212手目 頼らない学生たち
というわけで、私は折口先生とカフェテラスへ移動した。
そこは食堂の2階から張り出したデッキになっていて、平日は学生の溜まり場だ。
白い円形テーブルがならび、それぞれに3、4の白い椅子がついている。
いつもより綺麗。オープンキャンパスのまえに掃除をしたのだろう。
風はだんだんと秋の気配。
ところどころ紅葉し始めた山々が、テラスから一望できた。
教室のあとかたづけは、事務員さんがやってくれることに。
私は飲みかけの缶コーヒーをテーブルに乗せ、ちょっと緊張。
あんまり大学の教員とふたりきりになりたくない。
折口先生は椅子にすわって足を組み、缶コーヒーを飲んだ。
「ふぅ、模擬授業はつかれるな……裏見もおつかれさん」
「おつかれさまです」
「ところで、Bに昇級したらしいな」
いきなり将棋の話になった。
そういえば、まだ報告してなかったわね。失礼だったかしら。
「すみません、報告が遅れました。Bクラスに上がれました」
「けっこうけっこう……と言っても、大学将棋はここからだが」
折口先生によれば、Bで心が折れるチームはたくさんあるらしい。
理由を訊いてみると、
「まずAに上がるのがむずかしい、というのもあるが、それよりもAに定着するのがむずかしい。下位から始まって頭ハネが続出するし、A級上位は実力が鉄板だ。だから、実質的には3、4校で降級2枠を争うことになる」
うーん、きびしいなぁ。
折口先生は、さらに現実を突きつけてくる。
「それと、A級トップで王座戦の予選を免除してもらうのは、都ノではほぼムリだ」
「……先生、もうちょっとお手柔らかに」
折口先生は目を閉じて、缶コーヒーののこりを飲んだ。
「根性じゃ将棋は勝てない。それは裏見もわかるだろう?」
「……はい」
まあ、そうなのよね。
将棋はほんとに精神論でどうこうなるゲームじゃない。
もちろん、あいてが気抜けしてポカをするとか、そういうことはある。
でも、そういうのが効くのは一発勝負のときだけだ。
「とはいえ、お説教をするために呼んだわけじゃない。それより訊きたいことがある」
そういう言い方、いやらしいのでやめてくださいな。
なんか不祥事があったんじゃないでしょうね。
私は身がまえた。
「なんでしょうか?」
「私はなにも手伝わなくていいのか?」
ちょっと予期していない質問だった。
「すみません、手伝う、というのは?」
「安食先生からは、『おおきな大会に出たがってるから、よろしく頼む』と言われた。王座戦のことだろう? 私はなにもしなくていいのか? 顧問としての仕事は、ハンコを押すくらいしかしていない」
「お気持ちはありがたいですが……先生は授業とか研究とかあると思いますし……」
「それはそうだが、私も古都大の元主将だ。王座戦にも出ている。アドバイスできることはあると思う」
うーん……むずかしい掛け合いになってきた。
そりゃ、経験者にアドバイスしてもらえるのは助かる。
けど、ここまでの将棋部は自力で解決してきた。これも事実だ。
私はなんと答えたものか、言葉に詰まってしまった。
折口先生は、ふむとつぶやいて、
「ようするに困ってはいないということか……すまん、出すぎた発言だった」
と、いきなり謝った。
「あ、いえ……ご厚意には感謝します」
「ところで、松平は個人戦に出てるんだな。関東は3日制だったか」
私はそうだと答えた。
まず、初日でベスト64まで絞る。
2日目は3回対局してベスト8を決定し、3日目に決勝トーナメント。
ひとまず2日目に進出することが、松平たちの目標だ。
これが言うほど簡単じゃないのよね。
というのも、ベスト64のうち、3分の1くらいはシード選手なのだ。春の個人戦とか団体戦で好成績を上げたひと、あるいは企業主催の大会で優勝した学生なんかは、2日目から来る。ほんとうは半分の32枠がシード枠らしい。けど、だいたい強いひとって被るから、実質的には20人前後がシードになるというわけだ。
「どうする? 今から応援に行くのか?」
「……いえ」
折口先生は、オヤッという顔をした。
「応援はわりと効くぞ」
「これは三宅先輩に……部長に言われたんですが、私たちってやっぱり本業は大学生だと思うんです。週末にやりたいこともいろいろありますし、部の活動にすべての時間を注ぐのは、なんかちがうのかな、と」
「なるほどな……最近の学生はよく考えてる」
折口先生は、それっきりなにも言わなかった。
とはいえ、気になってはいるのよね。
初日に全滅とかいうオチは、やめて欲しいんだけどなぁ。
○
。
.
*** ここからは松平くん視点です。 ***
「くしゅん」
俺はくしゃみをして、あたりをみまわした。
個人戦初日の昼休み。会場の政法大学に用意された、大教室の控え室。
各大学が集まっているとはいえ、ちょっと華がないんだよな。
女子がいないっていう意味じゃなくて、強豪が来てないっていう意味で。
A級の主要メンバーは、ほとんど見当たらなかった。
ファーストフードで食事を終えた俺は、都ノの控えテーブルで昼寝。
三宅先輩と穂積先輩も帰ってこないし、留守番状態だった。
「風切先輩も今日は来ないしな……ヒマだ」
窓のそとには、赤いもみじがみえた。
もう秋だな。裏見には悪いことした。
こんどデートに誘って奮発しないと──
ガーッ ガッ ガッ
ん、このローラーブレードの音は……ふりかえると、ベージュのレインコートにソフトハットをかぶった男が、ローラーブレードで疾走していた。
こちらへ向かってくる。ちょうど俺の右サイドでブレーキをかけた。
「ババーン、首都工のエース、磐一眞さま、参上ぉ」
「さて、10分くらい寝るか」
「こら、工学部のよしみで声をかけてやったんだぞ」
工学部のよしみって言われてもなぁ。俺は機械オタクじゃないんだよ。
とはいえ、こういう付き合いはだいじだから、さすがに対応する。
「磐はまだ残ってるか?」
「もちのロン。剣之介は?」
「なんとか1回戦は勝てた」
「3連勝すりゃ2日目進出。かんたんだな」
さすがに新人戦ベスト8だと、ポジティブだな。
いや、こいつの性格か。
磐はあたりをきょろきょろしながら、
「今日は都ノの女子、来てないの?」
と訊いてきた。
「来てない」
「うーん、残念。都ノは飛び抜けて女子率が高いからなぁ」
「そういうエロオヤジみたいな発言はNGだ」
「いや、エロい意味で言ったんじゃないぞ。うちは女子部員ゼロだから、女子の大会は不参加でちょっとさみしいんだ」
そりゃ純理系大学だからしょうがない。男女比がそもそもちがう。
磐はポケットに手をいれ、ローラーブレードのままピョンピョン飛び跳ねた。
「だけど、来年度は首都工も女子を期待できるんだよねぇ」
「アテがあるのか?」
「平賀っていう知り合いがいるんだ。メカマニアだからうちに来るはず」
なるほど、類は友を呼ぶわけか。
そんなことを思っていると、もうひとり、ハンチング帽をかぶったやつが現れた。
俺はびっくりする。
「太宰……どうしたんだ?」
「それはこっちのセリフだよ。まるで幽霊に会ったみたいな顔だね」
「だって太宰はシードだろ?」
「うん、新人戦で準優勝だから、ね。でも、シード組が来ちゃダメってルールはない」
そりゃそうだが……なんかあやしいな。
おなじ学年だと、太宰の考えの読めなさはトップクラスだと思う。
こいつより読めないのは帝大の氷室しかいない。
磐は太宰と俺をみくらべて、
「ふ〜ん、ふたりともずいぶん親しげじゃん」
と、あやしんできた。
これには太宰が淡々と答える。
「晩稲田と都ノが交流しててもいいだろ」
「ま、そりゃそうだ」
「ところで、ひとつ訊きたいんだけど、磐が食べてた焼肉屋って、ここ?」
太宰はいきなりスマホをみせてきた。
店名がどんぴしゃだった。
磐は素知らぬふりをして、
「何ヶ月前の話だよ。もう忘れた」
とだけ答えた。
太宰は表情を変えずに、
「この住所って、八王子方面だよね。あっちに首都工のキャンパスなくない?」
と、意味深な質問をしてきた。
これはアレだな、なにかバレてるな。
磐もウソをつくのがヘタなのか、
「だから覚えてないって」
の一点張り。
「そっか、わざわざ八王子方面に出かけるってことは、よほど味がいいのかな、と思ったんだけど。じゃ、ふたりともがんばってね。2日目に会おう」
太宰はそう言って教室から出て行った。
磐はチェッと舌打ちして、
「なーんかあいつ苦手なんだよなぁ」
と言った。
それはわかる。ただ、悪意があるようにもみえない。
あと、ストレートな物言いをする磐と性格が合わない、というのもありそうだ。
俺はべつに嫌ってない。熱海の件で共闘(?)もしたしな。
俺と磐は、にわかに大学生活の話へ移った。
「そういえば、松平ってなんの研究したいの?」
「研究?」
「卒研」
「卒業研究か……まだ決めてない」
「興味のあるテーマは?」
いや、べつに工学を究めたいわけじゃないんだよなぁ。
そもそも研究職志望でもない。
それを伝えると、磐はきょとんとした。
「そっか、松平は現場のほうがいいのか。俺も組み立てなんかは経験したいけどな」
「つーか、そこまで決めてない。最近は医療系にちょっと興味がある」
「医療系? ……医療機器?」
「そうだ」
「ふーん、将来性はありそうだけど、またなんでだ?」
「研究室の先生がそういうテーマをあつかってる」
磐は首をかしげた。
「都ノは1年生から研究室を選べるのか?」
「いや、ちょっといろいろあって……まあ手伝いだな」
磐は笑った。
「なるほど、ソルジャー要員か。さては単位関連だな。なんて名前の教授だ?」
「教授じゃなくて准教授だな。折口っていうんだが」
磐の顔色が変わった。
「……女の先生じゃないよな?」
「ん? 知ってるのか? 折口希っていう女の先生だぞ?」
磐はローラーブレードで距離をつめて、俺の肩をつかんだ。
「マジでッ!? あの折口研に入れたのッ!?」
「おちつけ。抱きつくな」
磐は俺の肩をはなすと、こぶしをにぎってワナワナ震えた。
「な、なんでメカ愛の足りない剣之介が折口研究室に……世の中まちがってる」
いや、なにを言ってるんだ、おまえは。
あきれる俺に、磐はサインをねだってきた。
「サインっておまえ……大学の先生だぞ?」
「じゃあ会わせて」
いや、じかに会わないほうがいいと思うぞ、うん。
「アイドルはアイドルのままのほうが……」
「おーい、そこのふたり、もうすぐ始まるぞ」
入り口の見知らぬ男子から、声をかけられた。俺はスマホの時計を確認した。
開始1分前じゃないかッ!
大慌てで会場に移動する。あいてはとっくに座ってて、盤駒もセットされていた。
「すみません」
俺が謝って座ると、あいてのメガネの男子は、
「いやぁ、うちの一眞がめいわくかけてゴメンね」
と冗談めかして笑った。
ちょっと寝癖のある、やせ顔のひとだった。
「えっと、あの……」
「あ、僕は首都工2年の大柴だよ。よろしく」
なるほど、磐の先輩か。
「俺のほうこそ、お世話になってます」
「ハハハ、きみ、社会人みたいなあいさつするね。振り駒は僕でいい?」
俺は承諾した。結果は歩が3枚で、大柴さんの先手になった。
幹事の咳ばらいが聞こえる。
会場内の私語がやんだ。
「準備はよろしいですね? ……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
俺はチェスクロを押した。
大柴さんはサクッと角道を開ける。
7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、6六歩。
よし、矢倉か。いっちょ受けて立つ。
2日目が応援だけっていうのは寂しいからな。
裏見にかっこいいところみせるぜ。




