325手目 立会人
はぁ~、というわけで、新人戦2日目です。
いつもの公民館の15階。
観葉植物のそばで、私は松平と待機していた。
観戦者の数は、個人戦よりもすこし少ないくらいかな。
廊下のあちこちで、みんな談笑をしていた。
一方、役員はいそがしくて、半そで姿の新田くんは、
「すまんな、わざわざ来てもらって」
と言いながら、荷物を運んでいた。
松平は、
「ヒマだから手伝うぞ」
と申し出た。新田くんは、片手で荷物を持ち上げて、
「これしき、ひとりで運べる」
と笑った。
こういうとき、力自慢がいると頼りになる。
ひきつづき風切先輩の登場を待っていると、意外な人物が現れた。
愛智くんだった。
「あれ? 先輩方も来てたんですか?」
私たちは事情を説明した。
愛智くんは、「なるほど」と言って、
「先輩方も大変ですね」
と、なんだか同情気味。
私は、
「生河くんの応援?」
とたずねた。
「それもありますが、志邨さんも残ってるんで、知り合い観戦ですね。あとで平賀さんも来るって言ってましたよ」
そういう関係か。
愛智くんは私たちと分かれて、生河くんのほうへ向かった。
松平はタメ息をついた。
「愛智と平賀に単独行動が多い理由、なんとなく分かった気がする」
「え? どういうこと?」
「ここが地元だからだよ。大学を中心に生活が回ってないんだ」
あ、そういう……私は納得した。
私はH島出身で、東京に昔馴染みはいない。ここでの生活は、都ノ大学の裏見香子、という立場になる。この肩書きがないと、面識を作るのはむずかしい。仮に私が就職上京組だったら、このメンバーとは接点がなかった。でも、愛智くんたちは、そういう進路と無関係に友だち同士なわけだ。
とまあ、そんな分析をしていると、風切先輩が現れた。
うしろでたばねた髪をいじりながら、眠そうにエレベーターから降りてきた。
「裏見、松平、早かったな」
「おはようございます」
風切先輩はスマホで時間を確認して、
「まだ15分ある」
と言い、土御門先輩をさがした。
私は、
「土御門先輩なら、さっき沖田くんとどこかへ行きましたよ」
と伝えた。
沖田くんというのは、八ツ橋期待の新人。
ウェーブのかかったロングヘアの男子で、ちょっとあやしげな雰囲気だった。
土御門先輩の平安貴族みたいな服装ほどじゃないけど。
そうこうしているうちに、ベスト4の1年生はそろった。
役員は氷室くんが1分ほど遅刻して、全員集合。
風切先輩を中心に、選手と野次馬は扇状にならんだ。
私たちは一番うしろにスタンバイする。
風切先輩は、こほんと咳ばらいをした。
「えー、それでは……」
風切先輩は、ちらッとこちらを見た。
松平はカンペボードをこっそり出した。
周囲に気づかれない程度に、高く上げる。
「これより新人戦2日目を始めます。選手は前に出てください」
志邨さん、沖田くん、生河くん、橋爪くんが前に出た。
志邨さんは白のイラスト付きTシャツに、紺のデニム。首にはいつものシルバーネックレス。前髪を何度もなおしていて、周囲を気にしていない感じだった。
沖田くんは茶色と赤のチェック柄のポロシャツに、オフホワイトのチノパン。このメンバーの中で、一番ファッションに凝っていないかっこうだった。言い方は悪いけど、なんだか浪人生っぽくみえる。
生河くんは、黒い模様の入った青の柄シャツに、白のデニム。模様はよくみると、ひとの顔を加工して散りばめたものだった。さすがに暑くなってきたからか、例のフード付きのジャケットは着ていなかった。そのせいか、やっぱり体の線がかなり細いな、と思った。
橋爪くんは、前回と同じストリート系のファッションで、余裕のある夏物シャツに、ぶかぶかのズボン。首には金のネックレス。派手な装飾つきの指輪をはめていた。
なんか沖田くん以外、将棋の大会に見えない。
「今から、準決勝の抽選をおこないます……新田、頼む」
新田くんは、例の抽選箱を持ち出した。
五十音順で、生河くんから引いていく。
結果を確認した風切先輩は、
「志邨vs沖田、生河vs橋爪になります」
と告げた。
野次馬がすこしざわついた。
風切先輩は、もういちど咳ばらいをした。
「えー、それでは、部屋の割りふりをします……じゃんけんでいいですか?」
あ、あんまりいいアイデアではないような。
案の定、だれがじゃんけんするかで、ゆずりあいになった。
最終的に、志邨さんと橋爪くんになった。
じゃんけんの結果、志邨vs沖田が和室に、生河vs橋爪が洋室に。
というかそもそも、分ける必要あった?
4人なら、和室でも洋室でも入るんだけど。前回揉めたのは、洋室での対局を想定していなかったうえに、火村さんが和室で指したくないと言ったからだ*。あれ以来、和室も洋室も対局室として確保する、ということになったらしい。現に今日もそうだった。
なんだか雲行きがあやしくなってきた。
ここで志邨さんが拍車をかけた。
「で、立会人は?」
風切先輩はふりむいて、
「立会人?」
とたずねた。
「去年は立会人がいたって聞きましたけど」
え? そんなのいなくなかった?
……………………
……………………
…………………
………………あ、私か**。
でもあれは、イレギュラーだ。
空調が壊れていて暑いから、観戦者はふたりまで、という話になった。
クジの結果、私と速水先輩だけ入室した。
伝聞なら、正式な立会人と誤解してもおかしくはない……か。
私は訂正しようか迷ったけど、役員でもなんでもないから、言い出しにくかった。
風切先輩はちょっと混乱して来たらしく、「ん?」という表情。
「……そうか、じゃあ立会人は……指名してくれ」
ダメでしょ、それはッ!
利害関係のないひとを、役員が選ばないと。
さすがに新田くん、春日さんあたりは「?」となってたけど、口には出さなかった。
土御門先輩は、扇子であおいでるだけ。仕事してください。
一方、1年生はなにも知らないから、すぐに指名に入った。
生河くんは、サッと手を挙げて、
「都ノの愛智くんにします」
と言った。
愛智くん、困惑。
「え、僕は役員でもなんでもないから……」
愛智くんがことわりかけると、生河くんはしおれた子犬みたいになった。
「あ、やります」
愛智くん、ご愁傷様。
橋爪くんは、ポケットに手をつっこんだまま、
「風切先輩を指名するのは、ダメですかね?」
とたずねた。
「あー、べつにいいぜ」
いいんかい。まあどうせ観戦する以外に仕事はないから、関係ないか。
沖田くんは、
「土御門先輩か山名先輩に頼みたいところですけど、同じ大学はさすがにダメですよね……じゃあ、ひそか」
と言って、同学年の中禅寺くんを指名した。
今の雰囲気だと、友だち関係かな。
最後に、志邨さんが残った。
志邨さんは、けだるそうに会場を見回し、そして──
「都ノの裏見さんで」
と、私を指名した。
「え? 私?」
思わず、すっとんきょうな声をあげてしまった。
周囲の視線が集まる。
「私でいいの?」
「観戦者の女子だと、一番強いんで」
いや、そんなことは……あ、速水先輩も三和先輩も来てないのか。
朽木先輩がいないから、橘先輩も来ていなかった。
火村さんも不在。
しょうがないなあ。裏見香子、指名されます。
風切先輩は、
「よし、それじゃあ部屋を分かれてください」
と言って、じぶんは洋室のほうへ移動した。
私は志邨さんといっしょに、和室へ。
盤と駒箱は、すでに用意されていた。
私は入り口を背にして、中禅寺くんの左、部屋の奥のほうへ座った。
志邨さんと沖田くんのあいだで、上座のゆずりあいになった。
志邨さんが、
「どっちでもよくない?」
と言ったのに対して、沖田くんは、
「どっちでもいいなら、志邨さんが上座ね」
と返して、一本取ったかたちになった。
志邨さんは床の間を背にして腰をおろし、あぐらをかいた。
駒箱を開けて、王様を自陣に置いた。
私は中禅寺くんに、
「沖田くんとは知り合い?」
とたずねた。
「全国大会で何度か会ってます」
またまたそういう殿上人みたいなことを。
ちなみに、沖田くんはF島出身なのよね。
T木と近いから、その関係もあるんじゃないかな、と推測。
対局準備が終わり、振り駒は志邨さんが担当。
「歩が3枚、私の先手」
チェスクロの位置がととのえられた。
……………………
……………………
…………………
………………あ、2年生だから、私が司会か。
「それでは、新人戦準決勝をおこないます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ふたりとも頭を下げて、沖田くんはチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、2六歩、8五歩、7七角、3四歩。
【先手:志邨つばめ(晩稲田) 後手:沖田勲(八ツ橋)】
角換わり模様。
8八銀、3二金、3八銀、4二銀。
先手からの交換を誘った。
志邨さんも、当然にこれは乗る。
2二角成、同金、7七銀、3三銀、3六歩。
先手は、態度を保留している。
ここからなら、なんでもありそう。後手に合わせるつもり?
沖田くんは、なぜか小考したあと、
「……決勝に好局なし、か」
とつぶやいた。唐突なひとことに、志邨さんは、
「これ決勝じゃないけど」
と返した。
「ごめんごめん、ひとりごと……だけど、志邨さんの意識、なーんか決勝に行っちゃってる気がしてさ」
志邨さんは右の眉を持ち上げた。
「おっと、気を悪くしたなら失礼」
沖田くんは7四歩と突いた。
え、これは──
*132手目 畳ではなく
https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/132/
**134手目 蒸し返された結末
https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/134/




