229手目 しぼられた候補者
※ここからは、香子ちゃん視点です。
火曜日の夕方、私たちは部室にせいぞろい。
風切先輩の優勝パーティーをひらいていた。
白いテーブルには、お菓子と飲み物がならんでいる。
紙コップを手に、私たちは風切先輩をかこむ。
司会は三宅先輩。
「えー、それでは、隼人の個人戦優勝を祝して、乾杯ッ!」
「かんぱーいッ!」
私たちは紙コップをあげて、風切先輩を祝福。
先輩は照れくさそうにしながら、
「いやぁ、悪いな。わざわざお祝いまでしてもらって」
と返した。
三宅先輩は、
「これでひと段落ついたな。部としては上々の滑り出しだ」
と、安堵のタメ息をもらした。
団体戦は2期連続昇級、個人戦は男子が優勝、女子はベスト4。
廃部のごたごたから、よくここまで持ちなおしたと思う。
私たちはお菓子を食べながら、会話に華を咲かせた。
ララさんはチョコレートをほおばりながら、
「隼人って強いんだねぇ」
と、なんだかあたりまえのところに感心していた。
これは仕方がないというか、ララさんはブラジルからの留学生で、奨励会というものがなんなのか、イマイチ分かっていないっぽかった。
穂積さんは椅子から身を乗り出して、
「この調子で、ちゃちゃっとAまであがりましょうッ!」
と気合い十分。
三宅先輩はちょっと悪ノリして、
「これで隼人が会長になったら、都ノの天下だな」
と笑った。
だけど、風切先輩はこのジョークを嫌がって、
「会長なんて雑用係みたいなもんだろ」
と返した。
三宅先輩は、
「けっきょく立候補するんだろ」
と指摘した。
これは図星なので、風切先輩はちょっと返答に窮したらしく、
「義理だよ、義理。どうせ、もこっちと爽太のマッチレースだ」
と言いながら、うしろ髪をいじった。
まあまあ、この話題は、祝勝パーティーっぽくないわけで。
空気を読んだのか、大谷さんが口をひらいた。
「みなさん、王座戦の観戦には、お行きになられるのですか?」
「あ、ララも行きたい」
ん? ララさんが最初に反応するの?
将棋目当てではない気がした。
案の定、ララさんは、
「イセとかいう神社の近くでやるんでしょ。観光ガイドに載ってたよ」
とつづけた。
三宅先輩は、
「観光じゃないんだが……まあ、うちは参加校じゃないし、観光してても文句は言われないだろうな。早めに現地入りして遊ぶ大学も、あるらしい。行っても損はなさそうだ」
と答えた。
ララさんはチップスをつまみながら、
「じゃあみんなで行こうよ。たしか12月の終わりでしょ?」
と、私たちのほうをみた。
うーん、これは厄介な展開になったわね。
2016年の王座戦は、24日(土)、25日(日)なのだ。
つまり、クリスマスイブとクリスマスに重なっている。
私たちが迷っていると、ララさんは、
「なに? みんなイブに予定あるの? 日本人ってイブにデートするんだっけ? ブラジルだとホームパーティーの日だよ。教会にも行かないとね。日本人なら神社行ったほうがいいんじゃない?」
と、異文化交流みたいなことを言い出した。
それは違うと思うなあ。たしかに、クリスマスとクリスマスイブを恋愛イベントととらえているのは、日本人くらいかもしれない。でも、キリスト教徒が少ない日本では、宗教的な日という感覚がそもそもないわけで。
「拙僧は行くつもりですので、ララさん、ご一緒にいかがですか?」
「あ、ひよこも行くの? じゃ行こ行こ。仏教ガールと神様を拝みに行くのって、なんかすごくmisteriosoじゃん。インプロ映えしそう」
大谷さん、急にどうしたのかしら。
私は不審に思いつつ、チップスをかじった。
○
。
.
大谷さんの真意が分かったのは、翌日のランチタイムだった。
サンドイッチを買って席をさがしていると、声をかけられたのだ。
なにやら話があるということで、人気のないキャンパスの裏手へ。
自販機が3台ならぶ、休憩スペース。ベンチ付き。
三方をコンクリートで仕切られてるうえ、機械熱でちょっと暖房効果がある。
ただ、すきま風だけはなんともしがたい。
私はサンドイッチの包みをあけながら、
「どうしたの、急に?」
とたずねた。
「聖生の件についてなのですが……」
私はドキリとして、周囲を見回した。
ひとがいないことはわかっている。けど、なんだか不安になる。
私は声を落とす。
「個人戦で、なにかあった?」
私はあのとき、和室のほうを監視できていなかった。
大谷さんはなにか気づいたんじゃないだろうか。
と思いきや、少し話がちがっていた。
「いえ、個人戦では、けっきょくなにもありませんでした。ただ、入江会長の言動は、私たちのなかに聖生がいると、そう疑っているように感じられませんでしたか?」
「……どういうこと?」
「入江会長にしては、仕事のしかたが雑にみえました。あれは、聖生を炙り出す作戦だったのかもしれません。しかも、私たち学生のなかから」
私はすぐには理解しかねた。しばらく思案する。
そして、大谷さんの言いたいことが、ようやくわかった。
「役員のなかに聖生がいるってこと? 入江会長の推理だと?」
「あるいは、役員候補のなかに、かもしれません。これは拙僧の憶測ですが、入江会長は風切先輩をうたがっていたのではないかと思います」
「それはなくない? だって被害者なのよ?」
「風切先輩が被害者だというのは、都ノのメンバーにしかわかりません。外からみると、聖生と同時期に帰ってきた人物、というイメージになるのではありませんか?」
……たしかに、私は納得した。
それに、数学が得意なことは、聖生の暗号を連想させるかもしれない。
「じゃあ、大谷さんも、風切先輩のことを……?」
「いえ、その可能性は、拙僧のなかではほとんど消えました。他に目星があります」
私はびっくりした。
「犯人の目星がついたの? だれ?」
「正確には聖生Jrです。裏見さんも、一度はうたがったことのある人物のはずです」
謎かけになった。
私は考え込む。
これまでの情報からして、佐田店長が出会った相場師こそ、聖生にちがいない。
けど、その相場師と今の聖生は、おそらく別人物だ。
今の聖生は、聖生のこども、聖生Jrだというのが、私たちの推理だった。
聖生Jrの特徴は、
1、現在は20歳前後
2、家出した姉がいる
ということだけ。身体的特徴は、教えてもらっていない。
いずれにせよ、都ノにそういう男子はいないし、関東の有力者にも──
私はそこまで考えて、慄然とした。
「お気づきになられましたか?」
「……宗像姉弟?」
大谷さんはうなずいた。
信じられない。けど、あのふたりを疑ったことがあるのは、事実だった。
姉弟で、弟は20歳前後で──いや、でも、一致するのは恭二くんだけだ。
「弟の恭二くんはそれっぽいけど、姉のふぶきさんは違うわよ」
「ほんとうにそうですか? 拙僧はそのかたにお会いしたことがありませんので、裏見さんのほうがお詳しいとは思います。ご両親に出会ったことがあるなど、そのような経験がおありですか?」
私は記憶をたぐる。
すると、松平との会話*を思い出した。
「……あるわ」
大谷さんは、反証があがると思っていなかったらしい。
すこしおどろいて、
「お会いしたことがあるのですか?」
とたずねてきた。
私は首をふる。
「ううん、でも、ふぶきさんは席主代理なのよ。席主は他にいる、って言ってたもの。それって、お父さんかお母さんじゃない? 佐田店長が話してた相場師の性格からして、将棋道場の経営なんてしてなくない?」
「……なるほど、そうかもしれません」
大谷さんは、断定を避けているようにみえた。
でも、この推理には自信があった。
私はさらに証拠を積み重ねる。
「それに、佐田店長の話がほんとうなら、ふぶきさんは家出少女ってことでしょ」
「左様です」
「ふぶきさんを見てると、それはないかな、と思う」
「人間の内面というものは、そう簡単にはわからないのではないでしょうか」
うーん、そう言われると、反論ができなくなる。
こんどは、大谷さんのターンになった。
「ふぶきさんの言動に、なにかそれらしいところはありませんでしたか?」
「それらしいって言われても……ほんとうにふつうの女性なのよ。むしろ、優等生っぽいところがあるし……」
私は記憶を掘り起こす。アルバイトに応募したときも、いっしょに働いているときも、テキパキした女性だという印象が強かった。それに、常識人。くだらないジョークとか下世話な会話とかも一切ない。ただ、彼女が隠しごとをしていたのは事実だ。弟がいるなんて、一度も聞かされたことがなかった。まあ、恭二くんみたいな弟だと、ちょっとひとに言いにくいというのはあった可能性が……ん?
私のなかで、ひとつだけひっかかることがあった。
あのときは疑問に思わなかったけど──
「どうかなさいましたか?」
「……ふぶきさん、大卒ではないと思う」
「そうおっしゃったのですか?」
「ううん、ちがうんだけど……私が大学の勉強の話をしたら、彼女、自分じゃ理解できないかもしれない、って答えたの**。そのときは気づかなかったけど、自分は大学に通ってないからわからない、って意味だったのかも……」
「なるほど……アドバイスもなにもなかったわけですね」
大谷さんはすこしだけ考えて、冷静に、
「しかし、それだけでは証拠にならないように思います」
とつぶやいた。
私も同意する。
「そもそも、高卒だからどうこうってわけじゃないし……」
「聖生Jrの姉は、中卒の可能性もあります」
私はおどろいた。
「どうしてそう思うの?」
「中学卒業後に家出をするとどうなるのか、すこし調べてみたのです。おおまかには、警察に保護されるパターンと、同棲先をみつけてそこで生活するパターンにわかれます。同棲先には暴力団関係者も多く、水商売を強要されるケースもあるそうです。聖生Jrの姉が警察に保護されたのならともかく、家出し続けていた場合、高校へ通っている可能性は低くなると思います。入学するときに、親権者の同意を求められるのが基本ですので」
私は、大谷さんの推理に穴をみつけた。
「待って。家出したっていうのは、佐田店長からの伝聞でしょ。しかも、佐田店長は聖生本人からの伝聞……伝聞の伝聞だから、じっさいには親戚の家でかくまわれてたとか、そういう可能性もあるんじゃない?」
大谷さんはうなずいた。
「左様です。拙僧がもうしあげたいのは、ふぶきさんの学歴をどうこうしても、証拠にはならないのではないか、ということです。重要なのは、宗像恭二くんが聖生Jrの条件と一致しており、反証がひとつもないことです」
たしかに、と私は思った。
私はサンドイッチをほおばる。たまごの味が、口のなかにひろがった。
恭二くんが聖生Jr、ふぶきさんが家出した姉、ふたりの父親が聖生?
恭二くんは風切先輩のことが嫌いだ。こどもっぽいけど、動機はある。
でも、関西と関東を、どうやって移動してるの? 資金は?
申命館の将棋部を偵察したとき、恭二くんがしょっちゅういなくなる、なんて話は聞かなかった。とくに駒込先輩は口が軽いから、指摘していてもおかしくない。
「……大谷さんは、次の一手として、なにを考えてるの?」
「拙僧は、宗像恭二くんにもういちど会ってみたいと思います」
「……会ってどうするの?」
「出たとこ勝負かと。いずれにせよ、王座戦しかチャンスがありません」
大谷さんの決意は、かたいようにみえた。
私は、のこりのサンドイッチを包みなおす。
「……了解、ちょっとスケジュール調整の時間をちょうだい」
*73手目 抜き打ちテスト
https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/74/
**105手目 匿名化された犯人
https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/106/




