257手目 外されたレギュラー
「俺ならここにいるよ」
その声とともに、うしろのギャラリーは左右に分かれた。
宗像くんが姿をあらわす。
あまりにも急なできごとで、日高くんは、
「宗像……おまえ、いたのか?」
と、おどろきを隠せないようだった。
私もびっくりしすぎて、言葉が出なかった。
宗像くんは氷室くんのすぐうしろについた。
なにかあったと気づいたのか、氷室くんもふりむいた。
そしてすこしだけ──ほんのすこしだけ表情を変えた。
それは喜怒哀楽のどれでもなかったような気がする。
けど、すぐにもとの顔にもどって、盤へと向きなおった。
一方、御手くんは宗像くんをまったく無視していた。
どうして? ここはさすがにおどろくところでしょ?
……………………
……………………
…………………
………………ああッ! そういうことかッ!
さっきの申命館の打ち合わせは、宗像くんを外すかどうかだったんだ。
おそらく第4局が終わったあたりで会場入りしたのだろう。
これには日高くんも気づいて、
「宗像、なんで出てない? 体調が悪いのか?」
と、かなり単刀直入にたずねた。
宗像くんは帽子のつばをおろして、
「遅刻するようなやつにあてがう席はないってさ」
と答えた──なんとなくそれっぽい返答。
申命館のメンバーはどこまで知ってるのかしら。
単にサボったと思われてる? それともT羽の一件がバレてる?
わからない。いずれにせよ、申命館は宗像くんを外すという決断をしたのだ。
日高くんはさらになにかたずねようとした。けど、宗像くんは、
「対局中だから、外野がざわついてたらよくないんじゃないの?」
と牽制した。
日高くんは「そうだな」と小声で言って、それっきりになった。
宗像くんは局面をじっとみている。
私たちもそれにならった。
さっきより進んでる。
かたち的に……7七同桂成、同金、6三桂、4五歩、7五歩っぽい?
先手の御手くんはこれを無視して、8六歩と突いた。
宗像くんは、
「先手がいい」
とつぶやいた。私は思わず、
「御手くんのほうが優勢?」
とたずねた。
「優勢ってほどじゃないけど、指しやすい」
そっか……宗像くんの形勢判断には、重みがあった。
日高くんも新田くんも、宗像くんには話しかけにくいのか黙っていた。
こうしてみると、やっぱり宗像くんって浮いてるのよね
その一因は、いきなり大学将棋界に入って来たこと、つまり高校までの知り合いがだれもいないことだと思う。私も高校デビュー組だったから、その立場はすこし分かる。小中学校のときから公式戦に出ているメンバーとは、どうしても親しさに差があった。
パシリ
局面が動いた。
7六歩、同金、7五歩、7七金、7一飛。
後手は飛車回りを選択。
意外と危なくない? ほんとに先手がいいの?
私は宗像くんに、
「先手の傷が大きくない?」
とたずねた。
「7筋突破はムリだね……まあどっかでミスしたらすぐ逆転するけど」
僅差ってことか。
慎重な指し手が要求される局面になった。
御手くんは一回7二歩と叩いて、同飛に7八歩と受けた。
底歩にはなったけど、当然に7六歩と伸ばされる。
8七金、7五桂、9七金。
宗像くんはこの手をみて、
「9七金? ……御手、ひよったな」
とつぶやいた。
もしかして形勢接近した?
氷室くんはまるでそれに合わせたかのように、4五歩と取り返した。
同銀、4四歩、5四銀、同歩、5六桂。
先手も桂馬をすえた。
氷室くんは6五歩と突く。銀が死んだ。
7五銀、同飛と交換して、先手は6四銀。
かなり直接的な攻め。
さすがに日高くんも、
「先手、すこしムリが出てきたな。正解はなんだったんだ?」
とたずねた。
宗像くんは、
「9七金のところで7六金と出て、8七桂成に7五桂と打ち返して勝負」
と答えた。
【参考図】
日高くんは眉をひそめた。
「成桂を作らせるのか……指しにくいな」
「綱渡りするのが将棋だろ……人生と同じさ」
急に高尚なセリフが出て、日高くんは面食らっていた。
そんな私たちをよそに、局面は進む。
7四飛、4五歩、4二金、7五桂、6六歩。
7五桂はちょっとつらい。
御手くんは玉頭を無視して4四歩と突き返した。
氷室くんは4八歩、同飛、4七歩、同飛と釣り上げてから、7七歩成と手をもどす。
このタイミングで歩成り? ……あッ! 同歩と取れないのかッ!
次に8九角と打たれてどうしようもなくなる。飛車を釣り上げたのはこのためだ。
御手くんも劣勢を意識しているのか、表情が険しかった。
「……同玉」
顔面受けに走った。
氷室くんは5三銀で拠点を消しにいく。
冷静な一手だ。
宗像くんは、
「4五桂が両取りになるけど、先に6四銀と消して後手良しか……」
と言い、その場を移動するような素振りをみせた。
日高くんは、
「おい、どこへ行くんだ?」
と声をかけた。
「べつに御手の負けを見に来たわけじゃないんでね」
そう言って宗像くんは、ひとつとなりの対局に移動した。
4番席の駒込vs尾平戦だ。
私は日高くんと新田くんに目配せをした。
ふたりとも、しょうがない、という感じだった。
とりま、ここの対局を最後まで見届けましょ。
それから3分して、御手くんはようやく4五桂とした。
6四銀、同桂、同飛、5三銀、同金右、同桂成、同金、4三歩成。
氷室くんは王様に指をそえ、スーッと音もなく引いた。
これは……私にもはっきり後手優勢だと分かる。
あの王様はもう捕まらない。
周囲のギャラリーからひそひそ話が聞こえた。
「氷室の勝ちっぽくないか?」
「だったら帝大だな」
もう3−3になってるの? ……いや、まだ左隣と右端は終わっていない。
私は日高くんと新田くんに「ほかの対局のようす、分かる?」とたずねた。
ふたりとも知らなかったけど、近くの知り合いに教えてもらった。
日高くん情報によると、
「2−2で、1番席は藤堂優勢、4番席は尾平優勢」
とのこと──ってことは帝大の4−3ペース?
ほんとにここがキー局っぽい。
御手くんは考え込んでいる。持ち時間が溶けていく。
ピッ
御手くん、1分将棋に。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
パシリ
受けた。
今度は氷室くんの番だ。
氷室くんは目を閉じて、ひたいに手をやり、静かに考え始めた。
寄せをさぐっているはず。重たい空気が流れた。
「……5九角」
王手から入る。
ふつうなら弾けるけど、先手には金が1枚しかない。
ただでさえ攻め駒がない今、これは使えない。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
御手くんは8八玉と逃げた。
7六銀が打ち込まれる。これは……詰めろ?
放置なら7七銀打、同歩、同角成、8九玉、7八銀、9八玉、7七銀上成、同金、同馬まで。7七銀打に9八玉と逃げるのは、8七銀打、同金、同銀成、同玉、8六銀成、9八玉、8七金、8九玉……ん? 詰まない?
……あ、詰むか。8筋に歩が効くんだ。
【参考図】
以下、7九玉、7八金、同玉、7七成銀、7九玉、6八角成までだ。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
御手くんは5六歩で飛車の横利きを入れた。
ここで氷室くんも1分将棋に。
ピッ……ピッ ピッ ピッ ピーッ!
「6六飛」
詰めろが復活した……はず。さすがにこれは直感的に詰めろ。
受けがある? ないなら先手の負けよ?
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ!
御手くんは8七金打とした。
攻め駒はなくなるけど、たしかにこれしかなさそう。
氷室くんはまた瞑想する。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
……………………
……………………
…………………
………………あ、寄った気がする。
同金右はできない。それは詰む。
だけど同金直はかなりあやしい……詰みは……いや、詰まない?
周りのギャラリーも真剣に読んでいる。
最初に読み切ったのは火村さんで、
「詰まない……わね。でもさすがに寄ると思う」
とつぶやいた。
御手くんは片目をつむって頭をかいた。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
同金直、8七銀成、同飛、7六銀、9八銀、8七銀成、同銀、7九銀、9七玉。
氷室くんは30秒まで考えて、飛車をそっと置いた。
……寄った。ほぼ必至。7七銀は同角成で意味がない。
チェスクロが無情に時を刻む。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
御手くんは頭をさげた。
「負けました」
「ありがとうございました」
ギャラリーがざわついた。
私も息苦しさから解放されて、ホッとひと息──かと思いきや、火村さんが、
「4番席、まだやってない?」
と指摘した。
私は左隣の4番席をみやる。
【先手:尾平将(帝國) 後手:駒込歩美(申命館)】
これまたすごい局面。先手の入玉模様。
向かいにいるメガネの子が尾平くんかしら。
細身で、チェック柄の長そでを着ていた。右ひじをテーブルに乗せ、腕を無造作に立てていた。手首のところに銀色の腕時計がみえる。ここが最終局だと気づいているらしく、表情には鬼気迫るものがあった。
どっちがいい? ……よくわかんない。
こういうのは急に見ると判断がつかない。
私は周囲を見回した……磐くん発見ッ!
「磐くん、磐くん」
「……ん? なんだ、裏見か」
「どっちがよさそう?」
「五分じゃね?」
そっか……ってことは、歩美先輩が持ち直してきたのか。
日高くんは帝大優勢って言ってたもの。
だけどこれは入玉されそう。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
歩美先輩は3二馬と取った。
同飛成、同銀、2二銀成、3三銀、4五桂、2九飛、2六歩。
ここで歩美先輩は上体を動かした。
なにかに反応してる。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
先輩は2四銀と出た。
あれ? お手伝いでは?
同玉、2六飛成、2五角打、同龍、同玉、2七飛、2六銀打。
ん? ……押し戻せそう?
2六同飛成、同玉──歩美先輩は、持ち駒の香車をしなやかに手にした。
「2四香」
尾平くんは目を見開いた。
ギャラリーも微妙に反応する──寄ったのでは?
さっきまで気づかなかったけど、詰みがあるような。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
「に、2五飛」
2七金、同玉、2五香、3七玉、2六角、2七玉、2八飛。
尾平くんは、がっくりとうなだれた。
「……ま、負けました」
「ありがとうございました」
今度こそギャラリーが湧いた。
「おい、宗像抜きで全勝だぞ」
「強すぎておちょくってるな」
まあまあ、みんな落ち着いて。
これには裏事情がいろいろあって云々。
とりあえず、歩美先輩が勝ったのはすごいと思う。
完全に当て馬扱いされてたのに。
感想戦の最中、宗像くんはなにも言わなかった。
氷室くんも反対側で観戦していたけど、コメントはなし。
1日目だから解散式も特になくて、各校報告を終えて散り散りになって行った。
日高くんが言ったとおり、風切先輩は懇親会があるらしかった。
会場の1階で他のメンバーと相談する。
ララさんは、
「ララはワッキーのライブ聴きに行くよ〜」
と言った。なるほど、もう決めてあるのか。
大谷さんも、
「せっかくチケットをいただきましたし、ほかにすることもございませんので、拙僧も参加しようと思います」
とのこと。
んー、これはみんな行く流れかな。
ほかの大学も固まって行動するみたいだし、合流イベントはなさそう。
私もべつに行きたくないわけじゃない。むしろ興味はある。
穂積お兄さんはスマホを見ながら、
「7時からだよね……時間的にちょうどいいんじゃないかな」
と、道順を検索してくれた。
今日はいろいろあって疲れちゃった。音楽でも聴いて羽を伸ばしましょ。
それでは、しゅっぱーつ。
場所:2016年度王座戦 1日目5回戦 申命館vs帝國
先手:御手 篤
後手:氷室 京介
戦型:角換わり力戦形
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7六歩 △3二金
▲7七角 △3四歩 ▲6八銀 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲3八銀 △6四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲7八金 △3三銀
▲6八玉 △6二銀 ▲3六歩 △6三銀 ▲4六歩 △4二玉
▲4七銀 △7四歩 ▲3七桂 △7三桂 ▲2九飛 △8一飛
▲9六歩 △6二金 ▲4八金 △4四歩 ▲9五歩 △5四銀
▲5六銀 △3一玉 ▲3八金 △4二玉 ▲4九飛 △5二玉
▲6六歩 △6五歩 ▲同 歩 △同 桂 ▲6六銀 △6四歩
▲6七歩 △3五歩 ▲同 歩 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲8七歩 △8一飛 ▲2七角 △4三金 ▲7七桂 △同桂成
▲同 金 △6三桂 ▲4五歩 △7五歩 ▲8六歩 △7六歩
▲同 金 △7五歩 ▲7七金 △7一飛 ▲7二歩 △同 飛
▲7八歩 △7六歩 ▲8七金 △7五桂 ▲9七金 △4五歩
▲同 銀 △4四歩 ▲5四銀 △同 歩 ▲5六桂 △6五歩
▲7五銀 △同 飛 ▲6四銀 △7四飛 ▲4五歩 △4二金
▲7五桂 △6六歩 ▲4四歩 △4八歩 ▲同 飛 △4七歩
▲同 飛 △7七歩成 ▲同 玉 △5三銀 ▲4五桂 △6四銀
▲同 桂 △同 飛 ▲5三銀 △同金右 ▲同桂成 △同 金
▲4三歩成 △6一玉 ▲6六歩 △5九角 ▲8八玉 △7六銀
▲5六歩 △6六飛 ▲8七金打 △9六桂 ▲同金直 △8七銀成
▲同 飛 △7六銀 ▲9八銀 △8七銀成 ▲同 銀 △7九銀
▲9七玉 △8九飛
まで128手で氷室の勝ち




