風切隼人の独白
※今回は風切くん視点です。
朽木 爽太
俺はスマホの画面をみつめたまま、しばらく固まった。
どうする? ほかに部員がいるんだが──俺は受信ボタンを押した。
「もしもし?」
《もしもし、朽木だ。急な電話ですまない。今、時間はあるか?》
俺は松平たちをみた。
内容次第では、離席……いや、内容を聞いてからじゃ遅いな。
俺はスマホにむかい、
「1分ほど待ってくれ。こっちからかけなおす」
と答えた。
《そうか。では待っている》
俺はいったん電話を切った。
どうする? 内容はアレか?
アレなら松平にちらりと話したんだよな。
裏見も微妙に知ってるみたいだし、どうせ噂で広まってるんだろう。
だったら同席してもらう手もあるが──
「……松平、裏見、悪いが、ちょっと離席させてもらう」
俺はカバンを持って、部室から出た。
階段を駆けおり、サークル棟から出る。
建物のうらての雑木林にまわった。ここはあまりひとが来ない。
それに視界が広いから、ひとの接近に気づきやすい。
俺はリダイヤルをした。
プルルル プルルル
朽木はすぐに出た。
《もしもし、朽木だ。いそがしいところ、すまないな。話す時間はあるか?》
「今は昼休憩だ。3限がある。教室への移動もあるから、30分ほどにしてくれ」
《30分もあれば十分だ。例の件についてなのだが……》
やっぱりアレの話か。
俺は先制攻撃に出た。
「会長候補は幹事会で指名するんだろ。俺たちじゃどうしようもない」
きのうの対局で会長職が賭けられていた、なんてのはデタラメだ。
常識的に考えてありえないし、そもそも幹事会の承認が出るわけがない。
とはいえ、ああいう噂が流れたのにも、それなりの理由があった。来年度の会長選出が遅れていること、これがひとつ。もうひとつの理由は、実力順にするんじゃないか、という噂が飛び交っていたことだ。バカバカしい。男子と女子が分かれている以上、この憶測は成り立っていなかった。
朽木は先をつづけた。
《このまえも説明したとおり、幹事会からの指名がないのは妙だ。入江会長は、僕たちのほうで自発的に決めて欲しいのだと思う》
「それも証拠はない」
《物証はないが、状況証拠は十分だ。入江会長は、じぶんが選出されたとき、可能ならば制度を変えたいと言っていたそうではないか。これはその布石にみえる》
「それだって、幹事のひとりからの伝聞だろ」
俺は手近な木によりかかる。
頭上の枝が、かるくゆれた。
「俺たちだけじゃ決めようがない。候補者はどうやって絞る? 俺と朽木と速水の3人で話し合った、なんてのは、それこそあとから問題になるぞ」
《そこで提案がある……選挙というのは、どうだろうか?》
俺は眉をひそめた。
「選挙……? 前例があるのか?」
《昔はそうしていた、と聞いた。おそらく、会員の増大で廃止になったのだろう。広報も投票も、ネットがない時代ではめんどうだ。しかし、今はちがう。速水くんと風切くんと僕の3人で、入江会長に選挙の実施をお願いする、というのが提案だ》
「俺たちにそういう要求をする権限はないだろ?」
《連合の会則を調べてみた。幹事会への意見提出は、自由にできるらしい》
「拒否されたら?」
《それはそれで、会長の意図がわかってよいのではないだろうか》
俺は沈黙した。じっと考えにふける。
遠くで学生たちの声が聞こえた。
「……悪くはない、と思う」
《僕もそう思う》
「速水はどうなんだ? あいつがこんなめんどうな手続きに同意するか?」
《いや、これは速水くんからの提案なのだ。昨日、持ちかけられた》
俺はちょっと意外に思った。
「もこっちから……? 疑うわけじゃないが、俺は初耳だぞ?」
《すまない。風切くんにも声をかけようとしたのだが、都ノのメンバーといっしょで、話しかけるタイミングがなかった。速水くんに直接確認してもらってもいい》
「……いつ会長と談判する?」
《個人戦3日目が終わったあとだ。ただ、2日目で敗退した僕がいると、周囲は勘ぐるかもしれない。僕だけ大会終了後に合流する、という手もある》
俺はまた考え込む。
電話口だと、あいての雰囲気が読み取りにくい。
現に、俺はひとつ気になっている点があった。
「ほんとうに速水からの発案なのか?」
《そうだ。僕も青天の霹靂だった》
「悪いが、ちょっと深掘りして訊くぞ……橘は関与してるのか?」
朽木はすこし間をおいた。
図星だったか、と思いきや、ずいぶんと平静な声で、
《可憐か? 可憐が関与している、というのは?》
と、逆に質問をかえしてきた。
俺は率直に答える。
「じつは橘が速水に持ちかけた、という可能性はないのか?」
《それはない》
「そう断言できる理由は?」
《つまり、風切くんはこう言いたいのだな。僕がベスト8で敗退したため、会長職が遠ざかってしまった。だから選挙にしようと言い出したのではないか、と。僕はその可能性をみていない。可憐は僕が負けたあと、家までひどく落ち込んでいた。会場のどこかで速水くんにアプローチしたのなら、気配でわかる》
俺はタメ息をついた。
気配でわかるってなんだよ。夫婦か。
まあ同棲してるんだから夫婦みたいなもんだな。
「わかった。信用する。ただ、ちょっと考えさせてくれ」
《もちろんだ。僕もひと晩考えて、ようやく決断した》
「明日の夜までには、折り返し電話する」
《よろしく頼む》
俺は電話を切った。
部室にもどりかける──もどらないほうがいいか。
松平たちになんと説明するのかも、俺はまだ決められていなかった。
そのまま理学部の校舎に移動。エレベーターで6階へ。
理学部の校舎はわりと凝っていて、外壁は鳶色。1階部分には柱廊があった。
俺はもっとモダンなほうが好きだな。
教室は、白いテーブルが並べられているだけの、フラットな部屋だった。
俺は窓際の席に座る。受講者も少ないし、指定席みたいなものだ。
テキストをひらいていると、知り合いに声をかけられた。
「おーい、隼人、こんど合コンするんだけど、来るか?」
「ああ、そういうのはパス」
「彼女いないって言ってなかったか? けっこうかわいいメンツだぞ?」
俺は左手をあげて、
「資格を目指してるから、勉強しないといけないの」
と理由をつけた。
「あ、うーん……わかった。気が向いたら連絡してくれよな」
ひとりになった俺は、時計を確認する。
まだ開始まで10分ある。教員も来ていない。
俺は頰肘を突いて、物思いにふけった。
……………………
……………………
…………………
………………ふぶきのことに、こだわりすぎだよな、やっぱ。
さすがに別れて3年もたつと、あのときのことを客観的にみれる気がする。
ふぶきとの復縁は、もうない。それはわかっている。
どのツラさげて申し込むのかって話だし、そもそも今のふぶきがフリーなのかどうかも知らなかった。それに、裏見には怖くて訊けないが──ふぶきはもう結婚してるのかもしれない。年齢的にも仕事的にも。将棋道場をひとりで切り盛りしてるって聞いたが、それは道場のなかの話であって、家庭を持っていない証拠じゃなかった。
俺は大きくタメ息をついた。だいたいだな、俺は復縁がしたいのか? じつはあのときの罪悪感を解消したいだけなんじゃないのか? 俺がしたいのは、ふぶきに謝ることなのかもしれない。だけどそれは、俺の未練をなにも正当化しない。ふぶきのほうは俺のことなんか忘れている可能性だって、あるんだ。謝りに行って、「え? わざわざそんなことで?」なんて返された日には、俺はショックで立ち直れないと思う。
俺は、輪ゴムでゆったうしろ髪をガシガシやりながら、
「ああ、わかんねぇ」
と口走ってしまった。
ハッとしてまえをみる。
すると、スーツを着た老齢の教授と目があった。
教授はメガネ越しに俺をみて、
「え? 風切くんがわからないの? ……書き間違えたかな」
と言い、黒板を見なおし始めた。
俺は気まずくなる。
「あ〜……すみません、ひとりごとなんで、そのまま続けてください」




