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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第45章 2017年度春季個人戦1日目(2017年4月16日日曜)
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279手目 anxiety

 突然の質問に、私は反応が遅れた。

 一方、大谷おおたにさんは冷静に、

「まだ入部はなさっていません」

 と答えた。

 生河いがわくんはこれに動揺したらしく、視線をそらして、

「あの……もうすぐ入部するっていう意味ですよね?」

 と返した。

 いや、そうじゃないんだけど──大谷さんは言葉を選んだ。

都ノみやこのでは、本人の自主性にゆだねております」

 生河くんはこの返答の意味をはかりかねたらしい。

 しばらく沈黙した。

「えっと……どこに行けば会えますか?」

 ちょっと待って。会話が成り立ってない。

 大谷さんも遠回しな言い方では通じないと気づいたらしく、

愛智あいちくんはこの会場にも部にもいらしていません。住所も連絡先も存じ上げません」

 と説明した。

 生河くんはますますおどおどして、視線を窓のほうへ向けた。

 なんだかすごく不安そうにみえる。

「あの……愛智くんとまた指したいな……って言いたいんです……」

言伝ことづてですか? それとも……」

 大谷さんが言い終わるまえに、入り口で若林わかばやしくんの声がした。

「あ、いたいた」

 若林くんは小走りに控え室へ入ってきた。

 あいかわらずブカブカな服を着て、とちゅうでこけそうになっていた。

「早く食べないと、お昼が終わっちゃうよ」

 若林くんは生河くんの背中を押すように、彼を退室させた。

 入り口のところでふりかえり、余った袖を振って「じゃあねえ」と言ってから、そのまま消えた。

 私はホッと胸をなでおろす。

「びっくりした……」

「今のが生河くんですか。ずいぶんとおとなしそうなかたでしたね」

 ですね、はい。

 草食系男子が増えているとはいえ、あそこまで自信なさそうなひとは、めずらしい。

 とそのとき、入り口に星野ほしのくんと青葉あおばくんの姿がみえた。

 コンビニのレジ袋を持っている。

 私たちはふたりに留守番を交代してもらって、ランチタイムになった。


  ○

   。

    .


 えー、というようなことがありつつ、個人戦初日は終了。

 2日目に勝ち残ったのは、松平まつだいらだけだった。

 うーん、ベスト64に都ノの男子はふたりか。

 32分の1だから、めちゃくちゃ少ないってわけではないけど、多いわけでもない。

 関東将棋連合の所属校は38校だから、ほとんどランダムみたいなもの。

 もちろんAに偏ってはいるだろうけど、ね。

 翌日の夕方、私たちは集めたデータを整理していた。

 メンバーは私、大谷さん、松平の役員と、三宅みやけ先輩。

 1年生にも手伝ってもらいたかったけど、入学早々で忙しいだろう、という配慮。

 三宅先輩は、書類仕事のときだけかけるメガネをはずして、

「符号ばっかり見てると目が疲れる」

 と言い、めがしらを押さえた。

 たしかに──とはいえ、調査した甲斐はあったと思う。

 大谷さんは、

「これでおおよその方針は立ちました。首都工と日センが昇級の本命。両校ともに残留させるのは困難です。どちらか1校は昇級と見たうえで、残り1枠を都ノ、赤学、電電理科で争うかたちでしょう」

 と分析した。

 うーん……私はペンで書類をこつこつやりながら、

「赤学と電電理科は、去年と同程度の戦力っぽいかしら」

 とコメントした。

 大谷さんは、

「左様です。赤学はわきくんがトップなのは変わらず、電電理科は強豪の4年生が抜け、その枠を1年生が補っています」

 と言った。

 これを聞いていた松平は、後頭部に手をあてて、椅子をうしろへかたむけた。

「つまり純増はうちだけか」

 こらこら、そういう楽観をしない。

 私は松平に、

「順位は赤学と電電のほうが上なのよ。今回は勝ち星勝負*になる可能性が高いわ」

 と告げた。

 松平は椅子をもどした。

「たしかに……DとCはチーム勝数で決着がつく展開だったしな」

 そう、あのときはチーム勝数で3位を上回ったから、個人の勝ち星は関係がなかった。

 でも、今回は関係してくる気がしている。

 チーム勝数でライバル4校のうち3校を上回る、というのは難しいように思われた。

 三宅先輩はメガネをケースにしまって、

「さて、だいたい結論が出たところで、俺は講義に出るぞ」

 と言い、鞄を持って部室を出て行った。

 私たちは「おつかれさまでーす」とあいさつしてから、また作戦会議。

 だんだん煮詰まってきたところで、松平のスマホが振動した。

「……ん、日高ひだかからか」

 松平はその場で電話に出た。

「もしもし、松平だ……ああ、時間ならあるぞ……え、若林と替わる?」

 松平はしばらく話を聞いていた。

 だんだん表情が険しくなる。

「ちょっと待て……それは俺だけじゃ決められない」

 松平は若林くんとなにやら相談して、スマホをスピーカーモードに切り替えた。

 テーブルのうえにおく。

《もしもーし、若林だよ。大谷さん、裏見うらみさん、いる?》

 なんだか慌ててるっぽい。

 大谷さんは、

「はい、ここに」

 と返事をした。

《たいへんなんだよ。生河くんが2日目に出ないとか言いだしてるんだ》

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………はい?

 大谷さんは、

「どのような理由で?」

 とたずねた。

《よくわかんないけど絶対愛智くん関連だよ。もしかして生河くんになにか言った?》

 あッ……私と大谷さんはおたがいに視線を合わせた。

「愛智くんのことを尋ねられはしましたが……」

《入部しないって答えた?》

「そうは申し上げていません。現状では入部していない、とお答えしました」

《じゃあ今すぐ入部させて~お願いだよ~》

 あのさぁ……慶長けいちょうの問題なんじゃないですかね、それは。

 あきれる私をよそに、若林くんはなにやらわめいていた。

 すると日高くんがスマホをうばったらしく、

《もしもし、日高だ。うちのわかが迷惑をかけてすまん》

 と代理で謝られた。

 大谷さんは、

「生河くんの説得は慶長の務めかと思います」

 と率直に指摘した。

《ああ、俺もそう思ってるし、生河の意志は尊重したい》

 うしろのほうで「ダメダメ~」という若林くんの悲鳴が聞こえた。

《とはいえ、若がこんな調子だし、若の考えにも一理ある。愛智がいないから自分もやめる……これがほんとうに生河の意志といえるのか、ってことだ。大学生なんだから、生河が将棋をやりたいのかどうかで決めて欲しい》

「なるほど、一理あります。ではお伺いしますが、生河くんはなぜ愛智くんといっしょに将棋を指したいと思っているのですか?」

《俺は東京出身だから、そのへんは知ってる。生河を将棋に誘ったのが愛智なんだよ》

「それだけでは動機として弱いように思います」

《ん、まあ……生河には会ったんだよな? ああいう雰囲気のやつだから、友だちも少ないし……将棋関係だと愛智だけだと思う。中学の大会でも高校の大会でも、ずっと愛智のうしろにくっついてたくらいだ。愛智が将棋をやめたいのは、生河のことがめんどくさくなったからかもしれない》

 そ、そういう背景があったのか。

 松平はため息をついて、

「友人関係にしては度を越してるな」

 とつぶやいた。

 日高くんにも聞こえたらしく、

《ああ、俺だったらさすがに注意してる。もっと交友関係を広げろってな。氷室ひむろ風切かざぎり会長ストーカーも大概だが、あいつはまだ俺たちとしゃべるだろ。生河はそういうこともないんだ。で、なにが言いたいかっていうと、そういう状況の生河の判断が正しいのか、ってことだ。あいつが将棋をやめたら、大学で完全に孤立する可能性もある》

 と返してきた。

 大谷さんは目を閉じた。

 しばらく黙考する。

「……御校の事情は承知しました。が、完全には承服できていません」

《どこに納得がいかない?》

「これまでの議論はすべて、生河くん視点の話です。なるほど、生河くんがこのまま将棋をやめるのは、本人のためにならないのかもしれません。しかし、愛智くんはどうなるのですか? 愛智くんが生河くんと距離をおきたいと考えているならば、それは尊重しなければなりません」

 スマホからの音声が途切れた。

《……そうだな。大谷の言うとおりだ》

「いずれにせよ、部で協議したいと思います。しばらく時間をください」

 相談はそこで終わった。

 大谷さんは大学にいるメンバーを招集して、緊急会議になった。

 欠席したのは都内に用事で出ていた穂積ほづみお兄さんだけで、ほかは集まった。

 案の定というかなんというか、議論は紛糾した。

 愛智くんへアプローチをかけることに賛成したのは、三宅先輩、松平、ララさん。

 難色を示したのは風切先輩、穂積さん、平賀ひらがさん。

 星野くんは立場があいまいで、青葉くんはほとんど黙っていた。

 マルコくんは「うーん、むずかしいなあ」と言って、意見が二転三転。

 大谷さんは「議長が自説を述べるのはよくありません」と言って、聞き手に回った。

 全員の性格が出てますね、これは。

 私? 私は慶長にうまく使われているみたいでイヤなのよね、この状況。

 慶長の内部で先に話し合ってもらうほうがいい、と主張しておいた。

 夜の8時になったところで、風切先輩はポンとひざをたたいた。

「ダメだ、埒が明かないな。俺は大谷に一任するぞ」

「拙僧に、ですか?」

「投票にしてもどうせしこりが残る。俺は主将の意見に従う」

 ほかのメンバーもこれに同調した。

 テーブルの奥に座っていた大谷さんは、一身に視線を集めた。

「……では、拙僧の意見を述べさせていただきます。この部は『王座戦出場』を目標に、一から再結成されたものです。勧誘の方針として、同じこころざしを共有できるかたと歩むことにしました。これは今も変わっていないというのが、拙僧の認識です。よって、愛智くんが入部しないと決めた場合、それを尊重するのが筋だと思います」

 全員が真剣な表情で聞き入っていた。

 大谷さんは先を続ける。

「しかしながら、拙僧と裏見さんは、『愛智くんとまた指したい』という伝言を受け取りました。これだけは愛智くんにお伝えしようと思います。そのときの愛智くんの反応で、この件は決着とするのはいかがでしょうか」

 異論は出なかった。

 大谷さんは手を合わせて一礼した。

「夜遅くまでおつきあいいただき、ありがとうございました。今週中に、拙僧のツテで愛智くんとお会いする場を設けます。結果はまた後日」

*勝ち星勝負

団体戦には、チーム自体の勝数と個々の選手の勝ち星とのふたつがある。4-3でチームが勝った場合は、チーム勝数1、勝ち星4になる。チーム勝数が並んだときは勝ち星の多い大学が、勝ち星も同じときは順位が上の大学が昇級する。

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