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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第47章 2017年度春季個人戦3日目(2017年4月30日日曜)
295/496

287手目 指す楽しみ

 私はろうかに出た。

 観戦を終えた学生たちがたむろしている。

 人数はそれほど多くない。ザッと見回して顔を確認──いない。

 大谷おおたにさんの姿はなかった。

 その代わり、和室から出てきた朽木くちき先輩の姿をみつけた。

 私は歩み寄って、

「先輩、おつかれさまです」

 と声をかけた。

 すこし考えごとをしていた先輩は、ふと顔をあげて、

「ああ、裏見うらみくん、なにか用だろうか?」

 と返事をした。

「すみません、大谷さんは和室にいましたか?」

「大谷くん? いや、和室は役員以外立ち入り禁止になっていた」

 朽木先輩は「捜しているのか?」とたずねた。

「ええ、さっきから見当たらないので、どうしたのかな、と……」

 そのときだった。

 エレベーターのドアがひらいて、大谷さんが降りて来た。

 私はあわてて駆け寄った。

「大谷さん、どうだった? なにかあった?」

 大谷さんは思案顔で、

生河いがわくんの件については、当事者に任せることをお伝えしました」

 と答えた。

 その内容で1時間もかかるわけがない。

 相談の大部分は、別件とやらにあてられていたようだ。

「もうひとつのほうは?」

「……そちらに関しては、すこし考えを整理させてください」

 え? ……まさか告白されたとか?

 いや、それはないか。だってタイミングとして変だもの。

「個人的だったってこと?」

「いえ、逆です。利害関係人が多すぎて、裏見さんだけに教えるわけにはまいりません」

 えぇ……どういうこと?

 めちゃくちゃ気になるじゃないですか。

 困惑する私のまえで、大谷さんは両手を合わせた。

「申し訳ございません。拙僧にも寝耳に水だったもので、混乱しております」

 大谷さんを混乱させるレベルの話ってなに?

 ますます気になる。

 とはいえ無理に聞き出すわけにもいかないから、この話題は打ち切りになった。

 大谷さんは、

「ところで、どなたが残られているのですか?」

 とたずねた。

風切かざぎり先輩は負けちゃった。女子は志邨しむらさんの勝ち」

「和室のほうは?」

 私は知らないと答えた。

 そのあたりの学生から聞き出す。

 朽木vs山名やまなは山名勝ち、速水はやみvs来栖くるすは速水勝ちとのこと。

 しまった。負けた直後の朽木先輩に話しかけちゃったか。

 すこし無神経だったかも。

 大谷さんは、

「決勝は洋室でしょうか。最後まで観ておきましょう」

 と提案した。

 私たちは早めに会議室へもどった。

 決勝ということもあって、場所取りが肝心。

「どうする? 別々に分担する?」

「拙僧は志邨さんの対局を観たことがありません。できればこちらを」

 了解。私は氷室ひむろvs山名を観ることに。

 奥のほうへ移動した。

 またまた土御門つちみかど先輩と遭遇。

八ツ橋やつはしから決勝が出たのは喜ばしいのぉ」

 たしかに、山名くんには失礼だけど、朽木先輩を破ったのはすごい。

 しばらくして、八千代やちよ先輩が入室した。

「それでは決勝をおこないます。対局者のかたは、振り駒をお願いします」

 女子のテーブルでは速水先輩が、男子のテーブルでは山名くんが振った。

 速水先輩と氷室くんがそれぞれ先手になった。

「対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください」

 よろしくお願いしますのあと、初手が指された。

 7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、7七銀、7四歩。

 矢倉の出だし。

 2六歩、6二銀、2五歩、3二金、7八金、6四歩、2四歩。


【先手:氷室ひむろ京介きょうすけ(帝國) 後手:山名やまな由多加ゆたか(八ツ橋)】

挿絵(By みてみん)


 っと、いきなり開戦。

 これにはギャラリーも微妙に反応した。

 土御門先輩は、

「過激じゃな。後手が矢倉急戦と見て、先手を取ったか」

 とコメントした。

 そのとなりにいた慶長けいちょう児玉こだま先輩は、

「前例が少なそうだね。山名くんは研究してきたのかな」

 とたずねた。

「ふぅむ、わしは不干渉主義じゃから知らん」

 まあ知ってても部内の事情は教えないわよね。

 2四同歩、同飛、8五歩、2八飛、2三歩、5八金、7三桂。

 後手も仕掛けを急ぐ。

 6六歩、4二銀、6七金右、4一玉、4八銀、6三銀、4六歩。


挿絵(By みてみん)


 私はこの手を見て、

「5筋を突かないと角の進退が難しくないですか?」

 と質問した。

 土御門先輩は扇子せんすをパタパタやりながら、

香子きょうこちゃんの言う通りじゃ。7九角~6八角としても使い方が難しい。氷室のことじゃから、なにかありそうではあるが」

 と言った。

 七将クラスでも分からないのか。

「あ、そう言えば今年度の七将ってだれなんですか?」

「まずわし……と言いたいところじゃが、外れてしもうた」

 あ、そうなのか。

 裏見香子、さっきから先輩への当たりが厳しい。

 土御門先輩は指折りかぞえる。

隼人はやと爽太そうた一朗いちろう、氷室、もこっち、三和みわ、カミーユちゃんじゃ」

火村ほむらさんが入ってるんですか?」

「去年の春の個人戦準優勝じゃろ。新人戦のボーナスもあったしな」

 そう言えばそうだった。

 火村さん、自慢してこなかったのは意外。

 あとイチローというのは児玉先輩のことらしい。

 ここで当の児玉先輩が、

公人きみひとは個人戦が奮わなかったもんね」

 と突っ込みを入れた。

「うむむ、それは否定できん。一度も入賞できなんだ」

 土御門先輩の話によると、七将は前年度の団体戦、個人戦、その他の棋戦(新人戦とか王座戦とか)の総合成績で決まるらしい。クラスや大会に応じた配点があって、一番大きいのは個人戦入賞。土御門先輩は春の個人戦、秋の個人戦ともに4位、児玉先輩は春の個人戦で8位、秋の個人戦で3位。3位の配点が高くて逆転してしまった、とのこと。

「わしは将棋が楽しければ、それでよいのじゃ」

 ですね。趣味なんだし、ムリのない範囲で楽しくやるのが一番だ。

 なんて話をしているあいだにも、局面は進んでいく。

 5二金、4七銀、5四歩、6九玉、5五歩。

 中央の位取り?

 7九角、5四銀。


挿絵(By みてみん)


 後手は5筋を盛り上がった。

 山名くんも飄々とした雰囲気のわりには積極的。

 6八角、6三金、7九玉、1四歩、1六歩、9四歩、9六歩。

 ここで山名くんは長考に入った。

 児玉先輩は、

「攻めると味消しになる気もするけど……」

 とつぶやいた。

「押さえ込んだ方がいいってことですか?」

「6八の角はこのままだと使えないよね。氷室のあせりを待つのもアリ……だけど、角を使わせないまま攻め潰せるとみるなら、それもアリ」

 なるほど、となると仕掛ける筋が重要になってくる。

 山名くんは3分ほど考えて、6五歩と突いた。

 後手からの開戦。これが吉と出るか凶と出るか。

 今度は氷室くんが長考。同じく3分使って同歩と応じた。

 同銀、6六歩、5四銀、3六歩、3一玉、5九角。


挿絵(By みてみん)


「角を動かせましたね」

 私のコメントに児玉先輩は、

「そうだね……ただ3七角までは持って行きにくいか……」

 と答えた。

 この予想は当たっていた。

 山名くんはまず4四角と牽制し、4五歩、同銀、3七桂と跳ねさせた。

 3七角の地点が埋まる。

 氷室くんはその代償として、5四銀に4六銀で好形に組み替えた。

 児玉先輩は、

「後手の攻めはここからだね。5九角のあいだに動くはずだ」

 と読んだ。

 その読みどおり、後手はここから激しく動き始めた。

 8六歩、同歩、8五歩、同歩、9五歩。


挿絵(By みてみん)


 端攻めッ!

「同歩に8五桂ですか?」

 私の質問に児玉先輩は、

「そこまでは既定路線で、問題は銀を逃げるかどうか」

 と返した。

「8六銀は危なすぎるので、8八銀ですか?」

「そうだね、それで潰れないと思う。8八銀、7五歩を本線に読みたいな」

 この予想は外れた。

 9五同歩、8五桂に、氷室くんは8六歩と収めた。

 銀桂交換ばっちこいという手だ。

 以下、7七桂成、同金寄、4七銀、2五桂、3六銀成。


挿絵(By みてみん)


 うーん、先手苦しいのでは?

 やっぱり角の位置が悪い。

 氷室くんは3七銀と引いて、同成銀、同角で角出を強行。

 山名くんは3五角、8八玉、5七角成で、今度は馬を作ることに成功した。

 土御門先輩は、

「よいぞよいぞ、山名が押しておる」

 と小躍りした。

 氷室くん小考。表情は変わらない。当人の形成判断は不明だ。

 こういうときは戦線拡大、というのがセオリーだけど──


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 そこから行きますかぁ。

 端の逆用。だけど成否は分からない。

 苦し紛れとみるひともいるはず。

 山名くんはあごに手をあてて、すこしなでた。

 想定していたのか、いなかったのか。

 端が薄いこと自体は自覚があったと思う。

「……9六歩」

 歩を垂らし返した。

 同香、2四歩。

 香車を引っ張り出したあと、桂馬を殺しに行った。

 先手がかえって厳しくなったのでは、と思ったけど、土御門先輩は、

「この桂馬は取られても仕事をしそうじゃな」

 とつぶやいた。

「そうですか? このままだとタダ取りですよ?」

「取ったあと、2四に傷が残る」

 あ、そっか、2四歩と垂らせば厳しいのか。

 だったら後手有利とも言えない。

 現に山名くんの表情もすこしばかり硬かった。

 一方、氷室くんはいつもの対局モードで、冷淡な雰囲気を漂わせていた。

 私がじっと見つめていると、土御門先輩が、

「なんじゃ、やたら見惚みとれておるの」

 とちょっかいをかけてきた。

「いえ、見惚れてるわけじゃなくて……」

 私はそこまで言って、口をつぐんだ。

 女子の対局、志邨さんのほうも盗み見する。

 彼女はあいかわらずけだるそうに前髪をかきあげていた。

 それを見て、私のなかでふと疑問が浮かんだ。

 氷室くんや志邨さんは、将棋が好きなのだろうか?

 不遜な問いだというのはわかっている。ふたりの実力は本物だ。

 でも、楽しそうに将棋を指しているところを見たことがなかった。

 志邨さんとはまだ会ったばかりだというのもあるけど──

 私はもう一度氷室くんを見た。

 まるでこの部屋に自分しかいないような、孤立した空気をまとっていた。

 そしてその空気をはらうように、氷室くんはおもむろに動いた。

「9三歩成」

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