308手目 忘れ去られた文面
私たちのあいだに緊張が走った。
ダメダメ、みんな、顔に出しちゃダメ。冷静に。
ここでも火村さんのナイスフォローが入る。
「ハガキ? ラブレターでももらったの?」
ずいぶんとぶっきらぼうな訊き方。
だけど火村さんは見た目からして外国人っぽいから、末さんもそこはスルーした。
コーヒーを片手に笑う。
「ハハハ、ラブレターならよかったんだけどね。なんというのかな、怪文書?」
その言葉に、一同は顔を見合わせた。
末さんはまた笑った。
「そこまで真剣に受け取らなくてもいいよ。べつに脅迫されたわけじゃないから。意味不明なハガキが届いたってだけ」
私は用心しつつ、
「そのハガキには、なにが書かれてたんですか?」
とたずねた。
末さんはコーヒーカップを皿に置いて、うーんとうなってしまった。
これは……ごまかそうとしてる感じはしないわね。内容が素で思い出せない?
私たちは固唾を飲んで待った。
「なんて書いてあったかな……4年前にどうこう言ってたような……」
その数字を聞いて、火村さんは敏感に反応した。
「そもそもいつの話なの?」
「私が帝大の院へ進んだ年だから……1992年かな」
きたーッ!
1992年のハガキの存在が傍証された。
ここからが大事だ。内容を思い出してもらわないと。
私たちは遠回しにあれこれ訊いてみた。
ところが、末さんは頭をなでて、
「もうしわけない。意味不明な文章だったもので、思い出せない」
と、困っていた。
どうする? 暗号だったんじゃないですか、って訊いてみる?
もちろん変な学生だと思われるかもしれない。でも末さんとはこれっきりの可能性が高い。末さんが私たちにどういう印象を持つのかは、ある意味どうでもいい。
問題は氷室くんなのよね。氷室くんが同席している状態で訊いていいかどうか。
リスクはある。だけどハガキの話をする機会はもうないと思う。
私は意を決した。
「あの……さきほどからお伺いしていると、内容が思い出せないくらいおかしな文章だったみたいですね。なぞなぞかクイズだった、ってことですか?」
ぎりぎりまでぼかした訊き方。
これが功を奏した。
「んー……クイズねぇ……当時は、送り間違いという話になったような……」
「なぜそう思われたんですか?」
末さんは10秒ほど考えて、あ、そうだ、と言った。
「思い出した。3人で昔どうこうと書いてあったんだよ。友だちに送ったハガキなんじゃないかな。だから私たちには意味がわからなかったんだ」
3人?──3人ってどういうこと?
聖生が複数いる? それともこれ自体が暗号かしら?
私が頭を働かせていると、末さんは、
「すまない、おかしな話にしてしまったね。私と氷室くんはすこし相談があるから、これくらいにしよう」
と言って、話を切り上げてしまった。
そのあとは2つのテーブルでまったく別々の会話に。
聞き耳を立てていると、氷室くんと末さんは難しい科学の話をしていた。
そしてコーヒーを飲み終わると、ふたりはあっさり退店してしまった。
○
。
.
2時間後、私たちは夕食もかねてファミレスへ移動。
大衆食堂っぽいチェーン店。奥のドリンクバーに近い席へ通された。
大谷さん、太宰くんとも合流。
大谷さんは火村さんに、
「スマートフォンを貸し出していただき、ありがとうございました」
と言って、スマホを返却した。写真とかは撮っていないらしい。
帝大で大谷さんがいきなり写真を撮り始めたら、疑われるわよね。
タブレットで注文をしたあとの太宰くんは、開口一番、
「で、どうなった?」
と、いつもより好奇心強めにたずねた。
私たちは末さんとの会話をなるべく正確に伝えた。
すると太宰くんはすっかり黙ってしまった。
料理が運ばれてきても、太宰くんはそれに手をつけなかった。
磐くんはハンバーグを食べる手をとめて、
「おーい、その魚、食べないなら俺がもらうぞ」
と言った。
太宰くんはようやくハッとなった。
「ごめん……ちょっと考え込んでた」
ちょっとどころじゃなく考え込んでた気がする。
これには火村さんも不審に思ったらしく、
「なにか気づいたの?」
とたずねた。
「いや……むしろ謎は深まったと思う」
そうなのよね。私もそれが率直な感想。
ただひとつだけ、明確になった点があるような?
松平がそれを代弁してくれた。
「1988年にもハガキがあった、っていうのは裏がとれたんじゃないか?」
私もそう思った。4年前、というキーワードがあったからだ。
ところが太宰くんはこれを否定した。
「逆じゃないかな。1988年のハガキが存在する可能性は、低くなりそうだ」
私たちはエッとなった。
一方、大谷さんは意図を察したらしく、次のように言った。
「伝言ゲームだった、ということでしょうか?」
太宰くんはうなずいた。
私もようやく意味を理解して、
「4年前っていうワードが、あとから誤解されたってこと?」
とたずねた。
「おそらく、ね。末さんが文面を覚えていないとなると、丸暗記するのがかなり難しい文章だったんだろう。そのなかで特定のワードだけが、後世に伝わった。そのひとつが『4年前』だったのかもしれない。そこから尾ひれがついて、4年前にもハガキがあった、という誤解が広まった可能性はある」
大谷さんは同意しつつ、
「しかし、バブル崩壊との関連性は?」
と疑問を呈した。
太宰くんは、そこはわからないと認めた。
「バブル崩壊とか金儲けとか、そういうことを示唆するワードもあったんじゃないかな」
磐くんはお茶を飲み干して、湯呑みをテーブルに置いた。
「じゃあやることはひとつしかないだろ」
そうだ──1992年のハガキを見つけること。これしかない。
文面が不明だから、これ以上つっこんだ推理はできない。
松平は、
「だいぶ見通しがついたな。あとは文面が見つかれば解決だろう。もしかするとほんとうに送り間違いかもしれないし、ただのいたずらかもしれない」
と言った。
ここで大谷さんが口をひらいた。
「ただもうひとつ、説明のつかない点があります。聖生という名前はどこから出てきたのでしょうか? また、リーマンショックのときに聖生がふたたび現れたこと、さらに都ノに対していやがらせをしている聖生もいること、これらも説明がつきません」
これには松平が答えた。
「聖生っていう名前自体はハガキにあって、あとのは模倣犯なんじゃないか? リーマンショックのときは『俺が聖生だ』って自称していないよな。あくまでも外野がそう言ってるだけだ。それに、直近の聖生はむしろ聖生っぽくない」
たしかに、松平の言っていることには一理ある。
宗像姉弟のお父さんは、単なる相場師だったのかもしれない。都ノにちょっかいをかけている聖生は、お金を匂わせるような話は全然してこないし、なんだか手口がこどもっぽい。
大谷さんは松平の意見をまとめて、
「初代は都市伝説、2代目は周囲の誤解、3代目は模倣犯、ということですか……」
とつぶやいた。
なんだか急に尻すぼみになってきた感がある。
でもそっちのほうがいい。バブル崩壊を予言できる謎の人物なんて、ねえ。
ちょっと不気味すぎる。都市伝説であって欲しい。
そこからは、どうやって1992年のハガキを見つけるのか、という話になった。これについては大谷さんか太宰くんが会長になったとき、という案が多数派だった。ところが当人の太宰くんは納得しなかった。
「それだと早くても12月になっちゃうよね。役員交代は王座戦のときだ」
松平は、
「12月でいいんじゃないか? 残り半年だぞ?」
と指摘した。
「半年のあいだになにかあったら困る」
「なにか? なにかってなんだ?」
「おなじ推理にたどりつく人物がいない、とは断定できない」
「俺たちより情報を持ってるやつがいる、ってことか?」
「現に氷室はその場にいたんだよね」
松平はハッとなった。
「まあ……末さんとの会話はあいつも聞いていたが……」
ここで磐くんが割り込んだ。
「やっぱり氷室のこと疑ってるんだろ? だから探偵団に入れなかったんだよな?」
太宰くんは一瞬沈黙した。
それは無言の肯定というよりも、太宰くん自身に迷いがあるようにみえた。
「氷室は聖生じゃない……と思う。これが僕の率直な結論だ」
○
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その夜、なんだかんだでカラオケまでして帰宅。
これはあれ、ただの大学生の1日?
捜査が進展したわりに、やってることは普通。
靴を脱いで自室に上がった私は、ベッドのうえに腰をおろした。
はあ、つかれた……ん? スマホが振動してる?
見ると、松平からの電話だった。
いくら私の声が聞き足りないからって、駅で別れてから1時間も経ってないのに。
しょうがないなあ、もう。私は受信ボタンを押した。
「もしもし? ……ええ、無事に帰ったけど……え? 事務局に泥棒が入った?」




