278手目 データ集め
私がふりむくと、太宰くんが立っていた。
「太宰くん……初日に来てたの?」
「シーッ……ちょっと廊下に出られる?」
私はうなずいて、廊下に出た。
ひとけのないスペースへ移動する。
太宰くんはメモ帳をひらきつつ、
「昨日の収穫についてなんだけど……」
とつぶやいた。
「なにか疑問でもあった?」
手に入れた情報は、すでに太宰くんへ伝えてあった。
MINEだと記録が残るから、帰りに駅前でこっそり再合流したのだ。
そのときの太宰くんの反応は、すごく淡白だった。
大した情報はなかったから、それもそうかな、と思っていたけど──
「末っていうひとを調べてみたんだ。意外と面白いことがわかった」
私は息をのんだ。
「聖生っぽいってこと?」
「んー、そこまでは断言できないかな……ただ、末さんが特任教授になったのは、去年の4月なんだよね。タイミング的には一致している……気がしないでもない」
「それは根拠として弱くない? 去年の4月に就職したひとなんてたくさんいるわ」
「正論だね。そこはあまり重視しないでおこう。むしろ気になるのは、末さんが帝大将棋部のOBだったことだよ」
私はさすがにおどろいてしまった。
「何歳?」
「そこが重要だよね……今年で48歳」
48……私は聖生の年表と照らし合わせる。
「……1988年のときは19歳、1992年のときは23歳?」
「そう、そして帝大の院に進んでるから、どっちの時期も将棋部に出入りしていた可能性が高い。最近顔出ししているのも、OBだからじゃないかな」
たしかに、そのほうがしっくりくる。
いくら帝大の教員でも、面識のない部に顔を出すのはむずかしいはずだ。
「ちなみに氷室くんのお父さんは何歳なの?」
「氷室教授はぴったり50だよ。1988年のときは21歳、大学3年生、1992年のときは25歳。当時は帝大に助手制度があって、1992年にはもう助手だった」
私はその情報を整理した。そして、
「うろ覚えだけど、氷室くんのお父さんが言ってたことと合ってるわね*」
と返した。
太宰くんもうなずいた。
「だね。あのときは僕もメモしてある。1988年には関東大学将棋連合の会長だったというのも正しいよ。だから末さんと氷室教授は、在学中に面識があるはずだ。つまり末さんもハガキを見た可能性があるってこと」
沈黙。
日曜日のキャンパスに、ひっそりと不気味な空気が流れた。
私はあまり考えがまとまらなくて、
「……太宰くんはどう思う?」
とたずねた。
「まだなんとも言えないかな。帝大将棋部のOBは末さんだけってわけじゃないし、それに末さんが帝大に配属されたのは、きちんとしたプロジェクト関連だからね。都ノにいたずらする動機はないと思う。ただ……」
太宰くんはそこで言葉をくぎった。
「ただ?」
「当時を知る重要な人物ではあると思う。1988年と1992年の役員名簿は入手できてるけど、ほとんどのひとは就職先や移住先がわからないんだ。直接話を聞けるチャンスではあるよね」
「末特任教授のことは、どうしてわかったの?」
「簡単だよ。帝大のHPで学歴欄をみたら帝大出身だった。もしや、と思って過去の棋譜をあさったら名前があったよ。棋譜は連合がコピーして保管してるからね」
さすがの行動力。
と同時に、次の手が見えてきた。
私は、
「じゃあまずは末先生から?」
とたずねた。
「それが堅実だろうね。あとでほかのメンバーとも共有しよう」
そこで会話は終わった。
太宰くんはなにごともなかったかのように、べつの対局室へ消えた。
私も観戦にもどる。
さっきと同じ順番でチェックした。
ついでにBの主要メンバーの対局もチェックしておいた。
けど、チラッとじゃよくわからないところもあるのよね。
居飛車党か振り飛車党か、振るならどこに振ってるかくらい。
ひと通り回って、ふたたび209へ入った。
ずいぶんと悩んでいるマルコくんの姿があった。
【先手:生河ノア(慶長) 後手:車田マルコ(都ノ)】
あ、うーん……後手が悪い。
飛車角を抑え込まれてしまっている。
マルコくんはさらに30秒ほど悩んで、6四歩と置いた。
生河くんは冷静に5六銀と下がる。
6二銀、8六歩、7三銀。
マルコくんは組みなおし始めた。
生河くんは30秒ほど考えて、桂馬を手にした。
パシリ
銀に当てた? ……あ、ちがうか。端に狙いを定めたんだ。
次に6六角~9四歩っぽい。
マルコくんは8四銀と受けた。
生河くんは一転して5筋を攻める。
5四歩、4三金、5五銀右、5四金。
あうち、ちょっと暴発にみえる。
とはいえそれくらいしかないのかも。
同銀、同銀、5五歩、6三銀。
金銀交換はしたけど、また後手が息苦しい。
ここで生河くんの長考になって、私はほかへ移動した。
他大のメンバー調査をやっていると、アッという間に1回戦は終わった。
控え室にもどったときには、対局を終えた男子が先に集まっていた。
私は松平に、
「どうだった?」
とたずねた。
「ああ、勝ったぞ」
「ほかは?」
「星野と三宅先輩の勝ちで、重信先輩、青葉、車田が負け」
あらら、1年生に洗礼がくだった感じか。
青葉くんは、
「すみません、準備不足でした」
と謝った。
「受験明けだからしょうがないわよ」
マルコくんはもうすこしさばさばしていて、
「いやあ、強かったです。あっさりやられちゃいました」
と言った。
「マルコくんのあいて、去年の都大会で優勝してるみたい」
「え、そうなんですか? それは勝てないなあ。大学将棋、レベル高いです」
まあそのクラスがゴロゴロいるわけでもない。
青葉くんは、
「今日は3回戦までありますけど、僕はなにをすればいいんですか?」
とたずねた。
私はさっきとったノートをひらいて、
「手持ち無沙汰なら、ちょっとデータ集めを手伝ってもらえないかしら」
と答えた。
「データ集め?」
「B級校のデータを取って欲しいの。序盤は戦型くらいでいいわ。とくに1年生は去年のデータがないから、そこを優先して」
マルコくんも手伝うと言ってくれた。
休憩時間はみじかくて、すぐに2回戦が始まる。
勝ち抜け組なだけあって、調べる価値のある対局が多かった。
わりと中堅が気になるのよね。
上位陣の棋力はだいたい予想がつく。強豪はそもそも今日は対局ないし。
私はBの所属校で、去年の成績が5-4か6-3のひとを集中的に観た。
序盤をざっと確認してから、中盤でもういちど一周。
終盤はとくに気になった学生だけマークした。
青葉くんとマルコくんも、慣れないなりにがんばってくれた。
2回戦も順調に終わり、お昼休憩に。
控え室にもどってきた三宅先輩は、悔しそうに頭をかきながら、
「2日目進出への道は遠いなあ」
とぼやいた。どうやら負けたっぽい。
残っているのは松平と星野くんだけに。
初日で全滅されると、2日目は風切先輩と女流しかなくなるわけですが。
まあそれでもかまわないと言えばかまわない。個人戦だ。
そんなことを考えていると、青葉くんが、
「この大会って、どのあたりまで行ければそれなりなんですか?」
とたずねてきた。
私はボールペンでノートに書き込みを入れながら、
「んー、べつに何回戦までいかないといけないってことはないんだけど……男子は2日目に進出するっていうのが、ひとつの目安じゃないかしら。ベスト64だし」
と答えた。
「関東で上位64人ですか……秋はがんばります」
がんばってください。
ただクジ運かなあ、と思うこともある。
それにシード組がいるから、2日目に進出できるのは実質40人くらいなのよね。
私はノートを閉じた。全員そろったし、食事にしますか。
今回は行きたいところがバラバラになったから、交代で荷物番になった。
選手のほうを優先。
松平と三宅先輩、穂積お兄さん、それにマルコくんはメックへ行くとのこと。
星野くんと青葉くんはコンビニへ買い出し。
私は大谷さんとお留守番。集めた資料を整理していた。
私はノートをまとめながら、
「Bの選手は、3回戦までそこそこ残ってるわね」
とつぶやいた。
大谷さんは、
「AとBを行き来している大学は、ほぼ準A級とみてもよさそうです」
と言った。そうかもしれない。
「首都工がとりあえずのライバル?」
「それと日セン、電電理科あたりかと。この3校で対策は異なります」
「っていうのは?」
「日センは絶対的エースの速水さんがいます。速水さんに入る可能性があるのは風切先輩しかいません。ただし、層が厚いのは首都工のほうだと思います」
たしかに、青葉くんに勝ったあいては首都工だったけど、よく知らないひとだった。
そのあたりでも初段以上あるということだ。
「電電は?」
「電電理科は3番手だと思います。そこは確実に勝つ必要があります」
「となると、オーダーは……」
そのときだった。
ひとが近づいてきた気配がして、私たちは口をつぐんだ。
足音がすぐそばまで来る。
ふりむいた私は、思わずアッとなった。
真っ赤なフードつきジャケットに、虎のイラストが入った白いTシャツ。
しかも室内だというのに、フードを目深にかぶっていた。
「い、生河くん……」
生河くんは両手を胸のまえで合わせ、ゆびをもじもじさせていた。
すこし猫背気味だった。なんだかおどおどしている。
ちょっと間があったあと、すごい小声で、
「あの……都ノ大学のかたですよね……?」
とたずねてきた。
「え、ええ、そうだけど……なにか用?」
「愛智くんっていうひとが入ったと思うんですが……今日来てますか?」
*136手目 30年前の証人
https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/136/




