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和泉涼の憧憬

※ここからは、和泉いずみプロ視点です。

 深夜の立川たちかわはにぎやかだ。

 モノレール駅前は、真冬にもかかわらずひとであふれていた。

 飲み屋に入るおじさんたち。ゲーセンから出てくる少年たち。

 若いカップルが何組も、寄り添いあいながら歩いていた。

 僕はそのすきまを縫って進む。自宅の分譲マンションへ。

 昔この街は、ほとんどなにもないところだったらしい。

 先輩雀士がたまに語っていた。

 街も変わり、ひとも変わる。

 僕はマンションのオートロックを通過し、エレベータに乗った。

 最上階で降りる。ろうかから立川の夜景が一望できた。

 風が吹きつけて寒い。手早く一番奥の部屋へむかった。

 ドアをあけると、暖かい空気に包まれた。

 同時に、トンという雀牌ジャンパイの音がした。

 靴を脱ぎ、フローリングの廊下へあがる。

 右手の洗面室をとおりすぎて、左手のドアをあけた。

 目のまえに10畳ほどの洋室がひろがった。

 50インチの薄型テレビ。その正面には合皮ごうひの二人掛けソファー。

 床はクッションフロアで、ピンク色のカーペットが敷かれていた。

 中央に背のひくいテーブル。緑のマットと麻雀牌。

 ひとりの青年が床に座って、牌譜はいふをならべていた。

高子たかねのぞむプロは、ほんとうに研究熱心だね」

 僕が声をかけると、望は顔をあげた。

 夢から覚めたように、

「なんだ、帰ってたのか?」

 とたずねた。

 僕はあきれてしまう。

「幽霊じゃないよ」

「わりぃ、飯の準備してないや」

 そんなこともあろうかと。

 僕は手持ちのプラスチック袋をみせた。

「帰り道にピザを買ってきた」

「マジか、サンキュ」

 僕たちは折りたたみテーブルを出して、カーペットのうえに腰をおろした。

 ピザボックスをあける。

 ツナとオリーブのトッピング。チーズの香りがひろがった。

 望はコーラ、僕はミルクティーのペットボトルで乾杯。

 僕はひとくち飲んで、それから、

「おつかれさま……そのようすだと、今日の予選は通ったのかな」

 とたずねた。

 望はピザをひとつ手にとって、

「ああ、1−4−4−1で抜けた」

 と答えた。

「あいかわらず極端な成績だね」

「それが俺のスタイルだからな」

「ま、ウマオカありの現代麻雀なら合理的だよ。2次予選は来週?」

 返事がなかった。

 望は雀卓へ視線をのばし、うわの空という感じだった。

 僕はしばらく放置してピザをほおばった。

 できたてのピザは最高だね。カロリーが気になるけど。

 望はコーラを持ったまま、一番手前の手牌をゆびさした。

「今日の4半荘目、南2でこのかたちだった」


挿絵(By みてみん)


りょうはなにを切る?」

 僕は紅茶を飲む。

 何切る問題に正解はないけどね。ホーがわからないんだし。

「点差は?」

「俺が28300で2着目、対面のトップ目が36000持ち、親は上家かみちゃ

「満貫差ないのか。だったら6索ローソーを落とすね」

「そっか……俺は……」

9萬キューワンでしょ」

 望はすこしおどろいた。

「よくわかったな」

「長いつきあい……でもないか。だけど望なら9萬だよ。三色固定して、あわよくば3枚目のドラ引きとか考えたんだろ。欲張りなんだから」

 望は笑った。今日はじめての笑顔だった。

 僕はそういうのがみたいんだよ。贅沢ぜいたくかな。

 望は右ひざを立てて、ちょっと生意気そうな顔をした。

「アガリ切った。倍満で」

「……リーヅモ三色ドラ3裏1?」

「惜しい。リーヅモ一発三色ドラ3」

白虎杯びゃっこはいは一発アリだから、望向きだね」

 望が挑戦しているのは、麻雀界4大タイトルのひとつ、白虎杯。

 2月の決勝にむけて、予選がはじまっている。

 僕はタイトルホルダーだからシード組。

 望は大きく息をついた。気持ちがようやく切り替わったらしい。

 そういうのは、マンションに帰るまえにして欲しいね。

 ここは僕の所有物だし、なんて思っていると──

「そういえば、アレはだいじょうぶだったのか?」

「アレって?」

「生理痛」

 ああ、そのことか。食事中にする話じゃないような。

「婦人科に行ったけど、一時的だって言われた」

 望はホッとした。

「そうか……ほづみだっけ。あの子がマスコミにタレ込まないのを祈るしかないな」

「いい子そうだったから、ワンチャンだいじょうぶかもね」

 望はその場にあおむけになった。

「救急車のなかでごまかせてればなあ」

「しょうがないよ。救急隊員が『10代か20代の女性』って言っちゃったし、ズボンを脱がされたときにショーツが血まみれだったからね。ごまかしようがない」

 沈黙が室内をおおう。

 しばらくして、望は起きあがった。

「なあ、最近ちょっとムリしすぎなんじゃないか?」

 半分ヒモの分際でそれを言うかね、望くん。

「雀プロなんていつまでも稼げるもんじゃないよ。マンションは管理費が必要だし、お店のほうは開店したばかり。僕目当ての女性客が多いから、歳をとったら客は減る」

「涼の実力はほんものだよ。ビジュアル系だなんて、外野に言わせとけばいい」

「こどもができたら?」

 望は黙った。うなだれた犬みたいになる。

 そういうの、ずるいなあ。

 僕は返答を待った。

「……ほんとうにいいのか?」

「よくなかったら、とっくに追い出してるよ」

 望はあぐらを組んだ。

 ちぢこまって背中を丸める。僕から視線をそらした。

「俺は中卒の麻雀バカだったから、麻雀で勝つことしか考えてこなかった」

「だろうね。通帳みせてもらったらゼロだったし」

「涼はなんで麻雀プロになろうと思ったんだ?」

 僕はペットボトルをおいた。

 窓のそとに月がみえる。こんな夜は、すこしばかり思い出にひたりたくなる。

「僕が通ってた中学に、風切かざぎりっていう男子がいて……将棋のプロを目指してた」

「そういや、将棋もプロがいるんだったな」

「僕たちよりもよっぽどカタギだと思うね。風切くんは奨励会というところに出入りしてて、学業と両立がたいへんそうだった。けど、なんだかすごく生き生きとしてた。僕はそのとき人生にちょっと迷っててさ……あ、笑うなよ。ようするに、風切くんからゲンキをもらいたかったのさ。将棋を教えてくれって一回頼んだ。ところが断られた」

 望は納得顔になった。

「飯のタネって、あんまり他人に指導したくないよな」

「そう。だけど僕はしつこく頼んだ。麻雀なら遊んでやる、って言われた。その日の放課後にルールブックを買って、一晩で暗記したよ。すぐに次の日から打ち始めた。最初は勝てなかったけど……」

 ここまで言って、僕はちょっと自慢げになる。

「卒業するまでにだいぶ稼がせてもらった」

 望は笑った。

「そりゃひでえや。未来のタイトルホルダーが素人あいてにカツアゲか」

「いや、風切くんも強かったよ。彼の名誉のために言っておく。いずれにせよ、勝ち負けはどうでもいいんだ。これまでの人生で、最高に麻雀が楽しかったときだよ。バカ話をして、チョンボして、帰り道にはしゃいだりしょげたりして……最高だった」

 望はピザをつまんだ。

「で、そいつは将棋のプロ、涼は麻雀のプロか。アウトローらしくていい話だ」

 僕はフッと笑い、紅茶を飲んだ。

 ここからは、ひとりごとみたいになっていく。

「そのアイドルが数年後、僕のお店にやってきたんだよ。僕は性別を変えてたから、そのときは声をかけられなかった。あっちは僕のことが気になるみたいだったけど、さすがにわからなかったみたいだね。で、今どうしてるのか調べてみた」

 望は好奇心にみちた目で、僕をまなざした。

 けど、彼が期待してるものは、おそらく僕の次のセリフとはちがっていた。

「彼はプロを目指すのをやめて、ふつうの大学生になってた」

 望は、食べかけのピザをおいた。

 しんみりとした仕草で、窓のそとをみた。

「……それでようすを見に行った、ってわけか。どうだった?」

 こういうとき、どんな顔をすればいいんだろう。

 四半世紀も生きていない僕にはわからない。

 ただ自然とこぼれたものは──おだやかな笑みだった。

「とてもしあわせそうだったよ」

 部屋からもれる笑い声。仲間たちとの会話。

 そう、まるで中学生のときの思い出だ。

 教室に群れる生徒たち。とりとめのない談笑。

 無意味に、それでいて豊かに過ぎ去る時間。

 僕は卒業後、二度とそれに出会わなかった。

 研究、勝負、協会での政治、マスコミ対策。

 彼もまたそうだったのだろう。だけど彼は、もう一度あの時間を手に入れた。

 望は真顔で「じゃあ、都ノみやこの大学に決めたんだな」と言った。

 僕は首をふった。

「再会しちゃいけない別れがあるって気づいた」

 風切くん、おぼえてるかい。

 卒業式の最後、いっしょに校舎から出たのは、僕だったよ。

 きみはプロになると言った。僕は進学すると嘘をついた。

 あの日からあまりにも違う道を歩んだね。だけどその思い出の分岐点が、あの輝かしい下校の瞬間だとしたら、それって最高じゃないかな。

 さようなら、風切隼人くん──さようなら、僕の永遠のアイドル。

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