268手目 清水の舞台から
きらびやかな黄金の輝き。
大勢の観光客に囲まれて、私たちは池の向こうにある建物をながめていた。
松平は感心したようなしていないような顔で、
「うーん……これが金閣寺か」
とつぶやいた。
私は、
「お寺っていうよりアミューズメント施設って感じよね」
と返事をした。
「だな。ちょっとミニチュアっぽいような気もする」
そこは色合いの問題かも。
ほぼ一色みたいなものだし。
「大谷さんが言ってたけど、もっと近くでみたら印象も違うらしいわよ。あと、夕焼けのときとか雪が降ってるときとか」
「なるほど、そういう視覚効果があるのか。昼間に見るもんじゃないのかもな」
私たちはひとの流れに合わせて、庭園をぐるりと回る。
うぅ、寒い。夏ほど人がいないのは助かるけど、観光シーズンじゃないわね。
門をくぐって出たあと、そのまま一般道にもどった。
松平はスマホで次の予定を確認した。
「バスで銀閣寺か。ちょうど街の反対側だ」
「お昼はどうする? 銀閣寺の近くよりもこっちのほうが、飲食店は多いっぽいわよ」
すくなくとも学生が食べられそうなお店は、そう。
銀閣寺へ行くと、古都大あたりまでもどらないといけないんじゃないかしら。
「んー、まだ11時だが……先に飯にするのもありか……」
そのときだった。
バス停へ向かう私たちに、ひとりの青年が声をかけてきた。
「あれ? ここでなにしてるんだ?」
ふりかえると、御手くんが立っていた。
ジーンズに厚手のコート、それにダークグレーのマフラーをしていた。
御手くんは私たちをじろじろみて、
「……都ノの合宿か?」
とたずねてきた。
私たちは違うと答えた──まではいいけど、どうしましょ。
「ふたりだけ?」
松平は「まあ、帰郷のついでに……」と返した。
「ふーん……じゃあ観光?」
「ああ、日帰りだけどな……御手こそ、なにしてるんだ?」
「これからランチ。朝飯兼で」
松平はこの回答を聞いて、
「このへんに住んでるのか?」
とたずね返した。
「申命館はここから徒歩圏内なんだよ」
あ、そういう。
イマイチ地理が頭に入って来ない。
御手くんは私たちが不慣れなのに気づいたらしく、
「いっしょに食べてくか? わりといい店知ってるぜ」
と言ってきた。
むッ……これは……御手くん、空気読めないマン。
このようすだと、デートなのもバレていないっぽかった。
断るか、断らないか。私たちが迷っていると、御手くんは、
「もしかして朝飯が遅かった? ちょっと話したいこともあるんだが……」
と、なぜかいっしょに食べたいようすだった。
しかも、内容がなんだか深刻そう。
松平は、
「話したいこと? ……俺たちにか?」
と怪訝そうな顔をした。
それはそうだ。御手くんと会うのは、私が3回目、松平が2回目。
ほとんど初対面のようなものだった。
相談したりされたりする関係じゃないと思う。
御手くんはすこしためらったあと、
「聖生って知ってるか?」
とたずねてきた。
えッ──私たちは硬直してしまう。
「東京に出没してるって噂なんだが、聞いたことない?」
松平はすこし間を置いた。
「ある……が、それについてなにを話すんだ?」
「そのへんも含めて話したいんだけど……時間ない?」
私たちは顔を見合わせる──情報収集のチャンスではある。
デート中という問題もあるけど、ね。
私はしばらく思案して、
「そうね、飲食店はよく知らないし……」
と、遠巻きに意思を伝えた。
松平もうなずいて、
「くわしく知ってるわけじゃないが、それでもいいならいいぞ」
と返した。
「オッケー、じゃあ案内する。すぐそこだ」
○
。
.
紹介されたのは、静謐な雰囲気のお店だった。
いかにも欧風の装飾で、壁は白のしっくい、天井にはシーリングファンがあった。
窓からは常緑樹の緑と、葉の落ちた木々がみえた。
三毛猫亭──ずいぶんかわいらしい名前だ。
私たちは窓際の4人席に腰を下ろした。
ナチュラルな感じですごく落ち着く。
K都っぽくはないけど、こういうカジュアルなのもいいわね。
お冷やを持ってきた店員さんに、私たちはオヤッとなった。
髪をスタイリング剤で固定しているのか、猫耳みたいなでっぱりがあった。
松平は小声で、
「猫山さんの知り合いかな?」
とささやいた。
たしかに、猫山さんもあんな感じの髪型なのよね。
凝ってるな、と思う。
「髪型が似てるイコール知り合い、とも言えなくない?」
「……だな」
ではでは、メニューをば。
パンケーキ、トースト、ケーキ──喫茶店寄りだ。
「……なにが美味しいの?」
御手くんは、
「なんでもイケるけど、今の時間帯なら……あ、ランチセットはまだだな。わりぃ、モーニングはどうだ。俺はそれにする」
と教えてくれた。
モーニングセット──あったあった。
ドリンクを選べるのか。私はホットコーヒーを選択。
3人ともおなじものを注文した。
店員さんが厨房へもどったところで、御手くんはさっそく質問してきた。
「で、さっきの話なんだけど、聖生って知らない?」
さて、どう答えたものか。
関西まで噂が広がってるなら、知らないと答えるのは不自然な気がする。
そもそも松平がさっきYesって答えちゃったし。
私はちょっとあいまいに、
「なんかそれっぽい噂は、聞いたことあるかも」
と答えた。
「それっぽい噂っていうのは?」
「ノエルっていう変なひとがいるって」
御手くんは私の返答に、すこしばかり考え込んだ。
「……暗号がどうこうっていうのは?」
ここは知らないふりをしておく。
「暗号?」
「俺もよく知らないんだけど、1992年にハガキが送られてきたらしい。そこに暗号が載ってるとか載ってないとかって話」
私は設定が破綻しないように、慎重に答える。
「ハガキ? どこに送られてきたの?」
「近畿大学将棋連合の会長宛」
……折口先生が言ってたやつか*。
ほんとうの話なのかどうか、じつはちょっと疑っていた。
間接的に裏づけがとれた。ほぼ信用していいっぽい。
「どういう暗号?」
「それはだれも知らないんだよ。関東にもおなじ頃にハガキが届いたらしいから、なんか知ってないかな、と思って」
私はここまでの情報を整理した。
そして、すこしおかしいことに気づいた。
日本のバブル崩壊は1990年。
関東に暗号が送りつけられたのは、それ以前のはず。
たしか1988年だって、慶長の児玉先輩が教えてくれた**。
ところが御手くんは、1992年だと言った。
それってバブル崩壊後じゃない?
時系列が混乱している。
……………………
……………………
…………………
………………あ、そっか。聖生からのハガキは2通あるんだ。
氷室くんのお父さんが、そう言っていた***。
1通目が暗号で、2通目はただの催促。
暗号が載っていたのは1988年のほうだから、御手くんは勘違いしている。
となると、あんまり情報を持っていないっぽい。
私が長考したのをあやしんだのか、御手くんは、
「なにか思い当たることがある?」
と迫ってきた。
むむむ……ここで引くと、かえってあやしまれる。
ここは攻めちゃいましょ。
「思い出したわ。そういえば、暗号がどうこうって話を聞いた気がする」
「だれから?」
「慶長の児玉先輩」
これは嘘じゃないからオッケー。
御手くんも信用してくれたらしい。
「そっか……児玉先輩はやり手だから、なにか情報を仕入れてるのかもな」
ここでスープが運ばれてきた。
コーンポタージュだった。
さっそくいただきます。
外が寒かったのもあって、とてもほっこりした。
それからメインメニューが出てきた。
お皿のうえにワッフルが2つ、それにサラダ、目玉焼き、ソーセージが乗っていた。
いいじゃないですか。ランチとしても遜色はない。
御手くんはワッフルをつまんだ。
しばらくは料理の味の話になって──ん? 続きは? 御手くん、無言になる。
私は気になって、
「御手くん、どうしてそんなことに興味を持ったの?」
とさぐりを入れた。
「近畿でもちらほら話を聞くんだけど、だれも調べないんだよな」
「……調べない、っていうのは?」
「ハガキが届いたなら、どっかにまだあるはずだろ? そんな珍しいハガキを捨てるとも思えない。どういうやつなのかな、と思って父さんに聞いてみたけど、どうもタブー扱いなんだ。はぐらかされた。自分で調べようとしたら、こんどは於保に怒られた」
「於保さんに?」
「連合の事務所をのぞいてもいいかって訊いたんだが、ダメなんだってさ」
於保さんは近畿将棋連合の副会長。
公私混同しないために同意しなかった、とも考えられる。
ただ、どこか引っかかるところもあった。
ハガキの存在か──もし太宰くんと調査団を結成するなら、まずはそこから調べたほうがいいのかもしれない。N資金よりも、そっちのほうが現実的だ。御手くんのお父さん、たしか近畿大学将棋連合の元会長でしょ。そこのラインがハガキの存在を否定しなかった以上、じっさいにあると考えていい。もし暗号が見つかったら、風切先輩が解いてくれるんじゃないかしら。
聖生の話はさすがにそこまで。あとは大学生らしい会話をした。
お店を出る頃には、けっこう打ち解けた感じになった。
入り口のところでお別れ。
「そういえば、都ノは王座戦目指してるんだろ?」
私たちは、そうだと答えた。
「いつか指す機会があるかもな……あ、裏見とは一回指したか」
松平はちょっとおどろいて、「いつだ?」とたずねた。
「夏休み、大谷といっしょにうちに来たとき」
ですね。あのときはボコボコにされた。
御手くんは反対方向に体をむけて、それから手を振った。
「聖生についてなにか分かったら、こっそり教えてくれよ。またな」
○
。
.
夕暮れどきの清水寺。
私と松平は、境内からK都を一望していた。
赤く染まった町並みは、いにしえの都の思い出を語るように、ただそこにあった。
松平はしばらくそれを眺めて、感嘆のため息をもらした。
「やっぱり来てよかったな」
「でしょ?」
松平、あんまりこういうのに興味ないのかな、と思っていた。
高校で3年、大学で1年のつきあいだけど、おたがいにまだ知らないことは多い。
松平は欄干に両手をついたまま、こちらに顔をむけた。
「裏見は大谷と一回来たんだろ? おなじ場所ばっかりだったんじゃないか?」
ま、そこはね。じっさい全部かぶっていた。けど──
「松平といっしょに来るのは、大谷さんのときとは意味合いが違うでしょ」
松平はしばらくポカンとして、それから急に感極まったような顔になった。
口もとに手をあてて、なにか言いたそうにする。
「裏見とのこと、ほんとに真剣に考えてるから……卒業後とか……」
こらこら、そこまで深刻な台詞じゃなかったでしょ。
私は赤くなる顔を夕日で隠しながら、ちょっとだけ松平のほうに身をよせた。
卒業後か──大学に入学してから1年が経つ。
このペースだと、4年間はアッという間なのかもしれない。
思い出を大切にしたいと、私はあらためてそう思った。
*158手目 ついえなかったライン
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