢は、そこで全員下車。
関東勢は、新宿へ。
ここから都ノの最寄り駅まで帰るの、けっこうめんどうなのよね。
しかも同じ方向へ帰るひとが、いない。
新宿まではいっしょだけど、あとはバラバラだった。
火村さんは市ヶ谷で降りちゃったし。
席がなくて揺られていると、となりの志邨さんは、
「連敗スタートでしたね」
とつぶやいた。
来栖さんと沖田くんには、聞こえない音量だった。
「え……まあ、お祭りイベントだし、プレッシャーは感じなくていいわよ」
志邨さんは吊り革につかまり、前を向いたままだった。
あがり症? なわけないか。
なにかもうひとことかけようとしたところで、電車は新宿駅へすべりこんだ。
ひとの流れに乗って、志邨さんは私に背を向けた。
そして右手を上げ、親指を立てた。
「お祭りでも、花火はあったほうがいいです……ま、見ててください」
*86手目 キョウジ
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