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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第40章 幽霊部員ストーカー事件(2016年12月5日月曜)
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247手目 管理領域

 午後7時──私は部室のソファーに座っていた。

 となりには大谷おおたにさん。

 テーブルには松平まつだいら星野ほしのくん、ララさん、穂積ほづみさん。

 ララさんと穂積さんは将棋を指していた。ちょっと呑気のんき

 パソコンデスクでは、穂積お兄さんが作業を進めていた。

 風切かざぎり先輩はそばに椅子をおいて、作業をながめていた。

 三宅みやけ先輩は立ったままモニタをみていた。

 部員全員が集合している。ひさしぶりのことだった。

 穂積お兄さんはキーを叩いて、マウスをうごかす。

「……ダメだね」

 それが第一声だった。

 風切先輩は、

「できなかったのか?」

 とたずねた。

「リカバリソフトを走らせてみたけど、ファイルは復旧してないっぽい」

 風切先輩はタメ息をついた。大きくのけぞる。

 椅子の背もたれがきしんだ。

「マジか……原因はなんだ? ふつうはできるんだろ?」

 穂積お兄さんは考え込んだ。

「……ひとつ考えられるのは、データの上書きかな」

「上書き?」

 穂積お兄さんは席をたった。ホワイトボードにむかう。

「パソコンのデータはハードディスクドライブに記録される。より正確にいうと、ハードディスクドライブの中に磁性体を塗った円盤が入ってるんだ。これをプラッタという」

 穂積お兄さんは、ホワイトボードに円を描いた。

「この円盤に磁力を与えるのが、ヘッドと呼ばれる部分。ヘッドがプラッタに磁力を与えることで、プラッタ上に一定のパターンができる。このパターンを把握することで、逆にデータの読み取りもできるようになる」

「数学科の俺でもなんとなくわかるぜ。電流と磁力はおたがいに変換できるからな。電磁石がそうだ」

「正解。このプラッタへの書き込みなんだけど、ひとつのデータを円盤の一箇所にまとめて記録する、ってわけじゃないんだ。例えば僕が『穂積重信』という文字列を記録したと仮定するね。すると、極端な場合……」


挿絵(By みてみん)


「こういうふうに記録される」

 風切先輩は一瞬けげんそうな顔をした。けどすぐに、

「なるほどな、充填率じゅうてんりつの問題があるのか」

 とコメントした。

「さすがだね。プラッタを効率的に使うためには、大きなデータをそのまま記録していくわけにはいかない。床のタイルといっしょだよ。おおざっぱに貼っていくと、隙間ができちゃうよね。その隙間を有効活用するためには、タイルを分割してハメていくしかない。データでも同じことが必要なんだ」

「分割したデータをどうやって元に戻すんだ?」

「それをするのが管理領域の役目。管理領域にはデータの再現方法が記録されてる。極端な例として、16文字しか記録できないと仮定するね」


 ABCDEFGHIJKLMNO

 こんにちは_今日_は晴れだ__

 

「上のアルファベットが、管理領域のための符号だよ。ここに僕の名前を記録する。空いているマスがバラバラだから、文字列も分割して記録しないといけない」


 ABCDEFGHIJKLMNO

 こんにちは穂今日積は晴れだ重信


「ここで、データを読み込むときの組み合わせを、管理領域に記録する」


 名前データ=FINO

 

「これで結合パターンがわかるってわけさ」

 風切先輩はうなずいた。

「2段階なんだな。で、今回のケースとの関係は?」

「パソコンでふつう『削除』というとじつは……」

 穂積お兄さんは【管理領域】を斜線で消した。

「こっちを消しているだけなんだよね」

 風切先輩は指をはじいた。

「理解した。データの再現方法がわからなくなってるだけってことか。それをリカバリしてやるのがリカバリソフトなんだな」

「そう、データそのものが消えるのは、あくまでも上書きした場合だね。新しく磁力を与えて、パターンを変更したとき。例えばさっきの状態で風切くんの名前を入れるには、4文字消さないといけない」


 ABCDEFGHIJKLMNO

 こんにちは穂今日積は晴れだ重信

 

 ↓

 

 ABCDEFGHIJKLMNO

 こんにちは風今日切は晴れだ隼人

 

「こうなると、僕の名前は再現できなくなる。だからリカバリは早ければ早いほど成功しやすいというわけ」

「じゃあ……動画データに上書きがされてるわけか?」

「可能性のひとつとしてね」

 風切先輩は姿勢をもどした。腕組みをして、じっと虚空をにらんだ。

「……聖生のえるの可能性が高くなったな」

 室内に緊張が走った。

 三宅先輩もうなずいた。

「単に消しただけじゃない……となると、聖生のえるの犯行だと思う」

 風切先輩は私のほうをむいた。

「裏見、大谷、犯人の特徴をもう一回説明してくれないか?」

 私と大谷さんは、それぞれ特徴を説明した。

 私はすごく悩んだ──女装した和泉いずみプロだって伝える?

 でもなぁ……さっきまではタイミングを見計らって言おうと思っていた。

 今は迷っている。というのも、証拠が消えてしまったからだ。

 和泉プロが女装してるなんて、信じてもらえるだろうか。

 見間違いだ、と言われたら、反論のしようがなかった。

 けっきょく私は、その点について触れずに説明を済ませた。

 風切先輩は特徴をまとめて、

「これじゃあ日本に万単位でいそうだな……松平は、どうだ?」

 とたずねた。松平は、

「裏見と大谷が言ったのでぜんぶですね。俺から付け加えることはないです」

 と答えた。

 風切先輩は両手を組んで、それを後頭部にまわした。

 キャスターつきの椅子を半回転させる。

「まいったな。これ以上の調査はムリか……だれかアイデアはないか?」

 ララさんが将棋を中断して、手をあげた。

聖生のえるからのチャレンジを待つしかなくない?」

「たしかに……これまでの手口だと、コンタクトを取ってくるかもしれないな」

 次に星野くんがしゃべった。

「その場合、聖生のえるは女性ってことになるんですか?」

 この質問に風切先輩は詰まった。

「……どうだろうな。共犯者のほうかもしれない」

 うーん……和泉プロが聖生のえるの共犯? ありえる?

 わからない。

 他の部員はこの事実を知らないから、推理はますます混迷した。

 ララさんは、

「もしかしてここの学生じゃない?」

 と言った。風切先輩はこれを否定しなかった。

「ありうる。聖生のえるが俺たちの動向を監視できたのも、それで説明がつく」

 穂積お兄さんも、

「このままようすを見るのがいいかもね。校内でそれらしい人物を見かけたら通報する、っていうのはどう? なにかの偶然でこうなっただけかもしれないし」

 と提案した。

 風切先輩はうなずきつつ、三宅先輩に話しかけた。

「三宅、警備員は犯人を見ていないのか?」

「見てないらしい」

「正門にも裏門にもいるだろ?」

「該当する服装の女は目撃されてない」

 それは……門をくぐったときに女装してなかったからだと思う。

 トイレで着替えたんじゃないかしら。

 どうしよう。やっぱり言ったほうがいいかも。

 私は口をひらこうとした。

 ところがこれよりも早く、穂積さんが割り込んだ。

「ララちゃんの案がいいと思います。闇雲に捜すより、聖生のえるの出方を待ちましょう」

 また言い出しにくくなる。大谷さんの次のひとことがトドメになった。

「人相の記憶はあいまいになりがちです。証拠がなくなった以上、慎重がよろしいかと」

 こうして、動画の件は終了。

 そのあとは夕食を食べて、解散になった。

 松平に送ってもらう。冬の夜のキャンパスは静まり返っていた。

 裏門へ向かうあいだ、松平は例の動画のことを不思議がっていた。

「動画はあったよな……消されてるとしか思えないんだが」

 私は「そうね」とだけ答えた。

 じぶんの判断がよかったのかどうか悩む。

 松平にだけは言ったほうがいいかも。

「ねぇ、松平、じつは……」

 その途端、サイドから声をかけられた。

「あれ? 香子きょうこちゃん?」

 ふりむくと、街灯の下に粟田あわたさんが立っていた。

「やっぱり香子ちゃんだ。こんばんは」

 粟田さんは松平をみた。

 私は「将棋サークルの松平よ」と紹介した。

 粟田さんは、

「ゼミがいっしょの粟田です。こんばんは」

 とあいさつした。松平もあいさつをした。

 私は、

「これから帰り? 3人で帰る?」

 とたずねた。

 すると粟田さんは、

「ううん、邪魔しちゃ悪いし……」

 と言ってことわった。

 あ、彼氏と帰ってると思われてる?

 いや、まあ、半分はそうっちゃそうなんだけど。

「だいじょうぶよ、私もストーカーが怖くて送ってもらってるところ」

「あ、その件なんだけど……私の勘違いだったみたい」

 なぬ? 私は事情をたずねた。

「ストーカーだと思った人は、高子たかねプロだったの」

 たかねぷろ? ……あのマッシュフルフの麻雀プロか。

「ど、どうして分かったの?」

「和泉プロのようすをみにディジットへ行ったら、ゲストでたまたま来てたの。同卓したときの雑談で、謝られちゃった。散歩してるときにたまたま私をみつけて、声をかけようとしたけど、夜中だからやめたんだって。声をかけようとした理由も、このまえお見舞いをことわったお詫びだったらしいの」

「えっと……高子プロがそう言ってたの?」

「うん」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ストーカーの正体がふたりとも麻雀プロだった?

 粟田さんは問題が解決したと思ってるっぽい……けど、逆じゃない?

 なにか繋がったような気がする。

 私が黙っていると、粟田さんは、

「あ、ほんとに邪魔しちゃってごめん。またね」

 と言って、その場を去った。

 私はあいさつだけして、その場にとどまる。

 氷室ひむろくんが目撃したのは、女装した和泉プロだった。

 粟田さんが目撃したのは、病院で遭遇した高子プロ。

 動画は消された。消した犯人はわかっていない。

 穂積さんも粟田さんも、ストーカー被害を撤回した。

 これが意味するものってなに?

 だれかが事件をなかったことにしたがってる。だれが?

 松平はなにか言いたげだった。けど、黙って見守ってくれた。

 ふたりの白い息だけが、夜風に流される。

「……松平、ひとつお願いがあるの」

「なんだ?」

「あるひとの顔を確認してくれない?」

「顔? ……犯人に目星がついてるのか?」

「ふたりの意見が一致したら、私の推理を話すわ……先入観はなしで頼むわよ」

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