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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第8章 2016年度春季個人戦3日目(2016年5月1日日曜)
34/496

33手目 意外な黒幕

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!


挿絵(By みてみん)


 私は最後の確認をする――大丈夫そうね。

 大谷おおたにさんはしばらく盤面を見つめて、それから、

「参りました」

 と、頭をさげた。私も一礼する。

「ありがとうございました」

 やったぁ、ようやく勝てた。講義が終わったあと部室に来て、はや4局目。元県代表の大谷さん相手とは言え、ちょっと白星が遠過ぎたんじゃないかしら。

「仕掛けの段階は互角と思いましたが、終盤の入り口で悪くしてしまいましたね」

「そうね……飛車を捕捉したあたりからは、こっちが指しやすかったと思う」

 私はペットボトルのキャップを開けながら、しばらく棋譜を思い出した。

 すっかりヌルくなってるわね。

 最後のひと口を飲み干したところで、部室のドアが開いた。

 ふりかえると、三宅みやけ部長が立っていた。部長は部屋に入らずに、

「いい知らせと、悪い知らせがある……どっちからだ?」

 と、唐突にたずねた。私は大谷さんとアイコンタクトしてから、

「……悪いほうからで」

 と、小声で答えた。緊張が走る。

 部長は、マジメな顔でうなずいた。

「じつは、穂積ほづみの件だが……」

 私は胸を撫でおろした。風切かざぎり先輩の名前が出なくて、よかった。

「おいおい、そんなにホッとするなよ。穂積がかわいそうだろ」

「あ、すみません」

「実際、大して悪いニュースじゃないんだが……穂積は、個人戦には来ない」

 えぇ……大したニュースじゃないですか……ん?

「個人戦に『は』って、どういう意味ですか?」

「都内の学生麻雀大会とバッティングしてるんだとさ」

 うーん、麻雀かぁ。よく分からないけど、ギャンブルってイメージがあるのよね。私の通っていた高校の将棋部は、賭け麻雀で一度つぶれていた。それを頑張って女子が復興したわけだけど、それはまたべつのお話。

「ってことは、団体戦は来てくれるんですね?」

「いや……それも保留された」

 ちょ、やっぱり悪いニュースじゃないですか。私はあきれつつ、先をうながした。

「で、いいニュースっていうのは、なんですか?」

 三宅部長は、ふたたび真顔になった。

「風切の件だが、どうやらすぐに復帰できそうだ」

 ふぅ……セーフ。

「すぐに、っていうのは、団体戦までに?」

「具体的な日付は、まだ俺も……」

「今だよ、今」

 いきなり風切先輩の声が聞こえて、私たちはびっくりした。

 三宅部長のとなりに、ひょっこりと先輩が現れた。

 ポケットに手を突っ込んで、深刻そうに目を閉じていた。

「風切……もういいのか?」

「ああ……おまえら、騒ぎ過ぎだ」

 いやいやいや、将棋が指せない状態になるって、相当ですよ。

 私たちが黙っていると、風切先輩は急に赤くなって、頬を掻いた。

「まあ……その……心配かけたな」

 かわいい。なんだかんだで、照れ屋さん。

 風切先輩も気まずいのか、さっさと部室に入って、テーブルの一角へ腰をおろした。私たちの対局に気付くと、盤面をサッと見てから、

裏見うらみの勝ちか……なかなかいい将棋だな」

 と、褒めてくれた。いえいえ、それほどでも。

 いい将棋じゃないと、大谷さんクラスに入らないのよね。

「風切先輩、ほんとに大丈夫ですか?」

「心配するな。それよりも、3日目は女流戦だ。自分の心配をしたほうがいいぞ」

 それは、もう散々したわよ。もうどうにもならないから、ヤケクソで挑む。

「ん、その顔は、自信なさげだな」

「ええ……私のレベルだと、あんまり出る意味ないかな、と」

 風切先輩は、やれやれと言った感じで、首を左右に振った。

「そんなことはない。裏見なら中堅以上だ」

「でも、たちばなさんに一発も入らないんですけど」

「あいつは上位だからな。もっと弱いのは、いくらでもいる」

 ほんとかなぁ。気休めに言ってるんじゃないでしょうね。

「ただ、俺は3日目の応援に行けない」

「え……やっぱり、本調子じゃないってことですか?」

 風切先輩は、三宅部長のほうをジロリとにらんだ。

「あいつが、来るなって言うからな」

「おいおい、人聞きが悪いな。理由は言っただろ」

 三宅部長は、風切先輩の顔出しを禁じる理由を2つ教えてくれた。ひとつ、風切先輩の体調を他の大学に悟られないようにするため、ふたつ、帝大ていだい氷室ひむろくんがベスト8に残っているから、彼と顔を合わせないようにするため。

「氷室の顔を見たくらいで、再発するわけないだろ」

「大事をとったほうがいい。それに、おまえも気まずいだろ」

 風切先輩は、チッと舌打ちした。

「不戦敗した手前は、そうだが……女流のほうも気になる面子がいる」

 速水はやみ先輩のことかしら。最終的には王座戦が目標だから、上位もマークしておかないといけない。順調に行けば、来年度には団体戦で当たることになる。

「とにかく、部長命令だ。風切は休養。3日目は、女子と俺と松平まつだいらでなんとかする」

 あれ? そう言えば、松平はどうしたのかしら?

 私は、松平の居場所をたずねた。

「あいつなら、将来の奥様のためにバイトだ……いて」

 三宅部長の頭に、私の投げたペットボトルが命中した。


  ○

   。

    .


 というわけで、やって参りました――個人戦3日目です。

 男子は風切先輩の棄権で全滅しちゃったから、女流戦に集中しましょ。

 場所は、電電でんでん理科りか大学。初日とおなじ大学なのは、助かる。交通機関的に。

 私たちは、前回よりも早めに集合して、場所とりをした。

「人数も、結構減りましたね」

 私は控え室を眺めながら、三宅部長のよこでそうつぶやいた。

「個人戦だからな。敗退して来なくなるやつも多いんだろう」

 ふむふむ、それもそうか。せっかくの日曜日だものね。とはいえ、大学生活にメリハリをつければ、日曜日をスキップしても、そこまでキツくなさそう。

「裏見たちは、ここで休憩しておいてくれ。他校のチェックは、俺と松平でやる」

 三宅部長と松平は、控え室を出て行った。それと入れ替わるように、学ランを着た、浅黒い肌の男性――じゃなくて、女性が入って来た。私は、びっくりして立ち上がった。

冴島さえじま先輩ッ!」

 教室内をきょろきょろしていた学ランの女性は、こっちに気付いて、

「裏見、やっぱり来てたな」

 と言い、こちらに歩み寄った。がっしりと握手してくる。いたたた。

「いやあ、ひさしぶりだな。オレがいないあいだ、元気してたか?」

「はい、冴島先輩も、元気そうでなによりです」

 このひとは、冴島さえじままどか。私の高校のOGで、1コ上。

 男装しているうえにオレ女だけど、市内ではそこそこの将棋指しだった――いや、どうやらこの様子だと、大学でも将棋を続けているらしい。

「まさか、私の応援に来ただけ……ってわけじゃないですよね?」

「んなわけないだろ。オレも、ちゃんと晩稲田おくてだの将棋部に在籍してるからな」

 冴島先輩は、晩稲田の応援団とかけもちしているのだと教えてくれた。大会の初日と2日目に来なかったのは、応援団の活動と重なっていたからとのこと。高校のときも、応援団と将棋部をかけもちしていたし、よく体がもつなぁ、と感心する。

「晩稲田の将棋部ってことは、団体戦にもいらっしゃるんですよね?」

 私は、さしさわりのない質問をしたつもりだった。でも、先輩は鼻の下をこすって、

「オレレベルじゃ、晩稲田のレギュラーになれないんだよなぁ」

 と笑った。うーん、A級校ってレベルが高い。

「裏見が都ノみやこのに入ったのは、傍目はためから聞いてたんだ。連絡が遅れちまったけど、可憐かれんの野郎が、『多分、3日目に来ますよ』とか言ってたし、ま、いっかなって」

 あ、そっか、橘先輩と同窓になるのか。全然タイプが違う。

 私たちは、しばらく思い出話に華を咲かせた。それから私は、大谷さんを紹介した。

「こちらは、都ノの1年生で、大谷さんです」

「拙僧、大谷おおたにひよこと申します。よろしくお願いいたします」

 冴島先輩は、若干怪訝そうだった。

「よろしく……すごい格好してるな。出家してんのか?」

「いえ、在家信者です」

 その言い方もスゴい。

「裏見と、どっちが強い?」

「いい勝負かと」

 大谷さんの発言を、私は訂正しかけた。けど、冴島先輩もライバルだし、訂正しなくてもいいかなと思った。ちょっと話題を変えようかしら――そう考えた瞬間、冴島先輩のほうから切り上げてきた。

「晩稲田でもミーティングがあるから、またあとでな」

「分かりました」

 冴島先輩は、そのうち飲みにでも行こうと言って、教室を出て行った。

「変わったひとですね」

 大谷さん、あなたもね……っと、そろそろ抽選の時間だ。

「ごめん、お手洗いを済ませておくから、荷物番しておいてくれない?」

「承知しました」

 抽選後に対局がすぐ始まると、困るもんね。私は、前回とおなじトイレに向かった。

 小走りになっていたせいか、出入り口のところで女の子とぶつかってしまった。

「いたたた……」

 尻餅をついた女の子は、私を思いっきりにらんで、

「あなた、気をつけなさいよ」

 と怒った。

「ご、ごめんなさい」

 私はあせって、立ち上がるのを手伝った。というのも、女の子は、身長が150センチもないくらいで、中学生かなにかに見えたからだ。髪型も変わっていた。ワックス使用のボブで、それ自体はよくあるけれど、サイドのカットが奇抜だった。なんというか――コウモリのかたちに見えるのだ。顔立ちも、ちょっとヨーロッパ的。目鼻立ちがはっきりしていて、髪と目が黒いところだけアジアっぽかった。

「もう……スカートが汚れちゃったじゃない」

 女の子は立ち上がると、わざとらしくスカートをはたいた。

 あのさぁ、そっちだって前方不注意でしょ。

 私はそれ以上謝るのも癪だから、さっさとトイレに入った。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「それでは、女流戦の抽選を始めます。帝大ていだいの方から、どうぞ」

 抽選開始。トイレに行ったタイミングは完璧。

 どうやら個人戦の抽選も、所属大学のランキングに従うらしい。

 Aクラスの1位から引いていく。

「日セン、どうぞ」

 会場の空気が変わった。速水先輩がまえに出る。

 三宅部長から聞いたところによれば、速水先輩は去年の秋の優勝者。

 初戦で当たったら地獄。

「27番ですね」

 入江いりえ会長は、黒板のトーナメント表に名前を書き込んだ。

 Bクラスにお鉢が回る。

慶長けいちょうのひと、どうぞ」

 慶長のグループから、これまたボーイッシュな女性が現れた。

 その顔に、私は見覚えがあった。同郷の三和みわさんだった。三和さんも、高校の全国大会で3位だから、当たりたくないなあ。どこなら勝てそうかしら。

 Bも終わりCも終わり、ようやくDの番になった。これもどんどん進む。

 最後の2校で、入江会長は登録名簿を確認した。

「それでは……聖ソフィア、どうぞ」

 え? いるの? 会場がざわついたと思いきや、それを上回る元気な声が聞こえた。

「はいはいはーい!」

 人混みのなかに手が伸びて、ぴょんぴょん跳ねた。

 そして、ひとりの少女が姿を現した――さっき、トイレでぶつかった少女だった。

 これには、入江会長もおどろいたらしく、

「あなたが、聖ソフィアの火村ほむらさんですか?」

 とたずねた。

「そうよ? なにかおかしい?」

「いえ……失礼しました。どうぞ」

 少女はカードを引いた。13番だった。

「では最後に、都ノの選手、どうぞ」

 私と大谷さんは譲り合って、結局私が先に引くことになった。

 残っている枠の相手は……東方とうほう春日かすがさん(1番)と、全然知らない女子(15番)。

 私は箱に手を突っ込んで、えいっとカードを引いた。

「……2番です」

 春日さんだった。いいのか悪いのか、分からない。

「16番までの選手は、この教室に残ってください。17番以上は203です」

 女子の群れが移動を始めた。2番の私は教室にのこる。

「あら、あなたが都ノの裏見さんだったのね」

 いきなり話しかけられて、私はすこし視線を落とした。

「……ホムラさん?」

 ホムラさんは、腰に手を当てて、不敵な笑みを浮かべていた。

「将棋指しだと分かってたら、あんなに怒らなかったんだけど……じゃあね」

 ホムラさんは、さっさと対局席に移動した。

 意味不明。

 初日と2日目に見かけなかったから、そんなの分かるわけないでしょ。

 3日目に突然現れたりして……ん? 3日目? 聖ソフィア?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ちょ、ちょっと、まさかッ!?

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