傍目八千代の探求
※今回は傍目さん視点です。
秋の午後、高層ビルの一室。
壁一面の書架に、ぎっしりと詰まったファイルとノート。
平日の喧騒とは縁のない空間。冷房の音。
下ろされたブラインドからは、ときおりクラクションの音が聞こえるだけ。
私は事務机に座って、一冊のノートをめくっていました。
紙はうっすらと変色しています。
【昭和六十三年度 関東大学将棋連合 日誌】
九月二十六日(月)
夏休みの郵便物を整理
・暑中見舞い 別表
・大会会場の利用料金請求書(一通)
・関西将棋連合会長の御手様から親書
王座戦の準備について打ち合わせしたし
幹事会に提出すること 済
・匿名の手紙 甲
三部制移行に対する反対意見書
幹事会に提出すること 済
・匿名の手紙 乙
大会交通費の一律不支給決定に関する異議申立
幹事会に提出すること 済
以上
付記 匿名での異議申立は認められない旨の決議
同年十月一日(土)の臨時総会にて
ずいぶんと几帳面なかただったのですね。
見習いたいものです。
「……」
コンコンコン
ノックの音。
私はノートから顔をあげ、
「どなたですか?」
とたずねました。
ドアごしに男性の声が聞こえます。
「入江だよ。その声は傍目さんかな?」
私はすこしばかりホッとして、
「どうぞ……鍵は開いています」
と答えました。
ドアがひらき、入江会長が顔をのぞかせます。
会長は愛想のよい笑顔で、
「すまない、邪魔したね」
と言いました。
私はノートを閉じます。
「いいえ、資料の整理をしていたもので」
入江会長は部屋に入り、ドアを開けたままにしました。
これはあれでしょうか、ハラスメント対策かなにかですかね。
会長は、入り口のすぐ近くにある棚をあさりながら、
「都ノが昇級したね」
と、やや声を落としました。
「はい」
「ずいぶんとそっけないな」
入江会長はファイルをとりだし、パラパラとめくります。
私はメガネをなおして、
「ごまかさずに言えば、うれしい気持ちはあります」
「同窓の選手がいるから?」
「それは個人的な感情としてあります。しかし、幹事としてうれしいのは、CとDが盛り上がりをみせていることですね。去年は最初から消化試合みたいなチームもありました。AやBとのムードが、雲泥の差だったので」
入江会長はファイルを閉じ、棚にもどしました。
ひとつ右どなりをとりだします。
「たしかに、大学将棋はどうしてもA級が華だ。うちは万年B」
やや自虐的な反応をされてしまいました。
治明はAクラス常連校、電電理科はここ数年Bクラスどまりです。
あ、ちなみにここは、治明のリベルタタワーという校舎ですよ。
「電電理科は都ノをマークしてますか?」
私の質問に対して、入江会長は表情を変えずに、
「んー、Bはそう簡単じゃないと思うけどね。都ノよりも日センをどうするかだな」
と答えました。
日センは速水さんの活躍もむなしく、A級陥落となりました。
このあたりは団体戦なのでしょうがありません。
エースだけで残れるほどヌルくないので。
「ところで、会長はなんのご用件で?」
「そろそろ新人戦の件を処置しないといけないだろ?」
あ、そういうことですか……私はうなずいて、
「病人が出たということで、すこし問題になってしまいました」
とコメントしました。
「今はネットですぐに広まるからね。再発防止策を関係部署に出しておかないと、来年度は使用禁止になるかもしれない。まあ、医師の診断もシックハウス症候群だったし、換気の徹底ということで、だいじょうぶだろうけど……っと、あったあった」
入江会長はファイルを手に、こちらへ移動してきました。
そして、私のそばにあった新しいノートをひらき、
「コピーするだけで貸出し記録をつけるのは、めんどくさいな」
と、ボールペンを走らせます。
「規則ですので」
「たしかに、大学将棋界ではこれくらいしておかないと……ん?」
入江会長は、テーブルのうえで山積みになったノートをみて、
「傍目さん、ずいぶんと古いものをみてるんだね」
と、不思議そうな顔をしました。
「はい、大学将棋の歴史を調べています」
「傍目さんらしいな。なにかわかったかい?」
「会長はもうごぞんじかもしれませんが……むかしの関東将棋連合はクラス分けがされておらず、参加校が増えるにつれて2部→3部→ABCDリーグに改組されたのですね」
「もともとは六大学将棋大会というイベントだったらしいね。野球にあやかったのかな。関東大学将棋じゃなくて、東京大学将棋だった」
「戦争で中断したあと、戦後すぐに六大学将棋を再開。東京以外の関東圏でおこなわれていた大小のイベントと合流し、1955年に関東大学将棋連合を設立。今の団体戦の前身である2部制リーグが年1回で始まり、その後は大会の多様化と参加校の増加をともなって今に至る、と」
「よく調べたね。僕はそこまでは知らない。傍目さん、歴史が好きなの?」
「はい」
「でも、心理学科なんだろう?」
「正確には文学部社会心理学科、です」
「僕は情報科学だから専門外なんだけど、それって生物の研究じゃないの?」
「生物の研究とは、どのような意味でしょうか?」
「ホモ・サピエンスの生態研究とどうちがうのかな、と思って」
はて、なんと答えたものでしょうか。
いちおう、答えは用意してあるのですが。
「質問を質問でかえしてもうしわけないのですが、歴史とはなんでしょうか?」
入江会長はファイルをテーブルにおきました。
腕組みをして思案中。
「……ちょっと本音を言ってもいいかな」
「どうぞ」
「僕は歴史がきらいなんだよね。というか、ブンケイ一般が好きじゃない」
「私立の電電理科に進学したのはそのため、と?」
「ハハハ、痛いところを突いてくるね」
「イヤミを言ったわけではありません。会長はなぜ歴史がお嫌いなんですか?」
「だってあれは科学じゃないだろう」
なるほど、即答したところをみると、ポリシーがおありのようですね。
すこし深掘りしてみますか。
「科学的ではない、というのは?」
「データにもとづいていない、という意味だよ」
「しかし、史料や遺跡の発掘などもデータの一種では?」
私にも持論があるのです。
と、そういうことは入江会長にも伝わったらしく、
「なるほど、それは認めるよ。本能寺の所在地がみつかったのは20世紀末らしいね」
という返事が。
「会長、なんだかんだで調べてますね」
「ハハハ、たまたまだよ」
「では、歴史学にも科学的なところがあると、認めていただけますでしょうか?」
「ちょっと語弊があったかな。僕がブンケイと呼んでるのは、たとえば『明智光秀が織田信長を殺害した理由』とか『現代の若者が選挙に行かない理由』とか、そういうのだよ」
あ、察しました。
「つまり、憶測が気に入らないのですね」
「そういうこと。だいたいさ、二物体間の運動をシミュレーションするのにも苦労するのに、ひとがひとを殺した動機なんて、わかるわけがないだろう。現代人でもムリだよ。社会学者と称してテレビに出てるひとたちだって、テキトウな憶測を使ってあれこれ他人を非難してるだけじゃないか。心理学にもそういうところがあるんじゃないの?」
「よくある心理分析とか心理クイズは、そういう意味ではエセ科学ですね。あれは実証性がなにもないので。また、実験そのものに疑義が呈されているケースもあります。スタンフォード監獄実験などはそうです」
入江会長はファイルをふたたび持ちあげました。
「ま、気を悪くしないでくれよ。これは愚痴みたいなもんだ。なんで動かないのか分からないソースコード、なんで動くのか分からないソースコード……パソコンにちょっとした指示を出すのにも、日頃苦労してるわけだ。大昔の社会の動きが分かるとか、よりよい社会の作り方が分かるとか、そういうのは僕からみれば荒唐無稽だね。だいたい、将棋だってそうだろう?」
「31手詰めも解けない人間の脳に、社会事象は処理できない、と?」
「そういうこと。それじゃ、ファイルは借りて行くね」
会長はそう言い残して、部屋を出ていきました。
ふだんの大会では猫をかぶってるタイプですよね、あれ。
まあ、そういうひとでないと団体の会長などできないと思いますが。
っと、これもブンケイの憶測というやつでしょうか。
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………………それにしても、バレなくてよかったです。
念のためにノートを複数出しておいた甲斐がありました。
私は昭和63年──1988年のファイルをもういちど手にとりました。
関東将棋連合のうわさによれば、聖生が現れたのは1988年の夏。
どこかにそういう記録があるのかと思いましたが……見当たりません。
なぜなのでしょう?
連合が隠蔽?
しかし、1988年の段階で、暗号の意味はわからなかったはずです。
バブル崩壊は1990年なのですから。
「……日誌がやぶられている形跡もありませんね」
ただ、ノートをだれかが読んだ形跡はあります。00年代のものよりも、ひらきがいいのです。コピー機に押しつけた証拠ではないでしょうか。問題は、このノートを借り出した記録はない、ということなのですが。
「だれかが無断で持ち出してコピーした、と……いったいなんのために?」




