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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第50章 2017年度春季団体戦3日目(2017年5月21日日曜)
310/496

301手目 底力

 私は30秒ほど考えて、7四飛と引いた。

 ばんくんは脚を組みなおす。

「そっちか……」

 すぐに5五桂跳ね。

 以下、4四金、6三桂成、2七歩、同金、7八歩成と進んだ。

 後手、そんなに悪くないのでは。というか互角だと思う。

 私のほうが若干薄いかな、くらいの印象。

 この7八歩成には、当然同飛としてきた。

 飛車交換に応じる。


挿絵(By みてみん)


 ここが問題だ。手が広い。

 だいたい3パターンくらい考えている。

 ひとつは5六歩と垂らす手。ただこれはインパクトが弱い。

 本命は4九飛か6九角で、大駒を下ろすほう。それぞれにどう対応してくるか、なのよね。4九飛は銀取りだから、3九銀打で補強してくると思う。6九角は6八金? そうはならない気がする。8八飛と連続で下ろされる可能性があるからだ。というか私ならそうする。おそらく金は逃げるヒマがない。5二飛で反撃してくるんじゃないかしら。

 となると──


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)


 こうか、あるいは、


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 こう。

 前者は7四角と追加する手が考えられる。そこで先手は飛車を打ってくるだろう。

 後者は5一歩の小技を効かせて、同飛成に4九飛。

 似たようなかたちにはなるか……となると、好みの問題。

 角は7四に打ちたい。私は前者を選択した。

 4九飛、3九銀打、7四角。

 ここで磐くんの手が止まった。じっと考え込む。

「……6二飛」


挿絵(By みてみん)


 そっちか……4一飛だと思ってた。

 金に当ててこないのね。6二飛は成桂を守る手。

 私はとりあえず4二歩と受けた。

「5六歩」

 うッ……そうきたか。

 私の陣形が薄いのを突いて、守りに回ったようだ。

 磐くん、消極的。やっぱりめちゃくちゃビビってるわね。

 私は逆にチャンスだと思った。

「6一歩」

 飛車を一回どかせる。

 同飛成かと思いきや、7二飛成としてきた。

 これも守備の手だ。7八の金に紐づけするのが狙いだと思う。

 私はこの手に便乗して、8五角と上がった。


挿絵(By みてみん)


 敵陣に効かせた──ものの、金銀には当たっていない。

 磐くんもそれは分かっているから、5三成桂と寄せてきた。

 いやぁ、チャンスな気はしてるんだけど、いい手が思い浮かばない。

 陣形差が思ったより大きいかも。

 私はあせらないようにお茶を飲んで、それから自陣の整備を始めた。

 5二歩、同成桂、6三角打、同龍。

 あ、切ってくれるんだ。第一感、ラッキー。

 同角、5三成桂、8五角、5一角、2三金、4二成桂、6九飛成。

「9五角成」


挿絵(By みてみん)


 磐くんは方針を一貫させてきた。

 まったくフラつかない。飛車角交換も、わざわざ馬を作るためだったか。

 私も攻める方針を変えない。

 4九角成、6八馬、9九龍、3八銀引、7六馬。

「ここで反転だッ! 4五香ッ!」

 磐くんは攻めに転じた。

 私はここまで思ったように攻め切れなくて、不安になっていた。

 のこり時間も少ない。あと1分30秒。

 5四金とは逃げられない。それは4三香成から圧殺される。

 私は最後1分だけ残して、4一歩と打った。


挿絵(By みてみん)


 磐くんはちょっとイヤそうな顔。

 気づかないと思っていたっぽい。あんまり舐めるなあ。

 4四香、4二歩、同香成。

 なんとか1枚は消せた……けど、これはこれで圧迫感がある。

 

 ピッ


 あうち、1分将棋に。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 私は1二玉と逃げた。受けるスペースを作る。

 磐くんは椅子に座りなおして、読みに没頭。

 私も読む──後手不利だ。どこかでじわじわ悪くなってしまったようだ。

 なにか勝負手が必要。


 ピッ


 磐くんも1分将棋に。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「7九歩」

 受けてきた。寄せる手があったんじゃないの?

 磐くんも読み切れないらしい。

 ここからは真剣1分将棋。すこしも気の抜けないゾーンに入った。

 4四桂(上から援軍)、8六馬、同馬、同歩、5四角。

 磐くんは4五金と受けた。

 私は勝負手で3六桂、同金に2七歩と叩く。

 同銀、9七龍、4七桂。

 ここも手抜いてくれないのか。磐くんは本気で受けにきている。

 私はしぶしぶ7六角と逃げた。

 磐くんはニヤリと笑って、1筋に手をかけた。

「さすがに止まったっしょ。1五歩」


挿絵(By みてみん)


 私は軽くのけぞった──マズい。

 明らかに後手劣勢。

 ここまで先手が硬いのは誤算だった。

 しかも端玉には端歩のかたちになってしまっている。

 秒が読まれる中、私は苦悶した。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 4九角成と入る。さすがに端歩は取れない。

 1四歩、1五歩、3八銀引、4八馬、同銀。

 ダメだ。もう攻めが続かない。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 私は9三龍で自陣に利かせた。こうなったら粘る。

 磐くんはすこし余裕が出てきたみたいで、姿勢が楽になった。

 くぅ、裏見うらみ香子きょうこ、ねばれぇ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「3二成香」

 敵の駒が迫ってくる。

 なにかない? 粘ると言っても限度がある。

 先手をすこしでも危ないかたちにしておかないと。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 私は1六桂と打った。

 磐くんはふてぶてしいまでに冷静な仕草で、同香。

 同歩、3一角(詰めろ)、1七歩成、同玉、1六香、2八玉。

「1八飛」

「3九玉」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………まったくダメだ。

「負けました」

「ありがとうございました」

 いやぁ……私は前髪をなおしながら、呆然とした。

 陣形差があった。でもそれ以上に棋力差もあった。

 だてに首都工のエースを自称していない。完敗だ。

 私が感想戦の言葉をさがしていると、磐くんのうしろに男子学生が現れた。

 そっと耳打ちする。磐くんは眉をひそめて、

「3-3?」

 と言ってから、席を立った。

「わりぃ、ちょっと応援」

 こらこら、私がまだ同意してないでしょ。とはいえ私も席を立つ。

 残っている席次第では負け──あ、平賀ひらがさんのところか。一番うしろだ。

 私はひとだかりを通してもらって、最前列に出た。


【先手:山岸やまぎし永一えいいち(首都工) 後手:平賀ひらが真理まり(都ノ)】

挿絵(By みてみん)


 これは……後手がいい? それとも先手?

 私はそばにいた松平まつだいらに話しかけた。

「どう?」

「まだ互角だと思う」

 よかった。でも一手間違えたら頓死しそうな局面だ。

 平賀さん、苦しそうな表情で読んでいる。

 ここが決勝席なのは気づいたはず。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


挿絵(By みてみん)


 金を逃げなかった。受けもしなかった。

 山岸くんは5六歩。

 平賀さんは5七歩で追撃した。

 私の左どなりにいた風切かざぎり先輩は、この手に険しい表情を浮かべた。

「マズい……先手がよくなった。6五桂のところは5七金と入ったほうがよかったし、今の5七歩も3五角でこびんを狙ったほうがよかった」

 えぇえええええ……。

 山岸くんの雰囲気も変わった。

 チャンスと見ているのがありありと伝わってきた。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


挿絵(By みてみん)


 この瞬間、ギャラリーの何人かが反応した。都ノサイドでは風切先輩と大谷おおたにさんが、首都工サイドでは磐くんが微妙に表情を変えた。

 数秒後、風切先輩は、

「悪手だ」

 とつぶやいた。

「ほんとですか?」

「攻防のつもりだろうが、5八歩成以下は後手がいい。7二角と露骨に打つ一手だった。先手のポイントは全部溶けたはずだ。あとは平賀が間違えなければ……」

 よっしゃ。平賀さん、がんばれ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 5八歩成、同飛、5七銀、同角、同桂成、同飛。

 私たちは固唾を呑んで見守る。

 4五桂とかでいいのよ。4五桂。あせらずに。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「4五桂」

 よーしよしよしよし。

 山岸くんはここでハッとなった。

 さっきの4六角で形勢が傾いたことに気づいたらしい。

 うしろで観ている磐くんの顔色も悪い。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「な、7五桂」

 平賀さんは冷静に7四玉と上がった。

 山岸くんは59秒まで考えて5八飛。

 平賀さんはすかさず4九角と置いた。詰めろ。なにもしなければ5八角成、同玉、5七金、4九玉、4八飛、3九玉、2八角、2九玉、1九角成、同玉、1七香以下の詰み。

 山岸くんは頭に手を当てた。

「あ、う……」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


挿絵(By みてみん)


 風切先輩は、

「同玉、8三金狙いだろうが、仮にそうしても平賀の勝ちだ」

 と断言した。

 平賀さんも勝ちを確信しているらしく、うんうんと何度もうなずいている。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「7五玉」

 6四銀、同飛、7四金、同飛、同玉。


挿絵(By みてみん)


 先手は飛車一枚。完全に切れた。

 秒読みの中、山岸くんは肩を落とす。

「ま、負けました……」

「ありがとうございました」

 ギャラリーが沸いた。

 磐くんは内股うちまたになって、その場にへたりこむ。

「そ、そんな……完全な一手ばったり……」

 どうですか、都ノの底力、思い知ったか。

 これにて暫定首位ッ!

場所:2017年度 春季団体戦3日目 7回戦

先手:磐 一眞

後手:裏見 香子

戦型:先手角交換型振り飛車


▲7六歩 △8四歩 ▲5六歩 △8五歩 ▲7七角 △5四歩

▲5八飛 △6二銀 ▲4八玉 △4二玉 ▲3八玉 △3四歩

▲6八銀 △5三銀 ▲1六歩 △1四歩 ▲2八玉 △7七角成

▲同 桂 △4四銀 ▲5七銀 △3二玉 ▲8八飛 △2二玉

▲3八銀 △3二銀 ▲8九飛 △9四歩 ▲6八金 △9五歩

▲4六歩 △2四歩 ▲4七銀 △5二金右 ▲3八金 △7四歩

▲3六歩 △4二金寄 ▲2六歩 △2三銀 ▲3七桂 △3二金上

▲4五歩 △3三銀 ▲4六角 △7三角 ▲同角成 △同 桂

▲4六角 △8三飛 ▲6六歩 △9三香 ▲4八銀 △4四歩

▲同 歩 △同 銀 ▲4五歩 △3三銀 ▲5五歩 △同 歩

▲2五歩 △同 歩 ▲同 桂 △2四銀右 ▲2六歩 △4三金直

▲7五歩 △5四金 ▲7四歩 △4五金 ▲2四角 △同 銀

▲4六歩 △4四金 ▲7三歩成 △同 飛 ▲8五桂 △7四飛

▲9三桂成 △7七歩 ▲7九飛 △4三金引 ▲7五歩 △同 飛

▲6七桂 △7四飛 ▲5五桂 △4四金 ▲6三桂成 △2七歩

▲同 金 △7八歩成 ▲同 飛 △同飛成 ▲同 金 △4九飛

▲3九銀打 △7四角 ▲6二飛 △4二歩 ▲5六歩 △6一歩

▲7二飛成 △8五角 ▲5三成桂 △5二歩 ▲同成桂 △6三角打

▲同 龍 △同 角 ▲5三成桂 △8五角 ▲5一角 △2三金

▲4二成桂 △6九飛成 ▲9五角成 △4九角成 ▲6八馬 △9九龍

▲3八銀引 △7六馬 ▲4五香 △4一歩 ▲4四香 △4二歩

▲同香成 △1二玉 ▲7九歩 △4四桂 ▲8六馬 △同 馬

▲同 歩 △5四角 ▲4五金 △3六桂 ▲同 金 △2七歩

▲同 銀 △9七龍 ▲4七桂 △7六角 ▲1五歩 △4九角成

▲1四歩 △1五歩 ▲3八銀引 △4八馬 ▲同 銀 △9三龍

▲3二成香 △1六桂 ▲同 香 △同 歩 ▲3一角 △1七歩成

▲同 玉 △1六香 ▲2八玉 △1八飛 ▲3九玉


まで161手で磐の勝ち

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