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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第51章 失われた葉書(2017年5月26日金曜)
320/496

311手目 ノエル・コード

 というわけで、チェリーブロッサムまでやって来たわけですが──

 私たちは一番奥の席に案内された。壁を正面に座る。ようするに下座ってこと。壁側が上座になるから、八千代やちよ先輩にはそちらへ座ってもらう予定。松平まつだいらは通路側。

 っていうか先に来ててもらわないと困るんだけど。このまま2時間も3時間も待てないわよ。っと思ったところで、入り口に人影があらわれた。

 ふりかえると、サングラスにマスク、それに帽子をかぶった八千代先輩がいた。肩からかけるカバンを持っていて、両手には手袋。

 ちょっと待ってッ! なんでそんなかっこうなんですかッ!

 あれですか、いきなりナイフでぶすっと刺されちゃう感じ?

 いやいやいや、八千代先輩、松平が好きってオーラ出してなかったじゃない。

 そもそも松平が私のこと好きなのは、公然の秘密だったわけで。

 松平も緊張してきて、

「裏見、逃げる用意しとけ」

 と小声で言った。

 店員さんに声をかけられた八千代先輩は、

「あそこの席をお願いします。あとホットコーヒーで」

 と言って、私たちのすぐうしろの席をとった。

 しかも私たちと背中合わせになるかっこうで。

 ひぃいいいいいいいいいッ! これは怖い。

 うしろからやられるぅ。

 席を立とうとしたところで、八千代先輩は、

「そのままでお願いします。渡したいものがあります」

 と言った。

 そして後ろ手になにかを渡してきた。

「振り返らずに受け取ってください」

 松平がそれを受け取ると、小型のボイスレコーダーだった。

 私たちは不審に思いつつ、それを再生した。

 かなり小さな音声で、八千代先輩の声が流れ始めた。

《急に呼び出してもうしわけありません。昨日、私のマンションに警察が来て、事情聴取を受けました。事務局の空き巣の件です》

 私と松平は顔を見合わせた。

 うっかり振り返りかけたけど、八千代先輩はわざとらしく咳ばらいをした。

《警察の言い分では、私が第一発見者なので、とのことでした。そして、部屋の物を触らなかったか、と訊かれました。私は触っていないと答えましたが……これはウソです》

 緊張が走る。

 まさか八千代先輩が空き巣の犯人?

 私の疑念を見透かしたかのように、録音は続いた。

《私は犯人ではありません……しかし、犯人が持ち出したものは知っています》

「!」

 え? じゃあリベルタタワーでの証言はウソ?

 あまりに唐突で、私は驚きを隠せなかった。

 ところがこの驚きは、ただの序幕に過ぎなかった。

《犯人が持ち出したのは、聖生のえるから送られて来たハガキのコピーです》

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………コピー?

 ハガキが盗まれたかもしれない、とは思っていた。

 けど、コピーとは? コピーして原本は持ち去らなかったってこと?

 そこからは、八千代先輩の長々とした説明が始まった。まず、どうして八千代先輩がハガキの在り処を知っていたのか、そのあたりの経緯から。事務局には毎年度の日誌があって、1992年度、つまり平成4年度のものも保管されていた。その日誌の中に、妙な暑中見舞いに関する記述があったらしい。八千代先輩はそれが聖生のえるからのハガキだと見当をつけて、事務局の中をあれこれ捜していたそうだ。

 ところが全然見つからず、諦めかけていたある日、1992年度の棋譜を入れてあった黒表紙の板に、違和感をおぼえた。黒表紙というのは、書類を2枚の黒い板で挟み、紐で閉じるものだ。学校でよく見かけるアレ。その表紙がなぜかほかのものよりも厚い気がして、調べてみると二重板になっていた。板を分解すると、中からハガキが出て来た。

《私も驚きました……さすがにそれを持ち出すのはマズいと思い、コピーを取りました。コピーは庶務が使う棚のファイルに隠しておきました。今回の空き巣は、それを盗んだのです。1992年の日誌にもどした原本は、盗まれていませんでした。しかし、そのままにしておくと危ないので、警察に通報する前に抜き取って、自宅へ持ち帰りました。これがそのハガキです》

 うしろからスッと、A4の封筒が差し出された。

 開閉口に2つの留め具がついていて、紐をそこに巻くタイプだった。

 松平は唖然としながら、それを受け取った。

 八千代先輩が手袋をはめているのは、指紋がつかないようにするためか。

《おふたりも、中を見るときは手袋をはめたほうがいいと思います……さて、それではなぜこれをおふたりにお渡しするのか、その理由を説明します。私の予想では、今回の事件の犯人は大学将棋の関係者です。そのひとが聖生のえると呼ばれる人物と同一であるかどうかは分かりません。いずれにせよ、だれかが聖生のえるのハガキを手に入れてしまったことは事実です。しかも私は警察から目をつけられています。おそらくは速水はやみさんが、裏で動いているのではないでしょうか。私が原本を持っておくことも危険になりました。そこで、絶対に聖生のえるではないと確信できる人物、つまり同郷で同じ高校に通っていたおふたりに、これを託したいと思います》

 た、託すって言われても──困惑する私たちをよそに、メッセージは続いた。

《おふたりには迷惑をかけることになります。しかし、おふたりも聖生のえるのことをお調べになられているのではありませんか? だとすればお互いに利益があるはずです……では、ボイスレコーダーをお返しください》

 松平はボイスレコーダーを返した。

 カチカチとボタンを押す音が聞こえた。音声消去かもしれない。

 八千代先輩はすぐに席を立ち、そのまま会計を済ませて出て行った。

 出入り口の鈴の音が聞こえた。

 恐る恐る振り返ってみると、先輩の姿はなかった。

 道路に面している窓からも見えなかった。

「ど、どうするの、これ?」

 私の問いかけに、松平も苦慮していた。

「どうするって言ってもな……」

「さっきのようすだと、探偵団のことがバレてるんじゃない?」

「さすがにそれはないと思うが……むしろ警察に没収されるのを恐れてる気がした」

「……速水先輩に取られるのがイヤってこと? なんで?」

「わからん」

 そのあと私たちは、喫茶店で長々と議論した。らちが明かないから、私がコンビニで手袋を買って来て、中身を見た。

 それからさらに議論して──私たちはある結論をくだした。


  ○

   。

    .


 真夜中の校舎。ぽつんとした街灯が、窓ガラスから見えた。

 ここは首都工業大学のキャンパス。そのサークル棟の5階に、私たちは集合していた。室内は研究ラボみたいな感じで、工具や作りかけの機械が山積み。ばんくんの話では、彼が二足のわらじで所属している電動研でんどうけんというサークルらしい。

 私たちは作業台の周りをぐるりと囲んで、ここまでの経緯を確認した。

 出どころが八千代先輩ということは伏せておいたけど、たぶん感づかれてるんじゃないかな、という気はした。

 話を聞き終えた太宰だざいくんは、アイスコーヒーの紙コップを置いた。

「で、僕たちに即日公開することにした、と」

 太宰くんはひじをテーブルのうえについて、両手を組み、そこへひたいを乗せた。

 うつむき加減で、

「ほんとうに感謝する」

 とつぶやいた。

 その声には、感情が強くこもっているような印象を受けた。

 無理もない。何年も真剣にさがしていたものが、ポッと出てきたのだ。

 一方、火村ほむらさんは浮かない顔をしていた。

 私は「なにか気になる?」とたずねた。

「んー、ハガキが見つかったのはいいんだけど……この中に聖生のえるがいたらアウトなわけでしょ。これって一種の賭けよね」

 それはたしかにそう。

 でも私と松平だけじゃ、しょい込み切れない。これしかなかった。たぶん。

 私は、

「この中に聖生のえるはいない……と思う」

 と返した。

 火村さんはパックのトマトジュースをひとくち飲んでから、左肩をすくめた。

「ま、あやしくなさそうなメンバーではあるか……で、開けないの?」

 大谷おおたにさんはてぶくろを取り出して、それをはめた。

「では、拙僧が開けさせていただきます」

 大谷さんは封筒を手にとると、紐を外して中に指をさしこんだ。

 全員が固唾を飲んで見守るなか、1枚のハガキが出てきた。

 大谷さんは、まず宛名を表にして、テーブルの上に置いた。郵便局で買えるふつうのハガキだった。もっともデザインは古かった。郵政民営化前のハガキだから、いわゆる官製はがきってやつよね。切手はあらかじめ印刷されているタイプではなく、カブトムシの図柄のものが貼られていた。そこに消印が押してあって、日付は1992年8月1日、引き受け郵便局は東京中央郵便局だった。

 宛先は関東大学将棋連合事務局御中となっていた。住所は現在の帝大のキャンパスのひとつ。このまえ偵察に行ったところだ。郵便番号はまだ5桁だった。日本の郵便番号が7桁になったのは、1998年からだ。

 オモテ面はそれだけで、左側の差出人の欄には、なにも書かれていなかった。

 大谷さんはハガキをひっくり返した。みんなの目つきが鋭くなる。

 手書きではない印字された文字列が、そこにはならんでいた。



 親愛なる友へ


 みんな元気にしてるか。僕が日本を旅立ってから早3年。

 世界のあちこちを回って、ついに約束のものを見つけたよ。

 まさかこんなに早く見つかるとはね。僕が一番乗りかもしれない。

 それともふたりはバブル崩壊を的中させて、軍資金はたっぷりだろうか。

 きみたちのほうで準備ができていないなら、これは保管しておく必要がある。

 だから保管場所を教えておこう。バージニア州から最新の謎々だ。

 ひとつめの鍵は聖生に余っているものだ。それらを足して、引いてやればいい。

 ふたつめの鍵は僕の息子の名前だよ。将来のね。おぼえているだろう。こどもが生まれたとき、どんな名前をつけるのか、3人で4年前に話し合った。

 それでは、きみたちの健闘を祈る。僕はまた世界を旅することにしよう。

 

 日本の未来に賭けて

 のえるより



 ……まちがいなく暗号だと思う。

 私たちは凍ったように見入った。

 ところがこの緊迫感を、磐くんのひとことが破った。

「こいつは暗号じゃないぜ」

 え? 私たちは顔をあげた。

 太宰くんは、

「むしろザ・暗号って感じだけど」

 と返した。

「いや、暗号じゃない……キーだ」

キー? ……つまり、暗号は別にある?」

「最初の数行が暗号って可能性も、ゼロじゃあない。だけど鍵のタイプを見る限り、換字式暗号だろ。換字式がこんなにきれいな日本語になるとは、ちょっと考えられないな」

 太宰くんはタメ息をついた。

「だとしたら暗号はどこに……?」

 沈黙──大谷さんは手袋をしたまま手を合わせ、口をひらいた。

「鍵が分かったことだけでも、収穫ではありませんか。1番目のヒントはよく分かりませんが、2番目のヒントはおおよそ推測がつきます」

 そう、その点はここへ来るまでに、都ノみやこののメンバーで話し合ってあった。

 太宰くんもうなずいた。

「KYOJI……かな」

 たぶんそれ。聖生のえるJrは宗像むなかた恭二きょうじくんだから。

 すこし落胆ぎみだった太宰くんも背筋を伸ばした。

「オッケー、2番目の鍵が手に入っているのは、僥倖だ。本来なら一番悩むところだろうからね。それともうひとつ、このハガキに暗号が隠れていないとは言い切れない」

 そのとおり。そのためにわざわざ首都工まで来たのだ。ただのハガキに見えて、暗号が科学的に隠されてるんじゃないか、ってこと。

 磐くんは帽子を持ち上げて、

「そこで俺様の出番……ってわけだが、こいつはちょっと難しいな」

 とつぶやいた。

 松平は、

「30年前のハガキだ。あぶり出しなら、薬品は揮発してるかもしれない」

 と指摘した。

「んー、その可能性もあるが、あぶり出しじゃないと思う。薬品で書いたのなら、25年のあいだにもっと傷んでるはずだ。だけどそういう兆候はない。例えばあぶり出しによく使うのは塩化コバルトだが、あれは皮膚刺激がめちゃくちゃ強いからな」

 大谷さんは、

「送り先の住所が暗号、ということはないでしょうか?」

 とたずねた。

 私たちはオモテ面を再確認した。

 現実の帝大キャンパスの住所と一致していたし、郵便番号も合っていた。

 そこでまたウラ面に移って、あれこれと議論した。

 そしてひとつのアイデアが出た。発案者は私で、

「この『バージニア州から』ってところ、おかしくない? これって日本のハガキだし、どう見ても海外から出したものじゃないわよね?」

 と指摘した。

 みんなは、なるほど、ということで、その線から考えることになった。

 太宰くんは、

「やっぱりこの文章自体が暗号なんじゃないかな」

 と、再度疑い始めた。

 磐くんも、

「たしかにギミック的な単語があるなら、その可能性もあるか……」

 と少し折れた。だけどそれ以上は進展しなかった。

 思考がもつれる。窓ガラスに虫がぶつかって、ぱちりと音がした。

 それに合わせるかのように、火村さんが動いた。

「待って。そもそもカブトムシの暗号がどうこうって話じゃなかった?」

 私たちはおたがいに目配せし合った。

 磐くんは、

「伝言ゲームじゃないのか。ほら、この文章だって、聖生ひじりなまをのえると読むなんて、書いてないじゃないか。それに1988年のハガキだってそうだ。4年前ってところが勝手にひとり歩きしたんだろ」

 と解釈した。

 ん、そう言われてみると、聖生ひじりなまをのえると読むわけじゃないっぽい。

 のえるは差出人の名前で、聖生(読み不明)は暗号の鍵だ。

 ところが火村さんは引き下がらずに、

「カブトムシならいるじゃない。切手のところに」

 と言った。

 全員が雷に打たれたような反応。

 太宰くんはすこし青ざめた表情で、

「そうか……磐、切手を剥がせる?」

 とたずねた。

「もちろん」

「絶対に安全に、だよ。破れたり跡が残ったりするのは厳禁だ」

「任せとけ。切手を剥がすのは簡単だ。コレクターがやる方法がある。ただこれはハガキを濡らすからな、先にコピーを取っといたほうがいい」

 磐くんと太宰くんは近くのコンビニへ行って、コピーを取ってきた。

 それから磐くんはアルミ鍋に水を入れて、カセットコンロで温め始めた。

 温度計で水温を計り、35度のところで火を止め、ハガキを浮かせた。

 しばらくしてハガキが沈み、切手が浮いた。

 磐くんはピンセットでそれぞれ回収し、水切り用の網のうえに置いた。

 私たちは一斉にのぞきこみ──そして落胆した。

 大谷さんは、

「なにもないようです」

 とつぶやいた。

 ですね。切手の裏にも、切手を貼ってあった箇所にもなにもない。

 行き詰まった。そう思った瞬間、火村さんの目が光った。

「ちょっと切手の表を見せて」

 磐くんはピンセットで切手をひっくり返した。

 火村さんは目を細めて、しばらく切手のカブトムシを凝視した。

「……左羽のこの部分、Pointillismじゃない?」

 私は「ポインティリズムってなに?」とたずねた。

「ほら、Georges Seuratの絵よ。点で絵を描くやつ。近くから見ると点の集まりなんだけど、遠くから見たら絵に見えるの」

 磐くんはパチリと指を鳴らし、拡大鏡でその部分を拡大した。


1110000011101100111000011110001011011

0101110101011100101111100111111001111

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0111010111110011011110001111100101110

0110111010101110110111110100111101111

1110000111010011110111111101101111000

1111100111111000001110101011100001111

1000011100100111001101111000011101111


 あったッ!

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