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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第41章 王座戦(2016年12月23日金曜)
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258手目 クリスマスプレゼント

 会場のお店は、すぐに見つかった。通りのすこし奥まったところにあって、一見するとライブハウスとは分からないような立地だった。でも、ちょっと派手な服を着たひとたちが同じ方向に歩いていて、このあたりでは有名なお店のようだった。

 入り口のドアを開けると、落ち着いた雰囲気の店内。内装の多くは木製で、灯りは控えめ。2階建ての吹き抜けで、天井からぶらさがっているランタンに、暖色の電球が入れてあった。入り口の近くには受付。そこにタキシードを着た若い店員さんがいた。

 外から見たときのイメージよりもだいぶ広かった。左手奥にバーテンのカウンター、その近くに大小のテーブルが並んでいた。全部で10席ほどだろうか。右手奥にはグランドピアノがみえた。その手前はなにもないスペースで、お客さんが踊るスペースらしい。

 三宅みやけ先輩は店内をぐるりと見まわして、

「全員固まって座るのはムリっぽいか……」

 とつぶやいた。

 そうみたい。というか、そもそも団体客を想定していないっぽかった。一番大きな席で4人がけ。テーブルとテーブルのあいだには、一定のスペースがあった。給仕のひとが通れるようにだと思う。

 私たちがすこし迷っていると、受付のお兄さんは微笑んで、

「お客さん、お店まちがえた? ここはライブハウスだよ?」

 とたずねてきた。

 三宅先輩が代表して、

「あ、その……わきっていうひとからチケットをもらったんですが……」

 と言い、ジャケットからそれを取り出してみせた。

 受付のお兄さんはおどろいたようで、

「ワッキーの客なんだ……適当な席へどうぞ」

 と答えた。

 ふむむ、その【適当】で困ってるわけですが……というわけにもいかないか。

 入り口でたむろするのはマズい。

 というわけで、適当に分散した──結果、男女で分かれてしまった。

 女子はダンスホールそばの4人席に集合。

 すぐにスタッフのひとが来て、

「未成年だよね?」

 とたずねてきた。はい。

 お酒は注文できないので、ソフトドリンクを頼む。

 これまたなかなかのお値段で。席料込みか……オレンジジュース。

 ララさんはトロピカルという変わったものを頼みながら、

「ここでお酒飲めないのつらいな〜、ニッポンの法律つらいな〜」

 と愚痴っていた。ダメなものはダメ。

 それぞれ飲み物が回ったところで乾杯。音頭はララさんがとることに。

「それじゃ、おつかれさま〜」

 おつかれさまでーす。

 ひと口飲んで、私は大きくタメ息をついた。

 ララさんはちらりとこちらを見て、

香子きょうこ、どっか行ってたの? 体力減ってない?」

 とたずねてきた。んー、そこはあんまり触れて欲しくないんだけど。

「ちょっと外出してぶらぶらしてたの」

「そっか、ララもしてたよ」

 ララさんの話では、他大の女子と仲良くなって観光していたらしい。

 ほんとに外交的。

 あれこれ話を聞いていると、一日中会場にいたひとは穂積ほづみお兄さんだけとのこと。

 これには穂積さんのほうで不満があるらしく、

「ずっとパソコンいじっててなにが面白いのかなあ」

 とあきれていた。

 まあまあ、ひとそれぞれなわけで。

 ここで大谷おおたにさんが、

「本日の対局を見る限り、申命館しんめいかんは少々レベルが違うという印象を受けました」

 とコメントした。

 同意。頭ひとつ抜けてた感じがする。

 ララさんはおつまみのスナックに手を伸ばしながら、

「よく分かんないけど、そんなに強いの?」

 とたずねた。

 大谷さんは、

「現状の都ノみやこのでは、ほぼ勝てないと思います」

 と答えた。

 ララさんはスナックを頬張って、ジュースで流し込む。

「んー……部のポリシーは王座戦出場なんでしょ? 勝たなくてもよくない?」

 ララさんの指摘は一理ある。

 風切かざぎり先輩は、王座戦で優勝させろとは言っていない。

 今考えなきゃいけないのは王座戦出場のほうだし、それ以前に来年度の部員をどうするのかという問題が先決だ。戦力が増えなかったらA級には上がれない。

 と、そんな会話をしているところへ、脇くんが現れた。

 脇くんは黒いロング丈シャツに黒いスキニーを履いていた。

 前髪にうっすらと入っている赤いラインが、ランタンの灯りに映えていた。

「女子4人で将棋の話とは、ずいぶん変わったテーブルだね」

 ララさんは両手を挙げて、

「ワッキー、今日はよろしくね〜」

 とあいさつした。

「こちらこそ、ご来場ありがとうございます……風切先輩は?」

隼人はやとは偉いひとたちとpartyに行ったよ」

「パーティー? ……幹事会でもあるのかな。とりあえず、ゆっくりしてってよ」

 それから7時半になって、舞台のうえに演奏メンバーがあがった。

 拍手が起こる。

 リーダーらしき青年があいさつ。

 あれが脇くんの言ってた知り合いの先輩かな。口髭を生やして、帽子をかぶっていた。手にはサックス。いかにもって感じ。

 演奏が始まる。軽快なジャズの音色。

 ララさんは指でテーブルを小突き、リズムを取りながら、

「うまいね〜」

 と褒めた。

 1曲目が終わったところで、会場のざわめきも大きくなった。

 クラシックコンサートとは違って、お客さんが黙って聴くタイプの演奏会ではないようだ。それもそうか。お店の雰囲気とも合わないし。だんだん踊り始めるひとも出てきた。ララさんもそちらに参加。席がひとつ空いた。

 ぼんやり音楽を聴いていると、うしろから呼びかけられた。

 ふりむくと、火村ほむらさんが立っていた。

「香子ぉ〜、なんであたしを置き去りにしてるのよ」

 あ、すいません……ってわけでもないような?

 団体行動の約束はしていない。

 火村さんはララさんの席に腰をおろして、

「とりあえず乾杯」

 と言い、例の赤いお酒が入ったグラスをかたむけてきた。

 えーと、なんだっけ。名前を忘れてしまった。

 とりあえず乾杯。

「火村さん、おつかれさま……今日はずっと会場にいたの?」

「3局目は観てないわ」

 そっか、そういうパターンのひと、多そう。

 お昼を会場のそとで食べて、ゆっくりしてからもどるパターンよね。

 火村さんはグラスを黒い棒でかき混ぜながら、

宗像むなかたは、やっぱり会場にいたわね」

 と口走った。

 うーん、その話題はやめて欲しい。

「そうね……申命館が勝ったから、丸く収まったんじゃない?」

 火村さんは手をとめて、私と目を合わせた。

「ほんとうによかったと思う?」

「え? ……火村さんは帝大ていだいに勝って欲しかったの?」

「そうじゃなくて、あの結果が申命館にとってよかったと思う? 宗像抜きで勝ったってことは、あいつが部内で孤立する原因にならない?」

 ……そういうことか。

 たしかに、宗像くんは部に馴染めていないような感じがしていた。

 それでも穏健にまとまっていたのは、宗像くんがエースだから、よね。

 そのはしごを外されてしまうと、隠れていた軋轢あつれきが表面化しそう。

 火村さんはお酒をひと口飲んで、それから、

「ま、外野が口出しすることじゃないかもしれないけど」

 と保留した。

 そのあと、私たちはいたってありきたりな会話に終始した。

 音楽が盛り上がってくる。男女の会話。踊り手たちの靴音。私はふと、吹き抜け2階の廊下にも、ひとがいることに気づいた。すみの螺旋階段から上がれるようになっていた。その廊下の柱のそばに、松平まつだいらがいた。松平は欄干らんかんに寄りかかり、グラスを片手に1階を見下ろしていた。なにやら考え事をしているようだ。

 私はちょっと気になって、席を立った。階段をのぼる。

 左手にダンススペースを見下ろしながら、松平のそばまで歩み寄った。

「どうしたの?」

 松平は私の接近に気付いていなかったらしく、

「ん……ああ、裏見うらみか」

 と、ちょっとおどろいたような顔をしていた。

「なにか心配ごと?」

「……じつは来年度、主将か部長のどっちかを頼まれてる」

 そういうことか。私も初耳だ。

「受けるの?」

「どうだろうな……正直、工学部の講義と両立できる気がしない」

 私は松平のとなりに立った。

 欄干のしたに、大勢の人影がみえる。

 みんな音楽に夢中になって、今この時を楽しんでいた。

「将来のことを考えるなら、断るのも手なんじゃない?」

「ただ、代わりにだれがやるのか、っていう問題がある」

 たしかに……私は辻姉つじねえからのアドバイスを思い出した。

 大学生は大学生。将棋が本業じゃない。

 部員がキャリアのことを考え始めると、部の経営はだんだんと難航してくる。

「大谷さんは?」

「俺の予想だが、大谷にも声がかかってると思う。主将なら大谷のほうが適任だ」

 そこに異論はない。棋力的には大谷さんが主将候補。

 とはいえ、大谷さんがどう思っているのかはわからないけど。

 私がどうこう言う問題ではないかもしれないし──そこへ脇くんが現れた。

「ふたりとも、なんだか深刻そうな顔をしているね」

 マズい、盗み聞きされた? ……ん? なんか持ってる?

 脇くんは右手にフルートのケースを、左手にお盆を持っていた。

 お盆のうえには、四角いチョコレートケーキがふたつ乗っていた。

「これ、マスターのお手製ケーキなんだけど、どう? みんなに配ってるんだ」

 私はお礼を言って……あ、手がふさがってる。

 脇くんは、

「おっと、失礼、欄干にグラスを置かれても困るし……そうだ」

 と言って、すぐ奥にあるドアへと向かった。

「ここは個室になってる」

 松平は「勝手に使っていいのか?」とたずねた。

「問題ないさ」

 脇くんはドアを開けて、電灯のスイッチを入れた。

 中はこじんまりとした部屋で、中央にテーブルがひとつ、それに木製の戸棚。

 ほんのりと暖かいオレンジ色の電球がひとつ、天井からぶらさがっていた。

 戸棚には小道具がならべてあった。クリスマスツリーの模型も飾られていた。

 そう言えばクリスマスシーズンだってこと、すっかり忘れていた。

 席はちょうど3つあって、私たちはそこに着席した。

 テーブルのうえにケーキが置かれる。

 松平は「どう分ける?」とたずねた。

 脇くんはくすりとして、

「僕はスタッフだよ。遠慮なくどうぞ」

 と答えた。

 私と松平は顔を見合わせた。

 ちょっと申しわけない気もするけど──おいしそうなので、いただきます。

 私はプラスチックのフォークで、ひと切れ。

「……すごい、専門店のケーキだって言われても信じるかも」

「お気に召してなにより……ところで、ふたりは付き合ってるよね?」

「ごほッ!」

 なななななな、なにを言い出すんですか。

 ど、動揺しちゃダメ。ここは適当にあしらっておかねば。

 と思いきや、松平も演技が下手で、めちゃくちゃ態度に出ていた。

 私が取り繕うよりも先に、脇くんは笑って、

「ハハッ、冗談ということにしておこうか。それにしても、クリスマスデートを放ったらかして王座戦を観に来るなんて、よほど将棋が好きなのかな……あ、独り言だよ……それともなにかべつの目的があって……いや、これも独り言さ」

 脇くんはケースからフルートをとりだした。

 電球の明かりに輝くそれを、脇くんはじっと見つめた。

「……そんなふたりに、クリスマスプレゼントをあげようか」

 脇くんは吹き口にくちびるを添えた。

 指先が動き、軽やかなフルートのメロディが流れる。

 それは優しくて……どこか切ない音色だった。

 イージーリスニングというのだろうか。そういうジャンルのように思えた。

 音が途切れたとき、私はようやくまぶたをあげた。

 脇くんはフルートに視線をとどめたまま、じっと沈黙していた。

 私はなにか言わないといけない気がして「綺麗だった」と告げた。

「綺麗、か……いや、すなおに受け取っておくよ」

 脇くんはフルートをケースにもどした。

 席を立つ。私たちも立とうとした。

「きみたちはどうぞごゆっくり。僕は次の演奏があるから」

 そう言って、脇くんは部屋を出て行った。

 私は松平とふたりきりになり──なんだか妙に緊張してしまった。

「裏見、俺はべつに脇には話して……」

「でしょうね、動揺しまくりだったし」

 松平は赤くなってほほを掻いた。

 ドアの向こうから、ふたたびフルートの音色が聞こえてきた。

 こんどはずっとアップテンポな曲で、踊り手たちの歓声も聞こえる。

 ただこの部屋の中だけは、どこか時が止まったような静けさがあった。

 壁時計の秒針の音さえ聞こえるほどに。

「裏見……その……クリスマスの件は悪かったと思ってる」

「べつにいいわよ。宗像くんが聖生のえるJrだってことも分かったし」

 そう、収穫はあった。

 王座戦を観に来た甲斐はあったのだ。それに──

「それに、なんだかんだでクリスマスデートっぽくない?」

 私のひとことに、松平は赤くなった。

 おたがいの目が合う。

 素敵なタイミングは、どうしてふいにやって来るのだろう。

 そっと寄り添い、手を重ね……くちびるを重ねる。

 はじめてのキスは甘くて、ちょっぴりチョコレートの味がした。

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