285手目 保留
翌日、私たちは他の部員にこのできごとを報告した。
三宅先輩の第一声は、
「ついに入部するんだなッ!」
だった。
まあ、そう思われてもしかたがない。
大谷さんは三宅先輩をおちつかせた。
「入部の話にはいたっておりません」
「……なんでだ? 将棋を指したいんだろ?」
「学生将棋界に入る必要があるのか、もういちど考えてみたいとのことでした」
三宅先輩は事情が呑み込めなかったらしい。
どういうことだ、とたずねた。
「大学将棋でなくとも将棋は指せます。このまま愛智くんが学生将棋界にもどって、また生河くんが依存し始めるのはよろしくない、ということです」
「……むずかしく考えすぎじゃないか?」
そういう反応をするひともいると思う。
三宅先輩なんかはそのタイプよね。
ララさんも、
「ごめん、ジョーク抜きでなにが問題なのか、ララわかんない。おじいちゃんになるまでずっと仲良くしてNo problemじゃん?」
と口をはさんだ。
このふたりは愛智くんの勧誘に積極的だったメンツだ。
反対に消極派だった穂積さんは、
「生河が愛智にべったりだと、うちの部にべったりにならない?」
と指摘した。
そう、そこは大谷さんと私のあいだでも議論になった。
大会中の生河くんは、愛智くんのそばにずっといるらしい。ってことは、うちの部のそばにずっといることになってしまう。慶長からみると情報漏れが心配だろうし、うちもスパイの懸念をしなくちゃいけない。めんどうだから愛智くんだけ別室にしてもらう、というのはよくない。
大谷さんはみんなの議論を制した。
「ひとまず、愛智くんには生河くんと個人的に話し合ってもらうことになりました。結果は後日お知らせします」
このひとことで、その場は収まった。
○
。
.
というわけで、個人戦3日目。
風切先輩がベスト4だから、部の役員は応援に。
会場はいつもの公民館だった。どうもここが定番になったっぽい。
風切先輩は会長ということもあって、先に到着していた。
「休日なのに悪いな」
いえいえ、大学生なんて、平日と休日の区別なんかあってないようなものだし。
風切先輩はあたりを見回して、
「部長の松平はどうした?」
とたずねた。
私は、
「折口先生の手伝いです」
と答えた。
「ハァ、あいかわらず人遣いが荒いな。平賀もか?」
「みたいですね」
平賀さんはメカ大好きだから、率先して手伝ってそう。
問題は松平なのよね。
3年次のゼミはこっそり内諾してもらってるらしいけど、どうなることやら。
これではしごを外されたら、目も当てられない。
そうこうしているうちに、開始時刻になった。
風切先輩と速水先輩を中心に、エレベーター前のスペースへ集まる。
まずは風切先輩からのあいさつ。
「えー、それでは2017年度春季個人戦、準決勝をおこないます。私、風切隼人と、副会長の速水萠子は参加選手なので、庶務の傍目さんに司会をお願いします」
八千代先輩が前に出た。
「では、僭越ながら司会を務めさせていただきます。準決勝の組み合わせは、例年通り抽選になりますので、よろしくお願いします」
八千代先輩は箱をさしだした。
女子からカードを引いていく。
先輩はカードを確認した。
「速水さんと来栖さん、火村さんと志邨さんですね……では、男子のかた」
男子もカードを引く。
「風切さんと氷室さん、朽木さんと山名さんですね」
おっと、去年の秋の決勝か。
ツートップみたいなものだから当たるのはしょうがない。
八千代先輩は、
「部屋割りになにかご提案はありますか? なければ速水vs来栖と朽木vs山名を和室に、火村vs志邨と風切vs氷室を洋室にしたいと思います」
とたずねた。
当事者からは異議が出なかった。
選手はそれぞれの部屋に消えていく。
私は大谷さんに、
「どうする? 和室は狭いから観戦はムリかな、と思うんだけど……」
とたずねた。
「左様ですね……Aに上がったときのことを考えると、来栖さんと山名くんを見てみたい気もしたのですが……」
来栖さんは帝大の新1年生。
山名くんは八ツ橋の主将で、このまえ晩稲田のカフェで会ったひと。
今年の春は当たらないけど、秋は当たるかもしれない。
私たちが迷っていると、慶長の日高くんが話しかけて来た。
「よッ、ふたりとも、おつかれさん」
私たちもあいさつを返した。
すると日高くんは声を落として、
「大谷、ちょっと時間あるか?」
とたずねてきた。
私と大谷さんは顔を見合わせる。
大谷さんは、
「例の件についてですか?」
とたずね返した。
「それもある……んだが、もうひとつある」
「そのもうひとつとは?」
日高くんは周囲に視線を走らせた。
この場で話しにくいことらしい。
私と大谷さんはオッケーした。ところが──
「すまん、裏見はハズしてもらえないか?」
え? なんで?
大谷さんも不審に思ったのか、
「おなじ大学の部員をはずす理由は、ないように思いますが?」
と返した。
日高くんはマジメな顔になった。
「庶務の日高として相談したいことがある」
……連合役員として、ってこと?
急に不穏になった。
大谷さんはしばらく黙考したあと、承諾した。
ふたりはエレベーターへ消えた。どうやら1階へ降りたらしい。
それを見送った私は、腕組みをして考え込む。
庶務として相談したいことって、なに?
まさか生河くんのために都ノが折れろって話じゃないでしょうね?
さすがに越権行為よ、それは。
もっとも、生河くんとは別件という話だったし、勘繰り過ぎか。
私はとりあえず観戦へ回ることにした
ろうかを右に進んで洋室へ入った。
洋室と言ってもただの会議室なんだけどね。
白いテーブルを、リクライニング付きの椅子が囲んでいる。
正面奥と向かって右手のほうに窓があって、東京の街並みを見下ろせた。
対局はすでに始まっていて、重々しい空気が流れている。
手前が火村vs志邨、奥が風切vs氷室だった。
後者はすでに人だかりができていた。割り込むスキがない。
同校ということでゆずってもらえないかしら?
個人戦だからやりすぎかな。
とりあえず窓を背にして、火村さんのうしろにつけた。
【先手:志邨つばめ(晩稲田) 後手:火村カミーユ(聖ソ)】
ふむふむ、火村さんがゴキゲンはいいとして、先手はけっこう強気な構え。
序盤はすこし変則的だったみたいね。
志邨さんはけだるそうな表情で、ときどき髪をいじっていた。
右手には銀のブレスレット。先週はめてたのとちょっとかたちがちがう。
火村さんはいつものお子様スタイルで、フリフリの黒いツーピース。
30秒ほどして、火村さんは5一飛と引いた。
4七銀、6四歩、5七銀、6三銀。
後手は木村美濃を選択した。
3七桂、4四歩、6六歩、3二金、5六歩。
そこを収めますか。
先手はあまり見ないかたちになった。
ここで左どなりに立っていた春日先輩が、
「先手は変わった囲いね」
とつぶやいた。
私は、
「2日目に志邨さんと指したときは、けっこう王道でやられちゃったんですけど」
と伝えた。
「志邨さんには決まったスタイルがないのよね。鵺みたいな感じ」
ふむ、そうなのか。
今の情報はおぼえておこう。
パシリ
んー、前に出ますか。
もちろんいけないってわけじゃない。
アマなら攻めたほうが得だと思うし。
志邨さんは7七桂と跳ねた。
8四歩、6七金直、8三銀。
おっと、攻めずにひっこんだ。
春日先輩は、
「冷静ね……っと、ここばっかり見てるわけにもいかないわ」
と言って、部屋から出て行った。
広報だから忙しそう。
私は観戦を続ける。
志邨さんは30秒ほど考えて、2九飛と引いた。
これは……地下鉄飛車ってこと?
いや、そうとも限らないか。
中飛車相手に地下鉄飛車って、あんまり聞いたことがない。
むしろ角打ちを警戒した引きだ。
7四歩、5五歩、7三桂、5六銀直。
先手は中央に金銀を配置した。
連結はしっかりしてるけど……どうなの?
何囲いとも呼べないかたち。
火村さんは4二金と寄せた。
ここで志邨さんが長考に入った。
1六歩と突くか、それとも攻めるか──可能性としては五分五分。
志邨さんの雰囲気からは、どちらともいえない。
火村さんは攻めの糸口をさがしている雰囲気。
志邨さんが動いたのは、それから3分後のことだった。
パシリ
あ、攻めた。




