表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第36章 2016年度秋季個人戦1日目(2016年10月16日日曜)
214/496

212手目 頼らない学生たち

 というわけで、私は折口おりぐち先生とカフェテラスへ移動した。

 そこは食堂の2階から張り出したデッキになっていて、平日は学生の溜まり場だ。

 白い円形テーブルがならび、それぞれに3、4の白い椅子がついている。

 いつもより綺麗。オープンキャンパスのまえに掃除をしたのだろう。

 風はだんだんと秋の気配。

 ところどころ紅葉し始めた山々が、テラスから一望できた。

 教室のあとかたづけは、事務員さんがやってくれることに。

 私は飲みかけの缶コーヒーをテーブルに乗せ、ちょっと緊張。

 あんまり大学の教員とふたりきりになりたくない。

 折口先生は椅子にすわって足を組み、缶コーヒーを飲んだ。

「ふぅ、模擬授業はつかれるな……裏見うらみもおつかれさん」

「おつかれさまです」

「ところで、Bに昇級したらしいな」

 いきなり将棋の話になった。

 そういえば、まだ報告してなかったわね。失礼だったかしら。

「すみません、報告が遅れました。Bクラスに上がれました」

「けっこうけっこう……と言っても、大学将棋はここからだが」

 折口先生によれば、Bで心が折れるチームはたくさんあるらしい。

 理由を訊いてみると、

「まずAに上がるのがむずかしい、というのもあるが、それよりもAに定着するのがむずかしい。下位から始まって頭ハネが続出するし、A級上位は実力が鉄板だ。だから、実質的には3、4校で降級2枠を争うことになる」

 うーん、きびしいなぁ。

 折口先生は、さらに現実を突きつけてくる。

「それと、A級トップで王座戦の予選を免除してもらうのは、都ノみやこのではほぼムリだ」

「……先生、もうちょっとお手柔らかに」

 折口先生は目を閉じて、缶コーヒーののこりを飲んだ。

「根性じゃ将棋は勝てない。それは裏見もわかるだろう?」

「……はい」

 まあ、そうなのよね。

 将棋はほんとに精神論でどうこうなるゲームじゃない。

 もちろん、あいてが気抜けしてポカをするとか、そういうことはある。

 でも、そういうのが効くのは一発勝負のときだけだ。

「とはいえ、お説教をするために呼んだわけじゃない。それより訊きたいことがある」

 そういう言い方、いやらしいのでやめてくださいな。

 なんか不祥事があったんじゃないでしょうね。

 私は身がまえた。

「なんでしょうか?」

「私はなにも手伝わなくていいのか?」

 ちょっと予期していない質問だった。

「すみません、手伝う、というのは?」

「安食先生からは、『おおきな大会に出たがってるから、よろしく頼む』と言われた。王座戦のことだろう? 私はなにもしなくていいのか? 顧問としての仕事は、ハンコを押すくらいしかしていない」

「お気持ちはありがたいですが……先生は授業とか研究とかあると思いますし……」

「それはそうだが、私も古都こと大の元主将だ。王座戦にも出ている。アドバイスできることはあると思う」

 うーん……むずかしい掛け合いになってきた。

 そりゃ、経験者にアドバイスしてもらえるのは助かる。

 けど、ここまでの将棋部は自力で解決してきた。これも事実だ。

 私はなんと答えたものか、言葉に詰まってしまった。

 折口先生は、ふむとつぶやいて、

「ようするに困ってはいないということか……すまん、出すぎた発言だった」

 と、いきなり謝った。

「あ、いえ……ご厚意には感謝します」

「ところで、松平まつだいらは個人戦に出てるんだな。関東は3日制だったか」

 私はそうだと答えた。

 まず、初日でベスト64まで絞る。

 2日目は3回対局してベスト8を決定し、3日目に決勝トーナメント。

 ひとまず2日目に進出することが、松平たちの目標だ。

 これが言うほど簡単じゃないのよね。

 というのも、ベスト64のうち、3分の1くらいはシード選手なのだ。春の個人戦とか団体戦で好成績を上げたひと、あるいは企業主催の大会で優勝した学生なんかは、2日目から来る。ほんとうは半分の32枠がシード枠らしい。けど、だいたい強いひとって被るから、実質的には20人前後がシードになるというわけだ。

「どうする? 今から応援に行くのか?」

「……いえ」

 折口先生は、オヤッという顔をした。

「応援はわりと効くぞ」

「これは三宅先輩に……部長に言われたんですが、私たちってやっぱり本業は大学生だと思うんです。週末にやりたいこともいろいろありますし、部の活動にすべての時間を注ぐのは、なんかちがうのかな、と」

「なるほどな……最近の学生はよく考えてる」

 折口先生は、それっきりなにも言わなかった。

 とはいえ、気になってはいるのよね。

 初日に全滅とかいうオチは、やめて欲しいんだけどなぁ。


  ○

   。

    .


 *** ここからは松平くん視点です。 ***

 

「くしゅん」

 俺はくしゃみをして、あたりをみまわした。

 個人戦初日の昼休み。会場の政法せいほう大学に用意された、大教室の控え室。

 各大学が集まっているとはいえ、ちょっと華がないんだよな。

 女子がいないっていう意味じゃなくて、強豪が来てないっていう意味で。

 A級の主要メンバーは、ほとんど見当たらなかった。

 ファーストフードで食事を終えた俺は、都ノの控えテーブルで昼寝。

 三宅みやけ先輩と穂積ほづみ先輩も帰ってこないし、留守番状態だった。

風切かざぎり先輩も今日は来ないしな……ヒマだ」

 窓のそとには、赤いもみじがみえた。

 もう秋だな。裏見には悪いことした。

 こんどデートに誘って奮発しないと──

 

 ガーッ ガッ ガッ

 

 ん、このローラーブレードの音は……ふりかえると、ベージュのレインコートにソフトハットをかぶった男が、ローラーブレードで疾走していた。

 こちらへ向かってくる。ちょうど俺の右サイドでブレーキをかけた。

「ババーン、首都工のエース、ばん一眞かずまさま、参上ぉ」

「さて、10分くらい寝るか」

「こら、工学部のよしみで声をかけてやったんだぞ」

 工学部のよしみって言われてもなぁ。俺は機械オタクじゃないんだよ。

 とはいえ、こういう付き合いはだいじだから、さすがに対応する。

「磐はまだ残ってるか?」

「もちのロン。剣之介けんのすけは?」

「なんとか1回戦は勝てた」

「3連勝すりゃ2日目進出。かんたんだな」

 さすがに新人戦ベスト8だと、ポジティブだな。

 いや、こいつの性格か。

 磐はあたりをきょろきょろしながら、

「今日は都ノの女子、来てないの?」

 と訊いてきた。

「来てない」

「うーん、残念。都ノは飛び抜けて女子率が高いからなぁ」

「そういうエロオヤジみたいな発言はNGだ」

「いや、エロい意味で言ったんじゃないぞ。うちは女子部員ゼロだから、女子の大会は不参加でちょっとさみしいんだ」

 そりゃ純理系大学だからしょうがない。男女比がそもそもちがう。

 磐はポケットに手をいれ、ローラーブレードのままピョンピョン飛び跳ねた。

「だけど、来年度は首都工も女子を期待できるんだよねぇ」

「アテがあるのか?」

平賀ひらがっていう知り合いがいるんだ。メカマニアだからうちに来るはず」

 なるほど、類は友を呼ぶわけか。

 そんなことを思っていると、もうひとり、ハンチング帽をかぶったやつが現れた。

 俺はびっくりする。

太宰だざい……どうしたんだ?」

「それはこっちのセリフだよ。まるで幽霊に会ったみたいな顔だね」

「だって太宰はシードだろ?」

「うん、新人戦で準優勝だから、ね。でも、シード組が来ちゃダメってルールはない」

 そりゃそうだが……なんかあやしいな。

 おなじ学年だと、太宰の考えの読めなさはトップクラスだと思う。

 こいつより読めないのは帝大ていだい氷室ひむろしかいない。

 磐は太宰と俺をみくらべて、

「ふ〜ん、ふたりともずいぶん親しげじゃん」

 と、あやしんできた。

 これには太宰が淡々と答える。

晩稲田おくてだと都ノが交流しててもいいだろ」

「ま、そりゃそうだ」

「ところで、ひとつ訊きたいんだけど、磐が食べてた焼肉屋って、ここ?」

 太宰はいきなりスマホをみせてきた。

 店名がどんぴしゃだった。

 磐は素知らぬふりをして、

「何ヶ月前の話だよ。もう忘れた」

 とだけ答えた。

 太宰は表情を変えずに、

「この住所って、八王子方面だよね。あっちに首都工のキャンパスなくない?」

 と、意味深な質問をしてきた。

 これはアレだな、なにかバレてるな。

 磐もウソをつくのがヘタなのか、

「だから覚えてないって」

 の一点張り。

「そっか、わざわざ八王子方面に出かけるってことは、よほど味がいいのかな、と思ったんだけど。じゃ、ふたりともがんばってね。2日目に会おう」

 太宰はそう言って教室から出て行った。

 磐はチェッと舌打ちして、

「なーんかあいつ苦手なんだよなぁ」

 と言った。

 それはわかる。ただ、悪意があるようにもみえない。

 あと、ストレートな物言いをする磐と性格が合わない、というのもありそうだ。

 俺はべつに嫌ってない。熱海の件で共闘(?)もしたしな。

 俺と磐は、にわかに大学生活の話へ移った。

「そういえば、松平ってなんの研究したいの?」

「研究?」

卒研そつけん

「卒業研究か……まだ決めてない」

「興味のあるテーマは?」

 いや、べつに工学をきわめたいわけじゃないんだよなぁ。

 そもそも研究職志望でもない。

 それを伝えると、磐はきょとんとした。

「そっか、松平は現場のほうがいいのか。俺も組み立てなんかは経験したいけどな」

「つーか、そこまで決めてない。最近は医療系にちょっと興味がある」

「医療系? ……医療機器?」

「そうだ」

「ふーん、将来性はありそうだけど、またなんでだ?」

「研究室の先生がそういうテーマをあつかってる」

 磐は首をかしげた。

「都ノは1年生から研究室を選べるのか?」

「いや、ちょっといろいろあって……まあ手伝いだな」

 磐は笑った。

「なるほど、ソルジャー要員か。さては単位関連だな。なんて名前の教授だ?」

「教授じゃなくて准教授だな。折口っていうんだが」

 磐の顔色が変わった。

「……女の先生じゃないよな?」

「ん? 知ってるのか? 折口おりぐちのぞみっていう女の先生だぞ?」

 磐はローラーブレードで距離をつめて、俺の肩をつかんだ。

「マジでッ!? あの折口研おりぐちけんに入れたのッ!?」

「おちつけ。抱きつくな」

 磐は俺の肩をはなすと、こぶしをにぎってワナワナ震えた。

「な、なんでメカ愛の足りない剣之介が折口研究室に……世の中まちがってる」

 いや、なにを言ってるんだ、おまえは。

 あきれる俺に、磐はサインをねだってきた。

「サインっておまえ……大学の先生だぞ?」

「じゃあ会わせて」

 いや、じかに会わないほうがいいと思うぞ、うん。

「アイドルはアイドルのままのほうが……」

「おーい、そこのふたり、もうすぐ始まるぞ」

 入り口の見知らぬ男子から、声をかけられた。俺はスマホの時計を確認した。

 開始1分前じゃないかッ!

 大慌てで会場に移動する。あいてはとっくに座ってて、盤駒もセットされていた。

「すみません」

 俺が謝って座ると、あいてのメガネの男子は、

「いやぁ、うちの一眞がめいわくかけてゴメンね」

 と冗談めかして笑った。

 ちょっと寝癖のある、やせ顔のひとだった。

「えっと、あの……」

「あ、僕は首都工2年の大柴おおしばだよ。よろしく」

 なるほど、磐の先輩か。

「俺のほうこそ、お世話になってます」

「ハハハ、きみ、社会人みたいなあいさつするね。振り駒は僕でいい?」

 俺は承諾した。結果は歩が3枚で、大柴さんの先手になった。

 幹事の咳ばらいが聞こえる。

 会場内の私語がやんだ。

「準備はよろしいですね? ……では、始めてください」

「よろしくお願いします」

 俺はチェスクロを押した。

 大柴さんはサクッと角道を開ける。

 7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、6六歩。

 

挿絵(By みてみん)


 よし、矢倉か。いっちょ受けて立つ。

 2日目が応援だけっていうのは寂しいからな。

 裏見にかっこいいところみせるぜ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ