288手目 お手伝い
歩がひっくり返り、敵陣に成り込んだ。
山名くんの小考。
土御門先輩は、
「逃げるなら6筋じゃと思うが……」
と、小声で言った。
児玉先輩もうなずいた。
「そこ以外は渋滞しそうだ」
ふたりの予想どおり、山名くんは6二飛。
以下、2六角、3五銀、1七角、7五歩。
氷室くんは軽快に3六歩と打った。
これは取れない。山名くんは4四銀と引く。
そこから一転して、氷室くんは9二に歩を打った。
私は、
「と金を動かせないのは痛いですね」
とコメントした。
土御門先輩は、
「7五歩の放置も気になる。あそこはのちのち急所になるぞ」
と言った。
後手がいい感じかな。
めずらしく氷室くんが押されている。
風切先輩との準決勝で、力を出し尽くした感じなのかしら。
とはいえそれは山名くんも同じだ。朽木先輩と当たったのだから。
2五歩、9一歩成、3三銀上。
こ、これはカラい。
2四にできたキズをフォローした。
おそらく次の6七金寄を警戒した手だと思う。
そこで馬が移動すると、2四歩と打ち込まれるスキができるからだ。
氷室くんは8三とで、と金を活用した。
山名くんは1五歩。角をいじめにかかる。
6七金寄、4七馬。
馬が8三のと金に当たった。
私は、
「8四とで上部開拓ですか?」
とたずねた。
児玉先輩はこれを否定した。
「僕なら4八香と打つよ。串刺しにできる」
なるほど、そういう手があるのか。
ところがこれははずれた。
氷室くんは30秒ほど考えて、2四歩と打ち込んだ。
そっか、これでもいいのか。同銀ならどのみち利かせになる。
こうなってみると、山名くんの3三銀はあまり意味がなかったかもしれない。
それを証明するように、山名くんはここで手が止まった。
のこり時間は氷室くんが9分、山名くんが6分。
そのうち1分使って、山名くんは8三馬と引いた。
土御門先輩は扇子を閉じた。
「いかん、山名、すなおに同銀じゃった」
ここから氷室くんは反撃に転じた。
2三桂、4二玉、1一桂成、2四銀、2一成桂。
山名くんは1六歩で角を殺した。けど、これは当然に4四角。
同歩に4六桂が放たれた。
逆転……まではしてないと思う。
だけど互角にもどったっぽい。
山名くんは腕まくりをして、すこしばかり前傾姿勢になった。
のこり時間は3分。これはプレッシャーがかかる。
「……6五歩」
攻め合いに。
同歩、3七角、5四桂、同金、1八飛、8四桂。
山名くんも上部からの桂打ち。
氷室くんは8五銀でがっちりガード。
9六桂、同銀のタイミングで、山名くんは1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
山名くんは3三玉と上がった。
この手は先輩たちに不評。
「うむむ、後手から脱出はムリじゃ」
「だね。3五歩か3九香が厳しい」
氷室くんも3九香と打った。
5九角成、3五歩、8四桂、3四歩、4三玉、3三歩成、同銀。
ここで氷室くんも1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
これはもう脱出の見込みがない。
山名くんは5三玉と寄った。
「山名、あせるでないぞ。まだ互角じゃ。先手も入玉はできん」
8五銀、7六桂、同金、同歩、6四香、同金、同歩。
金を取ったり取られたりの展開。
おたがいに決め手がむずかしくなった。
そもそもどういう方針で指すのか、それも判然としない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
山名くんは59秒ぎりぎりで8七歩と打った。
その瞬間、氷室くんの雰囲気がわずかに変わった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
氷室くんはすなおに同金。
山名くんは6四飛と走った。
7六銀、9七歩、5四歩、同玉、4六桂、6三玉、6五歩。
この叩きは厳しい。同馬も同飛もできない。
山名くんは9四飛と逃げたけど、6四銀で追い打ちがかかった。
7二玉、9七桂、6二香。
氷室くんはじっと盤面をみつめる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
7三歩──馬取り狙い?
というか、めちゃくちゃ厳しい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同馬ッ!」
山名くんはぎりぎりで取った。
ギャラリーもいっしょに考える。
30秒ほどして児玉先輩が、
「あれ……これヘタしたら詰むんじゃ……」
とつぶやいた。
私もそんな気がする。けど読み切れない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同銀成、同玉、8五桂。
そう、このかたちで詰むのでは?
8二、8三、8四、7四へ逃げるのは当然詰むし、7二玉は7三銀でおそらく詰む。6三玉と逃げたら4一角と逆から打てばいい。合駒をせずに5三玉なら5二金、6三玉、6二金の開き王手で詰み。5二合駒は6四金、同飛、同歩、5三玉、5四飛、4二玉、5二飛成まで。もし6三玉じゃなくて6一玉と逃げたら7二角。
【参考図】
以下、5一玉、6二銀成、同玉、6三金、5一玉に5三香と打って詰み。
問題は、最初から6三玉と逃げた場合だけど──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
山名くんは6三玉と逃げた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
これは取るしかない……はず。
取らないで5二玉は、5三歩、6一玉、8三角、7二合駒に7三桂不成で詰む。
山名くんもノータイムで同飛と取った。
同歩、5二玉、5三歩、6一玉、5一飛。
山名くんはフッと笑った。
「全部詰んでた……かな。負けました」
「ありがとうございました」
終局──周囲がざわつく。
土御門先輩は、
「パターンは多かったが、打つ駒をまちがえなければ短手数の詰みじゃったな」
とまとめた。
ですね。打つ駒をまちがえると詰まなくなる局面はあった。
でも氷室くんはそのすべてが正確だった。
山名くんはあごに右手をそえ、左腕で右ひじを支えた。
しばらく目を閉じて、対局をふりかえっていた。
「……最後、7三歩に6一玉と逃げたら詰まなかったけど、僕の負けだよね?」
【検討図】
氷室くんは淡々とした調子で、
「そうだね。7二銀、5一玉、8三銀不成が飛車当たりになるから。7二同馬なら詰み」
と返した。
これは明らかな敗勢だ。
本譜のほうで詰まないことに賭けた理由もわかる。
山名くんは、
「どこがおかしかった? 途中までは押して……すくなくとも互角だったよね?」
とたずねた。
「8七歩と打ったのがお手伝いだったと思う」
【検討図】
この指摘に、山名くんはおどろいた。
「これがお手伝い?」
「僕の陣形は7八金のほうが不安定だったよ」
山名くんは目を閉じて、さきほどとおなじ笑みをこぼした。
「そっか……将棋ってむずかしいね」
女子の対局も終わり、八千代先輩が部屋に入ってくる。
「3位決定戦も終わりました。表彰式に移ります。エレベータ前に集合してください」
私たちは続々とろうかに出た。
エレベータ前のソファーに、風切先輩が座っていた。
「おつかれさまです」
「おつかれさん。決勝はどうだった?」
「氷室くんの勝ちです……先輩は?」
「俺も勝ったぞ。ぎりぎり3位だ」
会長の面目躍如、かな。
いや、あんまり関係ないか。
選手を中心に私たちはかたまった。
八千代先輩が賞状を読み上げる。
「2017年度、関東大学将棋連合、春季個人戦女子の部優勝、日本セントラル大学3年、速水萠子殿。あなたは頭書の成績をおさめられましたので、ここに表彰します」
パチパチパチ。
速水先輩、これで個人戦は5連覇。すごすぎる。
まさに関東の女王。
「続いて、2017年度、関東大学将棋連合、春季個人戦男子の部優勝、帝國大学2年、氷室京介殿。あなたは頭書の成績をおさめられましたので、ここに表彰します」
ふたたび拍手。
以下、女子準優勝の志邨さん、男子準優勝の山名くん、女子3位の火村さん、男子3位の風切先輩に賞状が手渡された。
ひと段落ついたところで、広報の春日さんが挙手した。
「春日です。みなさんにコメントをいただきたいと思います」
表彰された順ということになった。
まずは速水先輩から。
「今回の決勝は接戦でした。世代交代されないよう、これからも精進していきます」
あれですか? 4年間無敗の8連覇とか目指しちゃいます?
次に氷室くん。
「今回は序中盤で悪くしてしまいました。勝てたのは運があったと思います」
ずいぶんと謙虚。
次に志邨さん。
志邨さんはだらっとした感じで、賞状を片手に頭をかいた。
「そうですね……楽しかったです」
ちょっと意外な感想。
なんかそういう風にみえないんだけど……これも偏見?
次に山名くん。
「せっかくの決勝進出でしたが、終盤は棋力差が出てしまいました。団体戦もがんばりますので、よろしくお願いします」
次に火村さん。
火村さんは腕組みをして、
「んー、なんか釈然としないのよね。次こそ優勝するわ」
と、大胆な宣言。なんか前も言ってたような気がする。
最後に風切先輩。
「みなさんおつかれさまです。終盤の精度をもっと上げないといけないかな、というのが正直な感想です……さて、ここからは会長としての連絡ですが、次の日曜日から団体戦が始まります。詳細は追って連絡します……傍目庶務、これでいいですか?」
「けっこうです」
こらこら、おんぶにだっこされない。
こうして、大学2年生の春は無事スタートした。
来週からはいよいよ団体戦。
目指せA級ッ! はりきっていこうッ!
場所:2017年度 春季個人戦3日目 男子決勝
先手:氷室 京介
後手:山名 由多加
戦型:矢倉急戦
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △7四歩
▲2六歩 △6二銀 ▲2五歩 △3二金 ▲7八金 △6四歩
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8五歩 ▲2八飛 △2三歩
▲5八金 △7三桂 ▲6六歩 △4二銀 ▲6七金右 △4一玉
▲4八銀 △6三銀 ▲4六歩 △5二金 ▲4七銀 △5四歩
▲6九玉 △5五歩 ▲7九角 △5四銀 ▲6八角 △6三金
▲7九玉 △1四歩 ▲1六歩 △9四歩 ▲9六歩 △6五歩
▲同 歩 △同 銀 ▲6六歩 △5四銀 ▲3六歩 △3一玉
▲5九角 △4四角 ▲4五歩 △同 銀 ▲3七桂 △5四銀
▲4六銀 △8六歩 ▲同 歩 △8五歩 ▲同 歩 △9五歩
▲同 歩 △8五桂 ▲8六歩 △7七桂成 ▲同金寄 △4七銀
▲2五桂 △3六銀成 ▲3七銀 △同成銀 ▲同 角 △3五角
▲8八玉 △5七角成 ▲9四歩 △9六歩 ▲同 香 △2四歩
▲9三歩成 △6二飛 ▲2六角 △3五銀 ▲1七角 △7五歩
▲3六歩 △4四銀 ▲9二歩 △2五歩 ▲9一歩成 △3三銀上
▲8三と △1五歩 ▲6七金寄 △4七馬 ▲2四歩 △8三馬
▲2三桂 △4二玉 ▲1一桂成 △2四銀 ▲2一成桂 △1六歩
▲4四角 △同 歩 ▲4六桂 △6五歩 ▲同 歩 △3七角
▲5四桂 △同 金 ▲1八飛 △8四桂 ▲8五銀 △9六桂
▲同 銀 △3三玉 ▲3九香 △5九角成 ▲3五歩 △8四桂
▲3四歩 △4三玉 ▲3三歩成 △同 銀 ▲3五桂 △5三玉
▲8五銀 △7六桂 ▲同 金 △同 歩 ▲6四香 △同 金
▲同 歩 △8七歩 ▲同 金 △6四飛 ▲7六銀 △9七歩
▲5四歩 △同 玉 ▲4六桂 △6三玉 ▲6五歩 △9四飛
▲6四銀 △7二玉 ▲9七桂 △6二香 ▲7三歩 △同 馬
▲同銀成 △同 玉 ▲8五桂 △6三玉 ▲6四銀 △同 飛
▲同 歩 △5二玉 ▲5三歩 △6一玉 ▲5一飛
まで161手で氷室の勝ち




