323手目 手抜き
3六歩の開戦は、橋爪くんも読んでいたみたい。
すぐに同歩と取った。
同飛、4七金、3四飛、3六歩。
後手の攻めを利用して、先手陣は盛り上がった。
中禅寺くんは3五歩で追撃。
栗林くんは、
「取れないよな。金銀交換はさすがにしないだろ」
と言った。
私は、
「4五歩と突いたら、一応回避できるわよ」
と指摘した。
「ん、そっか。だったら気にするのは、3五同歩、同銀、4五歩、3六歩の打ち返しか」
これに対して大塒くんは、
「さすがにそれは先手が悪そうですね」
とコメントした。
本譜の橋爪くんは、さらに上の手で対応した。
なるほど、これなら次に3五同歩とできる。
栗林くんも納得して、
「2二の角が浮いてる。すこし攻めが早かったか」
と言った。
そうかもしれない。
とはいえ、中禅寺くんがこの手を見落としていたとも考えられない。
私は、
「3五歩に同飛とすればいいんじゃない?」
と提案した。
大塒くんは、
「有力です。先手は7五の歩が伸びてますから」
と答えた。
けれど、後手の対応はちがっていた。
同歩、3五歩、5五歩。
飛車の頭に歩を伸ばした。
これは取り合いになるのでは?
例えば3四歩、5六歩、4一飛とか。
3二飛と角に当てるのは、1三角で手順に逃げられてしまう。
パシリ
先手は飛車を取った。
5六歩、4五歩。
そこから攻めていくのか。
外野の予想が、なかなか当たらない。
5五銀、5八歩、6九飛、7四歩、1三角、5五角、7九飛成。
先に龍を作ったのは、中禅寺くんのほうだった。
橋爪くんも反撃していく。
7七桂、6八角成、4一飛。
形勢判断がむずかしい。
先手陣はちょっと手がついてる感じがする。
栗林くんは、
「どっちのほうがいい?」
と、私たちふたりにたずねた。
私は、
「互角じゃないかしら」
と答えた。
大塒くんも、
「僕も互角だと思います」
とのこと。
中禅寺くんは1分考えて、7七馬。
桂馬を回収した。
次の7三歩成が厳しいから、しょうがないかな、という印象。
同角、同龍、2一飛成、3一歩、3三歩成、6七龍。
先手、すこし危ないかも。
栗林くんも不安になったらしく、
「この位置だと死なないか?」
とつぶやいた。
大塒くんは、
「いったん引けば大丈夫だと思います」
と言った。
「3九玉? 引いてるあいだに手を稼がれそうだが……」
「後手も7三の地点を受けないといけません」
ふむふむ、大塒くんの言うとおりだ。
本譜はその通りに進んだ。
3九玉、6四角、3七銀打、8二玉。
一転しておたがいに牽制し合う。
私は、
「2八玉まで入るかしら?」
とたずねた。
「それも普通にありますね。あとは橋爪くんの棋風次第かな、と」
ちょうどそのとき、橋爪くんが動いた。
パシリ
攻めた。
でもなあ、7筋を崩すには、戦力が足りないと思う。
同銀、7四歩、同銀、2三龍。
ここで中禅寺くんの手が止まった。
大塒くんは、
「悩ましいですね」
と、初めてじぶんからコメントした。
私も、この局面は悩ましいと思う。盤面が漠然としていた。
とりあえず、
「一番単純なのは3五桂じゃない?」
と提案してみた。
「そうですね、第一感それです。決め手には欠けますが」
たしかに、4六金と縦に浮けば、後手は困るかも。
私は、一本2六歩と打っておく順を指摘した。
大塒くんは腕組みをして、
「……なるほど、いい手です。同歩なら3五桂が痛打になります」
と答えた。
そうそう、同龍で先手の攻めを遅れさせればいい。
中善寺くんは、なかなか指さなかった。
持ち時間は先手16分、後手14分。
ここからさらに1分差がついたところで、ようやく動いた。
パシリ
……読んでない手が来た。
ひねったように見える。橋爪くんも椅子に座り直した。
栗林くんは、
「同歩、同歩成は後手がいい。でも4八金上で?」
とたずねた。
大塒くんは、6九龍の王手だろうと予想した。
でしょうね。
先手は2八玉と逃げ込むかたちになる。
そこで3九銀と打てるのだ。
先手陣は金銀が密集しているけど、隙は多かった。
栗林くんも納得して、
「ああ、なるほど……だけど1筋から抜けられる」
と言った。
大塒くんは、
「2六歩とどっちがよかったかは、判断がむずかしいです。2六歩、同龍は、脱出口が塞がる代わりに、龍が守りに利いてきます。その差をどう考えるかですね」
と、あくまでも冷静なコメント。
橋爪くんは1分考えて、応手を見せた。
パシリ
あ、これはうまい。
6九桂成とさせるつもりだ。
だけど中禅寺くんも、この手は読んであったようだ。
6九桂成と即座に成った。
4八金上、6八成桂、4三と、5一金引、8六桂。
橋爪くんも攻めた。
8五銀、5三と、4六歩、6三と。
ギャラリーがどよめき立つ。
栗林くんは、
「焦る必要あったか? 冷静に同銀かと思ったが……」
と動揺した。
大塒くんは、
「同銀ではなく、同金もありました。その先の進行も分岐が多いです。例えば4六同金、5八成桂、同金、同龍に、先手が受けるのか受けないのか。もし後手が桂馬を欲しがったら、4六同金のあと、5八成桂ではなく8六銀もありえます」
と、桂馬の重要性を示した。
そう言われてみると、桂馬があるかどうかは大きい。
例えば4六同金、8六銀、同歩なら、いきなり4六角と切って、同銀に3六桂と打つ手が生じる。これはいきなりの詰めろ。
【参考図】
いずれにせよ、橋爪くんはこの順を選択しなかった。
中善寺くんはこれを予期していなかったようだ。
後頭部に手を当てて、しばらく盤を見つめていた。
「……4七歩成」
当然の成り込み。
同銀、4六歩で2回目の叩き。
橋爪くんはこれも無視して、6四と。
こ、これは──
私は1分ほど確認してから、
「4七歩成よりも、7三角のほうが速いっぽい?」
とたずねた。
大塒くんはうなずいた。
「ですね……驚いたな。歩成りを2回許容するほうがいいだなんて。残念ながら、後手敗勢だと思います」
栗林くんはこれを聞いて、
「おいおい、チームメイトがあきらめちゃダメだぞ」
とたしなめた。
「しかし事実ですからね……4七歩成、7三角に同桂は、同と、8一玉、8二と、同玉、7四桂打があります」
【参考図】
「これは詰みです。よって、7三角に9二玉と逃げるしかありませんが、9四歩が詰めろです」
9三歩成、同桂、同香成、同玉、8二角打、9二玉、9一角成、9三玉、8二馬まで、ね。8六の桂馬が利いている。
中禅寺くん、大長考。
将棋で一番苦しい状況になってしまった。
投げ場のない敗勢。
私たちギャラリーはあれこれ議論したけど、打開策は見つからなかった。
中禅寺くんは3分残して、4七歩成。
橋爪くんはノータイムで7三角。
以下、9二玉、9四歩、同歩、9三歩、同桂、9四桂、同銀、同香。
詰めろ。8一角打以下。
中禅寺くんは3八金で、形作りに入った。
同金、同と、同玉、4七金、2八玉、3七金、同桂、3六桂、1七玉。
龍の守りが大きい。先手は上がフロンティアになっている。
2八銀、2六玉、3七龍、3五玉、4八桂成、3六歩。
中禅寺くんは背筋を伸ばして、頭を下げた。
「負けました」
「ありがとうございました」
ギャラリーがざわめいた。
向かい側の新田くんは、あちゃーというポーズ。
しばらく雑音が続いたあと、
「最後、読み間違えてた」
という中禅寺くんのひとことで、感想戦が始まった。
橋爪くんは、
「4六歩のところ?」
と訊き返した。
「うん……2回放置できると思わなくて、読みを省略しちゃった」
実質的には3回よね。
1回目の4六歩、2回目の4六歩、そして最終的な4七歩成。
これを全部手抜けたってことは、3手差がついたことになる。
中禅寺くんも、そのあとの局面は検討する気にならないらしかった。
もっと前のところを議論し始めた。
「5七桂じゃなくて2六歩だった?」
【検討図】
私たちも熱心に検討した局面だ。
橋爪くんは、
「いや、それはあまり気にならなかったな。同龍で悪くない」
と答えた。
「5七桂との比較だと?」
「じっさいに進めてみなきゃ、なんとも言えないんじゃないか。もし感覚的な回答でいいんなら、俺は2六歩より3五桂のほうがイヤだった。4六金、1五歩くらいで、先手玉にはそこそこ脅威だ」
中禅寺くんは、ロングボブの前髪に手をあてて、目を閉じた。
「そうか……ひねり過ぎだったね……2日目進出、おめでとう。優勝、期待してるよ」
場所:2017年度 関東大学将棋連合新人戦 5回戦
先手:橋爪 大悟
後手:中禅寺 ひそか
戦型:相振り飛車
▲5六歩 △3四歩 ▲5八飛 △3二飛 ▲5五歩 △3五歩
▲5六飛 △3四飛 ▲9六歩 △6二玉 ▲3八銀 △4二銀
▲7六歩 △7二銀 ▲9五歩 △7一玉 ▲7五歩 △5二金左
▲4八玉 △1四歩 ▲1六歩 △3三銀 ▲5八金左 △4四銀
▲4六歩 △3六歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲4七金 △3四飛
▲3六歩 △3五歩 ▲5四歩 △同 歩 ▲3五歩 △5五歩
▲3四歩 △5六歩 ▲4五歩 △5五銀 ▲5八歩 △6九飛
▲7四歩 △1三角 ▲5五角 △7九飛成 ▲7七桂 △6八角成
▲4一飛 △7七馬 ▲同 角 △同 龍 ▲2一飛成 △3一歩
▲3三歩成 △6七龍 ▲3九玉 △6四角 ▲3七銀打 △8二玉
▲7三歩成 △同 銀 ▲7四歩 △同 銀 ▲2三龍 △5七桂
▲5九金 △6九桂成 ▲4八金上 △6八成桂 ▲4三と △5一金引
▲8六桂 △8五銀 ▲5三と △4六歩 ▲6三と △4七歩成
▲同 銀 △4六歩 ▲6四と △4七歩成 ▲7三角 △9二玉
▲9四歩 △同 歩 ▲9三歩 △同 桂 ▲9四桂 △同 銀
▲同 香 △3八金 ▲同 金 △同 と ▲同 玉 △4七金
▲2八玉 △3七金 ▲同 桂 △3六桂 ▲1七玉 △2八銀
▲2六玉 △3七龍 ▲3五玉 △4八桂成 ▲3六歩
まで107手で橋爪の勝ち




