258手目 クリスマスプレゼント
会場のお店は、すぐに見つかった。通りのすこし奥まったところにあって、一見するとライブハウスとは分からないような立地だった。でも、ちょっと派手な服を着たひとたちが同じ方向に歩いていて、このあたりでは有名なお店のようだった。
入り口のドアを開けると、落ち着いた雰囲気の店内。内装の多くは木製で、灯りは控えめ。2階建ての吹き抜けで、天井からぶらさがっているランタンに、暖色の電球が入れてあった。入り口の近くには受付。そこにタキシードを着た若い店員さんがいた。
外から見たときのイメージよりもだいぶ広かった。左手奥にバーテンのカウンター、その近くに大小のテーブルが並んでいた。全部で10席ほどだろうか。右手奥にはグランドピアノがみえた。その手前はなにもないスペースで、お客さんが踊るスペースらしい。
三宅先輩は店内をぐるりと見まわして、
「全員固まって座るのはムリっぽいか……」
とつぶやいた。
そうみたい。というか、そもそも団体客を想定していないっぽかった。一番大きな席で4人がけ。テーブルとテーブルのあいだには、一定のスペースがあった。給仕のひとが通れるようにだと思う。
私たちがすこし迷っていると、受付のお兄さんは微笑んで、
「お客さん、お店まちがえた? ここはライブハウスだよ?」
とたずねてきた。
三宅先輩が代表して、
「あ、その……脇っていうひとからチケットをもらったんですが……」
と言い、ジャケットからそれを取り出してみせた。
受付のお兄さんはおどろいたようで、
「ワッキーの客なんだ……適当な席へどうぞ」
と答えた。
ふむむ、その【適当】で困ってるわけですが……というわけにもいかないか。
入り口でたむろするのはマズい。
というわけで、適当に分散した──結果、男女で分かれてしまった。
女子はダンスホールそばの4人席に集合。
すぐにスタッフのひとが来て、
「未成年だよね?」
とたずねてきた。はい。
お酒は注文できないので、ソフトドリンクを頼む。
これまたなかなかのお値段で。席料込みか……オレンジジュース。
ララさんはトロピカルという変わったものを頼みながら、
「ここでお酒飲めないのつらいな〜、ニッポンの法律つらいな〜」
と愚痴っていた。ダメなものはダメ。
それぞれ飲み物が回ったところで乾杯。音頭はララさんがとることに。
「それじゃ、おつかれさま〜」
おつかれさまでーす。
ひと口飲んで、私は大きくタメ息をついた。
ララさんはちらりとこちらを見て、
「香子、どっか行ってたの? 体力減ってない?」
とたずねてきた。んー、そこはあんまり触れて欲しくないんだけど。
「ちょっと外出してぶらぶらしてたの」
「そっか、ララもしてたよ」
ララさんの話では、他大の女子と仲良くなって観光していたらしい。
ほんとに外交的。
あれこれ話を聞いていると、一日中会場にいたひとは穂積お兄さんだけとのこと。
これには穂積さんのほうで不満があるらしく、
「ずっとパソコンいじっててなにが面白いのかなあ」
とあきれていた。
まあまあ、ひとそれぞれなわけで。
ここで大谷さんが、
「本日の対局を見る限り、申命館は少々レベルが違うという印象を受けました」
とコメントした。
同意。頭ひとつ抜けてた感じがする。
ララさんはおつまみのスナックに手を伸ばしながら、
「よく分かんないけど、そんなに強いの?」
とたずねた。
大谷さんは、
「現状の都ノでは、ほぼ勝てないと思います」
と答えた。
ララさんはスナックを頬張って、ジュースで流し込む。
「んー……部のポリシーは王座戦出場なんでしょ? 勝たなくてもよくない?」
ララさんの指摘は一理ある。
風切先輩は、王座戦で優勝させろとは言っていない。
今考えなきゃいけないのは王座戦出場のほうだし、それ以前に来年度の部員をどうするのかという問題が先決だ。戦力が増えなかったらA級には上がれない。
と、そんな会話をしているところへ、脇くんが現れた。
脇くんは黒いロング丈シャツに黒いスキニーを履いていた。
前髪にうっすらと入っている赤いラインが、ランタンの灯りに映えていた。
「女子4人で将棋の話とは、ずいぶん変わったテーブルだね」
ララさんは両手を挙げて、
「ワッキー、今日はよろしくね〜」
とあいさつした。
「こちらこそ、ご来場ありがとうございます……風切先輩は?」
「隼人は偉いひとたちとpartyに行ったよ」
「パーティー? ……幹事会でもあるのかな。とりあえず、ゆっくりしてってよ」
それから7時半になって、舞台のうえに演奏メンバーがあがった。
拍手が起こる。
リーダーらしき青年があいさつ。
あれが脇くんの言ってた知り合いの先輩かな。口髭を生やして、帽子をかぶっていた。手にはサックス。いかにもって感じ。
演奏が始まる。軽快なジャズの音色。
ララさんは指でテーブルを小突き、リズムを取りながら、
「うまいね〜」
と褒めた。
1曲目が終わったところで、会場のざわめきも大きくなった。
クラシックコンサートとは違って、お客さんが黙って聴くタイプの演奏会ではないようだ。それもそうか。お店の雰囲気とも合わないし。だんだん踊り始めるひとも出てきた。ララさんもそちらに参加。席がひとつ空いた。
ぼんやり音楽を聴いていると、うしろから呼びかけられた。
ふりむくと、火村さんが立っていた。
「香子ぉ〜、なんであたしを置き去りにしてるのよ」
あ、すいません……ってわけでもないような?
団体行動の約束はしていない。
火村さんはララさんの席に腰をおろして、
「とりあえず乾杯」
と言い、例の赤いお酒が入ったグラスをかたむけてきた。
えーと、なんだっけ。名前を忘れてしまった。
とりあえず乾杯。
「火村さん、おつかれさま……今日はずっと会場にいたの?」
「3局目は観てないわ」
そっか、そういうパターンのひと、多そう。
お昼を会場のそとで食べて、ゆっくりしてからもどるパターンよね。
火村さんはグラスを黒い棒でかき混ぜながら、
「宗像は、やっぱり会場にいたわね」
と口走った。
うーん、その話題はやめて欲しい。
「そうね……申命館が勝ったから、丸く収まったんじゃない?」
火村さんは手をとめて、私と目を合わせた。
「ほんとうによかったと思う?」
「え? ……火村さんは帝大に勝って欲しかったの?」
「そうじゃなくて、あの結果が申命館にとってよかったと思う? 宗像抜きで勝ったってことは、あいつが部内で孤立する原因にならない?」
……そういうことか。
たしかに、宗像くんは部に馴染めていないような感じがしていた。
それでも穏健にまとまっていたのは、宗像くんがエースだから、よね。
そのはしごを外されてしまうと、隠れていた軋轢が表面化しそう。
火村さんはお酒をひと口飲んで、それから、
「ま、外野が口出しすることじゃないかもしれないけど」
と保留した。
そのあと、私たちはいたってありきたりな会話に終始した。
音楽が盛り上がってくる。男女の会話。踊り手たちの靴音。私はふと、吹き抜け2階の廊下にも、ひとがいることに気づいた。すみの螺旋階段から上がれるようになっていた。その廊下の柱のそばに、松平がいた。松平は欄干に寄りかかり、グラスを片手に1階を見下ろしていた。なにやら考え事をしているようだ。
私はちょっと気になって、席を立った。階段をのぼる。
左手にダンススペースを見下ろしながら、松平のそばまで歩み寄った。
「どうしたの?」
松平は私の接近に気付いていなかったらしく、
「ん……ああ、裏見か」
と、ちょっとおどろいたような顔をしていた。
「なにか心配ごと?」
「……じつは来年度、主将か部長のどっちかを頼まれてる」
そういうことか。私も初耳だ。
「受けるの?」
「どうだろうな……正直、工学部の講義と両立できる気がしない」
私は松平のとなりに立った。
欄干のしたに、大勢の人影がみえる。
みんな音楽に夢中になって、今この時を楽しんでいた。
「将来のことを考えるなら、断るのも手なんじゃない?」
「ただ、代わりにだれがやるのか、っていう問題がある」
たしかに……私は辻姉からのアドバイスを思い出した。
大学生は大学生。将棋が本業じゃない。
部員がキャリアのことを考え始めると、部の経営はだんだんと難航してくる。
「大谷さんは?」
「俺の予想だが、大谷にも声がかかってると思う。主将なら大谷のほうが適任だ」
そこに異論はない。棋力的には大谷さんが主将候補。
とはいえ、大谷さんがどう思っているのかはわからないけど。
私がどうこう言う問題ではないかもしれないし──そこへ脇くんが現れた。
「ふたりとも、なんだか深刻そうな顔をしているね」
マズい、盗み聞きされた? ……ん? なんか持ってる?
脇くんは右手にフルートのケースを、左手にお盆を持っていた。
お盆のうえには、四角いチョコレートケーキがふたつ乗っていた。
「これ、マスターのお手製ケーキなんだけど、どう? みんなに配ってるんだ」
私はお礼を言って……あ、手がふさがってる。
脇くんは、
「おっと、失礼、欄干にグラスを置かれても困るし……そうだ」
と言って、すぐ奥にあるドアへと向かった。
「ここは個室になってる」
松平は「勝手に使っていいのか?」とたずねた。
「問題ないさ」
脇くんはドアを開けて、電灯のスイッチを入れた。
中はこじんまりとした部屋で、中央にテーブルがひとつ、それに木製の戸棚。
ほんのりと暖かいオレンジ色の電球がひとつ、天井からぶらさがっていた。
戸棚には小道具がならべてあった。クリスマスツリーの模型も飾られていた。
そう言えばクリスマスシーズンだってこと、すっかり忘れていた。
席はちょうど3つあって、私たちはそこに着席した。
テーブルのうえにケーキが置かれる。
松平は「どう分ける?」とたずねた。
脇くんはくすりとして、
「僕はスタッフだよ。遠慮なくどうぞ」
と答えた。
私と松平は顔を見合わせた。
ちょっと申しわけない気もするけど──おいしそうなので、いただきます。
私はプラスチックのフォークで、ひと切れ。
「……すごい、専門店のケーキだって言われても信じるかも」
「お気に召してなにより……ところで、ふたりは付き合ってるよね?」
「ごほッ!」
なななななな、なにを言い出すんですか。
ど、動揺しちゃダメ。ここは適当にあしらっておかねば。
と思いきや、松平も演技が下手で、めちゃくちゃ態度に出ていた。
私が取り繕うよりも先に、脇くんは笑って、
「ハハッ、冗談ということにしておこうか。それにしても、クリスマスデートを放ったらかして王座戦を観に来るなんて、よほど将棋が好きなのかな……あ、独り言だよ……それともなにかべつの目的があって……いや、これも独り言さ」
脇くんはケースからフルートをとりだした。
電球の明かりに輝くそれを、脇くんはじっと見つめた。
「……そんなふたりに、クリスマスプレゼントをあげようか」
脇くんは吹き口にくちびるを添えた。
指先が動き、軽やかなフルートのメロディが流れる。
それは優しくて……どこか切ない音色だった。
イージーリスニングというのだろうか。そういうジャンルのように思えた。
音が途切れたとき、私はようやくまぶたをあげた。
脇くんはフルートに視線をとどめたまま、じっと沈黙していた。
私はなにか言わないといけない気がして「綺麗だった」と告げた。
「綺麗、か……いや、すなおに受け取っておくよ」
脇くんはフルートをケースにもどした。
席を立つ。私たちも立とうとした。
「きみたちはどうぞごゆっくり。僕は次の演奏があるから」
そう言って、脇くんは部屋を出て行った。
私は松平とふたりきりになり──なんだか妙に緊張してしまった。
「裏見、俺はべつに脇には話して……」
「でしょうね、動揺しまくりだったし」
松平は赤くなってほほを掻いた。
ドアの向こうから、ふたたびフルートの音色が聞こえてきた。
こんどはずっとアップテンポな曲で、踊り手たちの歓声も聞こえる。
ただこの部屋の中だけは、どこか時が止まったような静けさがあった。
壁時計の秒針の音さえ聞こえるほどに。
「裏見……その……クリスマスの件は悪かったと思ってる」
「べつにいいわよ。宗像くんが聖生Jrだってことも分かったし」
そう、収穫はあった。
王座戦を観に来た甲斐はあったのだ。それに──
「それに、なんだかんだでクリスマスデートっぽくない?」
私のひとことに、松平は赤くなった。
おたがいの目が合う。
素敵なタイミングは、どうしてふいにやって来るのだろう。
そっと寄り添い、手を重ね……くちびるを重ねる。
はじめてのキスは甘くて、ちょっぴりチョコレートの味がした。




