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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第42章 1年の終わりへ(2017年1月1日日曜)
276/496

268手目 清水の舞台から

 きらびやかな黄金の輝き。

 大勢の観光客に囲まれて、私たちは池の向こうにある建物をながめていた。

 松平まつだいらは感心したようなしていないような顔で、

「うーん……これが金閣寺か」

 とつぶやいた。

 私は、

「お寺っていうよりアミューズメント施設って感じよね」

 と返事をした。

「だな。ちょっとミニチュアっぽいような気もする」

 そこは色合いの問題かも。

 ほぼ一色みたいなものだし。

大谷おおたにさんが言ってたけど、もっと近くでみたら印象も違うらしいわよ。あと、夕焼けのときとか雪が降ってるときとか」

「なるほど、そういう視覚効果があるのか。昼間に見るもんじゃないのかもな」

 私たちはひとの流れに合わせて、庭園をぐるりと回る。

 うぅ、寒い。夏ほど人がいないのは助かるけど、観光シーズンじゃないわね。

 門をくぐって出たあと、そのまま一般道にもどった。

 松平はスマホで次の予定を確認した。

「バスで銀閣寺か。ちょうど街の反対側だ」

「お昼はどうする? 銀閣寺の近くよりもこっちのほうが、飲食店は多いっぽいわよ」

 すくなくとも学生が食べられそうなお店は、そう。

 銀閣寺へ行くと、古都こと大あたりまでもどらないといけないんじゃないかしら。

「んー、まだ11時だが……先に飯にするのもありか……」

 そのときだった。

 バス停へ向かう私たちに、ひとりの青年が声をかけてきた。

「あれ? ここでなにしてるんだ?」

 ふりかえると、御手おてくんが立っていた。

 ジーンズに厚手のコート、それにダークグレーのマフラーをしていた。

 御手くんは私たちをじろじろみて、

「……都ノみやこのの合宿か?」

 とたずねてきた。

 私たちは違うと答えた──まではいいけど、どうしましょ。

「ふたりだけ?」

 松平は「まあ、帰郷のついでに……」と返した。

「ふーん……じゃあ観光?」

「ああ、日帰りだけどな……御手こそ、なにしてるんだ?」

「これからランチ。朝飯兼で」

 松平はこの回答を聞いて、

「このへんに住んでるのか?」

 とたずね返した。

申命館しんめいかんはここから徒歩圏内なんだよ」

 あ、そういう。

 イマイチ地理が頭に入って来ない。

 御手くんは私たちが不慣れなのに気づいたらしく、

「いっしょに食べてくか? わりといい店知ってるぜ」

 と言ってきた。

 むッ……これは……御手くん、空気読めないマン。

 このようすだと、デートなのもバレていないっぽかった。

 断るか、断らないか。私たちが迷っていると、御手くんは、

「もしかして朝飯が遅かった? ちょっと話したいこともあるんだが……」

 と、なぜかいっしょに食べたいようすだった。

 しかも、内容がなんだか深刻そう。

 松平は、

「話したいこと? ……俺たちにか?」

 と怪訝そうな顔をした。

 それはそうだ。御手くんと会うのは、私が3回目、松平が2回目。

 ほとんど初対面のようなものだった。

 相談したりされたりする関係じゃないと思う。

 御手くんはすこしためらったあと、

聖生のえるって知ってるか?」

 とたずねてきた。

 えッ──私たちは硬直してしまう。

「東京に出没してるって噂なんだが、聞いたことない?」

 松平はすこし間を置いた。

「ある……が、それについてなにを話すんだ?」

「そのへんも含めて話したいんだけど……時間ない?」

 私たちは顔を見合わせる──情報収集のチャンスではある。

 デート中という問題もあるけど、ね。

 私はしばらく思案して、

「そうね、飲食店はよく知らないし……」

 と、遠巻きに意思を伝えた。

 松平もうなずいて、

「くわしく知ってるわけじゃないが、それでもいいならいいぞ」

 と返した。

「オッケー、じゃあ案内する。すぐそこだ」


  ○

   。

    .


 紹介されたのは、静謐な雰囲気のお店だった。

 いかにも欧風の装飾で、壁は白のしっくい、天井にはシーリングファンがあった。

 窓からは常緑樹の緑と、葉の落ちた木々がみえた。

 三毛猫亭──ずいぶんかわいらしい名前だ。

 私たちは窓際の4人席に腰を下ろした。

 ナチュラルな感じですごく落ち着く。

 K都っぽくはないけど、こういうカジュアルなのもいいわね。

 お冷やを持ってきた店員さんに、私たちはオヤッとなった。

 髪をスタイリング剤で固定しているのか、猫耳みたいなでっぱりがあった。

 松平は小声で、

猫山ねこやまさんの知り合いかな?」

 とささやいた。

 たしかに、猫山さんもあんな感じの髪型なのよね。

 凝ってるな、と思う。

「髪型が似てるイコール知り合い、とも言えなくない?」

「……だな」

 ではでは、メニューをば。

 パンケーキ、トースト、ケーキ──喫茶店寄りだ。

「……なにが美味しいの?」

 御手くんは、

「なんでもイケるけど、今の時間帯なら……あ、ランチセットはまだだな。わりぃ、モーニングはどうだ。俺はそれにする」

 と教えてくれた。

 モーニングセット──あったあった。

 ドリンクを選べるのか。私はホットコーヒーを選択。

 3人ともおなじものを注文した。

 店員さんが厨房へもどったところで、御手くんはさっそく質問してきた。

「で、さっきの話なんだけど、聖生のえるって知らない?」

 さて、どう答えたものか。

 関西まで噂が広がってるなら、知らないと答えるのは不自然な気がする。

 そもそも松平がさっきYesって答えちゃったし。

 私はちょっとあいまいに、

「なんかそれっぽい噂は、聞いたことあるかも」

 と答えた。

「それっぽい噂っていうのは?」

「ノエルっていう変なひとがいるって」

 御手くんは私の返答に、すこしばかり考え込んだ。

「……暗号がどうこうっていうのは?」

 ここは知らないふりをしておく。

「暗号?」

「俺もよく知らないんだけど、1992年にハガキが送られてきたらしい。そこに暗号が載ってるとか載ってないとかって話」

 私は設定が破綻しないように、慎重に答える。

「ハガキ? どこに送られてきたの?」

「近畿大学将棋連合の会長宛」

 ……折口おりぐち先生が言ってたやつか*。

 ほんとうの話なのかどうか、じつはちょっと疑っていた。

 間接的に裏づけがとれた。ほぼ信用していいっぽい。

「どういう暗号?」

「それはだれも知らないんだよ。関東にもおなじ頃にハガキが届いたらしいから、なんか知ってないかな、と思って」

 私はここまでの情報を整理した。

 そして、すこしおかしいことに気づいた。

 日本のバブル崩壊は1990年。

 関東に暗号が送りつけられたのは、それ以前のはず。

 たしか1988年だって、慶長けいちょう児玉こだま先輩が教えてくれた**。

 ところが御手くんは、1992年だと言った。

 それってバブル崩壊後じゃない?

 時系列が混乱している。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あ、そっか。聖生のえるからのハガキは2通あるんだ。

 氷室ひむろくんのお父さんが、そう言っていた***。

 1通目が暗号で、2通目はただの催促。

 暗号が載っていたのは1988年のほうだから、御手くんは勘違いしている。

 となると、あんまり情報を持っていないっぽい。

 私が長考したのをあやしんだのか、御手くんは、

「なにか思い当たることがある?」

 と迫ってきた。

 むむむ……ここで引くと、かえってあやしまれる。

 ここは攻めちゃいましょ。

「思い出したわ。そういえば、暗号がどうこうって話を聞いた気がする」

「だれから?」

「慶長の児玉先輩」

 これは嘘じゃないからオッケー。

 御手くんも信用してくれたらしい。

「そっか……児玉先輩はやり手だから、なにか情報を仕入れてるのかもな」

 ここでスープが運ばれてきた。

 コーンポタージュだった。

 さっそくいただきます。

 外が寒かったのもあって、とてもほっこりした。

 それからメインメニューが出てきた。

 お皿のうえにワッフルが2つ、それにサラダ、目玉焼き、ソーセージが乗っていた。

 いいじゃないですか。ランチとしても遜色はない。

 御手くんはワッフルをつまんだ。

 しばらくは料理の味の話になって──ん? 続きは? 御手くん、無言になる。

 私は気になって、

「御手くん、どうしてそんなことに興味を持ったの?」

 とさぐりを入れた。

「近畿でもちらほら話を聞くんだけど、だれも調べないんだよな」

「……調べない、っていうのは?」

「ハガキが届いたなら、どっかにまだあるはずだろ? そんな珍しいハガキを捨てるとも思えない。どういうやつなのかな、と思って父さんに聞いてみたけど、どうもタブー扱いなんだ。はぐらかされた。自分で調べようとしたら、こんどは於保おぼに怒られた」

「於保さんに?」

「連合の事務所をのぞいてもいいかって訊いたんだが、ダメなんだってさ」

 於保さんは近畿将棋連合の副会長。

 公私混同しないために同意しなかった、とも考えられる。

 ただ、どこか引っかかるところもあった。

 ハガキの存在か──もし太宰だざいくんと調査団を結成するなら、まずはそこから調べたほうがいいのかもしれない。N資金よりも、そっちのほうが現実的だ。御手くんのお父さん、たしか近畿大学将棋連合の元会長でしょ。そこのラインがハガキの存在を否定しなかった以上、じっさいにあると考えていい。もし暗号が見つかったら、風切かざぎり先輩が解いてくれるんじゃないかしら。

 聖生のえるの話はさすがにそこまで。あとは大学生らしい会話をした。

 お店を出る頃には、けっこう打ち解けた感じになった。

 入り口のところでお別れ。

「そういえば、都ノは王座戦目指してるんだろ?」

 私たちは、そうだと答えた。

「いつか指す機会があるかもな……あ、裏見うらみとは一回指したか」

 松平はちょっとおどろいて、「いつだ?」とたずねた。

「夏休み、大谷といっしょにうちに来たとき」

 ですね。あのときはボコボコにされた。

 御手くんは反対方向に体をむけて、それから手を振った。

聖生のえるについてなにか分かったら、こっそり教えてくれよ。またな」


  ○

   。

    .


 夕暮れどきの清水寺きよみずでら

 私と松平は、境内からK都を一望していた。

 赤く染まった町並みは、いにしえの都の思い出を語るように、ただそこにあった。

 松平はしばらくそれを眺めて、感嘆のため息をもらした。

「やっぱり来てよかったな」

「でしょ?」

 松平、あんまりこういうのに興味ないのかな、と思っていた。

 高校で3年、大学で1年のつきあいだけど、おたがいにまだ知らないことは多い。

 松平は欄干らんかんに両手をついたまま、こちらに顔をむけた。

「裏見は大谷と一回来たんだろ? おなじ場所ばっかりだったんじゃないか?」

 ま、そこはね。じっさい全部かぶっていた。けど──

「松平といっしょに来るのは、大谷さんのときとは意味合いが違うでしょ」

 松平はしばらくポカンとして、それから急に感極まったような顔になった。

 口もとに手をあてて、なにか言いたそうにする。

「裏見とのこと、ほんとに真剣に考えてるから……卒業後とか……」

 こらこら、そこまで深刻な台詞じゃなかったでしょ。

 私は赤くなる顔を夕日で隠しながら、ちょっとだけ松平のほうに身をよせた。

 卒業後か──大学に入学してから1年が経つ。

 このペースだと、4年間はアッという間なのかもしれない。

 思い出を大切にしたいと、私はあらためてそう思った。

*158手目 ついえなかったライン

https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/158/


**102手目 Cicada3301

https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/103/


***136手目 30年前の証人

https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/136/

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