328手目 ハイレベル
仕掛けた。
愛智くんは、
「ノアに主導権を取られるの、イヤがった感じですね」
とコメントした。
そのあたりは昔馴染みだから、感覚としてわかるのだろう。
「ところで、沖田、なにか言ってました?」
「え……ああ、じつは……」
私は、和室の準決勝で見たできごとを伝えた。
「決勝に好局なし……ですか。なんでそんなこと言ったんでしょう」
「さあ、わかんない」
志邨さんの意識がどうこう言ってたけど、あれも意味不明だった。
憶測で話さないほうがいいだろうから、黙っておく。
ひとまず、対局に集中。
生河くんはテーブルに寄りかかるかっこうで、じっと読んでいた。
私は、
「同歩の一手……とも限らないわね。6五歩もありそう」
と指摘した。
愛智くんは、
「ですね。6五歩のほうがノア好みです」
と答えた。
攻め将棋なら、そっちよね。
愛智くんは、
「ただ、4四歩、6六歩と攻め合っても、次がないような」
と言った。
「そこは4八飛じゃない?」
「角打ち返したくなりません?」
「2六角?」
「あるいは4六歩、同飛、2八角とか……あ、取らないかな」
パシリ
生河くん、6五歩。
志邨さんは即座に4四歩と進めた。
6六歩、4八飛、2六角。
お互いに我を通したかっこう。
ここからどう指し継ぐか、それが問題。
第一感、6四角かなあ。
これ以外は、4一角か4三角でゴリ押しするくらいだと思う。
志邨さんは30秒読んで、6四角。
外野の予想が、わりと当たる展開になっている。
8一飛、6六銀、4四角、6七歩、2六角、2八飛、5三角。
うーん、どうなの、これ。
どっちが明確にいい、ってわけじゃない。
それに、気になる順があった。
「同角成、同銀、7二角があるけど……」
「一応、4一飛~9二角で受かりませんか?」
「そこで9五歩と伸ばせない? 7一飛と戻っても、9四歩、7二飛、9三歩成で、端は突破できちゃうのよね」
【参考図】
「あ、そっか……でも、さすがに先手危なくないですか?」
そう言われると、そうかな、とも思う。
例えば、8一角と我慢して、8三と、9九香成と突っ込むくらいでも、まだ後手がいいかもしれない。一見無謀だけど、7二と、1五角、4八金、2六香と打っていけば、後手のほうが駒得になるんじゃないかしら。もし2六香に3八飛、2七香成、3九飛なら、7二角でいったん手を戻せる。これを嫌って1五角に3八飛は、8九成香、同玉、4六桂の両取りをかけられてしまう。
「……7二角はなさそうね」
「となると、受けるかもしれないです」
その具体的な手を考える前に、答えは出た。
同角成、同銀、4七金。
「角打ちを警戒したっぽいです」
生河くんも6二金で一回整えた。
1六歩、4一飛、4五歩、8一飛。
ちょっとおだやかになった。両者、仕切り直し。
残り時間は、先手も後手も16分。
志邨さんは1分使って、4六角と打った。
9四歩、2四歩。
再度、先手から仕掛けた。
愛智くんは、
「これ通りますかね……志邨さんなら通すかな……」
と、人読みを始めた。
んー、たしかに、どう攻略するのかしら。
ほかのギャラリーも、真剣に見守っている。
部屋の端のほうには、平賀さんの姿もあった。
首都工の伊能さんといっしょに、ひそひそと検討をしていた。
2四同歩、5五歩、同歩、3五歩、同歩、同角、3四歩、4六角。
いかにも角換わりっぽい突き捨て。
これは次に2五歩の継ぎ歩だ。
生河くんはここで反撃に転じた。9五歩。
私は、
「歩の突き捨てに対するカウンターね。後手は持ち歩が多いから、同歩なら9八、9七、9六と叩いていって、最後に8六歩が決まるわ」
と読んだ。
志邨さんも当然にわかっているから、そのまま2五歩。
攻め合いに突入した。
8六歩、同歩、8八歩、同金、9六歩、2四歩。
先手は攻めを通すことに成功した。
生河くんは2七歩で、牽制をかけた。
同飛は3八角と打たれちゃうから、4八飛。
ここで8五歩が飛んで、後手も継ぎ歩に。
志邨さんは、7八金、8六歩、8八歩で、謝る方針をとった。
生河くんは、端から畳みかける。
9七歩成、同香、9六歩、同香、同香。
志邨さんは、パッと持ち歩をつまんだ。
「5四歩」
再反撃。
これは強い手だ。私なら9七歩で謝ってた。
同銀、5五銀、同銀、同角、9八香成。
志邨さんは2五桂で、さらに踏み込んだ。
「2三銀もありましたね」
たしかに、愛智くんの言うとおりだ。
とはいえ、角が利いているうちに、2五桂は跳ねておきたいかな。
今なら2四銀とできないし。
もちろん、先手も安全というわけじゃない。
8八成香、同金、8七歩成が見えている。
生河くんは、なぜかこの手をすぐに指さなかった。
「なにかありそう?」
「……8七歩成の瞬間、2三になにか打ち込めそうです」
なるほど、そういうことか。
「やっぱり2三銀?」
【検討図】
愛智くんは、
「前言撤回になっちゃうんですが、銀を渡すのは怖いですね。同金、同歩成、同玉、3三桂成、同桂、2四歩……切れそうじゃないですか?」
とのこと。
「じゃあ2三香?」
愛智くんはマスクに手を当てて、考え込んだ。
「……繋がるかもしれません。同金は、同歩成、同玉、3三桂成、同桂のあと、いきなり同角成と切る順があります。同玉に4四銀で、4五の拠点が活きます」
「まあ、取らないとは思うのよね。2三香に3一玉じゃない?」
「たぶん……あ、指します」
パシリ
生河くんは、8八成香と寄った。
同金、8七歩成、2三香。
香車が打たれた。
生河くんは3一玉と引いた。
こんどは志邨さんが長考。
残り時間は、先手が7分、後手も7分。
すごい、時間を調整し合っているかのようなバランス。
妙に感心していると、となりにひとが現れた。
風切先輩だった。
「どうなってる?」
先輩はそう言いつつ、じぶんでのぞきこんだ。
「……まだ互角か」
私は、
「先輩、3位決定戦は終わったんですか?」
とたずねた。立会人のはず。
「いや、まだだ。ちょっと離席させてもらってる」
風切先輩はそう言って、腕組みをした。
あれかしら、単なる気分転換?
一方、先輩は将棋の内容に興味津々。
「いきなり2一香成もあるな。同玉は8七金と手を戻したあと、同飛成、7八銀、8六歩に、3三桂不成がある」
愛智くんは、
「3三桂成じゃダメですか?」
とたずねた。
「それは7八龍以下で詰むぜ」
「……あ、そうですね、さすが先輩」
私も気づかなかった。7八龍、同玉、8七角、8八玉、7八金、9七玉、9五香、9六歩、同角成、9八玉、8七馬までね。とちゅう、8七角に7七玉と縦に逃げるのは、7六角成でもっと早く詰む。
パシリ
志邨さんは、8七金、同飛成と決めてから、2一香成とした。
4一玉、7八銀、8五龍、3三角成。
切った。これは決めに行った感じ?
私は、
「先輩、まだ互角ですか?」
と確認した。
「ああ、俺の読みではな。振り飛車党の発言だから、信用しなくていい」
いえいえ、そこは信用させていただきます。
同金、8六歩──ん? 生河くんの動きが止まった?
困ってる? ……いや、ちがう。読みに没頭している。
椅子にもたれかかったまま、まっすぐに盤を見つめていた。
その姿は、院内学級でひとり将棋をしていたときの風景を、髣髴とさせた。私は愛智くんの思い出話を知っているだけなのに、なぜかあの場にいたような感覚に陥った。
観てるこちらが息苦しくなるような集中力。
3分……2分……時間を使い切るつもり?
私は風切先輩に、
「そんなに難しいところですか?」
とたずねた。
「手は多い。一目同龍だが、よくよく考えると4五龍、7六龍、あるいは9五龍もある。個人的には4五龍を推したい。攻防に効く」
迷う局面なのか。ぜんぜんそんな気はしていなかった。
ついに1分を切ったところで、ようやく同龍を決断。
8七歩、7六龍。
志邨さんは、2五の桂馬をひっくり返した。
詰めろ。持ち駒は十分。
と、そう思った矢先、生河くんは駒音高く、角を放った。




