301手目 底力
私は30秒ほど考えて、7四飛と引いた。
磐くんは脚を組みなおす。
「そっちか……」
すぐに5五桂跳ね。
以下、4四金、6三桂成、2七歩、同金、7八歩成と進んだ。
後手、そんなに悪くないのでは。というか互角だと思う。
私のほうが若干薄いかな、くらいの印象。
この7八歩成には、当然同飛としてきた。
飛車交換に応じる。
ここが問題だ。手が広い。
だいたい3パターンくらい考えている。
ひとつは5六歩と垂らす手。ただこれはインパクトが弱い。
本命は4九飛か6九角で、大駒を下ろすほう。それぞれにどう対応してくるか、なのよね。4九飛は銀取りだから、3九銀打で補強してくると思う。6九角は6八金? そうはならない気がする。8八飛と連続で下ろされる可能性があるからだ。というか私ならそうする。おそらく金は逃げるヒマがない。5二飛で反撃してくるんじゃないかしら。
となると──
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
こうか、あるいは、
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
こう。
前者は7四角と追加する手が考えられる。そこで先手は飛車を打ってくるだろう。
後者は5一歩の小技を効かせて、同飛成に4九飛。
似たようなかたちにはなるか……となると、好みの問題。
角は7四に打ちたい。私は前者を選択した。
4九飛、3九銀打、7四角。
ここで磐くんの手が止まった。じっと考え込む。
「……6二飛」
そっちか……4一飛だと思ってた。
金に当ててこないのね。6二飛は成桂を守る手。
私はとりあえず4二歩と受けた。
「5六歩」
うッ……そうきたか。
私の陣形が薄いのを突いて、守りに回ったようだ。
磐くん、消極的。やっぱりめちゃくちゃビビってるわね。
私は逆にチャンスだと思った。
「6一歩」
飛車を一回どかせる。
同飛成かと思いきや、7二飛成としてきた。
これも守備の手だ。7八の金に紐づけするのが狙いだと思う。
私はこの手に便乗して、8五角と上がった。
敵陣に効かせた──ものの、金銀には当たっていない。
磐くんもそれは分かっているから、5三成桂と寄せてきた。
いやぁ、チャンスな気はしてるんだけど、いい手が思い浮かばない。
陣形差が思ったより大きいかも。
私はあせらないようにお茶を飲んで、それから自陣の整備を始めた。
5二歩、同成桂、6三角打、同龍。
あ、切ってくれるんだ。第一感、ラッキー。
同角、5三成桂、8五角、5一角、2三金、4二成桂、6九飛成。
「9五角成」
磐くんは方針を一貫させてきた。
まったくフラつかない。飛車角交換も、わざわざ馬を作るためだったか。
私も攻める方針を変えない。
4九角成、6八馬、9九龍、3八銀引、7六馬。
「ここで反転だッ! 4五香ッ!」
磐くんは攻めに転じた。
私はここまで思ったように攻め切れなくて、不安になっていた。
のこり時間も少ない。あと1分30秒。
5四金とは逃げられない。それは4三香成から圧殺される。
私は最後1分だけ残して、4一歩と打った。
磐くんはちょっとイヤそうな顔。
気づかないと思っていたっぽい。あんまり舐めるなあ。
4四香、4二歩、同香成。
なんとか1枚は消せた……けど、これはこれで圧迫感がある。
ピッ
あうち、1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は1二玉と逃げた。受けるスペースを作る。
磐くんは椅子に座りなおして、読みに没頭。
私も読む──後手不利だ。どこかでじわじわ悪くなってしまったようだ。
なにか勝負手が必要。
ピッ
磐くんも1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7九歩」
受けてきた。寄せる手があったんじゃないの?
磐くんも読み切れないらしい。
ここからは真剣1分将棋。すこしも気の抜けないゾーンに入った。
4四桂(上から援軍)、8六馬、同馬、同歩、5四角。
磐くんは4五金と受けた。
私は勝負手で3六桂、同金に2七歩と叩く。
同銀、9七龍、4七桂。
ここも手抜いてくれないのか。磐くんは本気で受けにきている。
私はしぶしぶ7六角と逃げた。
磐くんはニヤリと笑って、1筋に手をかけた。
「さすがに止まったっしょ。1五歩」
私は軽くのけぞった──マズい。
明らかに後手劣勢。
ここまで先手が硬いのは誤算だった。
しかも端玉には端歩のかたちになってしまっている。
秒が読まれる中、私は苦悶した。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
4九角成と入る。さすがに端歩は取れない。
1四歩、1五歩、3八銀引、4八馬、同銀。
ダメだ。もう攻めが続かない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は9三龍で自陣に利かせた。こうなったら粘る。
磐くんはすこし余裕が出てきたみたいで、姿勢が楽になった。
くぅ、裏見香子、ねばれぇ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3二成香」
敵の駒が迫ってくる。
なにかない? 粘ると言っても限度がある。
先手をすこしでも危ないかたちにしておかないと。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は1六桂と打った。
磐くんはふてぶてしいまでに冷静な仕草で、同香。
同歩、3一角(詰めろ)、1七歩成、同玉、1六香、2八玉。
「1八飛」
「3九玉」
……………………
……………………
…………………
………………まったくダメだ。
「負けました」
「ありがとうございました」
いやぁ……私は前髪をなおしながら、呆然とした。
陣形差があった。でもそれ以上に棋力差もあった。
だてに首都工のエースを自称していない。完敗だ。
私が感想戦の言葉をさがしていると、磐くんのうしろに男子学生が現れた。
そっと耳打ちする。磐くんは眉をひそめて、
「3-3?」
と言ってから、席を立った。
「わりぃ、ちょっと応援」
こらこら、私がまだ同意してないでしょ。とはいえ私も席を立つ。
残っている席次第では負け──あ、平賀さんのところか。一番うしろだ。
私はひとだかりを通してもらって、最前列に出た。
【先手:山岸永一(首都工) 後手:平賀真理(都ノ)】
これは……後手がいい? それとも先手?
私はそばにいた松平に話しかけた。
「どう?」
「まだ互角だと思う」
よかった。でも一手間違えたら頓死しそうな局面だ。
平賀さん、苦しそうな表情で読んでいる。
ここが決勝席なのは気づいたはず。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
金を逃げなかった。受けもしなかった。
山岸くんは5六歩。
平賀さんは5七歩で追撃した。
私の左どなりにいた風切先輩は、この手に険しい表情を浮かべた。
「マズい……先手がよくなった。6五桂のところは5七金と入ったほうがよかったし、今の5七歩も3五角でこびんを狙ったほうがよかった」
えぇえええええ……。
山岸くんの雰囲気も変わった。
チャンスと見ているのがありありと伝わってきた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
この瞬間、ギャラリーの何人かが反応した。都ノサイドでは風切先輩と大谷さんが、首都工サイドでは磐くんが微妙に表情を変えた。
数秒後、風切先輩は、
「悪手だ」
とつぶやいた。
「ほんとですか?」
「攻防のつもりだろうが、5八歩成以下は後手がいい。7二角と露骨に打つ一手だった。先手のポイントは全部溶けたはずだ。あとは平賀が間違えなければ……」
よっしゃ。平賀さん、がんばれ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5八歩成、同飛、5七銀、同角、同桂成、同飛。
私たちは固唾を呑んで見守る。
4五桂とかでいいのよ。4五桂。あせらずに。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4五桂」
よーしよしよしよし。
山岸くんはここでハッとなった。
さっきの4六角で形勢が傾いたことに気づいたらしい。
うしろで観ている磐くんの顔色も悪い。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「な、7五桂」
平賀さんは冷静に7四玉と上がった。
山岸くんは59秒まで考えて5八飛。
平賀さんはすかさず4九角と置いた。詰めろ。なにもしなければ5八角成、同玉、5七金、4九玉、4八飛、3九玉、2八角、2九玉、1九角成、同玉、1七香以下の詰み。
山岸くんは頭に手を当てた。
「あ、う……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
風切先輩は、
「同玉、8三金狙いだろうが、仮にそうしても平賀の勝ちだ」
と断言した。
平賀さんも勝ちを確信しているらしく、うんうんと何度もうなずいている。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7五玉」
6四銀、同飛、7四金、同飛、同玉。
先手は飛車一枚。完全に切れた。
秒読みの中、山岸くんは肩を落とす。
「ま、負けました……」
「ありがとうございました」
ギャラリーが沸いた。
磐くんは内股になって、その場にへたりこむ。
「そ、そんな……完全な一手ばったり……」
どうですか、都ノの底力、思い知ったか。
これにて暫定首位ッ!
場所:2017年度 春季団体戦3日目 7回戦
先手:磐 一眞
後手:裏見 香子
戦型:先手角交換型振り飛車
▲7六歩 △8四歩 ▲5六歩 △8五歩 ▲7七角 △5四歩
▲5八飛 △6二銀 ▲4八玉 △4二玉 ▲3八玉 △3四歩
▲6八銀 △5三銀 ▲1六歩 △1四歩 ▲2八玉 △7七角成
▲同 桂 △4四銀 ▲5七銀 △3二玉 ▲8八飛 △2二玉
▲3八銀 △3二銀 ▲8九飛 △9四歩 ▲6八金 △9五歩
▲4六歩 △2四歩 ▲4七銀 △5二金右 ▲3八金 △7四歩
▲3六歩 △4二金寄 ▲2六歩 △2三銀 ▲3七桂 △3二金上
▲4五歩 △3三銀 ▲4六角 △7三角 ▲同角成 △同 桂
▲4六角 △8三飛 ▲6六歩 △9三香 ▲4八銀 △4四歩
▲同 歩 △同 銀 ▲4五歩 △3三銀 ▲5五歩 △同 歩
▲2五歩 △同 歩 ▲同 桂 △2四銀右 ▲2六歩 △4三金直
▲7五歩 △5四金 ▲7四歩 △4五金 ▲2四角 △同 銀
▲4六歩 △4四金 ▲7三歩成 △同 飛 ▲8五桂 △7四飛
▲9三桂成 △7七歩 ▲7九飛 △4三金引 ▲7五歩 △同 飛
▲6七桂 △7四飛 ▲5五桂 △4四金 ▲6三桂成 △2七歩
▲同 金 △7八歩成 ▲同 飛 △同飛成 ▲同 金 △4九飛
▲3九銀打 △7四角 ▲6二飛 △4二歩 ▲5六歩 △6一歩
▲7二飛成 △8五角 ▲5三成桂 △5二歩 ▲同成桂 △6三角打
▲同 龍 △同 角 ▲5三成桂 △8五角 ▲5一角 △2三金
▲4二成桂 △6九飛成 ▲9五角成 △4九角成 ▲6八馬 △9九龍
▲3八銀引 △7六馬 ▲4五香 △4一歩 ▲4四香 △4二歩
▲同香成 △1二玉 ▲7九歩 △4四桂 ▲8六馬 △同 馬
▲同 歩 △5四角 ▲4五金 △3六桂 ▲同 金 △2七歩
▲同 銀 △9七龍 ▲4七桂 △7六角 ▲1五歩 △4九角成
▲1四歩 △1五歩 ▲3八銀引 △4八馬 ▲同 銀 △9三龍
▲3二成香 △1六桂 ▲同 香 △同 歩 ▲3一角 △1七歩成
▲同 玉 △1六香 ▲2八玉 △1八飛 ▲3九玉
まで161手で磐の勝ち




