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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第46章 2017年度春季個人戦2日目(2017年4月23日日曜)
290/496

282手目 早投げ

挿絵(By みてみん)


 きた、予想通りの手。

 私はチェスクロを確認する。

 のこり時間は私も志邨しむらさんも15分ずつ。

 ひたひたと合わせてきているような気もする。

 私はここまでで考えた手を整理した。

 ひとつは2三歩、もうひとつは1二歩。

 2三歩は同金と取らせてから4六飛と回るのが狙い。

 1二歩はもっと直接的で、同香に1一銀と打つ。

 後者は1一銀の代わりに1三歩もありそう……だけど、それは7七桂成で攻めてくると思う。

 直接的に退路を断つ1一銀のほうが厳しい。

 私はそう判断して、1二歩と打った。

 同香、1一銀。

 志邨さんは3七角で反撃してくる。

 これは渡りに船。私は5六飛で挟撃に持ち込んだ。

 志邨さんは4五金と立つ。


挿絵(By みてみん)

 

 うッ……強い。

 とはいえさすがに読んである。

 私は4六銀と打って、5六金、3七銀と取り合う。

 志邨さんはスッと8六歩。


挿絵(By みてみん)


 8八歩……じゃジリ貧なのよね。

 8六銀は4四角か5五角と打たれそう。前者はトリプル、後者はダブルで駒に当たる。

 ここは強く4五角と打ちたい……んだけど、8二飛と回られた局面が危なすぎる。

 そのための8六歩なのだろう。

 私は迷った。8二飛以下を読み進めてみる。5六角、7七と、同桂、8九飛成……いや、ここは5五角と打たれたほうがキツいか。二段目に飛車がいると、後手を寄せる手段がない。全然ダメだ。

 4五角はお手伝い。8六銀、5五角を甘受する?

 でもなあ、この両取りはさすがにキツい。銀を犠牲にしてまで指したい手がない。

 しまった。8六歩を過小評価していたかもしれない。

 となると──


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこきょうこちゃんの脳内イメージです。)


 これしかないか……狙いは2二角。

 同金、同歩成、同飛、4三成桂なら大成功……だけど、こうしてくれるわけがない。

 おそらく7七桂成、同金、8七銀と突っ込まれる。

 そこで6九玉と引いて、後手に速い手がなければ食らいつけるかもしれない。

 たとえば5五角と打ってきたら、2二角と打ち返す。

 以下、同角、同歩成、同金に4三成桂でなんとかならない?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)


 3九飛が詰めろじゃなければいい。

 3九飛、3四桂(詰めろ)、5九飛成、同玉……詰まないわよね。

 私は他の筋も読んでみた。

 全体として先手が苦しい。8六歩の取り込みが予想以上に厳しかった。

 とはいえここで諦めるわけにもいかない。

 残り時間が5分を切るまで長考して、私は2三歩を敢行した。

 志邨さんはその手をみて、右脚をくずした。

 こんどは左脚をうえにして組み、前髪をなんどか撫でる。

 それからゆっくりと7七桂成。私はノータイムで同金。

 春のひざしが、盤面いっぱいにふりそそぐ。


 パシリ


 8七銀が置かれた。

 同金は、同歩成、同玉、8六歩、同玉、8八飛で簡単に寄ってしまう。

 私は6九玉と引いた。

 志邨さんはまた小考。

 のこり時間をまた合わせるのかな、と思いきや、わずか30秒で次の手が指された。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ぐッ……一番イヤな手がきた。

 これは同玉だと寄る。5七飛以下、簡単な筋に入ってしまう。

 私は1分使って4九金と寄った。

 そこからの志邨さんの手は速かった。

 5七角、6八桂、8八飛、7九角、8九飛成、2二歩成、同金、4三成桂。

 志邨さんは角を引いて裏返す。


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あ、5七桂。

 私は天を仰いだ。

 4六銀打で長引かせることはできるけど──意味はない。

「負けました」

「ありがとうございました」

 志邨さんは脚をくずして、ふつうの座り方になった。

 それでもすこし姿勢が悪い。

 私はチェスクロを止めた。

 終盤をふりかえり、どこが悪かったのか整理する。

「8六銀と取ったほうがよかった?」

「かもしれないです」

 志邨さんは感想戦になっても、あまり雰囲気を変えなかった。

 どことなくよそよそしい感じがする。

 まあ愛想を見せて欲しいわけでもないので、私はそのまま続けた。

「5五角と打たれたらさすがに勝てないかな、と思って」

「この時点で後手がいいですね」

「どのあたりから後手がいいと思った?」

 志邨さんはすこし考えて、

「7一角と打たれたあたり……ですか」

 と答えた。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 えぇ……ここかぁ。

 私は困惑して、

「7一角は筋だと思うんだけど」

 とコメントした。

「手順ですね。先に4五桂跳ねだと互角です。8六歩、8八歩、5四銀直、7一角みたいな感じで……これなら銀じゃなくて金を狙える展開になるので、本譜みたいに4四金と逃げられないです」

 なるほど、一理ある。

 ただここで悪いと言われてもなあ。

 私はそのあともういちど終盤をチェックした。先手の勝ち筋は見つからなかった。

 志邨さんは第4局もあるから、サラッと終える感じに。

 席を立った瞬間、私はふと、

「そういえば、楽しいまま終わりたい、って言ったわよね。あれってなにかの比喩?」

 とたずねた。

 志邨さんは席についたまま、

「いえ……ただの独り言です」

 と答えた。

 ずいぶん変わった独り言なのね。

 私は控え室にもどる。

 大谷おおたにさんはまだもどっていなかった。

 時間が余っちゃったものね。早投げさせられたのは私のほうだった。

 応援に行こうかな、と思ったけど、先にやることがあった。

 平賀ひらがさんたちが集めてくれたデータの整理だ。

 平賀さんはノートを出して、

「こんな感じでよかったですか?」

 とたずねた。

 どれどれ……うわ、字が汚い。

 もっと丁寧に書いてくださいな。

 解読しながら読む。

「……オッケー、内容はいいわね。ありがと」

「つばめちゃん、どうでした?」

 うーん、どう表現したものか。

「謎な強さがあったわね。圧はないんだけど、いつの間にか悪くなってた」

「あー、分かります。ボクは高校時代、一回も勝てなかったですね」

 そういうレベルなのか。

 太宰だざいくん、今季の戦力は自信ありなんじゃないかしら。

 しばらくして、大谷さんももどってきた。

「どうだった?」

「接戦でしたが、なんとか拾わせていただきました」

「そっか、じゃああとは風切かざぎり先輩待ちで……」

「風切先輩とは、さきほど廊下でお会いいたしました。勝ったと聞いています。コンビニへ寄るので、控え室にはもどられないそうです」

 そっか、次の対局までの休憩時間は短い。

 私は大谷さんに、

「次は応援に行くから、がんばってね」

 と言った。

「善処いたします」


 15分後、女子は311教室にベスト8のメンバーが集まった。

 大谷さんのあいては、なんと火村ほむらさん。

 火村さんは犬歯を剥き出しにして、

「ひーよーこー、ここで会ったが100年目ね」

 と威嚇した。

 大谷さんは冷静に、

「今朝お会いしましたが」

 と返した。

「そういう御託はいいのよ。かかってきなさい」

 いやいや、もっと穏便にやりましょう。

 全員着席して、幹事の八千代やちよ先輩が入ってきた。

「これより女子4回戦を始めます。対局準備をお願いします」

 大谷さんたちは駒をならべて、それから振り駒。

 火村さんの先手になった。

 時刻は3時半。

 暖かくなった部屋のなかに、咳払いの声だけが聞こえる。

 八千代先輩はじぶんの腕時計をじっと見つめていた。

「……それでは始めてください」

 よろしくお願いしますのあいさつ。チェスクロを押す音。

 火村さんは角道を開けた。

 7六歩、8四歩、5六歩、3四歩、5五歩、6二銀、5八飛。


挿絵(By みてみん)


 火村さんの中飛車。これは予想通り。

 大谷さんは奇をてらわず、すなおに組んでいく。

 4二玉、4八玉、3二玉、3八玉、5二金右、2八玉、8五歩、7七角。

 後手は超速を見せなかった。

 これは持久戦の予感。

 3三角、6八銀、2二玉、1八香、1二香、1九玉、1一玉。


挿絵(By みてみん)


 相穴熊ッ!

 となりで観ていた平賀さんは、

「長引きそうですね」

 とつぶやいた。

 とはいえ、序盤だから指し手は速い。

 まだおたがいに3分も使っていなかった。

 5七銀、4四歩、2八銀、4三金、3九金、5一銀。

 ここでようやく手が止まった。

 大谷さんは囲いに工夫をこらしている。

 6筋を突かず、低い姿勢で組むつもりだ。

 こうなると先手は盛り上がりたくなる。

 火村さんは1分使って、4六歩と突いた。

 4二銀右、4八銀、2二銀、5六飛、


挿絵(By みてみん)


 ん? これは?

 私は一瞬疑問に思ったけど、すぐに狙いはわかった。

 平賀さんも理解したらしく、

「後手の駒組みの牽制ですね」

 と言った。

 たぶん正解。ここから6六飛と寄って、6筋を狙うのだろう。

 火村さん、序盤巧者。大谷さんの手も止まった。

 平賀さんは、

「どうなんですかね。6六飛に5二金は確定しちゃってる気がしますけど」

 といぶかしんだ。

 たしかに……それを回避する手があるのかしら。

 大谷さんは1分使って、7四歩と突いた。

 ん? 7四歩?

 私はこの手の意図を考える。

 そしてアッとなった。

「なんだかんだでバランスは取れそうね」

 平賀さんは「え、そうですか?」とたずね返した。

「5一角~7三角とすれば、5五の歩を守るために5六飛と寄りなおすしかないわ」

 平賀さんは納得した。

「なるほど、じゃあ悪形は一時的になりそうですか」

 対局者の火村さんも当然この順に気づいた。

「なかなかやるわね。さすがにこっちだけ4枚穴熊とはいかないか……」 

 5九金、3一銀右、6六飛、5二金。

 先手は4九金左で4枚穴熊に固める。

 大谷さんは黙って5一角と引いた。

 5六飛、7三角、4七銀、6四角、6六歩、4二金寄。


挿絵(By みてみん)


 大谷さん、4枚穴熊へ復帰。

 やりますねぇ。

 この勝負、素で面白そうだし、勉強させてもらいましょ。

場所:2017年度 春季個人戦2日目 女子3回戦

先手:裏見 香子

後手:志邨 つばめ

戦型:角換わり力戦形


▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3二金

▲2五歩 △3四歩 ▲8八銀 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀

▲4八銀 △3三銀 ▲1六歩 △1四歩 ▲3六歩 △6二銀

▲3七銀 △6四歩 ▲6八玉 △6三銀 ▲4六銀 △5四銀

▲7八玉 △4四歩 ▲5六歩 △5二金 ▲6八金 △4二玉

▲9六歩 △9四歩 ▲3五歩 △4三銀 ▲3四歩 △同銀右

▲3六歩 △7四歩 ▲3五銀 △同 銀 ▲同 歩 △7三桂

▲5五歩 △4三銀 ▲2六飛 △3一玉 ▲5九金 △4五歩

▲1五歩 △同 歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲3七桂 △4四銀左

▲5四歩 △8六歩 ▲同 歩 △8五歩 ▲5三歩成 △同 銀

▲7一角 △7二飛 ▲5三角成 △同 金 ▲4五桂 △4四金

▲5三桂成 △6五桂 ▲1二歩 △同 香 ▲1一銀 △3七角

▲5六飛 △4五金 ▲4六銀 △5六金 ▲3七銀 △8六歩

▲2三歩 △7七桂成 ▲同 金 △8七銀 ▲6九玉 △5八歩

▲4九金 △5七角 ▲6八桂 △8八飛 ▲7九角 △8九飛成

▲4三成桂 △3五角成


まで92手で志邨の勝ち

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