223手目 ふたてに分かれて
※ここからは、香子ちゃん視点です。
けっきょく、風切先輩はもどってこなかった。
私と松平は、部室を閉めて移動。3限の講義がある。
先輩はカバンを持って行ったから、だいじょうぶだろうと判断した。
私は経済学部棟へ、松平は工学部棟へ。
とちゅうまでいっしょに移動する。
私はちょっと心配になって、
「さっきの電話、もしかして例の件かしら?」
とたずねた。
松平はなんとも言えない表情で、
「どうだろうな……」
と、あいまいに返す。
「風切先輩から、なにか教えてもらったの?」
「いや、簡単な経緯と、難儀してるっていう愚痴だけだ」
私はその経緯とやらをたずねてみた。ところが、松平も詳しく教えてもらったわけじゃないとのことだった。ようするに、次期会長がまだ決まっていなくて、風切先輩が候補の一角としてあがっている、と。個人戦2日目に、磐くんから聞いた話でしかなかった。
私はすこし深掘りしてみた。
「だれかが策動してる、っていう話はなかった?」
「んー、俺が聞いた限りじゃ、晩稲田の界隈がそういう動きをしてるってだけで、風切先輩本人は、マジメに受け取ってないみたいだったぞ」
晩稲田の【界隈】が橘先輩であることは、すぐに察しがついた。
「じゃあ、断るってこと?」
「どうだろうな……おっと、俺はここまでだ。またあとでな」
松平は工学部棟に消えた。
うーん、けっきょく真相はあいまいなままなのか。
私はとりあえず、経済学部棟へむかった。1階の大教室へ。
いつもの中央前寄りに座ると、おなじ1年生の女子に声をかけられた。
「香子、おはよ」
「おはよ……どうしたの?」
「こんど合コンすることになったんだけど、参加しない?」
私はカバンを置きながら、
「そういうのはパス」
と答えた。
少女は一瞬きょとんとして、それから、
「あ、ふーん、そっか、もう彼氏いるんだあ」
とニヤついた。
「そういう問題じゃないから」
「さっきいっしょに歩いてた男子?」
見られてるじゃないですか。もう、障子どころじゃなく目があるわね。
少女はひとりでうなずいて、
「なるほど、彼くらいのがいれば合コンも必要ないってか」
と納得していた。
こらこら、勝手に合点しない。
とはいえ、あれこれ訊かれても困るから、黙っておく。
そのうち先生が来て、講義が始まった。
私はノートをとりながら、物思いにふける。
会長職の件は、正直、私たちにとってはどうでもいいことなのかもしれない。
2年生のだれが選ばれようと、あまり関係ない気がした。
朽木先輩でも速水先輩でも、しごとはきっちりこなしてくれそう。
ただ、なーんかありそうなのよね。このイヤな予感は、いったいどこから?
○
。
.
というわけで、個人戦3日目に来てしまったわけですが──
大谷さんと風切先輩も出てるし、ふつうに応援、というのが半分。もう半分は、もやもやの解消。これは私じゃなくて、大谷さんが言い出したことだった。どうも違和感をおぼえるから、3日目に来て欲しいと言われた。私の勘はあんまりアテにならないけど、大谷さんに言われると気になっちゃうのよね。
私は対局会場──新人戦のときに使った公民館──のエレベーターのなか。
大谷さんとふたりきり。私は、
「聖生がここに現れる、ってこと?」
と、たずねた。
大谷さんは取り澄ました表情で、
「それはわかりません……しかし、2日目の風切vs朽木戦といい、なにやらキナ臭い気配がします。私たちの知らないところで、イベントが進んでいるような……」
と、つぶやいた。
「会長えらびのごたごた?」
「……わかりません」
大谷さんでもダメか。あんまりトラブルになりませんように、と。
15階に到着。とびらがひらき、ソファーと観葉植物のある簡素な空間が広がった。
公民館のなかでも、ここは市民用のイベント会場らしい。
奥には【和室】のプレート。左右の通路は、それぞれ会議室につながっていた。
そう、あの和室は、氷室くんが倒れた場所だ。あの日のことを、私は思い出す。
学生は、すでにそこそこ集まっていた。
入江会長や傍目先輩は当然に来ていたし、応援も思っていたより多い。
風切先輩はまだ来ていない。それとも手洗いかしら。
私がきょろきょろしていると、サイドから声をかけられた。
「あら、香子じゃない」
火村さんだった。
火村さんは、真っ黒なフリフリの衣装を着ていた。
髪はツインテールで、コウモリのヘアピンをしていた。
もしかしてハロウィン? 10月だけど、女子大生にしてはお子様っぽい。
でも、そこに突っ込んじゃダメよね。乙女のファッションに、けなしは禁物。
「火村さん、かわいい衣装ね」
火村さんは上機嫌になって、
「でしょでしょ……ところで、香子はひよこの応援?」
と、質問をかえしてきた。
そういうことにしておく。
むしろ、火村さんがなんで来てるのかが気になった。
「火村さんは、純粋に観戦?」
「そうね、来季の参考にしようかしら、なーんて」
なんかはぐらかされた気がする。
まさか火村さんも、大谷さんみたいに勘が働いたとか?
ありえなくはないのよね。
私たちがしゃべっていると、入江会長が抽選箱を持って現れた。
「えー、今から準決勝の抽選をおこないます。カードを引いてください」
私が新人戦のときに引いたやつね。
選手は前に出た。
まず女子から引いていく。
「速水さんと大谷さんがA、橘さんと三和さんがBですね。では、男子のひと」
あちゃー、速水さんと当たったか。
これは大谷さんといえども厳しいかも──ん? 風切先輩は?
入江会長も変に思ったのか、
「あれ、風切くんは?」
と言い、私たちのほうをみた。
私はちょっと慌てて、
「え、あの……わかりません」
と答えた。
入江会長は、
「いっしょに来たんだよね?」
とたずねた。私は首を振る。
入江会長は困ったような顔をした。
「まいったな。対局時刻は遅らせられないし……」
「わりぃ、ここにいるぞ」
風切先輩は、なんと奥の和室から出てきた。
ずいぶん眠たそうな顔で、
「すまん、早く来すぎて寝てた」
と言った。
入江会長はちょっとあきれて、
「カードはもう3人とも引き終えたよ」
と伝えた。
慶長の児玉先輩と帝大の氷室くんがAだった。
Bの1枚は、土御門先輩が持っている。つまり、土御門vs風切。
入江会長は箱をさしだして、
「いちおう引くかい?」
とたずねた。
風切先輩はこれをことわった。
入江会長は箱を抱いたまま、
「さて、どうしようか。和室と洋室に2組ずつ入ってもらってもいいし、そこのソファーで指してもらってもいい。ただ、和室は幹事以外立ち入り禁止。狭いからね。観られたいひとは、洋室かそこのソファーでお願いする」
と説明した。
こういうのは、運営で決めちゃっていいんじゃないかしら。
選手だって、振られても困るような──と思いきや、土御門先輩が扇子を鳴らした。
「わしは和室がいいのぉ。風切、どうじゃ?」
「俺もかまわないぜ」
土御門先輩、一方的に引き込んでるわね。
とはいえ、風切先輩も元奨だから、畳で指すのは慣れてそう。
入江会長はうなずいて、
「じゃあ、風切くんと土御門くんは和室ね。ほかの選手は?」
とたずねた。
ここで意外にも、大谷さんが手をあげた。
「拙僧も、できれば和室でお願いできませんでしょうか」
おっと、これには周囲がびみょうに反応した。
入江会長は、速水先輩のほうをむき、
「大谷くんは和室を希望みたいだけど、速水さんは?」
と確認をいれた。
「私もかまわないわ」
「では、速水さんと大谷さんも和室。2組以上は入れないから、三和さんと橘さん、児玉くんと氷室くんは洋室でいいかな?」
だれも反対しなかった。ソファーで指そうというひとは、今回はいなかった。
「では、対局準備を。和室は僕が担当しよう。傍目さん、洋室を頼む」
「承知しました」
みんな散っていく。
私はどうしよっかな。ここのフロアに残るひともいるみたい。
迷っていると、大谷さんが耳元でささやいた。
「これで2部屋とも監視できます。裏見さんは洋室のほうへ」
……………………
……………………
…………………
………………あ、そういうことか。
「了解」
私は洋室へ移動。10畳くらいの小会議室だった。楕円形の白いテーブル、椅子はありきたりなリクライニング式。右手のほうに窓がみえた。奥にはホワイトボード。
ギャラリーは、関東のトップクラスばかりだ。
太宰くんの存在が、ちょっと気になるかも。単なる観戦とは思えない。
児玉vs氷室が奥に、三和vs橘が入り口近くにセッティングされた。
私は三和vs橘の近くに立つ。ここなら、あやしまれない。大谷さんのために偵察中、という建前。案の定、着席した三和さんは私をみて、
「おっと、ひよこくんのスパイかな」
と勘違いしてくれた。
まあ、そういう要素がないわけじゃないし。
橘さんは黙々と駒をならべる。
傍目先輩が腕時計を確認した。
「私の時計で、10時から開始とさせていただきます。振り駒をお願いします」
3年生の三和さんが振って、歩が1枚。橘さんが先手。
歩をもとの位置にもどして、待ち時間になった。
準決勝だけあって、さすがに雑談はなかった。
「……それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
三和さんがチェスクロを押して、対局開始。
橘さんは10秒ほど冥想して、それから7六歩と突いた。




