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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第38章 聖生の濡れ衣?(2016年11月1日火曜)
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229手目 しぼられた候補者

※ここからは、香子きょうこちゃん視点です。

 火曜日の夕方、私たちは部室にせいぞろい。

 風切かざぎり先輩の優勝パーティーをひらいていた。

 白いテーブルには、お菓子と飲み物がならんでいる。

 紙コップを手に、私たちは風切先輩をかこむ。

 司会は三宅みやけ先輩。

「えー、それでは、隼人はやとの個人戦優勝を祝して、乾杯ッ!」

「かんぱーいッ!」

 私たちは紙コップをあげて、風切先輩を祝福。

 先輩は照れくさそうにしながら、

「いやぁ、悪いな。わざわざお祝いまでしてもらって」

 と返した。

 三宅先輩は、

「これでひと段落ついたな。部としては上々の滑り出しだ」

 と、安堵のタメ息をもらした。

 団体戦は2期連続昇級、個人戦は男子が優勝、女子はベスト4。

 廃部のごたごたから、よくここまで持ちなおしたと思う。

 私たちはお菓子を食べながら、会話に華を咲かせた。

 ララさんはチョコレートをほおばりながら、

「隼人って強いんだねぇ」

 と、なんだかあたりまえのところに感心していた。

 これは仕方がないというか、ララさんはブラジルからの留学生で、奨励会というものがなんなのか、イマイチ分かっていないっぽかった。

 穂積ほづみさんは椅子から身を乗り出して、

「この調子で、ちゃちゃっとAまであがりましょうッ!」

 と気合い十分。

 三宅先輩はちょっと悪ノリして、

「これで隼人が会長になったら、都ノみやこのの天下だな」

 と笑った。

 だけど、風切先輩はこのジョークを嫌がって、

「会長なんて雑用係みたいなもんだろ」

 と返した。

 三宅先輩は、

「けっきょく立候補するんだろ」

 と指摘した。

 これは図星なので、風切先輩はちょっと返答に窮したらしく、

「義理だよ、義理。どうせ、もこっちと爽太そうたのマッチレースだ」

 と言いながら、うしろ髪をいじった。

 まあまあ、この話題は、祝勝パーティーっぽくないわけで。

 空気を読んだのか、大谷おおたにさんが口をひらいた。

「みなさん、王座戦の観戦には、お行きになられるのですか?」

「あ、ララも行きたい」

 ん? ララさんが最初に反応するの?

 将棋目当てではない気がした。

 案の定、ララさんは、

「イセとかいう神社の近くでやるんでしょ。観光ガイドに載ってたよ」

 とつづけた。

 三宅先輩は、

「観光じゃないんだが……まあ、うちは参加校じゃないし、観光してても文句は言われないだろうな。早めに現地入りして遊ぶ大学も、あるらしい。行っても損はなさそうだ」

 と答えた。

 ララさんはチップスをつまみながら、

「じゃあみんなで行こうよ。たしか12月の終わりでしょ?」

 と、私たちのほうをみた。

 うーん、これは厄介な展開になったわね。

 2016年の王座戦は、24日(土)、25日(日)なのだ。

 つまり、クリスマスイブとクリスマスにかさなっている。

 私たちが迷っていると、ララさんは、

「なに? みんなイブに予定あるの? 日本人ってイブにデートするんだっけ? ブラジルだとホームパーティーの日だよ。教会にも行かないとね。日本人なら神社行ったほうがいいんじゃない?」

 と、異文化交流みたいなことを言い出した。

 それは違うと思うなあ。たしかに、クリスマスとクリスマスイブを恋愛イベントととらえているのは、日本人くらいかもしれない。でも、キリスト教徒が少ない日本では、宗教的な日という感覚がそもそもないわけで。

「拙僧は行くつもりですので、ララさん、ご一緒にいかがですか?」

「あ、ひよこも行くの? じゃ行こ行こ。仏教ガールと神様を拝みに行くのって、なんかすごくmisteriosoじゃん。インプロ映えしそう」

 大谷さん、急にどうしたのかしら。

 私は不審に思いつつ、チップスをかじった。


  ○

   。

    .


 大谷さんの真意が分かったのは、翌日のランチタイムだった。

 サンドイッチを買って席をさがしていると、声をかけられたのだ。

 なにやら話があるということで、人気ひとけのないキャンパスの裏手へ。

 自販機が3台ならぶ、休憩スペース。ベンチ付き。

 三方さんぽうをコンクリートで仕切られてるうえ、機械熱でちょっと暖房効果がある。

 ただ、すきま風だけはなんともしがたい。

 私はサンドイッチの包みをあけながら、

「どうしたの、急に?」

 とたずねた。

聖生のえるの件についてなのですが……」

 私はドキリとして、周囲を見回した。

 ひとがいないことはわかっている。けど、なんだか不安になる。

 私は声を落とす。

「個人戦で、なにかあった?」

 私はあのとき、和室のほうを監視できていなかった。

 大谷さんはなにか気づいたんじゃないだろうか。

 と思いきや、少し話がちがっていた。

「いえ、個人戦では、けっきょくなにもありませんでした。ただ、入江いりえ会長の言動は、私たちのなかに聖生のえるがいると、そう疑っているように感じられませんでしたか?」

「……どういうこと?」

「入江会長にしては、仕事のしかたが雑にみえました。あれは、聖生のえるあぶり出す作戦だったのかもしれません。しかも、私たち学生のなかから」

 私はすぐには理解しかねた。しばらく思案する。

 そして、大谷さんの言いたいことが、ようやくわかった。

「役員のなかに聖生のえるがいるってこと? 入江会長の推理だと?」

「あるいは、役員候補のなかに、かもしれません。これは拙僧の憶測ですが、入江会長は風切先輩をうたがっていたのではないかと思います」

「それはなくない? だって被害者なのよ?」

「風切先輩が被害者だというのは、都ノのメンバーにしかわかりません。外からみると、聖生のえると同時期に帰ってきた人物、というイメージになるのではありませんか?」

 ……たしかに、私は納得した。

 それに、数学が得意なことは、聖生のえるの暗号を連想させるかもしれない。

「じゃあ、大谷さんも、風切先輩のことを……?」

「いえ、その可能性は、拙僧のなかではほとんど消えました。他に目星があります」

 私はびっくりした。

「犯人の目星がついたの? だれ?」

「正確には聖生のえるJrです。裏見うらみさんも、一度はうたがったことのある人物のはずです」

 謎かけになった。

 私は考え込む。

 これまでの情報からして、佐田さだ店長が出会った相場師こそ、聖生のえるにちがいない。

 けど、その相場師と聖生のえるは、おそらく別人物だ。

 今の聖生のえるは、聖生のえるのこども、聖生のえるJrだというのが、私たちの推理だった。

 聖生のえるJrの特徴は、

 

 1、現在は20歳前後

 2、家出した姉がいる

 

 ということだけ。身体的特徴は、教えてもらっていない。

 いずれにせよ、都ノにそういう男子はいないし、関東の有力者にも──

 私はそこまで考えて、慄然りつぜんとした。

「お気づきになられましたか?」

「……宗像むなかた姉弟?」

 大谷さんはうなずいた。

 信じられない。けど、あのふたりを疑ったことがあるのは、事実だった。

 姉弟で、弟は20歳前後で──いや、でも、一致するのは恭二きょうじくんだけだ。

「弟の恭二くんはそれっぽいけど、姉のふぶきさんは違うわよ」

「ほんとうにそうですか? 拙僧はそのかたにお会いしたことがありませんので、裏見さんのほうがお詳しいとは思います。ご両親に出会ったことがあるなど、そのような経験がおありですか?」

 私は記憶をたぐる。

 すると、松平まつだいらとの会話*を思い出した。

「……あるわ」

 大谷さんは、反証があがると思っていなかったらしい。

 すこしおどろいて、

「お会いしたことがあるのですか?」

 とたずねてきた。

 私は首をふる。

「ううん、でも、ふぶきさんは席主代理なのよ。席主は他にいる、って言ってたもの。それって、お父さんかお母さんじゃない? 佐田店長が話してた相場師の性格からして、将棋道場の経営なんてしてなくない?」

「……なるほど、そうかもしれません」

 大谷さんは、断定を避けているようにみえた。

 でも、この推理には自信があった。

 私はさらに証拠を積み重ねる。

「それに、佐田店長の話がほんとうなら、ふぶきさんは家出少女ってことでしょ」

「左様です」

「ふぶきさんを見てると、それはないかな、と思う」

「人間の内面というものは、そう簡単にはわからないのではないでしょうか」

 うーん、そう言われると、反論ができなくなる。

 こんどは、大谷さんのターンになった。

「ふぶきさんの言動に、なにかそれらしいところはありませんでしたか?」

「それらしいって言われても……ほんとうにふつうの女性なのよ。むしろ、優等生っぽいところがあるし……」

 私は記憶を掘り起こす。アルバイトに応募したときも、いっしょに働いているときも、テキパキした女性だという印象が強かった。それに、常識人。くだらないジョークとか下世話な会話とかも一切ない。ただ、彼女が隠しごとをしていたのは事実だ。弟がいるなんて、一度も聞かされたことがなかった。まあ、恭二くんみたいな弟だと、ちょっとひとに言いにくいというのはあった可能性が……ん?

 私のなかで、ひとつだけひっかかることがあった。

 あのときは疑問に思わなかったけど──

「どうかなさいましたか?」

「……ふぶきさん、大卒ではないと思う」

「そうおっしゃったのですか?」

「ううん、ちがうんだけど……私が大学の勉強の話をしたら、彼女、自分じゃ理解できないかもしれない、って答えたの**。そのときは気づかなかったけど、自分は大学に通ってないからわからない、って意味だったのかも……」

「なるほど……アドバイスもなにもなかったわけですね」

 大谷さんはすこしだけ考えて、冷静に、

「しかし、それだけでは証拠にならないように思います」

 とつぶやいた。

 私も同意する。

「そもそも、高卒だからどうこうってわけじゃないし……」

聖生のえるJrの姉は、中卒の可能性もあります」

 私はおどろいた。

「どうしてそう思うの?」

「中学卒業後に家出をするとどうなるのか、すこし調べてみたのです。おおまかには、警察に保護されるパターンと、同棲先をみつけてそこで生活するパターンにわかれます。同棲先には暴力団関係者も多く、水商売を強要されるケースもあるそうです。聖生のえるJrの姉が警察に保護されたのならともかく、家出し続けていた場合、高校へ通っている可能性は低くなると思います。入学するときに、親権者の同意を求められるのが基本ですので」

 私は、大谷さんの推理に穴をみつけた。

「待って。家出したっていうのは、佐田店長からの伝聞でしょ。しかも、佐田店長は聖生のえる本人からの伝聞……伝聞の伝聞だから、じっさいには親戚の家でかくまわれてたとか、そういう可能性もあるんじゃない?」

 大谷さんはうなずいた。

「左様です。拙僧がもうしあげたいのは、ふぶきさんの学歴をどうこうしても、証拠にはならないのではないか、ということです。重要なのは、宗像恭二くんが聖生のえるJrの条件と一致しており、反証がひとつもないことです」

 たしかに、と私は思った。

 私はサンドイッチをほおばる。たまごの味が、口のなかにひろがった。

 恭二くんが聖生のえるJr、ふぶきさんが家出した姉、ふたりの父親が聖生のえる

 恭二くんは風切先輩のことが嫌いだ。こどもっぽいけど、動機はある。

 でも、関西と関東を、どうやって移動してるの? 資金は?

 申命館しんめいかんの将棋部を偵察したとき、恭二くんがしょっちゅういなくなる、なんて話は聞かなかった。とくに駒込こまごめ先輩は口が軽いから、指摘していてもおかしくない。

「……大谷さんは、次の一手として、なにを考えてるの?」

「拙僧は、宗像恭二くんにもういちど会ってみたいと思います」

「……会ってどうするの?」

「出たとこ勝負かと。いずれにせよ、王座戦しかチャンスがありません」

 大谷さんの決意は、かたいようにみえた。

 私は、のこりのサンドイッチを包みなおす。

「……了解、ちょっとスケジュール調整の時間をちょうだい」

*73手目 抜き打ちテスト

https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/74/

**105手目 匿名化された犯人

https://book1.adouzi.eu.org/n0474dq/106/

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