愛智覚の無力
※ここからは、愛智くん視点です。
ファミレスのドアを開ける。
だれもが無関心な空間に、鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいませ。1名様ですか?」
店員さんがマニュアルどおりに声をかけてくる。
僕は「あとふたり来ます」と、ありきたりな客らしく答えた。
店員さんに案内され、4人がけのテーブルへ。
「とりあえずドリンクバー頼んでいいですか?」
「はい」
僕はコーヒーを淹れて待機──来た。
ラフな服装の少女、志邨つばめさんが入店した。
右手に丸めた紙を持っていた。
彼女は頭をかきながら店員さんに名前を告げ、僕の席に案内された。
開口一番、
「あいつはまだ来てないの?」
とたずねた。
「うん、ノアにはさっき連絡したばかり」
志邨さんは僕のまえに座って、「ふーん」とそっぽを向いた。
「作戦タイムってわけ?」
「それでもいいし、そうじゃなくてもいいよ」
店員さんが来て、志邨さんはドリンクバーを頼んだ。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
店員さんは僕のほうを見てきた。僕は「あとで注文します」と答えた。
志邨さんはドリンクを汲みに行くのかと思いきや、その場でヒマそうにし始めた。
僕は、
「大会のほうはどうだった?」
と話題をふった。
「準優勝」
くわしく聞くと、決勝は速水先輩だったらしい。
「強いよね、速水先輩」
「まあ相手はだれでもいいんだけど……」
そのときだった。入り口に、パーカーをかぶった背の高い少年があらわれた。
少年は店員さんに声をかけられて、すこしばかりおどおどした。
でもこっちの席に案内されると、子犬のように小走りに近づいてきた。
「あ、あっくんひさしぶり。元気だった?」
ノアは立ったままあれこれ話しかけてきた。
とりあえず座るようにうながす。
ノアは店員さんの存在が目に入っていないのか、なにも注文しようとしない。
代わりに僕が3つめのドリンクバーを注文しておいた。
ノアはほんとうにうれしそうで、
「あっくん、やっぱり将棋やめないよね。僕、信じてたよ」
と、ひとりで先を続けた。
さて、どうしたものか──昔話からしようか。
「高3のとき、ここで卒業パーティーをしたよね」
ノアはきょとんとした。
まさか覚えてない……わけもなく、すぐに、
「そうだね、みんなでパーティーしたね」
と言った。
あのとき、僕とノアと志邨さんがおなじテーブルだった。
もちろんほかのメンバーもいた。平賀さんとか伊能さんとか。
僕とノアは将棋を指していて、志邨さんがそれをつまんなさそうに観ていた。
ノアはなつかしそうな顔をしながら、
「楽しかったね」
と言った。
そう、あのときは楽しかった──けど、僕は志望校を隠したことを後悔していた。
いや、ちがうか。ノアに志望校を隠したことが正しかったのかどうかわからなかった。
正しいってなんだろう? それすらもわからない。
僕が黙っていると、志邨さんは、
「で、なにも注文しないの? ドリンクバーだけ?」
とたずねた。
僕は、
「志邨さんがなにか食べたいなら、どうぞ」
とうながした。
志邨さんは呼び出しボタンを押して、店員さんを呼んだ。
ポテトとフライドチキンを注文する。それからドリンクコーナーへ消えた。
僕はここからどう切り出すかで、頭がいっぱいだった。
「……ねぇ、ノア、ちょっと相談があるんだけど」
「ん、なに? 次の大会のこと?」
「まあ、それも関係してて……こんどの大会は団体戦だよね。団体戦のときは各大学がそれぞれまとまって戦うから、そのときはおたがいに話とかしないほうがいいんじゃないかな、って……いや、話くらいはしてもいいけど、おたがいのブースにいたりするのはマズいかも……」
僕がごにょごにょと理屈をこねていると、ノアは、
「え……あ、うん、そうだね。愛智くんは都ノで僕は慶長だもんね」
と、なんとも冴えない表情で答えた。
……………………
……………………
…………………
………………
あれ? あっさり納得してくれた?
志邨さんがもどってきた。手にはコーラのグラス。
志邨さんは着席すると、興味がないようなかっこうで、窓のそとをながめていた。
僕はノアに向きなおる。
「じゃあそういうことで……なにか追加で頼む?」
そのあと僕たちは2時間ほどおしゃべりをした。
大学の勉強とか、そんな感じ。
解散してレストランを出て、僕と志邨さんはおなじ駅の方向へ。
ノアは歩いて自宅へ帰ることになった。東京タワーが見える大通りに消えていく。
ノアの体調を考えて、近場にしたんだよね。卒業パーティーのときもそうだった。
駅へ向かう途中、僕は志邨さんに、
「ノアになにか言ってあった?」
とたずねた。
志邨さんは猫背気味に歩きながら、
「さあ」
と、なんだかとぼけたような返事だった。
微妙な空気が流れる。
横断歩道を渡ろうとしたら、ギリギリで赤になってしまった。
立ち止まって待っていると、志邨さんが急に口をひらいた。
「あの店でパーティーしたとき、愛智は『楽しいまま終わりたい』って言ったじゃん」
僕はワケもなくどきりとした。
「……言ったっけ?」
「聞き間違いじゃなかったら言ってる。こんなふうに楽しいまま終わりたい、って」
そうだったっけ。僕は記憶があいまいだった。
志邨さんはさらに言葉を継いだ。
「私、高校は楽しくなかったから、全然共感できなかったんだよね。だから覚えてる」
「え……そうなの?」
「なんか窮屈だったし」
沈黙──信号機が青になった。
僕たちはその場にとどまる。
日常の群れが、僕たちを次々と追い越していった。
「ごめん、気づかなかった」
「謝る必要ないっしょ。私の問題だし……で、愛智は今、楽しいの?」
僕は視線をそらした。
青空がみえる。
「……わかんない」
志邨さんはけだるそうに前髪をととのえた。
「ま、いいけどさ……楽しいまま終わるには、今が楽しくないとダメなんじゃないの?」
「……そうだね」
信号が点滅し始めた。僕たちはようやく渡り、山手線の駅に到着した。
問題はなにも解決していない──と思う。
僕らはけっきょくこどものままで、卒業したあとも無力なままだ。
僕は楽しいまま終わりたかった。
だけどそれは傲慢だったのかもしれない。
改札を通ったあと、べつべつのホームに分かれる。
僕は内回り、志邨さんは外回り。
志邨さんは僕に背を向け、賞状の筒を振った。
「じゃ、また……会えるならゴールデンウィークに。平賀にもよろしく」




