300手目 最終日の幕開け
3日目当日──私たちは電電理科大学の校舎に集まった。
控え室のすみっこに陣取ると、となりに聖ソフィアがやってきた。
ゴスロリ姿のノイマンさんは、ぺこりと頭をさげて、
「おはようございます。いつもお姉さまがご迷惑をおかけしております」
とあいさつした。
え、えっと、日本語をまちがって覚えてるのでは。
後半は毎回使うものじゃない。
火村さんも、
「だからそれは日本のあいさつじゃないって」
とおかんむり。
「そうなのですか? ではなんと言えばよろしいのでしょうか?」
火村さんは、
「ふつうに話せばいいのよ」
と、抽象的なアドバイス。
ノイマンさんはしばらく考えて、またぺこりと頭を下げた。
「おはようございます。今日も血色がよろしいですね」
け、血色を褒められた。
どう反応していいのか迷う。
「お、おはよう……ノイマンさんも元気そうね」
「ありがとうございます」
さて、朝の茶番はこれくらいにしまして──
私は周囲に首都工がいないことを確認して、大谷さんに話しかけた。
「オーダーは、昨日打ち合わせたとおり?」
「はい、裏見さんにご負担いただくしかありません」
「……了解」
私はこぶしを口もとにあてて、首をたてに振った──磐くんと当たるかも。
首都工次第ではある。青葉くんが出てくると読んで、磐くんが2番席もありえる。
だけどうちは青葉くんを出す予定はないし、おそらく首都工も気づいている。
1番席でだれが出てこようと、青葉くんでは分が悪いからだ。
首都工は上のほうを厚くしていて、最低でも松平レベルじゃなきゃ入りそうにない。
残念ながら青葉くんは出せない。私が1番席……ということがあからさまに分かっているから、磐くんがぶつかりにくることも予想がつく。
大谷さんはいつもの平静な声音で、
「団体戦ですので、気負わずにお願いいたします」
と言った。
そう、やることは変わらない。将棋だ──というわけで、いざ、出陣。
対局会場へ行くと、他の大学も集まっていた。
最終日だけあって人が多い。
松平が席につくと、合わせたように磐くんも現れた。
磐くんは座ってオーダー表をひらくと、
「それじゃいくぜ」
と言って、すぐに読み上げ始めた。
「首都工業、1番席、三将、2年、磐一眞」
やっぱりか。
「都ノ、1番席、副将、2年、裏見香子」
「2番席、五将、3年、黒川英作」
「2番席、四将、2年、松平剣之介」
「3番席、六将、1年、上村練」
「3番席、六将、3年、風切隼人」
「4番席、七将、3年、中村徹二」
「4番席、七将、2年、穂積八花」
「5番席、八将、4年、本庄猛」
「5番席、八将、2年、大谷雛」
「6番席、十将、1年、大熊良則」
「6番席、十将、1年、愛智覚」
「7番席、十二将、1年、山岸永一」
「7番席、十二将、1年、平賀真理」
私たちはオーダー表を確認した──悪くない。
松平は、
「とにかくいつも通り指そう。入らない相手じゃない」
と言い、2番席へ移動した。
私も席につく。
磐くんはオーダー表をテーブルの脇に置いた。
「香子ちゃん、よろしくぅ」
駒を並べる。
重要な位置になってしまった。気が重い。
それを跳ね除けるように、ひとつひとつ駒音を立てて並べた。
幹事から振り駒の合図。
ゆずり合って、私が振ることに。
表が2枚。
「都ノ、偶数先」
「首都工、奇数先ッ!」
磐くんは「右利きでオッケー?」と言って、チェスクロを置き換えた。
会場が静まり返る。深呼吸。
幹事は壁の時計を見上げていた。
「……それでは始めてください」
「よろしくお願いします」
私はチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、5六歩、8五歩。
磐くんはこれを見て、
「ふーん、対策はして来てるわけか」
と言った。そのまま7七角と上がる。
5四歩、5八飛、6二銀、4八玉、4二玉。
磐くんが変化してきたら水の泡なのよね。
過去の棋譜を見るかぎり、振り穴はしてこないという前提だ。
されたときの対策はまったくしていない。
3八玉、3四歩、6八銀、5三銀。
ここで磐くんの手が端に伸びた。
「……1六歩」
第一関門突破。
磐くんも不慣れな戦型は避けたようにみえる。
大きな棋力差があると思ってるなら、振り穴で潰しにきたはずだ。
見かけよりもビビってるわね。
とりま1四歩と突き返す。
磐くんは2八玉。
ここだ。私は用意してきた手を指す。
パシリ
角交換。磐くんは「へぇ」と言って、急に真顔になった。
「首都工のエースとして、ハツメイは嫌いじゃない。同桂」
4四銀、5七銀、3二玉、8八飛。
当然に回り込んできた。
角打ちが発生しないように、私は慎重に囲った。
2二玉、3八銀、3二銀、8九飛。
ここから第二関門。
私はさりげなく9四歩と突いた。
磐くんはとくに反応せず6八金。
私は9五歩と突き越す。
磐くんは「ん?」という感じで眉を持ち上げた。
気づかれたっぽい。
後手だけ開戦のチャンスを残して、駒組みを続ける作戦。
居飛車vs振り飛車なら、自然と居飛車のほうが硬くなる……はず。
磐くんがその路線に乗ってくるか、それとも手を作ってくるか。
このあたりはなんともいえない。風切先輩に試したときは手を作ってきた。
だけどあのときは、棋力差があるから潰せるだろう、という判断にみえた。
「……」
「……」
磐くんは時間を使い始めた。
私も読み進める。
ローラーブレードのタイヤが、足元でカチャリと鳴った。
「4六歩」
両含みの手。
私は2四歩と突く。
4七銀、5二金右、3八金、7四歩、3六歩、4二金寄。
攻めて来ないっぽい?
2六歩、2三銀、3七桂、3二金上。
囲い完成。先手より硬いはず。たぶん。
磐くんは1分使ったあと、4五歩、3三銀に4六角と打った。
攻めて来ましたか──7三角。
同角成、同桂、4六角、8三飛。
磐くんは6六歩で、6五桂の余地を見せてきた。
でもさすがにムリじゃない? 先手はここから開戦できないと思う。
後手に主導権がきた。そう判断した私は、攻めを読み始める。
ポイントは4筋かな。角頭を攻めるのは将棋の基本。
「……9三香」
いったん香車を上がっておく。
磐くんは4八銀。案の定、先手から攻める手はないらしい。
私は30秒読み直して、4四歩と開戦した。
磐くんはすこし前のめりになりながら読む。
私は同歩、同銀、4五歩、3三銀に5五歩を予想していた。
そして現にそうなった。
4四同歩、同銀、4五歩、3三銀、5五歩。
私は同歩で、いったん手を渡した。
磐くんは続けざまに2五歩。
んー、玉頭戦か──これはちょっと予定からズレた。玉頭の厚みは後手のほうがある。先手から仕掛けるのは危ないと思っていた。
じっさいここからどうするの? 2五同歩、同桂、2四銀、2六歩のあとは?
それともそうにすらならない? 2五同歩でまた手を変える?
私はいろいろ読んでみた。その結果として、7筋をいじってきそうだと踏んだ。
「……同歩」
磐くんは同桂。
以下、2四銀、2六歩で、私のターンになる。
この次に7五歩として来そうなのよね。これを同歩とはできない。それは5五角が王手になって、受けた瞬間7四歩と打たれてしまう。つまり2五歩は3三の銀をどけて、この王手を成立させるのが狙いだったわけだ。
かと言って7三の桂馬を処理する方法もない。となると……桂馬は見捨てて、そのあいだに手を作らないといけない。むずかしくなってしまった。
私は2分ほど読んで、4三金直とした。
「ん? 金直?」
磐くんはこの手を不審がった。
テーブルのうえに右手をおいて、ひとさしゆびと中指でリズムをとる。
「……そういうことか。7五歩」
私は5四金と上がった。これで攻める。
金を使うのは不本意だけど、先手の金も浮いている。互角のハズ。
7四歩、4五金。
「切る。2四角」
ぐッ……ノータイムで切ってくるのか。
いや、読んであったけど、全然躊躇してなかったのが気になる。
いずれにせよ磐くんらしいとは思った。将棋指しには、ふだんの性格と棋風が一致しているひと、一致していないひとがいる。磐くんは前者のようだ。この情報は今後の読みに活かせる。
私は同銀と取った。磐くんは4六歩で傷を修復。
どのみち7三の桂馬は助からないから、私もすなおに4四金と引いた。
「じゃ、もらうぜ。7三歩成」
同飛、8五桂、7四飛、9三桂成。
ぐぁあああ、9三に上がった香車が目標になってしまうとは。
踏ん張る。7七歩で逆襲。
磐くんは7九飛と寄った。
8八角でなんとかならない? ……ならないか、飛車を逃げられて終わりだ。
次に5六歩を考える。あまり手が続かないようにみえた。
私は背筋を伸ばす。お茶を飲んで、それから一考した。
「……4三金引」
「7五歩」
同飛に6七桂が打たれた。
まだ……まだ悪くはない。
どこに飛車を引けばいい? 7四? 7三?




